はじめてのともだち その6
ケトはかつてない窮地に陥っていた。
右を見ても、左を見ても、頼りのエルシアの姿はない。それがどれほど心細いことなのか、きっとエルシアには分からないに違いないと拗ねたい気分だ。
その代わりというべきか、ケトは何人もの子供たちに取り囲まれて、今まさに質問責めにあっているところであった。思わず自分が先程通って来たドアをすがるように見つめるのも仕方ないというものだ。
「あなただあれ?」
「エルシアさんと一緒に住んでるのー?」
「お人形さんみたい」
「なんさい?」
次から次へと来る質問は、とどまることを知らない。
ケトの両手は、少女よりも更に小さな背丈の子に引っ張られているし、わあわあ騒ぎ立てているのは別の男の子だ。どの質問に答えたらいいのか分からない。
できることなら、先程エルシアが入っていった別の部屋の前で座り込んで待っていたい。だというのに、いつの間にか自分は見知らぬ部屋に立っていて、ケトは更に途方に暮れる。
そもそもどうしてこうなったんだっけ、とケトは遠い目をするしかなかった。
―――
今日は週の終わりの安息日。冒険者ギルドもお休みだ。
もちろんエルシアの仕事もお休みで、ケトはエルシアと一緒に通りを歩いていた。ちゃんと手を繋いでいるので、少女はご機嫌だった。
雨季の合間の晴天、日差しが少し眩しくなり始めただろうか。朝の空気の中は澄んでいて、その中を跳ねるように進む。
「もうつく?」
隣を振り仰いで見上げれば、エルシアが笑って答えてくれた。
「ええ、もうすぐよ」
エルシアの話によると、今日は彼女が昔住んでいた”孤児院”とやらに行くらしい。
一瞬、ケトは捨てられるのかとぎょっとした訳だが、エルシアの説明を聞いていたら、本当に遊びに行くだけらしいと分かって胸を撫でおろした。心臓に悪い。
どうやらそこには、ケトと同じくらいの年の子供たちが沢山いるそうで「きっとお友達ができるわよ」なんて、エルシアは言っていた。孤児院が親のいない子が集まって暮らす場所だと言うのは知っていたが、実際にその目で見るのははじめてだ。
もっとも、不安が解消されたケトにとって行先なんてどこでもよくて、”シアおねえちゃんとのお出かけ”にはしゃいでいる訳だが。
エルシアは優しい。いつも一緒にいて、何かあればすぐに自分を気にしてくれる。お昼に抱きしめてくれる時のちょっと苦しい感じも、夜一緒のベッドで頭を撫でてくれる優しい感じも大好きだ。
かけてくれる言葉は、ケトが欲しいと思う言葉ばかり。エルシアにはケトの心が読めるのではないだろうかと、ちょっと気になるくらい。
エルシアの指さす方に視線を向けると、冒険者ギルドより少しだけ大きめの建物が目に入った。
くすんだ塗装の白壁は、よく見るとあちこちが剥げてしまっている、その上から塗りたくられたペンキはあちこちに塗り忘れがあって、とても綺麗とはいえない。
その割には、小さな花壇はきちんと手入れが行き届いていて、不思議と温かみのある印象をケトに与えた。
エルシアにとっては見知った場所のようで、彼女は慣れた様子で小さな庭を通り抜け、建物の呼び鈴を叩いていた。
それに応えるように中からはーいという声が聞こえた。中でパタパタと足音が近づいてきたと思うと、ドアから女の子が顔をのぞかせた。
「こんにちは、サニー。元気だった?」
「エルシアさん! みんな元気で嫌になっちゃうくらいよ」
「それはなによりじゃない。大変そうだけど」
ケトより少しお姉さんだろうか。レッドブラウンのポニーテールを揺らし、はきはきと言葉を返す。
「この子がケトちゃん?」
「ええ、そうよ。仲良くしてあげて」
「もちろん!」
一体誰だろう? ケトに向かってにっこりと笑いかけられたので、思わずエルシアの影に隠れてしまった。
どうやら、エルシアとこの女の子は知り合いのようだ。ポニーテールを揺らす女の子に案内されて建物の中に入りながら、ケトは仲がよさそうに話をする二人を見上げる。
廊下を歩きながら、ケトは何となくもやもやしてしまった。エルシアも女の子もくすくすと笑っていて楽しそうだ。
このままじゃエルシアを誰かにとられちゃうかもしれないと、繋いだままの手にギュウっとしがみつく。エルシアがこちらを見て目を丸くした後、微笑んで頭を撫でてくれたので、ケトはちょっと安心した。
そんなことをしていたから、ケトは全然話を聞いていなかったのだ。
エルシアが古びたドアの前で立ち止まる。どうしたのだろうと聞こうとしたら、エルシアが突然しゃがみこんで視線を合わせてきたので、ケトはびっくりしてしまった。
