はじめてのともだち その5
北の山脈を歩くには、いくつか掟がある。
ひとつ、天気が悪ければ無理せず休むこと
ひとつ、道に迷ったら下りずに登ること
ひとつ、川に沿って歩かないこと
一つ一つは別に難しいことではない。ただし、やたらと条件は多いし、状況に応じていくつかその注意点を破る判断力も必要になる。ブランカの冒険者にとって、もはや体に染みついた習慣とも言える。
今、ガルドスはそのうちの二つを真っ向から破ろうとしていた。
雨季に入ったこの季節、晴れ間を縫っての行動は難しい。今だって小雨が降っている中を、ゆっくりと進んでいるのだ。雨が止むのを待っていたらいつになるか分からないし、自分達は別に冒険者になりたてのひよっ子でもない。足元に気を付けながら進めばある程度は進めるだろう。何よりも、雨音が自分たちの足音をかき消してくれるのも大きい。
そして今破りつつあるもう一つの掟。”魔物の巣には近づかないこと”。
理由は言うまでもないだろう。
魔物と仰々しい名前がついてはいるが、彼らも何かを食い、どこかに住処を作り、子を為す自然の一部。肉食が多いから餌として人を襲うことはあるが、普段の営みを超えて人を襲いに来ることなんて、余程のことがない限りあり得ない。縄張りを侵害して襲撃の火種を作るのは愚の骨頂なのだ。
「左、敵影なし」
「こちらも問題なし。何もいねえな……」
「よし、もう少し進もう」
滑りやすい砂利を踏みしめる音が響く。これでも極力静かになるように、ゆっくりと動いているのだが。後方のミーシャがしっかり付いてくるのを確認してから、左のナッシュと、右のランベールに指示を出す。
即席パーティとは言え、”金札”の彼を差し置いて、”銀札”であるガルドスがリーダーなのも変な話だ。土地勘がないと、ランベールが固辞したからこんなことになっているのであって、ガルドスとしてもどこか恐れ多い感覚がある。
蒸し暑いのを我慢して鎧の上に外套を羽織っているのは、万一魔物に見つかった時に冒険者だと悟られないようにするため。所謂猟師や旅人の格好に近い。どれほど効果があるかは疑わしいが、何もしないよりマシだろう。
「あれか……」
ランベールが小さく呟く。その視線の先に不自然に固められた岩がいくつも鎮座しているのが見えた。
「あれがオーガの巣……。本当に大丈夫なんだろうな」
「シアの見立てだと、そのはずって言うけど……」
答えるミーシャも口数が少ない。
このあたりで一番大きなオーガの巣。ブランカの冒険者なら絶対に近付かない場所にいるのだから当然だろう。
ナッシュが剣を握りなおしながら愚痴る。
「エルシアさんは頭良すぎるんだよ。そのせいでたまに考えについて行けねえ。なんで大丈夫と言いきれるのか伝わってこないんだよ……」
「この町の冒険者ギルドはすごいな。ギルド独自の判断で、ここまで危険な依頼を簡単に出すんだから。魔物の巣の調査依頼なんて、それなりの大規模な作戦になりそうなものなんだが」
ランベールは比較的余裕があるようだった。流石は手練れ、くぐった死線の数が違うのかもしれない。
「田舎だから、魔物との距離間も近いんだ。生態を良く知っているから、ここまでなら大丈夫だって線引きもしやすいらしい」
ガルドスも低い声で答える。目指す場所はもう目と鼻の先、やはり魔物の姿は見えない。
「よし。打ち合わせ通り、ランベールと俺で巣に突入、ナッシュとミーシャはここで警戒してくれ。俺達でこっそり中を窺って、何か動いたら全力で逃げる。それでいいな」
それぞれに頷く面々を見渡してから、ガルドスとランベールは隠れていた岩から飛び出した。
―――
