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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第二章 看板娘は旅をする
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ただいま その9

 どんよりした曇り空の元、エルシアは鍋をかき回した。


 昨晩の残りのスープを温めている最中だ。後はパンケーキを焼けば朝食になる。

 パンケーキと言っても、小麦粉と砂糖を水で溶いただけの簡単なもの。旅先で味になんてこだわっていられない。町に帰ったら、マーサの作る、ふわふわのパンケーキをお腹いっぱい食べたいものだ。


 少し火が足りないだろうか。焚火に枝を一本突っ込んでいると、近くの茂みがガサガサと揺れた。


「お帰り、ガルドス」

「おう」


 ひょっこりと顔を出した大男に、エルシアは問いかける。


「どうだった?」

「特に問題なし。入口はきっちり塞いで来た。それからほら、これ」


 ガルドスが放り出したのは、洞窟に置き去りにされたケトの荷物だった。

 麻袋と子供の着る服が何着か。それに日持ちするように固く焼かれた黒パン。どれも龍の血がしみ込んで、茶色く固まっていた。


「何よ。あの子お金持ってたんじゃない」

「洞窟に置いてく辺り、あいつらしいけどな」


 麻袋の中を漁っていたエルシアは、赤茶けた巾着袋を揺らした。中にはそれなりの額のお金が詰め込まれている。

 もう少し注意深ければ、ケトもあんな酷い暮らしをしなくても済んだのに。九歳と言う年齢を考えれば、それも無理もないかと、エルシアはため息を吐いた。

 お金だけ別のところに移した後、何の迷いもなく残り全てを火の中に押し込む。あっという間に炎に包まれた麻袋を見ながら、ガルドスがぼそりと呟いた。


「これ、売ったらいくらになるんだろうなあ」

「多分、ブランカの町なら大きなお屋敷買って、使用人をいっぱい雇ってもお釣りが来るくらいかな」

「おおう。なんてもったいないことを……」


 ガルドスと昨日話し合った結果だった。

 ケトの荷物にしみ込んだ龍の血は、それこそ大変貴重な代物になるだろう。下手するばそれを狙って争いが起こるかもしれない程に。

 だから、エルシアはそれらを燃やすことに決めた。さすがに龍の死骸は処分できないので、洞窟の入口を完全に埋め、荷物は灰にする。エルシアは小麦粉を水でときながら燃え盛る麻袋を見つめた。


「これさあ、なんかすごい炎になったりしないよね?」

「なんかすごいって何だよ」

「虹色の炎とか、薪をくべなくても永遠に燃え続ける炎とか」

「なるわけないだろ……」


 二人して伝説の炎とパンケーキを眺めていると、後ろでごそごそと物音がした。


「おはよう、ケト」

「んー? おはようー?」


 目をこすったケトが毛布をかき分けて火に近付いてきた。口元によだれの後が残っている。


「なにやいてるの?」

「パンケーキよ。朝ごはん」


 ガルドスが布切れに水筒で水をかけてから、ケトに渡していた。


「ほれ、これで顔拭いてこい」

「わたしもパンケーキやきたいー」


 ぐしぐしと顔を拭いながら、女の子が呟く。エルシアは振り向いて答えた。


「町に戻ったら、一緒に作ろうか。ミルクと卵とバターをいれた、ふわふわのやつを」

「ふわふわ? つくる!」


 言ったそばから胸が痛んで、エルシアは後悔する。

 いつか彼女がパンケーキを作る時に、隣にいるのが自分ではなく彼女の両親であることを、看板娘は切に願った。


 結局、出来上がったパンケーキはパサパサだった。

 お昼も同じパンケーキだと告げると、ガルドスもケトもそろって「えー……」と文句を言った。


―――


 母に連れられた時はずっと上り坂だった、というケトの話に基いて、一行は唯一開けている南西に進路を取った。

 道などどこにも見当たらなかったので、木々の間をすり抜けて少しずつ降りては、ガルドスとエルシアが交互に辺りを探索していく。

 少女の絶対的な方向感覚と記憶力も、どうやら龍の血による後天的な能力だったようだ。それまではすんなり目的の場所が見つかっていたはずなのに、近くにあるはずの集落は影も形も見えなかった。


 考えてみれば、ただの九歳児の記憶力なんてこんなものだろう、とエルシアは今更ながらに納得する。


 遅い昼食を食べ終わったころになると、空模様が怪しくなってきた。雨が降るなら、どこか雨をしのげる場所を見つけたほうが良さそうだ。

 そんな相談を始めたエルシアとガルドスの隣で、突然ケトが大きな声を上げた。


「あれ!?」

「ケト?」

「ここ見たことある! えっと、ええっと……!」


 もどかしそうに周囲を見回すケトを、固唾をのんで見守る。首をひねりながら「ううー」と唸る少女は、思い出せないことに苛立っているようだった。


「たぶん、こっちのはず!」


 叫んでから、小さな足で茂みをかき分けて、駆け出す。


「あ、おい! ケト!」

「待ってケト! 危ないわ!」


 慌てて後を追った二人に返ってきたのは「だいじょうぶ!」という返事だった。 

 少女の後に続くと、今まで迷っていたのが嘘のように、すぐに細い道に突き当たる。

 ひいひい言いながら、やっとのことでエルシアが道に降りた時には、はるか先に少女の小さい影が見えた。九歳の女の子が出すとは思えない速度でケトが駆けていく。もしかしたら無意識に力を使ったのかもしれない。


