はじめてのともだち その3
翌日、エルシアは久しぶりに受付のエプロンドレスに袖を通した。
思えば最近、自分はギルド職員というより、むしろ冒険者のような生活を送っていた気がする。スタンピードにケトの帰郷。いずれも戦ったり旅したりの日々。昔の冒険者生活を思い出してしまった。
気が引き締めて、カウンターのスイングドアを開ける。気持ちを仕事のそれに切り替えて、町のギルドの看板娘はふんすと大きく息を吐いた。
久々のギルドは落ち着きを取り戻していた。
襲撃から少し時間が経ち、復興の目途がつき始めたせいだろうか。掲示板の依頼にも、討伐や採集などがちらほらと見え始めた。
「いやホント、オドネルさん。貴方病み上がりなんだから、無茶しちゃ駄目よ?」
「あんなものかすり傷さ。いつまでも休んでちゃ体が鈍っちまうからな!」
「貴方に幸運のあらんことを。気を付けてね」
あっけらかんと笑うオドネルを見送る。ハードレザーに隠れて見えないが、きっと服の下にはまだ包帯を巻いているのだろう。いくら商人の出迎えと護衛とは言え、無理しないと良いのだが。
ドアにくくり付けられたベルが鳴った。オドネルと入れ違いになるように誰か入ってきたのだ。
「おきゃくさん」
人影に視線をやったケトが、エルシアの制服の裾を引っぱって教えてくれた。今の彼女はカウンターの中に椅子を持ち込んで、ちんまりと座っている。ひとまず今日はエルシアのお手伝いだ。
以前のように薬草採りの依頼を受けさせて、ケトを町の外に出すつもりは、エルシアには毛頭ない。かといってスタンピードの復旧がひと段落つきはじめている今、彼女ほどの力が必要な依頼はほとんどないと言っていい。
ただやはり、ケトが暇そうなのも事実だ。これからどうするか、少し考えなくてはいけないだろう。
少女の指す方向へ目をやれば、すらりとした長身の男が、カウンターにまっすぐ歩み寄ってきている。見ない顔だと、エルシアは内心首を傾げた。
旅人だろうか。この時期に珍しいこともあるものだ。
「いらっしゃいませ。冒険者ギルドへようこそ」
灰褐色の短髪。しなやかそうな長い手足。使い込まれた革鎧。
ちらりと見ただけで、腕の立ちそうな男だと分かった。エルシアだってそれなりに長いこと受付に立っているのだ。客の腕の良し悪しは何となく見分けられるようになる。
「ああ、やはりここで良かったみたいだな。通りすがりの人に場所を聞いたんだが、少し迷ってしまって」
男が困ったような笑顔を浮かべているのを見て、エルシアはピンと来た。
「失礼ですが、もしかして旅の方ですか? ブランカにははじめて来られたとか」
「分かるか? そう、この町にはつい先程着いたばかりで」
「ここ、表通りからちょっと入るので、探される方いらっしゃるんですよ」
眉を下げて苦笑してやると、壮年の客の表情が少し和らいだ。
「なるほどな。いや、恥ずかしながら手持ちの金が少なくなってしまってな。何か依頼を受けられないかと思って来てみたんだが……」
「かしこまりました。何かご希望の依頼はありますか?」
「……そうだな、俺はこの辺りの地理に疎い。雑用程度でもいいから、町の周辺を回れるものはないだろうか」
「ちょっと確認してみますね。ああ、ギルドカードを確認させていただいてもよろしいですか?」
頻繁にあることではないが、たまに旅人が依頼を受けることがある。その多くがちょっとした小遣い稼ぎを目的にしているから、丁度良さそうな依頼を紹介するのも、受付の仕事の一つだ。
目の前の旅人はそれなりに経験もあるようだ、とエルシアは判断した。目の前の報酬より、まずは自分の土地勘を養うことを優先する。情報の重要さを理解し、堅実に生き残るタイプだ。
そこまで考えたエルシアは、渡されたカードに目を落とし息を飲んだ。
「……”金札”!」
「そんなに珍しいものでもないだろう?」
思わず声を上げてしまったエルシアに、男が苦笑する。
「し、失礼しました」
慌てて謝りながら、「この町ではまず見ないので……」と答える。
ギルド職員になってから三年が経つエルシアだったが、これまで”金札”の冒険者を見る機会はなかった。ブランカには”金札”が一人もいないから、たまに他の町にいる凄腕の噂を聞くくらいだ。
札を男に返す。少しためらいつつも、受付嬢は口を開いた。
「あの、少しお聞きしてもいいですか?」
「何だろうか」
「ギルドカードの出身地のところ見てしまって……。クシデンタの町もスタンピードの被害を受けたと聞いたので、ちょっと気になってしまって」
瞬間、目の前の男の表情に苦いものが混じった。あまり触れられたくないのだと察して、エルシアは慌てて「すみません」と謝った。
「答えにくいことを聞いてしまいました……。興味本位で聞いてしまっただけなんので、お気になさらず」
「いや、いいんだ……。こちらこそ気を使わせてしまって悪いな」
「いえ、そんな……」
