はじめてのともだち その1
2019/9/22 追記
扉絵を掲載しました(作:香音様)
もうじき雨季が来る。
季節柄仕方ないとは言え、ジトジトと降り続く長雨は、なんとも気分を憂鬱にさせるものだ。
男はため息を吐いてから、眺めていた書類を脇に除けた。
封書の中身は予想通り、王城からの出頭命令。別に大した内容ではない。それよりも目の前の若者の報告の方が、男にとってはずっと大事だった。
「そうか、失敗か……」
「弁解のしようもありません。全て、私の責任です」
主の前に片膝をついた”四八番”が、深々と頭を垂れた。彼の服装は、いつも来ている白の修道着ではなく、冒険者を装うための革鎧のままだ。
ことの次第はこうだった。
予定通りに行動を開始。最も危険な捕獲対象の強奪は滞りなく進み、同族にあえて存在を気付かせることももちろん忘れなかった。
計画が狂ったのはその後だ。行動中に魔物の奇襲を受け、捕獲対象を運搬していた”六二番”が、本隊合流前に脱落したのだ。
指定場所に姿を見せない”六二番”を捜索したところ、魔物の襲撃を受けた痕跡を見つけたのだと言う。もっともそこに”六二番”の姿はなく、捕獲対象を入れていたと思われる袋が残されていたのみであったが。
それ自体はまあ仕方ないとも言える。
何よりも問題なのは、その場に残されていたのがオーガ襲撃の痕跡だけではなかったことだ。
袋の口が、鋭利な刃物で切り裂かれていたのだ。オーガの爪と牙ではこうはいかない。それが示す事実は一つ。何者か、それも魔物ではなく人間が、捕獲対象を逃がしたということ。
主は部下に問う。
「それが何者か、目星はついているのか?」
「いいえ。麓の街道を中心に捜索は行っていますが……」
「……妥当な判断だ。その何者かに我らの正体を悟らせる訳にはいかぬ」
オーガを逃がした人間が、自分たちのことをただの密猟者だと勘違いしているなら、それで良い。
しかし、もしも本来の目的に感づいていたら。既に危ない橋を渡っていることは百も承知。間違っても感づかれるのは避けたい。
最低限の状況を把握した”四八番”は本隊を二つに分けている。
一隊は街道を中心として近郊の捜索を行い、もう一隊はクリシェ近郊に潜ませておく。
こちらの思惑に気付いた何者かが、クリシェの町へ警告に向かう可能性を考えた結果だ。もし誰かが知らせようとするなら、その口を封じさえすれば、最悪の事態は免れるはずである。
「弁解のしようもございません。どうか愚かな私めに罰をお与えください」
目の前で、”四八番”が深々と頭を垂れる。
彼らにとって首を晒すことは、己の生殺与奪権を相手に委ねることに他ならない。今、彼は自らの命を差し出しているのだと、彼らの導き手たる男はよく分かっていた。
その首を眺めてから、男は蝋燭の火に視線を移す。
首を取るつもりなど毛頭なかった。いざという時に捨て駒として切り捨てやすいからそう教育したまでであって、自分に嗜虐趣味などないのだから。
若かりし頃に抱いていた信仰心も、政治と陰謀の世界では意味をなさないと気付いた今、興味を向ける対象ではない。
何という皮肉か。盲目的な信仰を司る立場でありながら、男自身はひどく即物的だ。
「あの地方は、最近ブランカの一件で失敗したばかりだったな」
地図を頭に描いて、国の最北端にあるいくつかの町を思い浮かべる。そのうち三つの町は、既にこちらの支配下にあると言って良いだろう。もっとも本人たちにその自覚があるかは怪しいものだが。
それに対し、全力を持って脅威を跳ね返した田舎町、ブランカ。そしてその隣町であるクリシェもまた、こちらの思惑とはかけ離れた方向に進みつつある。
それがどういう結果を及ぼすか、何通りかの予測を思い浮かべてから、男はゆっくりと口を開く。わざわざ声色を調整する程のことでもなかった。
「”四八番”。この度の失態、償う覚悟はできているだろうな」
「は。全ては神の御心のままに」
「……では、貴様の信心に免じて挽回の機会をやろう。これから下す命を心して聞け」
その言葉に、初めて若者の表情が崩れた。呆気にとられたように主を見つめ、震えはじめた声を必死の表情で紡ぎ出す。
