ただいま その8
誰も、何も言えなかった。
焚火のはぜる音だけが静寂を揺らす中、少女が続ける。
「そのひもずうっとまったんだけど、ママもパパもこなかった。いつのまにかせなかになにかあって、のばしてみたらおそらをとべたから、だからやまをおりて、たいようのでるほうにいったの」
辛いはずの記憶を語るケトは、終始落ち着いた表情をしていた。
だが、エルシアには分かった。感情を隠せない少女の目が全てを物語っている。とても怖かったのだと。とても寂しかったのだと。
少女が口を噤むのを待ってから、エルシアは言葉を探し、静かな声で返した。
「……辛いこと、話させちゃったね。ごめん」
「ううん……。ほんとうは、もっとはやくはなさなくちゃって、おもってたの。でも、はなすのがこわかった。ママも、パパも、いなくなっちゃったし。それにいつのまにか、へんなことがたくさんできるようになっちゃったから……」
エルシアは、隣で縮こまる小さな肩にゆっくりと手を回した。
そのまま優しく力を込めて、自分の体にもたれかけさせる。銀の髪を撫でてやると、小さな手がエルシアの服の裾をきゅっとつかんだ。
「怖かったんだね。ケト、よく頑張ったね」
「うん……」
今度の「うん」は消え入るような声だった。
親の不在に、魔物の恐怖に、異能の力に。
怯えていたの大人たちだけではない。むしろ、得体のしれない力を得た本人こそが、誰よりも怖い思いをしていた。
当然のことだ。ある日突然、自分の意思とは関係なく、人ならざる力が身についたとしたら。
まず戸惑うだけではすまない。驚き、疑念を持ち、人と違う自分に恐怖するはずだ。
考えてみれば、ケトはその力を、進んで人前で使おうとはしていなかった。
スタンピードの時も、それ以降も。必要だと思ったからこそ、エルシアやガルドスに乞われたからこそ、彼女は力を使っていた。そのことに今更にして気付かされた。
彼女がはじめてギルドに顔を見せてから一か月もの間、それこそ何人もの冒険者が、薬草採りに向かう彼女を見ていたはずだ。その中の誰一人として、彼女がおかしな素振りをするところを見なかった。
力を使う機会がなかったのではない、幼い感性なりにこれはおかしいと、あえて使っていなかったのだろう。
そんな彼女にかけてあげられる言葉。悩んでから、エルシアは口を開く。
「ケト。大丈夫だからね。もうあなたは一人じゃない、私やガルドスが傍にいる。明日また、一緒にママとパパを探そう?」
「うん。……うん。」
ケトは泣かなかった。ただ、エルシアの服の裾をぎゅうとつかむだけ。
この子は精一杯”いいこ”にしているのだと、エルシアには分かった。ママとパパに会うまでは、”いいこ”でいるのが約束。ケトにとって、決して破ってはいけない大切な約束なのだ。
ガルドスが何も言わず毛布を取り上げた。
静かに、ケトとエルシアの肩にかけてくれる。やがて小さな女の子が寝付くまで、看板娘は少女の頭を優しく撫で続けた。
―――
「……エルシア、なんで今まで聞かなかった?」
ガルドスが重い口を開いたのは、ケトが寝入ってしばらくたってからだった。膝枕したケトの髪を撫でながら、「なんのこと?」とエルシアは聞き返す。
「分かっているだろ。さっきの話、お前なら町にいる間に聞き出せたはずだ。お前はそれをせずに『この子の言っていることが分からない』で通していた。何でだ?」
起こさないようにゆっくりと、ケトの小さな体を持ち上げる。静かに毛布に横たえながら、エルシアは言葉を探した。何を言っても誤解されそうな気しかしないが、それでも嘘で丸め込む気にはなれなかった。
「……今の話を先に聞いてしまっていたら、ご両親を探しましょうなんて依頼を出せないでしょう?」
「何……?」
「ケトの口ぶりから、この子とご両親が何かに巻き込まれたことは分かっていたわ。流石にここまで酷いことになっているとは思わなかったけれど」
彼が眉根を寄せた。視線をずらし、エルシアは続ける。
「でもそれを馬鹿正直に聞いてしまったら、ここまで急いで探すなんてできなかった。状況が落ち着いたから故郷に連れ帰るって依頼よりも、すぐにでも両親を探しだすって依頼の方が、切羽詰まって動けるから」
ガルドスはしばらく呆気にとられたように黙り込んでいた。徐々に苦虫を噛み潰したような表情へと変わる。
「……それは、あまりに残酷すぎないか? お前だって最初から分かっているんだろう? ケトの親御さんが生きている保証なんてないんだぞ。こんな幼い子に両親の死を突き付けるつもりか?」
エルシアはケトの横顔を見つめながら考える。
確かにその指摘は正しい。ケトの心を思えば、死んでいるかもしれない親探しなんて、そもそもしない方が良かったのかもしれない。
