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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第三章 看板娘は姉になる
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はじめてのともだち その2

 エルシアがギルドに顔を出したのは、太陽が空のてっぺんを回った頃のことだった。


 手を繋いだケトを連れ、久しぶりの道を歩く。

 一時は少女をお留守番させることも考えたエルシアが、心細そうな様子の少女に根負けしたのは、つい先程のこと。隙あらば姉の袖を掴んで離さないケトは、一緒に行こうというエルシアの言葉を聞くや否や、花咲く笑顔を浮かべた。


 考えてみれば、ギルドに顔を出すのは八日ぶりだ。それなりに長かったはずの旅路も過ぎ去ってみればあっという間で、それがエルシアにはちょっとおかしい。

 まずは仕事を代わってくれていたマーサに礼を言わなくては。いかに先輩と言えど受付と食堂の掛け持ちなどできないから、実に十日以上食堂を閉めたことになる。お客さんたちも、大分迷惑をかけてしまったはずだった。

 

 くすんだ真鍮(しんちゅう)のドアノブを捻れば、カランコロンという馴染み深い音が二人を出迎えてくれた。開けた視界の先、カウンター越しに恰幅(かっぷく)の良いエプロンドレスが目を丸くしていた。


「あらまあ、二人とも! よく戻ってきたねえ」


 先代受付嬢のよく通る声に、ロビーで思い思いに過ごしていた冒険者たちが一斉に振り返る。


「エルシアちゃんじゃないか!」

「おお! 戻ったのか!」

「ケトもいるじゃないか! 相変わらずちんまいなあ」


 口々にかけられる出迎えの言葉に驚いたのか、ケトはエルシアの影に隠れてしまった。それを見た男たちは豪快(ごうかい)に笑う。カウンターから出てきたマーサも、丸い顔に優しい笑顔を浮かべた。


「おかえり、二人とも」

「ただいま、みんな」


 かけられる言葉が、自分の居場所を認識させてくれる。久しぶりの感覚がくすぐったくて、嬉しい。


「ほら。ケトも、みんなに挨拶して」


 促してやれば、エルシアの背中からおずおずと少女が顔を出す。ちょっとつっかえながら、彼女は恥ずかしそうにはにかんだ。


「た、ただいま……」

 

―――


「そうか。あの幼子には辛かったじゃろうな……」

「ええ……」


 それから少し後のこと。ギルドの常連たちにケトを預けたエルシアは、二階でロンメルに旅の報告をしていた。


 冒険者ギルドの長として王都にスタンピードの報告に出向いていたロンメルも、つい数日前に戻ってきたところらしい。王都の状況は後で聞くことにして、エルシアは自分たちの旅の顛末(てんまつ)を伝えていたのだ。

 彼の口が堅いことはエルシアが一番よく知っている。ケトの能力が、おそらく龍の血による後天的なものであることまで伝えても問題ないはずだ。


「……なるほどのう。龍の血を得た少女とは、また難儀(なんぎ)なものじゃな」


 ケトも苦労しそうじゃ……と呟いて、老人がカップを持ち上げる。

 何事か考え込みながらお茶をすすったロンメルが、娘の目をじっと見据える。普段の穏やかな老人の顔は息をひそめ、その眼差しに潜む思慮深い光に気付いたエルシアは、姿勢を正した。


「しかして、エルシアよ。これから、あの娘っ子をどうするつもりじゃ?」


 連れて帰ってきたとはいえ、ケトを取り巻く状況は依然として厳しい。孤児院に預けるにせよ、エルシアが引き取るにせよ、問題は山積みなのだ。ギルドマスターの心配ももっともだと言えるだろう。

 それを十分理解した上で、しかしエルシアにもう迷いはなかった。間髪入れずに放つ返答は、自然と胸の内から湧き出たものだと断言できる。


「ケトは私が引き取るわ。私があの子の”姉”になる。何があっても、ケトを守る」

「”姉”?」


 娘の言葉を聞いたロンメルが、ほんの少しだけ目を丸くした。しばし目を瞬かせてから、幾分窺うような声色でエルシアに問いかけた。


「……()()()()()()()()()、それがどういう意味か分かった上で言っておるんじゃろうな」

「もちろんよ。冗談でこんなこと言えないわ」


 右手でエプロンドレスの胸元に手を当てる。その下のお守りの感触を確かめながら、エルシアはぐっと胸を張った。


 あの墓石の前で誓ったのだ。

 共に過ごした時間の長さなんて関係ない。一緒に暮らし始めてからまだ一月経っていないとしても、まだ少女のことを良く知らないとしても、少女は自分の妹だ。そこにはもう、ためらいなど一欠片も残ってないのだと、精一杯の誠意を込めて目の前の老人を見返した。


 ロンメルはしばらく看板娘の顔を見つめていたが、やがて目を閉じて静かに息を吐いた。まだ若い娘に向けた目に、ふと優しい光が灯る。


「……そうか。お前さんが決めたことなら、儂がとやかく言うことでもないかの。好きなようにやってみなさい」

「……ありがとう、マスター」


 ほっと息を吐いた看板娘を見て、ロンメルは続けた。


「じゃがな、シア。お前さんとてまだまだ若い。きっと困ることも多いじゃろうて。必ず周囲を頼りなさい。マーサでも、儂でもいい。もちろんダリアだって親身に聞いてくれる。みんな力になってくれることを忘れんようにな」