「よ、よろしいのですか。このような愚か者に、寛大なお慈悲など……」
「良いと言っている。だが、次の失敗はないと思え」
「はっ!」
それから少し経った後、”四八番”は執務室を出て行った。彼の瞳には強い意思が宿り、その歩みに迷いはみられなかった。
「……やれやれ」
その姿は部下というより、文字通り信者と言うべきだろう。若者が出て行った扉を眺めてから、男は再びため息を吐く。やはり憂鬱な気分は晴れる気配を見せなかった。
「……ブランカ、か。どう思う、”十三番”」
男が視線を向けると、部屋の片隅の闇の中でゆらりと何かが身じろぎをした。それなりに目立つシンプルな白いローブを着ていながら、その存在感のなさは特筆すべきものがある。
先程まで微動だにしていなかった白ローブが、冷静な声を返した。
「現時点では情報が少なすぎて何とも。しかし、不安要素は少しでも減らすべきかと」
「不安。確かに早いところ摘み取っておくべきだな」
ただの田舎町に相手に何を手間取っているのだ。
かすかな憤りを覚えるのも事実だったが、もしかしたら自分たちの知らない何かがあるのかもしれない。いずれにせよ安易な判断は危険だ。
あの町に潜ませている信者から、興味深い小娘の話も聞いている。町の状況把握と、小娘の確保が一度にできることを考えれば、むしろ丁度いい機会なのだろう。この辺りで少し足元を見直すべきなのかもしれない。
どうせ王都の連中は、こちらの思惑に気付いたところで後手に回らざるを得ないのだ。多少、計画変更する余裕はあるはずだった。
それに、今回の経験が、支配下にある町の人間を徴用する良い練習にもなるだろう。
もう少し時が経てば、愚かな民衆を大規模に利用することになる。それまでには、人を使役することに慣れる必要があった。
「……さて、どう転がることやら。見ものだな」
ひとしきり呟いて、男は書類を取り上げた。蝋燭の火が揺らめき、男が着ている金刺繍の入ったローブを陰鬱に映し出した。
―――
ふと目を開くと、目の前にケトの顔があった。
幼いながらも整った鼻筋、閉じられた目を飾る長いまつげ。子供らしい柔らかさを取り戻し始めた頬を、さらさらの銀髪が彩っていた。小さな口をあどけなく開いて、すやすやと寝息を立てている。
蹴とばしかけていた掛け布団を静かにかけなおしてあげれば、少女はまるで子猫の様に体を摺り寄せてきた。かすかな衣擦れの音を立てながら、左手を少女の背中に回して優しく抱き寄せる。
朝の日差しが、窓から差し込んでいた。
普段ならそろそろ起きるはず時間。けれどまあ今日くらいは許してほしいと、エルシアは再びベッドに体をうずめた。運動不足の体に長旅は堪える。
絹糸のような少女の銀髪と、癖のある自分の亜麻色の髪が絡み合っているのが目の端に入って、エルシアはくすりと微笑んだ。
ブランカに帰り着いたのは、ケトの故郷を離れて三日目の夜、つまり昨日の夜のことだった。行きとは違って脇目もふらず戻って来たから、随分すんなりと町に着くことができた。
腕の中でケトが身じろぎするのを感じる。
瞼がふるりと震え、顔をあげた少女の瞳がエルシアをぼんやりと見上げた。
「……シアおねえちゃん……?」
「おはよ、ケト」
とろりとした銀の瞳孔に安堵の光が灯ると、ケトは安心したようにエルシアの胸に顔をうずめた。エルシアの寝巻を掴む手に少しだけ力がこもる。
ケトが両親に別れを告げた時から、二人の関係は大きく変わった。それをエルシアは確信を持って言える。
ブランカへの帰り道、ケトはエルシアがぴったりくっついて歩いていた。故郷を失った少女は、自分の拠り所になってくれた看板娘から片時も離れようともせず、ただ縋るように手を握り続けていたのだ。
今にしてみれば、墓の前で少女を抱きしめたあの時こそ、本当の意味で看板娘が少女を拾った瞬間だったのだろう。
寝坊した二人がようやく起き出した頃には、太陽が高く登り切っていた。寝ているうちに互いの髪の毛が絡まり合ってしまって、二人できゃいきゃい言いながら解くのに更に時間を費やした。




