はじめてのともだち その7
それほど広くない孤児院だったが、ケトには驚きの連続だった。
日々の仕事は当番を決めてこなす。お掃除当番、洗濯当番、水汲み当番。他にも沢山の当番を、ケトより小さな子供たちがきっちりとこなしている。
当番に割り振られていない子は、基本的に何をしても良いそうだ。
とは言え、田舎町の孤児院にお金が余っているなんてことは全くなく、遊びがてらお金になりそうな資材を探しに行くのだとか。空き家にはいくらでも壊れた家具がある。崩して売れば薪の出来上がりだ。
「たいへん……」
「そう? ケトだって、エルシアさんの手伝いしてるんじゃないの?」
「そ、それは、そうだけど……」
確かにブランカに戻ってからのケトの仕事は、エルシアのお手伝いだ。だがそれでお金を稼いでいる訳でもないし、それどころか、自分はお金の勘定の仕方も分からない。
「最近、あなばみつけたの。しばらくは安心」
ティナの言葉はいまいちよく分からなかったが、ケトにはサニーもティナも随分と大人びて見えた。
聞けばティナはまだ、七歳くらいなのだそうだ。
”くらい”とつくのにはもちろん理由がある。捨て子の大半は自分でも正確な年齢や誕生日が分からないのだ。
そういえば、サニーも自分を指して”多分”十二歳、という言い方をしていた。彼女たちは大体の年齢を推測して、もしくは院長先生に推測してもらって、自分で名乗っているに過ぎないらしい。
むしろ孤児でありながら自分自身の年齢も誕生日も分かっているケトやエルシアの方が珍しいのだとか。いずれにせよ、ティナよりケトの方が二歳もお姉さんだ。だというのに、ティナの方がずっと落ち着いている。
「むう」と唸りながら、ケトは最初に質問責めにあっていた部屋に戻って来た。ここは食堂なのだそうだ。道理で机も椅子もいっぱいある訳だ。
そのうちの一つに腰かけると、サニーがどこからか水を汲んで来てくれた。
「ねえ、ティナ? どうしてずっとえほんをかかえてるの?」
水を飲みながらふと聞いてみたのは、孤児院のあちこち彼女がそれをとても大事そうに抱えていたからだ。
「わたし、えほんがすきなの。とくにこのお話はとってもすてきだから、ずっと持っていたくて」
「あんたは本当に、その話お気に入りよねえ」
呆れ顔のサニーと、ちょっと恥ずかしそうに頬を赤らめるティナ。そんな反応をされると、中身が知りたくなるのが人間と言うものだ。
「どんなおはなしなの?」
俯いていたティナがガバリと顔を上げる。余りの勢いに仰け反りながら、今までで一番素早い動きだとケトは思った。
「えっとね、ゆうしゃ様と、おひめ様のお話なの。お城におひめ様がいるんだけどね、ある時まおうがやってきて……」
「ちょっと、せっかく持ってるんだから、一緒に読めばいいじゃないの」
サニーが呆れたように笑ってそんなことを言う。思わずケトとティナは顔を見合わせてしまった。
―――
椅子を目いっぱい近づける。二人の丁度真ん中に絵本を置いて覗き込んだケトは 銀色の目を真ん丸に見開いた。
「ふああ、きれいなえ!」
考えてみれば、絵本を読むのは初めてだ。故郷の村では、母が寝るときにいつも昔話をしてくれたものだが、こんなに素敵な絵は見たことがなかった。
立派なお城の前で、綺麗なドレスで着飾ったお姫様の絵。隣にはかっこいい勇者も描かれている。
表紙でこれなら、中にはどんな美しい絵が待っているのだろうか。早く中が見たくて、ケトはワクワクしながらページをめくった。だがしばらくして、ケトはがっかりした声を上げた。
「ぜんぜんわかんない……」
絵がきれいなのは確かだし、何となく話の流れも想像がつかないこともない。しかし、その隣に書かれている文字が予想以上に多かった。これではどんなお話か、ケトには分からない。
「ケト、字が読めないの?」
少女の様子に気付いたのだろう。テーブルの向かいからサニーに聞かれて、ケトは縮こまった。ティナも不思議そうにケトを見ている。なんだかとてもいたたまれなくなって、ケトは小声で聞いてみた。
「……サニーとティナは、もじよめるの?」
「孤児院では、年長の子が読み書きと算術を教えるのよ。ね、ティナ」
「うん。ティナもおべんきょう中」
「そ、そうなんだ……」
読み書きと言えば、確かついこの間エルシアが教えてくれようとしていた。蛇がのたくったような記号を見ても全然面白くなくて、「いやだ! それよりおてつだい!」とエルシアにせがんだのを、ケトはよく覚えている。
あの時、ケトは字なんて読めなくてもいいと思っていた。
ギルドの依頼用紙の内容だって、持って行きさえすればエルシアが中身をしっかり教えてくれる。お昼を食堂で食べるときだって、メニュー表をエルシアが読み上げてくれていたのだ。困ることなんてなかった。
だから、まさかこんなところでつまづくとはこれっぽっちも思わなかったのだ。
あの時わがままを言わずに、ちゃんと教えてもらえば良かった。ケトが後悔しはじめていたら、サニーが後ろから助け舟を出してくれた。