「……うん。心しておくわ」


 皺だらけの顔に浮かべた微笑に答えるように、エルシアも笑い返した。心配してくれた上でやってみなさいと背を押してくれる、その優しさが嬉しかった。


 いくつか細かい話を打ち合わせた後、ロンメルは「ところで」と口を開いた。


「王都でいくつか気になる話を聞いたんじゃよ」

「気になる……?」


 首をかしげる娘の前で、ギルドマスターは机の上に視線を落とした。


「今年のスタンピードは、ブランカで四回目だそうじゃ」

「四回!? いくら何でも多すぎるわ」


 栗色の瞳が見開かれる。

 スタンピードなんて、自分の町が被害を受けるまで、噂話くらいでしか聞くことがなかったのだ。実りの少ない年の冬、本当に運が悪ければ起こりうる最悪、その程度のお話だと。

 エルシア自身、経験するのははじめてだったし、これから遭遇することもないだろうと思っている災害だ。


 ロンメルが静かな声で続ける。その目はいつの間にか、普段の穏やかな老人からギルドマスターのものに戻っていてた。


「クシデンタ、フィエード、ダウン。そしてブランカ。いずれも北の山脈の麓にある町ばかりじゃな。それぞれ被害の大小はあるが、中でも最西のクシデンタは壊滅状態だそうじゃ」

「そんなに起こった原因は? いくら何でも普通じゃないわ」

「それがのぉ。誰に聞いても、騎士団を中心に調査中の一点張りじゃった。しかし、その割には騎士団の動きも鈍い」


 そう言えばと、エルシアは口元に手を当てた。


「あれ? そう言えば義援金もらったとは聞いたけど、特に人手は借りてこなかったのね?」

「まあ、町の被害は大きくとも、人と言う面での被害は少ないからの。領主様のご子息殿とも話をしたんじゃが、今後の皆の食い扶持を稼ぎやすくするためにも、まずは町の人間に義援金が回るような施策の方が合っているじゃろう」


 ふむ、とエルシアは頷く。この町の冒険者達にも優先的に仕事を回してあげたい気持ちは、エルシア自身確かにある。そうして稼がねば、彼らも生活に困るだろうから。

 だが、とエルシアはギルドマスターを見据えた。幼少のころからの付き合いだ。少し下がった目線が、彼の憂慮を示しているのだと察することくらいは、エルシアにだってできるのだ。


「……王都で何か、気になることでもあったの?」

「うむ、それがじゃな……」


 少し言い淀んだロンメルに、少しだけ嫌な予感がして、エルシアは唾を飲んだ。


「昔の伝手を頼ってみたんじゃが、どうやら国と教会の対立が相当深まっているようじゃ。騎士は皆、そちらに注意を割いている雰囲気を感じた」

「そう……」

「クシデンタやダウンは、この町より被害がずっと大きい。それでもやはり、人手が借りられなかったという話を聞いた。その代わりに騎士を南に派兵している、なんて話もあってな……」


 しばしの間、部屋に無言の時間が流れた。顎に手を当て考え込んでから、エルシアは恐る恐る口を開く。


「何とも、きな臭い……」

「エルシア、お前さん報告書絡みで王都のギルド担当者とやり取りしとるじゃろ? 噂程度でもいいから、それとなく様子を聞いてみてくれんかの」

「分かったわ、マスター」


 老人の眉間に皺が寄る。難題を前にした上司と部下の顔に戻った二人は、こぞって難しい顔をしたのだった。


―――


 看板娘が階段を下りた途端、ケトが勢いよく振り向いた。

 周りを囲んでいた常連さんをものともせず、ピョンと椅子から飛び降りる。そのまま一目散にこちらにまっすぐ走ってくると、看板娘に飛びついた。


「シアおねえちゃん!」

「わ! ケト!」


 たたらを踏みながらも、小さな体をなんとか抱き留める。少女を抱えたまま、よたよたテーブルに向かえば、マーサや常連さん達がニヤニヤと笑っていた。


「しっかし、あんたたち随分と仲良くなったもんだねえ」

「良かったなあケトちゃん。愛しのシアおねえちゃんが来てくれたぞ」


 随分な言われようだが、自分がいない間にいったいどんな話をしたのだろうか。常連の生暖かい視線に、エルシアは思わず周囲を見返してしまった。


「愛しのって……。変なこと言わないでよ、照れる」

「いやいや。ケトちゃん、エルシアが二階にいる間ずっとあたしに聞いてたんだ。『シアおねえちゃんはいつ戻ってくるの?』ってね」


 周りを見渡せば、馴染みの顔がそろって生暖かい視線を注いでいた。強面ぞろいの面々なので、緩んだ顔は似合わない事この上ない。


「遅くなってごめんね、ケト」

「うん」


 グリグリと頭をこすりつけてくるケトを撫でながら、エルシアは思わず苦笑してしまった。

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