ケトの帰郷から数日後。ブランカの冒険者ギルドは一つの依頼を出した。
内容は、”魔物群生地の偵察”。冒険者達の受注目安として掲げられる依頼難易度は、ここ最近ほぼ見かけなかった最上位だ。人員は四名以上。所要期間は三日。田舎町のギルドにしては破格の報酬が目を引いた。
名目としてはスタンピード後の魔物分布の再調査だった。今回の襲撃で魔物側は極端に数を減らしたはずだ。それなら、生息地帯がどのように変わってもおかしくない。ギルドとしては、危険な場所を把握しておきたいという意図があったのである。
確かに重要な依頼だ。魔物の分布図を書き直さなくては、気軽に山に深入りできるものではない。
しかし、ガルドスだけは本来の目的が別にあることを知っていた。それもそのはず。出発前にエルシアから個別に呼び出されて、本来の目的を告げられていたのである。
「……痕跡?」
「そう。この間、オーガの子を連れ去ろうとしていた男がいたのを覚えているでしょう? ブランカへのスタンピードがあれと同じ原因である可能性も十分考えられる。オーガの巣にその痕跡がないか調べて欲しいのよ」
「おいおい……! 巣に入れって言うのか? むちゃくちゃだぜ?」
「大丈夫よ。私の見立てだと、巣はもうもぬけの殻だから」
思わず身を乗り出したガルドスに、エルシアもまた声を潜めて続ける。そのせいでぐっと顔が近づいたことに、彼女は気付いているのだろうか。
高い鼻、長い睫毛。ぱちりとした瞳に、血色の良い頬。ふわりと花のような香りが鼻腔をくすぐり、ガルドスは内心たじろいだ。
「ちょっと、聞いてる?」
「えっ? お、おお?」
「もう、大事なことなんだからぼさっとしないでよ、脳筋」
いつものように憎まれ口を叩いたエルシアだったが、ガルドスは今それどころではないのだ。コクコクと頷くだけの彼に、彼女はキョトンと目を瞬かせた。
「いい? ブランカを襲ったオーガ八体は全滅させた。もしメスや子供が巣に残っていたとしても、オスが戻らず、更に子供が攫われるような場所にいることは考えにくい。まともな奴ならすぐに逃げるはずだわ」
しばし考える。何となくこの時間が惜しくて、ガルドスの頭は高速で回転した。ちゃんと同じレベルの質問をしなくてはいけない。今この瞬間だけ、ブランカの脳筋は天才的な思考を紡ぎ出した。
「もしも、連中が攫ったオーガが違う巣の子供だったらどうなる?」
「その可能性ももちろんある。その場合は、逃げ道の地図を渡しておくから全力で逃げて。巣から下ったところにある細道がおすすめよ。オーガの巨体じゃ進みずらいから、貴方達の腕なら撒けるはず。そうそう、魔物避けの燻し草も忘れないでね」
「なるほど」
話が終わった。
いや、何言っているんだ俺は。何か考えろ。質問はまだ終わっていない。
「……仮にエルシアが考えていることが本当だったとして、こそこそ動き回っている連中がわざわざ痕跡なんか残すとは思えないんだが」
「連中の目的が本当に魔物の誘導なら、あえてどこかに印を残しているはずよ。でないと魔物が盗人を追えないでしょう? 用心深い連中ならもしかしたらスタンピードの後で回収しているかもしれないけれど、探す価値は十分にある。もしも何も見つからなかったら、足跡とか戦闘痕が残っていないか見てみて?」
チラチラとエルシアの顔を見ながら、ガルドスは内心舌を巻いたものだ。自分だって全く同じものを見てきたはずなのに、全く何も考えていなかった。かたや目の前の幼馴染がこれほどまでに考えを巡らし、策を打ち出していたとは。
ふと考えると、エルシアがブランカに戻ってからというもの、時間を見つけては所長室にこもっていた。どうやらこのための話し合いをしていたようだと、今更ながらにガルドスは気付いた。
