毎日が大冒険 その2
……心配だ。
ケトが飛び出していったドアを見つめて、エルシアはそわそわと浮足立つ心を宥めた。
別に依頼の内容に不安があるわけではない。ケトが受けた薬草採取の依頼は、このギルドで一番簡単な依頼と言っていいだろう。
冒険者を目指すなら、誰もが最初に通る道である。
問題はケトの年齢だった。一言で言うなら、九歳は幼すぎるのだ。
あの年頃では、町を散策するのだって大冒険に違いないというのに。町の散策どころか、あの子はこれから町の外に出ようというのだ。いくら簡単な依頼だとはいえ、町から出れば危険な目に遭う可能性だってずっと大きくなる。
もしも途中で道に迷ったら? 足をひねったら? 魔物と鉢合わせたら?
いずれにしても命に関わる。大人ならちょっとしたトラブルで済んでも、あの小さな女の子には致命傷だ。
いくら冒険者稼業は自己責任だとは言え、たった九歳の女の子にそれを押し付けるのは、やっぱり看過できないのだ。
エルシアはカウンター越しにフロアを見渡した。
朝と言うには遅く、昼にはまだ早い時間。この時間にロビーに入り浸る冒険者たちは、その日の依頼を受けないことが多い。狙い目はそこだ。
エルシアが目を光らせていることに気付いたのだろう。常連たちがさっと目を逸らした。
ほうほう、分かっているじゃないか。
ここのところエルシアが”お願い”を何度もしているからか、この後の展開に予想がついた者たち。だが生憎と、もう標的は決まっているのだ。
カウンターの端にあるスイングドアを押し開けて、エルシアはつかつかとそちらの方へ歩いて行った。ロビーに置いてある丸テーブルの間をすり抜けて進む。
椅子に腰かけロングソードを研いでいた大柄な男の前で、彼女は立ち止まった。
おめでとう。今日の”お願い”は彼に決定だ。ダークブラウンの短髪を見ながら声を掛けた。
「ねえガルドス。ちょっとお願いがあるんだけど」
「……おいおい、またかよ。ガキのお守りならごめん被るぞ」
ガルドスと呼ばれた冒険者は、うんざりした顔を上げた。
彼ももちろん常連の一人。きっと先程のカウンターでの会話を聞いていたのだろう。エルシアが本題を伝える前に先手を打ってきた。
確かに、彼にはケトのお守りを頼むことが多い。エルシアにとっては幼馴染だから、色々なことを頼みやすいのだ。
エルシアは構わず続ける。
「ガキじゃないわ、ケトちゃんよ。あの子について行ってあげて。本人にはバレないようにね」
「なんでそんな面倒なことやらなきゃいけないんだ?」
「いいじゃない。どうせ今日は依頼受けないって言ってなかった?」
「代わりに装備の手入れと買い出しに行くって言ったんだよ。こっちは忙しいんだ」
抜身の剣を注意深く机に置いて、ガルドスが目線を上げた。髪の色と同じダークブラウンの瞳が不機嫌そうにエルシアを見やった。
「お手入れなんて、そんなに時間かかるものじゃないでしょう? ちゃんと依頼扱いにしてあげるから。そうね、報酬はマーサさんの定食タダ券ってところでどう?」
「そこまで言うならお前がいけばいいだろうに」
「私は仕事中よ。店番どうしろっていうのよ」
いわゆる腐れ縁だから、交わされる言葉は互いに遠慮がない。二人の応酬はいつも通りのことだ。
ぽんぽんとテンポ良く交わされる会話を見かねたのだろう、隣の席の男が冷やかしの声を上げた。
「真昼間っから痴話喧嘩してねえで、仲良く二人で行って来ればいいじゃないか。どうせ客なんかほとんどこないんだし、受付なら俺がしばらく代わっといてやるからさ」
エルシアは声を上げた男の方に向き直る。彼もまた馴染みの顔だ。
「客が来ないって言われるのは心外だけど、その申し出は助かるわ。オドネルさん、お願いしてもいい?」
「ああ、ゆっくり行ってこいよ。……何なら朝帰りだって構わないぜ」
オドネルと呼ばれた常連はにやにやと笑っていた。思わず二人して声を上げる。
「誰がこんなちんちくりんと!」
「こんな脳筋とはお断りよ!」
声が被ってしまって、更にいたたまれない。
