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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第二章 看板娘は旅をする
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ただいま その10

 自分の目で確かめたかった。エルシアがそんな啖呵(たんか)を切ったのは、つい昨日のことだ。

 

 なんて救いようのない傲慢(ごうまん)さだろう。


 確かに、両親に会えないかもしれないとは思っていた。

 だが、彼女を知る人の一人や二人なら会えるだろうと、どこかで甘い考えを持っていたのも事実だった。村が全滅しているなんて、一体誰に想像できるというのだ。


 少女の境遇を、勝手に自分と重ね合わせていたことをエルシアは否定しない。どこかでこの子は自分と同じなのではないか、いつか気持ちを分かってくれるのではないか、そんなことを考えてしまった。

 その結果はどうだ。自分の我儘(わがまま)で、少女の心を傷つけただけだ。


 もっとも、今でも少女の生い立ちを知ることが間違いだったとは思わない。エルシアの不安が正しければ、いつか絶対に必要になるはずの知識なのだから。

 しかし、いつか分かることであるならば、少女に今こんな形で知らしめることはなかったのではないだろうかと、そうも思ってしまうのだ。


 エルシアが焚火を前に頭を抱えている間、ガルドスは無言だった。長い付き合いだ。エルシアが何を考えているかなんてお見通しなのかもしれない。


「……ねえ、ガルドス」

「あん?」

「一発ぶん殴って」

「嫌だね。覚悟していたことだろう? 自分で殴れよ」


 ほら、やっぱり彼にはお見通しだった、とエルシアは自嘲した笑みを浮かべた。

 ガルドスが無表情で、焚火に濡れた枝を突っ込む。ぷすぷすと景気の悪い煙を上げる枝をしばらく見つめていた。


 そして、エルシアはやっぱり、ケトのことを全然分かっていなかったのだ。

 まだ幼い少女であっても、故郷を離れた二か月の間で、彼女なりに物事を捉え、経験し、理解し、飲み込もうと努力していたことを。


 しばらくして、目を覚ましたケトは、再び泣いた。

 これまで我慢していた分を全て吐き出すかのように、嗚咽し、エルシアの胸に縋りついて、泣き喚いた。

 

 そして、散々泣いたその後で、エルシアに一つのお願いをした。

 自己嫌悪にどっぷりと浸かっていたエルシアも、唇を噛みしめていたガルドスも、その思いもよらぬ内容に目を丸くしつつ、何も言わずに頷いた。


 だから。

 翌朝、看板娘は少女を連れて村へと降りた。


―――


「……本当に、いいのね?」


 こくりと頷くケトの様子を見て、エルシアもまた覚悟を決める。

 少女が涙目なのは重々承知で、あえて気づかない振りをした。きっと今泣くのは少女の望みではないことくらい、エルシアにだって分かっているのだ。

 後ろに続くガルドスも心配そうな顔をしながら、しかし何も言わずに付いてきてくれた。


 少女の手を引き、再び村へと入る。

 朝焼けの光が眩しい。いつの間にか雨は止み、あちこちで朝露の光が廃墟を反射していた。


 材料を探して廃墟を巡る。木は駄目だ。できれば何年たっても崩れることのない、頑丈な石が欲しい。時間をかけてじっくりと材料を選ぶ。焦る必要はなかった。皮肉なことに、材料は瓦礫の中からいくらでも見つけることができるのだから。


「ここ?」

「うん」


 場所は、ケトの家の前に決めた。少女の故郷。彼女の生きてきた大切な場所だ。


 エルシアは、集めてきた石の中から、大きくて綺麗で平らなものを一つ、ケトに手渡した。借り物のダガーを引き抜いてひざまずいた少女に声をかける。


「ここは、こう。次の文字は、こうよ」


 エルシアもまた、隣にしゃがみこむ。ぬかるんだ地面にいくつか文字を書き記してあげるのだ。教える文字はそんなに多くない。少なくとも、今は印として知ってくれれば、それでいい。きっと少女の力なら、石に印を刻むことくらい訳ないはずだ。