「……いいだろう。だが、魔物が一体でも残っていたら全力で逃げ帰るからな」
「もちろんそうして。命あっての物種なんだから。あ、あと、この話は他の誰にもしないでね? 皆に余計な不安を与えたくないもの」
話も何も自分はそこまで口がうまくない、などと考えていると、ふと視線を感じ、ガルドスは再び目線を上げる。ふと、エルシアの瞳に不安そうな光が見え隠れいることに気づいた。
「いい? 絶対怪我しちゃだめだからね?」
「当たり前だ。そんなヘマするかよ」
「ま、ミィもいるから大丈夫だと思うけど……」
「相っ変わらず信用ねえなあ俺は」
「信用してるから頼んでるんじゃない」
ポンポンとテンポよく交わされる軽口の応酬。やっぱりこの距離感は心地いい。二人とも、頬が少し赤いのは別として。
―――
獣臭さで鼻がひん曲がりそうだ。
龍の墓場といい、オーガの巣穴といい、最近のガルドスは酷い場所に潜りこんでばかりだ。
外殻をなす大岩をすり抜けても、魔物は姿を現さなかった。意外と言うべきだろうか、住処の中は柔らかい葉がこんもりと敷き詰められていて、ガルドスは少し驚く。
「あの受付さんが予想した通りか……」
ランベールが呟く。言葉とは裏腹に警戒を解いていないのは経験故だろうか。ガルドスも剣を握りしめたまま、葉の上に足を踏み出した。
「うえっ……。これは酷いな」
巣穴を見渡したガルドスは思わず声を上げる。オーガの巣など、入るのはもちろん初めてなのだ。
隅に、何の獣かさっぱり分からない骨が積み上げられていた。大半が風化して脆くなっていそうだ。よく見ればそのうちいくつかは人間の骨だと判別がついて、いたたまれない気持ちになる。
「オーガに捕まるとこうなるってことだな。ゾッとしねえ」
ブツブツとひとりごちて、目を凝らす。エルシアの言っていた痕跡はないか、きょろきょろと見回す。
骨と一緒になってボロボロの鞄や剣が転がっていた。いずれも旅人や冒険者がよく持ち歩いているものだ。雨ざらしになったまま、長い間捨て置かれていたそれらには触れる気にはならなくて、ガルドスは目を背けた。
流石にこれが探し物だとは思えないが、かと言って他に近くに何か落ちているようには思えない。地面が葉に覆われている以上は、足跡が残る余地もないだろう。
「当ては外れたみたいだぞ、エルシア……」
巣穴の奥を調べるランベールには聞こえないよう、ガルドスは呟いた。あまり長居したい場所ではない。早めに切り上げようかと、入って来た隙間に振り返ったガルドスは、そこで違和感に気付いた。
入口の両脇の岩に、不自然な跡を見つけたのだ。黒々とした岩に、点々と続くえぐれたような跡がついている。跡が白い所を見ると、比較的新しい傷に違いない。
「なんだこれ……?」
「どうした、ガルドス?」
立ち止まったガルドスを不審に思ったのだろう。近くまで寄って来たランベールも、ガルドスが見ている傷に気付いたようだった。
「……魔法の着弾跡じゃないか。何でこんなところに……」
「これが何か分かるのか?」
目を丸くして問いかけたガルドスに、ベテラン冒険者は「まあな」と答える。
「きっと光弾にして連射したんだ。威力も落ちるし収束に少しコツがいるが、指向性の付け方は基本通りだから比較的簡単に覚えられる魔法だな。使うやつは多いぞ。俺も手数を稼ぎたい時によく使うしな」
「お、おう……」
ランベールが何を言っているのか、ガルドスにはさっぱり分からない。やはり”金札”にもなれば、魔法は使えて当たり前なのだろう。そこはかとなく劣等感を感じない訳ではなかったが、今は傷の中身の方が大切だ。