心なしか二人を眺める視線が生ぬるいものに変わったような気がする。コホンと咳払いした後、「とにかく」とエルシアは続けた。
「さっさと行くわよ、ガルドス。ほら、早く準備して」
ガルドスは、くるりと踵を返したエルシアに胡乱な視線を送ったものの、諦めたようにため息を吐いた。
エルシアが言った通り、雑用にはそれほど時間がかかるわけでもない。少女のお守りをしてからでも十分だろうと、椅子から立ち上がった。
抜身のまま置いてあったロングソードを布の切れ端でふき取り、鞘に納める。彼女の言う通り、後は帰ってきてから手入れするしかないだろう。
―――
エルシアが住むブランカの町は、ぐるりと城壁に囲まれている。
こぢんまりした都市には不釣り合いな立派な城壁があるのには、きちんとした理由があるそうだ。なんでもこの国の建国戦争では、この町が最前線になっていたのだとか。だから有事の際でも、ある程度の籠城戦ができるようにと設計されたのだという。
とは言え、それももう数百年以上昔の話であり、この時代に辺鄙な田舎町を襲おうとする者はまずいない。
壁こそ当時のままだが、広い耕作地を求めて外堀のあちこちが埋められ、壁の外にも畑を少しずつ広げている。それがこの町の現状だった。
その壁の北側。交通の要である北門で、エルシアは常駐している衛兵と話をしていた。
「ケトちゃん? あの子ならさっきここを通って行ったよ。十分くらい前かな」
「それならすぐに追いつけそうね。ありがとう、エドウィンさん」
「しっかし、二人してちびっ子のお守りなんて、大変だな」
この国の刻印が入った革鎧を着たエドウィンは、本来であれば堅苦しく通行者の身分を確認しなくてはいけない立場。通る人間に、身分証と目的を聞いて入門を認めるのが、彼ら衛兵の仕事だ。
もちろん見ない顔であればあれこれ聞きだすのだろうが、エルシアやガルドスのような顔見知りは挨拶するだけで通してくれた。王都から離れた土地ならではの緩さとも言える。
狭い町だから、皆顔を合わすことも少なくない。特にガルドスはエドウィンと仲が良いようで、たまに飲みに行っているのだそうだ。
「気を付けてな! 特に隣にいる大男に襲われないようにしろよ!」
「おい!」
エルシアは衛兵の言葉に軽く手を振りながら、城門から外へと繰り出す。隣のガルドスは、振り向いて突っ込むのを忘れなかったが。
町を出て北に向かえば、そこには広大な森が広がっている。ケトが探すマグワートはこの森に群生しているのだ。
マグワートは止血や痛み止めに使える薬草である。
すり潰して傷口に塗ったり、煮詰めて飲み薬にしたりと、その使い方は様々。ブランカの近辺なら誰でも簡単に見つけることができるから、安価に手に入る薬の材料としてよく名前を聞く薬草だ。
冒険者になったばかりの新人が、お試しで薬草採りの依頼を受けることもあるし、一人で出歩けるような年齢の子供たちが、お使い感覚で採りに行くことも多い。
冒険者であるガルドスはもちろん、エルシアだって散歩感覚で出歩くようなものだ。それほど急ぐこともあるまいと、二人の歩調は、自然とのんびりしたものになった。
「なあ、エルシア。そこまで心配なら、いっそあのチビに冒険者の登録なんかさせなければ良かったんじゃないか?」
ガルドスの呟きも、もっともなものだ。
自分の身も守れるかどうか怪しいケトに冒険者登録をさせるなんて、エルシアだって、ギルドの職員としてどうかとは思うのだ。実際、何だかんだ言いながらお守りをしてくれるガルドス達に甘えている自覚はある。
「確かに、ケトちゃんに冒険者は早すぎる。でもねえ……」
歩みを進めながら、エルシアは初めてギルドを訪れた時のケトを思い出す。
「あの子、初めてギルドに来たとき、すごく困ってたじゃない。……ガルドスだって、日銭すら稼げないひもじさは嫌って程知ってるでしょ。多分ケトちゃんも同じよ。九歳じゃあ、どこにも雇ってなんてもらえないだろうしね」
一月ほど前、ケトは突然ひょっこりと顔を出した。