 ガリガリと石を削る音だけが響く中、エルシアは周りを見渡した。

 全てが壊され、死に絶えた場所。ケトにとっての、大切な故郷。忘れるつもりはなかったが、今一度、胸に刻み付ける。


「……できた」

「そうしたら、一番上にのせて」


 最後に、ケトが削っていた大きな石を真ん中に建てれば、それでもう、完成だった。


 出来上がったお墓を、三人で見つめる。ケトの両親の遺骨は見つからず、きっともう、探す術もない。

 だからこそ、というべきだろうか。ケトはお墓を作ってと、エルシアに頼んだ。


 両親が幸せでいられるように。自分が忘れていないことを知ってもらうためにと。

 かつての送葬(そうそう)でエルシアが教えたことを、少女はよく覚えていた。


「エルシア……」

「ええ……」


 ケトの視線を感じながら、エルシアは墓石の前にひざまずく。小さく息を吸って、少女が一所懸命に作り上げた墓石を見つめた。


 彼女の願いを。

 精一杯の真心を込めて、言葉にする。


「……我ら時を生きる者。永久(とわ)に生きること(あた)わず。なれば、永久(とわ)に記憶に留めよう。いつの日か約束の地にて、再び相見(あいまみ)えるために。」


――私は、貴方たちのことを知らない。でも貴方たちの娘は覚えている。絶対に忘れたりなんかさせない。


「我ら時に残された者。もはや姿見ること(あた)わず。なれば、子に語り伝えよう。そなたの時を忘れ得ぬために」


――私には、もう貴方たちの姿を見ることはできない。だけど想いは受け取った。今がどんなに辛くとも、いつか貴方たちの願いも伝わることだろう。


「我ら時を歩む者。そなたの友にして、そなたが半身。なれば、我らは祈ろう。そなたの歩む道に加護のあらんことを」


――ねえ、見えますか。貴方たちの愛娘はちゃんと家に帰り着いたよ。だから、もう大丈夫。何があっても守って見せるから。だから、安心して見守っていて。


 ただ一つ、強いて貴方たちにお願いをするなら。


「願わくば、貴方がたに幸運のあらんことを」


 ゆっくりと、深々と、エルシアは頭を垂れた。


―――


「エルシア、ガルドス……」

「どうした?」

「おねがい、かなえてくれて、ありがと」

「いいの。いいのよ、ケト」


 お願いというには、あまりに悲しくて、健気(けなげ)なものだった。エルシアに教わって懸命に両親の名を刻んだ墓石の前で、ケトもまた、ひざまずく。


「……ママ、パパ」


 物言わぬ墓に、ケトは伝えた。


「わたし、かえってきたよ。こわかったけど、いいこにしてちゃんとまってたの。ほんとうは、へんなとりのこととか、ブランカのこととか、エルシアのこととか、いっぱいおはなししたかった」


 鼻をすする音。涙をこらえるように、何度も瞬きをしてからケトは続ける。


「でもね、ほんとうはずっとまえからわかってた。ママもパパもあぶないことにまきこまれて、それでもなんとかしたくて、わたしだけをにがしてくれたってこと。ほんとはちゃんとわかってた。エルシアも、ガルドスも、ブランカのひとは、みんなたくさんしんぱいしてくれて、ママとパパをさがしてくれたよ。だからがんばっておうちにかえってこれたの」


 違う、とエルシアは心の内で呟く。私は何もできなかった。ケトが求めるものを何一つあげられなかった。


「あのね、ブランカではね、しんじゃったらおはかをつくって、そのひとのことをわすれないようにするんだって。だからわたし、おねがいをしておはかをつくったの。ちゃんとおわかれできるようにって」


 そこで、ケトは耐えきれなくなったように俯いた。肩を震わせながら、懸命に言葉を紡ごうとして、掠れた呟きが口の端からもれた。


「……やだよ、もうあえないなんてやだよぉ……。ひとりは、もうやだよお……!」


 もう限界だった。両親の前で大丈夫なところを見せようと、ケトが涙をこらえる姿を、看板娘は見ていられなかった。

 だから、少女の震える小さな肩を後ろから強く抱きしめた。


「……いいの。もういいの。ケト、強がらなくていいの。こういう時は泣いていいのよ」


 少女の見開かれた目から涙が零れ落ちた。一度崩れた心はすぐに決壊して、嗚咽が漏れ出す。


「怖かったでしょう……? 寂しかったでしょう……? お母さんとお父さんに会わせてあげられなくてごめん。本当にごめんね」


 いつの間にか、エルシアの目からも涙が溢れていた。ただ立ち尽くすだけのケト。今にも萎れてしまいそうな温もりを搔き抱く手に、力を込める。


「もう我慢なんかしなくていい。いい子でいなくていいの。貴女の我儘(わがまま)をもっと聞かせて? ねえ、私が貴女のお姉ちゃんになるわ。お母さんやお父さんには会わせてあげられなかったけれど、出来損ないかもしれないけれど、私が貴女の姉になる。そうしたら、貴女は、もう一人じゃない」

「うっく……、ひぐっ……」

「ケトがお母さんとお父さんのことを想っているって、きっと二人にも伝わってるよ。だからまた、私と一緒に、こうしてお墓参りに来よう?」


 ケトの小さな両手が、自分の体を搔き抱くエルシアの手を掴んだ。そのままぎゅっと力がこもるのを感じる。

 後はもう、言葉にならなかった。看板娘と少女は、二人そろって、両親のお墓の前でただ泣き続けた。


 ああ、どうか。

 ケトのママとパパ。願わくば、二人に幸運のあらんことを。


―――


 昼前に、少女は故郷を離れた。ひっそりと佇む墓石に、また来るねと何度も告げてから、山を下りる。


 二人が道に迷わぬよう、静かに先導するガルドスの背を見ながら、曲がりくねった道を共に歩む。


「……ねえ」

「なあに? ケト」

「エルシアがわたしのおねえちゃんになってくれるって、ほんとう?」

「ええ。ケトさえ良ければ、私を貴女の姉にして?」

「……じゃあ、おねえちゃんってよんでもいい?」

「もちろんよ、ケト」


 散々泣き喚いたせいで目元を真っ赤に腫らせた少女は、ようやく見つけ出した寄る辺から離れまいと、体をぴたりと寄せた。

 それに応えるように繋いだ手に力を込めて、看板娘はゆっくりと道をたどる。

 自分の手に掴まりやすいように。妹が途方に暮れてしまわぬように。帰る場所まで、導いてあげられるように。


 いつの間にか雨は止み、雲の合間から青空が覗いていた。

 少女は、看板娘と繋いだ手を、決して離そうとしなかった。

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