凄腕のはずの男が弱々しく微笑むのを見て、やはり初対面の相手に聞く話ではなかったと、エルシアは聞いたことを後悔した。
だが意外なことに、男は一語一句かみしめるように惨状を話してくれたのだ。
「……一言で言うなら、あれは地獄だ」
―――
クシデンタの町をスタンピードが襲ったのは、雪が本格的に降り積もった少し後のことだった。
定期的な見回り以外で、わざわざ冬の山に登る愚か者はいない。皆できるだけ建物にこもることが多い季節だ。だからだろうか、気付いたときには町のすぐそばまで、魔物が押し寄せて来ていた。
クシデンタには、ブランカの町にあるような防壁がない。代わりに何重かの柵と堀で周囲を囲んでいるだけだ。
彼が家を飛び出した時には、すでに町の端から魔物が蹂躙している状況だったそうだ。すぐに妻と息子を町の中心へ逃がし、自分は剣を手に取った。ふと見渡せば、向かいの主人も、行きつけの酒屋の親父も、皆近くにあるものを手に、魔物に向かっているのが目に映った。
それから先のことは、あまり覚えていない。気付いた時には、自分は魔物の返り血で真っ赤だったし、手に持った剣は半ばでぽっきりと折れてしまっていた。
周りでは、人間も魔物も倒れ伏していた。ピクリとも動かない彼らを見て、男は自分が何とかスタンピードを乗り切ったことを悟った。
―――
何も言えないエルシアの前で、男はとつとつと語り続ける。
「地獄はまだ続いたよ。奇跡的に嫁と子供は無事でな。生き残った者たちで町を見て回ったんだ」
酷い有様だったよ、と冒険者が苦笑する。乾いた笑いだったが、それがどれほど絶望的な状況か、エルシアには何となく想像がついた。
「家も畑も壊滅。穀物蔵どころか、来年の種籾までなくなっちまった。生き残りで掘っ建て小屋をを立てて、残った食料で何とか食いつないでいたんだが……」
よりにもよって、季節は真冬。連日の吹雪に、体の芯まで凍える気候。食料も薪もままならない日々。
「体の弱いものから死んでいったよ。あれを地獄と言わずに何と言えばいいか」
凄腕のはずの冒険者が死んだ魚のような目をしていた。一体どれほどの経験をしたのか、エルシアは絶句するほかない。
「……では、町の人たちは散り散りに?」
落ち着いた声で問いかける。
クシデンタの男が、今遠く離れたブランカにいる。それはつまり、生き残った人は町を捨て、ほうほうの体で去っていったのではないだろうか。
恐る恐る問いかけたエルシアだったが、意外にも冒険者はそこで初めてほっとしたように微笑んだ。
「いいや、皆まだ町にいる。実は、町を捨てるかどうか話し合っていた最中に、わざわざ支援をしに来てくれた人たちがいたんだ。あんなに雪深い田舎まで、な。死にかけている俺たちに見返り一つ求めず、住処も食料も、それどころか来年の種籾まで分けてくれた人たちだ」
「それはすごい……!」
代価を一つ求めず支援するなんて、どんな奉仕団体なのだろうか。国の支援くらいしか思い浮かばないが、話しぶりからは違った印象を受ける。雪深いスタンピードの跡地なんて、普通の人ならまず近寄らないはずなのに。
「”彼ら”のお陰で俺たちは何とか冬を越すことができた。小規模だが、荒れた畑を耕して種を撒くことまでできたのさ」
そこで冒険者は、にやりと笑って「実はな」と続けた。
「俺は出稼ぎで来たんだ。支援してくれたその人達からも『ぜひお願いしたいことがある』と言われてな。この通り、戦うしか能のない男だ。町の助けになるにはこうした方が効率が良い」
なるほど、とエルシアは頷いた。
「そういうことなら、私としても微力ながらお手伝いします。この辺りでの仕事が初めてというなら、土地勘が養えて、かつ安全なものが良いはず。それに報酬が比較的良くて短時間で終わる依頼となると……」
頭の中でいくつか候補を挙げてから、エルシアは後ろを振り返った。
「ねえケト。悪いんだけど、掲示板の、下から二番目のやつと、その一つ隣の依頼用紙を持ってきてくれない?」
「わかった!」
きっと目の前の男の話には付いていけなかったのだろう。
それまでぱちくりと目を瞬かせていた少女が、颯爽と椅子から降りる。そのままスイングドアを両手で押し開けてから、掲示板へと走っていった。
それを目で追った冒険者が笑った。
「このギルドには、随分とかわいいお手伝いさんがいるんだな」
「ええ。自慢の妹ですよ」と笑ってから、エルシアはカウンター越しに手を差し出した。
「冒険者ギルド、職員のエルシアと言います」
エルシアより年上の、灰褐色の髪の冒険者が、差し出された手を取ってにやりと笑った。ガントレット越しにも分かる、随分とがっしりしたベテランの手だと思った。
「ランベールだ。しばらくの間、よろしく頼む」
「最大限お手伝いします。こちらこそ、よろしく」
「もってきた!」
駆け戻って来たケトが、両手にひらひらと靡かせて依頼用紙を持ってきた。それを受け取った看板娘は、さっそく依頼の説明を始めたのだった。