いずれにせよ、魔法を使う人間が戦闘を行ったことは確かだということになる。しかも、比較的最近の話だ。
「捕まった奴が抵抗したんだろうか。……どうせ骨になっちまったんだろうけれどな」
考え込むガルドスを尻目にぶつくさと口にしていたランベールは、ふと真顔に戻ると、ガルドスに窺うような目を向けた。
「それで? 探し物は見つかったのか?」
考え事をしていたせいで、ガルドスは一瞬何を言われたのか分からなかった。一泊遅れて驚きがやってきて、肩が跳ねる。
「な、何の話だ?」
慌てて誤魔化そうとしたら、声も裏返ってしまった。ああもう、昔からこういうのは苦手だ。ほら、あからさまな反応に、ランベールだって苦笑いしているじゃないか。
「巣穴に入ってから妙にキョロキョロしていたじゃないか。あれで隠しているつもりだったことに驚きだ」
「……最初から気付いてたのかよ。早く言ってくれ」
なんてことだ。やっぱりガルドスの思惑は丸わかりだったらしい。エルシア、すまんとガルドスは心の内で幼馴染に謝った。
腹の探り合いはエルシアの方がずっと向いている。本気を出した時のエルシアの腹の内はさっぱりつかめないのだ。エルシアの感情自体はコツさえつかめば分かりやすいのだが、それに気付ける奴なんて、小さなころから隣にいた自分とミーシャくらいのものだろう。
「……エルシアに頼まれたことがあってな。それを探してた」
「あの受付さんが?」
諦めたガルドスは、肩を落とす。エルシア程ではないにせよ、もう少し頭良くなりたいなあなんて遠い目をしながら、仕方がないので説明することにした。
―――
「随分時間かかったな! 中はどうだった?」
「もう二度と潜りたくない……」
「ぷっ、何さその酷い顔!」
「うるせえ、ミーシャも潜ってみりゃ分かるさ」
巣穴からようやく出てきた二人に、ミーシャもナッシュも痺れを切らしていたようだった。駆け寄って来る二人に、ガルドスはうんざりした表情を浮かべてやった。
「ランベールさんも、大丈夫だった?」
「……」
「ランベールさん?」
「ん? あ、ああすまない。考え事をしていてな」
怪訝そうな顔をしたミーシャが覗き込むと、ぼんやりしていたランベールが驚いたように目を瞬かせた。「どうしたの? どこか怪我した?」と問いかける弓使いに気付いた彼は、にやりと笑う。
「……あの中臭すぎるのが悪い。一回入ってみろ。同じ顔になるから」
「うへぇ」
それは嫌だと首を横にミーシャを横目に、ガルドスはぽんと手を叩いた。
「巣穴には何もいなかった。おそらく別の場所に移動したんだろう。とりあえず、このあたりの分布図は書き換えなくちゃいけないな」
「シアの読み通りかあ」
「みたいだな。もう少し周囲を探ってから、ブランカに報告に戻ろう」
分かったと頷く面々の先頭に立って、ガルドスはオーガの巣に背を向けた。ナッシュ、ミーシャ、ランベールの順で歩み始める。
戻ったら魔法の着弾跡について、エルシアに報告しなくてはなるまい。
安易に決めつける訳ではつもりはない。だが、スタンピードの前か後かは分からなくとも、オーガの巣に人が立ち入って戦闘を行ったのは事実だ。
それが何を意味するのか、ガルドスだって想像がつかない訳ではない。
それに、とガルドスはちらりと振り返った。
スタンピードで壊滅したと言う、後ろを歩くランベールの町。
もしかしたら意図的にその災害を起こそうとしている連中がいるかもしれない。そう聞けば、心中穏やかではないだろう。もしかしたら、クシデンタへの襲撃も同じことが起こっていた可能性だってあるのだから。
ガルドスの視線の先で、殿を務めるランベールが、ちらりとオーガの巣を鋭い視線を向けていた。