「ティナ、せっかくだから、あんた読んであげてよ」
呼ばれたティナが目を丸くして、サニーの方に振り向いた。
「読むの? ティナが?」
「そうそう。いつも寝る前にあたしが読み聞かせているでしょ? あれと同じよ。好きなお話をケトに知ってもらう、せっかくのチャンスなんだから」
「……チャンス。うん、分かった」
絵本に向き直るティナに、ケトは「いいの?」と問いかける。
「ケトもだいすきになってもらうの。それでいっぱいお話したい。がんばる」
ふんすと息を吐くティナに、ニヤニヤ笑うサニー。ケトは聞いているだけでいいのだろうか。それはちょっと申し訳ない。
だが、そんな気持ちも、ティナが本を読み始めると吹き飛んでしまった。
彼女は一文字一文字指さしながら、ゆっくりと読み始める。少しずつ紐解かれていく世界に、ケトはすぐのめり込んでいった。
「むかし、むかし、あるところに……」
非常にたどたどしい二人の会話に、サニーは可笑しそうにずっと笑っていた。二人の向かいで、様子を見ながら編み物を始めるのだった。
―――
「あのね、あのね! すごかったんだよ!」
孤児院からの帰り道、行きと同じように手を繋いで歩きながら、ケトは今日の出来事を興奮して語っていた。
子供たちがいっぱいいたこと。サニーという頼れる子のこと。ジェスという新入りの男の子のこと。そしてティナと絵本のこと。
沢山の”初めて”に、語ることは尽きることはない。夕日が照らす道に長い影が二つ伸びて、少女の声が路地に響く。
「ティナはね、えほんがだいすきなんだって! えほんには、きれいなえがいっぱいかいてあって、じもいっぱいかいてあるの。わたしはじがよめなかったんだけど、でもティナがよんでくれたらね、おはなしがわかるの!」
エルシアは、隣をゆっくりと歩きながら、先程までのことを思い出していた。
このところ顔を出していなかったこともあって、院長先生には、相談ごとという名の愚痴をずっとぶちまけてしまっていた。
ケトがその全てをエルシアに頼りきりの現状。正直に言えば、そこにエルシアだって心地よさを感じているのも事実だ。
ケトがエルシアに依存したくなる気持ちはよく分かる。しかし、それだけで成り立つほど、自分たちは恵まれていない。それをエルシアは良く知っている。
ケトにだって、いつかは自分一人で判断しなくてはいけない場面がやってくるだろう。もしかしたらエルシアは傍にいてやれないかもしれない。その時、絶望して立ち止まられては困るのだ。それこそきっと、ケトの生死にかかわる。
その第一歩としてケトを同年代の子供たちの間に放り込んでみた訳だが、エルシア自身、正直ここまで上手く行くとは思っていなかった。あえて今日の予定を詳しく教えなかったのも、彼女自身に試行錯誤してほしかったからだが、結果的に悪い判断ではなかったようだ。
そんなことを院長先生につらつらと話していたら、気付いた時には思っていた以上に時間が経っていた。本来なら、半刻くらい経ったらこっそり様子を見に行くつもりだったのに。いつの間にか倍以上の時間話し込んでしまっていて、それは驚いたものだ。
慌てて子供たちが集う食堂に向かう。ケトは大丈夫だろうか。しょんぼりしているだろうか。拗ねてはいないだろうか。まさか泣いているなんてことはないと思いたい。もしそうなったら、エルシアもへこむ。
結論から言えば、そんな心配は無用だった。
急いでドアを開けた先には、頭を突き合わせて絵本に夢中になるケトとティナの姿があったのだ。ケトが弾んだ声で何かを問いかければ、ティナはどことなく嬉しそうに応える。たまにサニーが向かいから口を出しして、三人でかしましくおしゃべりしながら。彼女たちは少しずつ、少しずつ絵本の世界を読み進めていた。
確かにティナは、一単語ずつ指をさしながら、ゆっくりと絵本を読んでいた。あの子は確か、読み書きの練習中だったから、まだスラスラとは読めないのだろう。
どうやらそれこそが、ケトには良い意味で衝撃的だったらしい。この蛇がのたくったような記号を解読していけば、秘められた広大な世界が語れるようになる。そのことを身をもって感じることができたのだろう。
「えもきれいだけど、もじってすごいんだねえ。おはなしがなかにいっぱいはいっているだもん」
この年頃の子供の表現には、時折驚かされることがある、なんてことを思う。
「そうねえ。それじゃあケトも、明日からもっと勉強して、本が読めるように頑張ろっか」
エルシアがにっこりと微笑めば、隣の少女に上目遣いで見上げてきた。
「ねえ、シアおねえちゃん。おべんきょうしたらよめるようになるかな?」
「もちろんよ。それに世界には、あの絵本以外にもたくさんの本があるわ。字が読めるようになれば、それも全部読めるようになるのよ」
「ぜんぶ!? すごい!」
くりくりした目をこれでもかと見開いてから、繋いだ手をぶんぶん振って、少女は夕日に意気込んだ。
「わたし、おべんきょうする!」