「それじゃあ、ケト。私はちょっと先生とお話ししてくるわ。半刻もすれば戻るけれど、それまでサニーやみんなと遊んでいてくれる?」
「えっ?」
「サニー、ケトのことしばらくお願いね。この子人見知りだから、出来れば優しくしてあげて」
「まかせて!」
「えっ!?」
お話? お願い? 一体どういうことだろう。話の流れからすると、もしかしてエルシアは一緒に来ないのだろうか。
突然混乱に突き落とされたケトを他所に、エルシアは「じゃあ後でね」と、目の前のドアに入ってしまった。慌ててついて行こうとしたケトだったが、隣の女の子が押しとどめられてしまう。
「エルシアさん、先生とお話があるんだって。その間、こっちで遊びましょ」
「えっ!? シ、シアおねえちゃんいつもどってくる?」
「そんなに怯えなくったって大丈夫よ。そんなに時間はかからないってば」
まさか置いて行かれるとは思っていなかった。その上よく話を聞いていなかったせいで、ケトには隣で笑いかけるの女の子の名前も分からない。
急に不安になりながらも、前を歩く女の子の後に続いて歩き出す。こうなってしまうと、一刻も早くエルシアが戻って来るのを祈ることしかできなかった。
彼女に案内された部屋で、更に沢山の子供たちから質問責めを喰らうなんて想像は全くつかず、途方に暮れるしかなかったのだ。
「もう! みんな一度に話すから、この子が困っちゃってるじゃない」
そう言って、しばらく続いた質問責めから解放してくれたのは、この部屋まで案内してくれた赤髪のポニーテールの女の子だった。髪を揺らしながら、ワーワー騒ぐ子供たちを押しとどめてから、ケトに呆れたような顔で笑いかけた。
「ごめん、ごめん。みんな騒ぐからびっくりしちゃったよね」
「え、う、うん……」
ケトが小さく縮こまって頷くと、目の前の少女はケラケラと笑う。
「まずは自己紹介ね! あたしはサニーっていうの。あなたの名前を皆にも教えてあげて?」
「……ケト。きゅうさい」
「という訳で、ケトちゃん! よろしくね!」
差し出された手をおずおずと握る。ずいぶんとはきはきとした明るい女の子だ。
「あたしは”多分”十二歳なの。一応この中では一番年長だから、困ったことがあったらあたしに聞いて」
わかった、とケトが返していると、隣から男の子が身を乗り出してきた。
「サニーばっかりずるいぞ!」
「あんたは声がでかいのよ……。ケト、こいつはブラージュ。うるさいから気を付けて。それから、その隣からライラ、ティナ、タグよ。ティナは大人しいからケトと気が合うかも」
続けて次から次へと子供たちと挨拶する。サニーは多すぎて覚えられないよね、なんて言って笑っていたが、ケトはとにかく頭に叩き込んだ。
龍に押し潰されて以降、この手の記憶力が大分良くなったように思う。
今のケトなら、一度通った道だって間違うことなくきちんと覚えていられるのだ。ギルドの常連さんの名前を残らず憶えている自分にとって、たかだか二十人弱の顔と名前を一致させるなんて造作もない。
最近のエルシアとの生活の中で、普通の人たちに比べると、どうやらそれが異常だということも分かってきた。だから、むやみに見せびらかしたりしないが、こっそり覚えておく分には問題ないだろう。
そんなことを考えていると、隣のサニーが突然大声をあげたので、ケトはびっくりしてしまった。なんだか今日は驚いてばかりだ。
「こら、ジェス! 不貞腐れてないで、あんたも挨拶しなさい!」
「うるさい! 偉そうにするな!」
部屋の隅にいた男の子が噛みつくように言い返す。
「そういう台詞は、ちゃんとやることやってから言いなさい!」
間髪入れずにやり返したサニーを見て、ケトは小さく「ひええ」と呟いた。何だこれは、突然始まった応酬は、のんびり屋のケトにとって驚くべきトラブルだ。
「ちぇっ。うっせえなあ」
「どの口がそんなこと言うの!」
「いでででで! 何しやがるこの怪力女!」
「だーれが怪力ですってえ!?」
サニーがつかつかとジェスの元へ寄っていくと、むんずと襟首をつかんだ。暴れるジェスをものともせず、ずるずる引きずり始める。
少し離れたところから成り行きを見守っていたケトは体を震わせた。あれが挨拶しにこちらに来るのだろうか。全力で逃げたい。
「こわいねえ……」
「そうだねえ」
思わず漏れてしまった呟きに、予期せぬ相槌が帰ってきて、ケトは更にびっくり仰天した。慌てて振り向くと、自分より小さな少女の瞳と目が合った。
黒髪の少女だ。目の色も髪と同じ夜の色。そばかすまじりの頬に垂れ目が柔らかな印象を与えている。おっとりとした顔立ちだった。
「えっと、ティナ?」
「うん」