 後を追うエルシアの頬に、ぽつりと水滴が当たった。空を見上げると、鈍色の空から、堪えきれなくなったように大粒の雨が降り始めていた。

 森の切れ目を目の前に見て、エルシアは更に走るスピードを上げる。雨はすぐに本降りになって、走る看板娘と大男を濡らした。


―――


 少女は雨に打たれながら、ただ立ちつくしていた。

 声を上げるでもなく、手を伸ばすでもなく。彼女は大きな銀の瞳をこぼれんばかりに見開いて、ようやくたどり着いた故郷を見つめていた。


 ケト、と呼びかけたつもりの声が、エルシアの喉の奥で途切れる。代わりに「ああ……」という、ため息とも呻きともつかぬ声が、口の端から漏れた。

 

 ケトの故郷は、廃墟と化していた。


 家という家が全て叩き壊され、中には倒壊しているものもある。畑と思しき場所は踏み荒らされて見る影もない。あちらこちらで火事を起こしたようで、黒焦げの柱だけが死体の骨のように、雨に濡れる空に突き立っていた。

 そこに動くものは、何一つなかった。


「ママ……? パパ……?」


 ふらふらと少女が一歩を踏み出した。ふらふらとよろめく足が、やがて速度を上げていく。

 辺り一面に散乱する残骸には目もくれず、少女は倒壊した家の間を駆け抜けた。バラバラに崩れたかがり火の後を横目に、角を曲がり更に進む。

 無言で後を追ったエルシアの横で、ガルドスが「ちくしょう……」と悪態をついた。

 

 やがてケトは一軒の家に飛び込んだ。

 奇跡的に原型を残していたその家は、しかし、窓という窓が割られ、壁もあちこちが叩き壊されていた。蝶番ごともぎ取られたドアを飛び越え、エルシアも中に続いた。


 そこが、旅の終着点だった。


 ようやく帰り着いた生家の真ん中で、呆然と立ちすくむ小さな背中。それを視界に入れた瞬間、エルシアは我を忘れた。うわ言のように「ママ」と「パパ」を繰り返す小さな体を抱きしめて、ぎゅうと自分の胸に引き寄せる。


「ケト……!」

「……ねえ、エルシア」

「ケト……」

「ねえ、ママがいないよ……。パパはどこいっちゃったの? どうしておうちがこわれてるの?」


 何も答えることができなかった。

 小さな集落の地面に残るのは、人のものではない沢山の足跡。あちこちに散乱する柵の残骸に、壊れた剣や棍棒。まるで波のように、何かが押し寄せた痕跡。

 遺体が一つもないのは、ハゲタカのように死体を漁るコボルトとガーゴイルの仕業か。

 

 疑う余地はなかった。間違いなくスタンピードの跡だ。


 ついこの間、ブランカを襲った魔物の波が、ケトの故郷にはもっと前に押し寄せていた。

 どうやら村の人たちは精一杯抵抗したらしい。必死にかがり火を焚き、窓と戸を木の板で打ち付けた痕跡が残っていた。結果は言うまでもない。かがり火は無残に散らされ、窓や扉は打ち付けた木の板ごと蹴破られていた。


 (せき)を切ったように、少女の瞳から涙があふれ出す。ぼろぼろ、ぼろぼろと、最初は声もなく、やがて隠し切れない嗚咽を漏らして。


「なん…で…? なんで……!? ひくっ……! わたし、いいこにしてたのに……。ママは……ど、どこお……。パパは、いつくるのぉ……!」

「ケト……」

「なんでみんないないのぉ……。やっと、やっと……、おうちにかえってきたのに……! ママあ……! パパあ……」


 無言で、ケトを抱きしめた腕に力を込める。

 ケトの嗚咽はもう言葉にならない。

 エルシアにはもう、わあわあと泣き喚くケトをひたすらに抱きしめることしかできなかった。ただ泣き疲れて眠ってしまうまで、本当に、ただ抱きしめ続けることしかできなかった。


―――


 ケトをガルドスに預ける。

 彼もまた沈痛な面持ちで、泣きはらした少女を抱き上げて、ため息を一つ吐いた。


 彼女の両親の痕跡を探して、エルシアは荒れ果てた部屋を見回す。

 叩き割られたテーブル、三つあったであろう椅子はどれも原型を留めていない。壁に貼られた藁紙には、下手な絵が貼ってあった。男の人と、女の人、間の小さな女の子はケトだろう。みんな笑顔の絵がいたたまれなくて、エルシアはそっと目をそらした。


「エルシア」


 ガルドスが静かな声で呼びかけた。腕の中のケトを心配そうに見つめながら、エルシアを促す。


「ええ。行きましょう」

「マントを貸してくれ」


 もう十分だった。

 雨の中で無理に動くのは悪手だ、なんて正論は二人とも口にしない。

 一刻も早くここを離れたいのだという気持ちは、口に出さなくても同じだと分かっていた。

 少女が濡れないよう、マントでしっかりと包む。エルシアとガルドスは、フードを目深にかぶると雨の中に駆けだしていった。

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