それでも知りたがったのはエルシアの我儘だ。そこに彼女自身の経験から来る感情が含まれていなかったとは、口が裂けても言えない。その理由すら、ありのまま伝える自信がない自分に腹が立つ。
しばし考えて、ぽつりと呟いた。
「……それでも、ケトが親の存在に振り回されることはなくなる」
ガルドスは何も言わない。エルシアの答えを待っているのだと分かった。
「もしご両親が生きているのなら、それに勝ることはないわ。小さな集落なら、外に情報も漏れにくいだろうし。彼女をご両親の元まで連れていくことができれば、ケトは幸せになれる。きっとそれが一番なの。だから、ほんの少し生きている望みがあるなら、探してあげたかったのは本心よ」
でも、それだけじゃない。エルシアは不確定な不安によって動いている。
「けれど、もし私やガルドスが想像している通りなら? そうしたら、誰がケトを守れるの? この分じゃ、親戚だっているか分からないのに」
「……エルシア?」
きっと彼からすれば、自分が訳の分からない理屈をこね始めたように見えるはずだ。
そして、そうであるべきだと、エルシアは思った。彼がエルシアの言葉の真意に気付く時、それは自分の不安が現実のものになった時なのだから。今はただ、エルシアが訳の分からないことを言いだしたと、そう思ってもらえた方が良い。
「だから、彼女がどうやって生きてきたのか、誰かが知っておかなくてはいけない。この子が、自分で自分の力の使い方を判断できるようになるまで、誰かがこの子を守ってあげなくちゃいけない」
文字が読めない彼女。お勘定ができない彼女。食事を切り分けられない彼女。
ケトは一人では生きていけない。
「……ケトが力を持っていなければ、そこまで考えることもないんだけどね。でも、誰かに龍の力を持っているなんて知られてみなさい。色々な人間がこの子を狙うに決まっているわ。この子を狙う輩は他にも手を伸ばす。どこで生まれた? 母親はどうだ、父親から受け継いだんじゃないかってね」
少女の背中の暖かさに触れながら、エルシアは言葉を紡いだ。
彼女の肩から生える、目には見えない翼をなぞってみる。服には翼を出せる穴をあけてやっていたが、外套だけはどうしても間に合わなかった。ずっと畳まれていて窮屈そうだな、なんてことを考えた。
「あなたの言う通り、確かに私は残酷だ。でも、知っておかなければきっと後悔する。チャンスはここしかないの。私は彼女のことを知らなくちゃいけない。だからこの子の口からではなく、自分の目で確かめるチャンスが欲しかった。そういう考えがあったのは本当よ。……残酷な人間が考えそうなことだけど」
言い切ってから、ガルドスの顔をそっと窺う。
ガルドスはこんな私をどう思うだろうかと、変なことを気にしてしまう。そんな場合ではないのに、自分はとことん救いようのない人間だ。
ちらりと見やれば、しばらく呆気にとられていた彼が、やがてにやりと笑った。
「参ったなあ……。最近、お前が妙に遠くに行っちまったように感じるよ」
「え……?」
「どうせお前には、俺には想像のつかない所まで見えているんだろ? 言ってる事半分も理解できなかった。でもさ」
こちらを眺めているはずのガルドスと視線が合った。黒い瞳が、エルシアの心の内まで見通しているような気がした。
「ケトをご両親に会わせてやりたかったっていうのも本心なんだろ? 生きている可能性が少しでもあるならってな。なら、それを叶えてやるのは俺の役目だ」
「……ガルドス」
ああ、本当に。この幼なじみは厄介だ。ニヤニヤしているその顔に一発喰らわせてやりたい。
「会わせてやろうぜ。たとえどんな姿であっても。あの子を”ママ”と”パパ”にさ」
顔が赤くなった。なんという脳筋だろう。エルシアはこれだけ裏があることを話しているのに。肝心なことを何一つ伝えていないというのに。
昔からそうだ。彼はいつでも、エルシアの欲しい言葉をくれる。
「この人たらしめ……」
「聞こえてるぞ、シア」
「んがっ」
聞こえないように呟いたつもりだったのに、ばっちり把握されていた。その上幼い頃の渾名まで使われて、変な声が漏れてしまった。
「あーもう、寝る! 不寝番、最初貴方からだからね!」
「へいへい」
ケトを起こさぬようにゆっくりと抱き上げて、同じ毛布にくるまった。
少し悩んだ挙句、少女を抱きしめて眠ることにする。
明日。
どう転んでもきっと、ケトにとっては忘れられない日になるだろう。
なら、エルシアの役目は、傍にいて両親に会うその時まで手を離さないことだ。例え何があっても、少女の傍を離れまいと、静かに誓う。
すうすうという寝息が聞きながら、何となく気が向いてエルシアは呟いた。
「……願わくば、貴女に幸運のあらんことを」