こくりと頷く小さな顔。先程サニーに紹介された子の一人だ。きちんと名前も覚えていた。
二人してボケっと目の前の乱闘を眺める。ジェスとかいう男の子もサニーには敵わないようだ。「分かった、分かったってば!」という悲鳴が聞こえる。二人突っ立って眺めながら、ふと気になったことを聞いてみることにした。
「それなあに?」
「これ? 絵本だよ」
「えほん? ふうん」
さっきの質問責めを思い出して、こっちから聞いてみようかな、と思ったのだ。ティナが両手で大切そうに持っているので気になってしまったのである。
「あとでみせて」
「いいよ」
ティナのぼんやりした顔がちょっとだけほころぶ。なんてのんびりした子なんだろうと、ケトは自分のことを棚に上げて、そんなことを思った。
「ごめんね、ケトちゃん。ジェスの馬鹿が暴れるから」
「うるせえ!」
「うるさいのはあんたよ!」
ズルズルと引きずられて、ようやくサニーが戻って来る。これでもかと不機嫌な顔をした少年が、酷く不本意そうな顔でケトを睨む。
「……ジェス」
「え、えっと……」
突然の言葉に、何を言われたのか分からなかったケトが目を瞬かせると、少年が怒ったように怒鳴った。
その吊り上がった目に怯みつつも、焦げ茶の短髪にどこか見覚えがあるような気がして、ケトはまじまじとその顔を見てしまう。
「俺の名前だ! ジェス」
「ひうっ!」
「何怖がらせてんのよ!」
「もういいだろ! 離せよ!」
サニーの手を振り払い、ジェスと呼ばれた少年が部屋を出ていく。何で彼が怒っているのか分からないが、とにかくとても怖い人だ。
「ごめんね、ケト。せっかくならと思ったんだけど、失敗だった」
驚きから立ち直っていないケトの隣で、申し訳なさそうにサニーが眉を下げる。
「ジェス怒ってるね。いつもより不機嫌」
「怒ってるというか……。あれじゃケトもびっくりしちゃったでしょ?」
どう返していいか分からないケトの横で、ティナがサニーに聞いていた。ケトは頷く。流石に何もしていないのに怒鳴られるのは嫌だし、もやもやしていた。
「ジェスはちょっと訳ありでね……。余り機嫌が良くないのよ。まあ、ここまで噛みつくのはあたしも初めてだけれど」
「ワケアリ……?」
初めて聞く言葉に目を瞬かせるケトに、ティナが教えてくれる。
「ジェスは新入り。この間、お父さんが死んじゃって、ここに来たばかりなの」
「え……!?」
お父さん、死んだという物騒な言葉に、ケトは目を見開いた。
先程の怒った顔を思い浮かべた瞬間、ケトの中の記憶と結びついた。
そうだ、思い出した。ケトが旅に出る前、カーネルの送葬を執り行った時、息子だと言う男の子が棺に噛り付いていたじゃないか。あれが先程のジェスだ。
あの時は泣き顔しか見えていなかったから、同じ男の子だとは気付かなかった。
「ジェスのお父さんは冒険者だったのよ。それが、この間のスタンピードでね……」
サニーが小さな呟きに、ケトは頷いた。
「……そ、そうだったんだ」
スタンピードの時の記憶は、もう夢の彼方だ。あの時は必死だったし、途中から周りなんか一切見えていなかった。ただ、近くに居る魔物が怖くて、とにかく体を動かしていた記憶しかない。
ケトが暴れている一方で、ジェスの父親が死んでいた。送葬の時には気付かなかった事実に、ケトは何と言っていいか分からなくなる。
「……独りぼっちになっちゃったからね。傷ついているのよ、あいつも」
だからって、誰にでも噛みつくのはどうにかした方がいいんだけどね、とサニーは呟く。その後で、彼女はくるりと振り向いて気分を取り直すかのように言った。
「まあ、ジェスのことは心配しなくていいわ! それより孤児院の中を案内するわね。せっかくだし、ティナも一緒に来なさい」
「分かった」
「え、いいの……?」
「だいじょーぶ、だいじょぶ! なんたってここに居る皆が通って来た道だもの。何とかなるって」
思いがけず軽い口調のサニーに目を開きながら、ケトは妙に納得してしまった。
孤児院とは、親がいない子が来る場所。当たり前のことだが、サニーにもティナにも親はいないのだ。ここではそれが普通。
それはケトだって同じ。ケトのママとパパはもういないのだから。
苦しむのも、乗り越えるのもここでは何も特別な事じゃない。それでもケトは、あの少年が気になってしまう。
自分にはシアおねえちゃんがいてくれた。抱きしめて、一緒に泣いてくれた。
もちろんあれだけで吹っ切れた訳ではないが、その優しいぬくもりにケトがどれだけ救われたことか。
では、ジェスは? ”シアおねえちゃん”のいない彼は、一体どうやって乗り越えればいいのだろう?