始めこそ迷子の類だと考えたエルシアも、少女のつたない訴えを聞くうちに、何か訳有りだと悟ったのだ。おそらく面倒を見てくれる大人がいないのだろう。とりあえずお湯で汚れた顔を拭いてやってから、話を聞くことにしたのだった。
「”ご飯を買うためのお金が欲しい”ってあの子は言っていたわ。そこまで聞いて放り出すのはいくら何でもできなくって」
「依頼中に死ぬか、飢え死ぬかの違いか……」
「確かに冒険者の年齢制限に引っかかるけど、私たちだって十二歳でギルドカード作ったでしょ? あれと同じよ」
「十五だっけか、年齢制限」
「そうそう」
エルシアが頷くと、大男は「職権乱用じゃないか……」と呆れた声を出した。
冒険者には、十五歳になるまでなれないという規定がある。当たり前だ。命の危険と隣り合わせの場所に小さな子供を送り出せるわけがない。
しかし、この町では”特例”があった。
もちろん王都にあるギルド本部には知らせずこっそりとやっていることなので、知られたら大目玉をくらうことは間違いない。田舎町ならではの暗黙の了解だ。
だが、その危険を冒してでも”特例”を出すことがある。それは、孤児院を出た子供が働き口として就く場合だ。
孤児院でも、ある程度の職の斡旋はしてくれる。だが、十二歳になって孤児院を卒業する子供たちの人数にはとても及ばないのが現実だ。
そんな孤児院育ちの子供にとって、冒険者という選択肢はとても魅力的だった。孤児院を出ても日銭を稼ぐことができる。それが彼らにとって何よりも大切なのだ。エルシアやガルドスだって、その孤児院育ちの一人だった。
孤児院を出るのは十二歳、冒険者になれるのは十五歳。その間の三年間で食い扶持に困ることがないように。事情がある子供のみ年齢制限を引き下げたのが、ブランカの冒険者ギルドに伝わる”特例”だった。
その代わり十五歳になるまでは、同じ孤児院を出た年長者が面倒を見てあげるのがルール。
受付嬢になる前、三年間だけ冒険者をやっていたエルシアだって、依頼の度に、必ず年上のガルドスに付いてきてもらっていたものだ。
それを聞いたガルドスは複雑な表情でエルシアを見つめた。
「あれ、うちの孤児院の特例だろ……?」
「いやまあ、それを言われると辛いんだけどね……」
彼女だって、一応少女に伝えたのだ。危険が伴うから、ケトの年齢では冒険者になれないと。始めこそキョトンとしていたケトは、理解するにしたがってその表情を曇らせていった。
孤児院育ちの彼女は、その表情に見覚えがあった。食べ物もなくひもじい思いをした時に子供たちはよくこんな顔をするのだ。聞き分けの良い子は特に。
それを見て、エルシアは特例で冒険者にしてあげることを決めた。
その結果が今の状況だ。エルシアは暇な冒険者に頭を下げ、彼らはぶつくさ言いながらもギルドぐるみでケトの面倒を見ているのだ。色々と迷惑をかけてしまったことは自覚している。
「ありがとうね。いつも助かってるわ」
「お、おう……」
実際、感謝しているのだ。子供のお守りなど、報酬が割に合わないのは確実。それでもこうやって来てくれているのだから、ガルドスも本当に義理深い。
看板娘が目を見てにこっと笑いかければ、大男の顔が赤くなった。幼馴染ながら単純なやつ、とエルシアはまた笑った。
「なあ、エルシア。ちょっと思ったんだが」
「なあに? ガルドス」
照れ隠しだろうか。大男が突然話題を変えた。
「俺たちがついて行ってること、チビには知らせてないんだよな」
「ええ。それで遠慮されても仕方ないから」
「……端から見たら、俺たちが危ない奴らになってないか?」
「今さら気づいたの? その通り、貴方は今、幼女を付け狙う立派な危ない奴よ」
「おいっ!」
ギョッとした顔で大声を挙げたガルドスを見て、エルシア「冗談だって」と笑った。
大丈夫。ガルドスを含め、信頼できる人にしかケトのお守りは頼んでいないのだから。
遠くを鹿が二頭駆けていく。何とものんびりした日、愛すべき日常だ、とエルシアは空を見上げた。森の入口までもうすぐだ。
騒いでいた大男が、ふと口を閉じて指をさす。
「ああ、いたぞ。あそこだ」
ガルドスが示す方向に、とてとてと森を目指す小さな影が見えた。