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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第二章 看板娘は旅をする
28/173

ただいま その6

 旅に出て三日目の空は、薄い雲に覆われていた。

 ところどころから差し込む日の光で、大雑把(おおざっぱ)な時間を推測する。


 注意深く進むガルドス、平然と歩くケト。やはりばて始めているのはエルシアだけだ。

 

 当たり前の話だが、山に入ればだんだんと勾配がきつくなる。

 エルシアだって昔はもう少し動けた記憶があるのだが、三年間の職員生活で落ちた体力は相当なものの様だった。スタンピードの時はよく体力がもったものだ。あれこそ火事場の馬鹿力というやつだろうか。

 突き出た根っこに足を取られそうになる。悪態を口に出さないよう注意しなければならなかった。


 昨日のことについて、ガルドスは特に何も言わなかった。てっきり隣町に向かうことを提案されるかと思ったのだが。


 仮にオーガがまだ報復を考えているのであれば、一刻も早く町に知らせる必要があることぐらい、誰にだって考え付くはずだ。それこそ、一分一秒が命取りになるかもしれない。

 

 だが、エルシアはそれはあり得ないと踏んでいる。

 もしも自分が相手の立場に立っていたならスタンピードの人為的な発生を中止させるだろう。誰だって自分たちが物騒な真似をしていると知られたら困るのだから。


 あの男にはきっと仲間がいたはずだ。その仲間は、あの男のいた場所に戻ってきて、何者かがオーガの子を解放したことに気付くだろう。そのためにズタ袋をその場に放置してきたのだ。

 彼らはエルシアたちの正体に気付いていない以上、むやみに動いて自分たちの正体を晒すことを恐れるはずだ。であれば、クリシェへの誘導を中止する選択を取ることは間違いない。


 逆にエルシアたちが今動けば、目撃者が一介の冒険者だと風潮(ふうちょう)して回るようなものだ。向こうが物騒な連中なら、口封じは簡単だと認識されてもおかしくない。だからこそ、エルシアは今すぐ動くのを避けた。


「ま、こんなこと説明できないよね……」


 自分の思考が大男の常識からかなり飛躍しているのは分かっていたが、これも生来の性格だ。この用心深さのお陰で、これまで大した問題もなく生き延びてきたのだから、今更変えようとは思わない。

 空を恨めし気に見上げながら、エルシアは重い足を動かし続ける。休憩はまだだろうか、とうんざりした。


―――


 それから少し後のこと。そろそろ野営地を決めるべきかもしれないと相談を始めた時、キョロキョロとあたりを見回していたケトが、突然「あ!」と声を上げた。


「どうしたの、ケト?」

「ここしってる!どうくつをでて、おそらにとびあがったとき、まるたがみえたもん!」

「丸太ってそれか?」


 ガルドスが指したのは、かなり大きな倒木だった。横倒しになって長い時間を経たせいで、あちこちに苔が生え、腐りかけている。


「ケトのお母さんが迎えに来るって言った場所ってこと?」

「うん、そのあとドーンってしたところ!」

「……場所分かる?」

「うん! あっち!」


 相変わらずよく分からない説明だが、どうやら故郷と思しき村からそれほど遠くない場所なのだろう。不安があるとすれば、少女が指さす方向が、ただでさえ細い道からも外れていることくらいだろうか。

 ガルドスが振り返って問いかける。


「どうするエルシア。日没までにはまだ少し時間がある。だが道から外れることになるし、地図も役に立たなくなるぞ」

「行きましょう。そのために来たんだもの」


 少女が隠れていたならば、目的地が魔物の巣ということもないだろう。もし村から距離があっても、少女の手掛かりにはなるはずだ。


「よし、ケト。どっちから来たか教えてくれ」

「こっちだよ!」


 ケトは一行の先頭に立ち、細い道から外れた。下草の生い茂る中を、まっすぐに進み始める。エルシアとガルドスはコンパスに注意しながら茂みをかき分けて後に続いた。


「あいつ、道がないのによく迷わないな……」

「方向感覚が優れているんでしょうね、きっと」


 ガルドスの呟きに答えたエルシアは、しかし背筋が寒くなるのを感じた。

 先程の話が事実なら、ケトはこの道を通った訳ではないはずだ。果たして空から一度目にしただけで、ここまで方向も目印も鮮明に覚えていられるものなのだろうか。

 少なくとも自分には無理だと、エルシアは思う。少女の謎は深まるばかりだ。


―――


 雰囲気がおかしい。

 理由がわからないのに、背筋がぞわぞわする。


「なんか、妙な感じ……」

「エルシアもそう思うか?」


 看板娘の呟きに大男が同意する。

 息が弾ませながら、突き出た石を足掛かりに進む。歩くというよりも、よじ登っていると言った方がいいかもしれない。

 邪魔な下草や枝を切り払うため、エルシアはダガーを抜いていたが、途中から剣を握る右手に必要以上に力がこもっていた。


「……ケト!」

「なあに?」


 呼びかければ少女が振り返る。これまでと何も変わらないはずなのに、どうしてこんなにも薄気味が悪いのだろう。少女だけ汗一つかかず平然としているからだろうか? 

 違う。少女の桁外れの体力に驚かされることは、これまでだって何度もあったはずだ。


 魔物の姿が見えないのはありがたかったが、鳥や動物すら見えないことに不安を掻き立てられる。木々の合間から空を見上げれば、雲が段々と厚みを増しているのが分かった。


「……エルシア」

「どうしたの?」


 ガルドスが低い声で唸った。


「なんか、変な匂いしないか?」

「匂い?」


 立ち止まって、弾んだ息を整えながら、空気の匂いを嗅いでみる。”変な匂い”ではなく、もう少し具体的に言ってほしいのだが、と鼻を効かせた。


「何か、腐ってる……?」

「だよな……」


 肉が腐ったような酷い匂い。あまり嗅いでいて気分の良いものではない。

 隣で剣を抜いていたガルドスと視線を合わせる。勢いで来てしまったが、このまま進んで大丈夫だろうか。一度態勢を立て直した方がいいのではないだろうか。


「こっち」


 しかし、ケトの歩みは止まらなかった。小さな後ろ姿が、半ば急くように斜面をよじ登っていく。ところどころにある雲の隙間からうかがえる色が、段々と橙色に近付いていた。


 エルシアはごくりと唾を飲み込んだ。

 彼女が異臭に気付いているのかどうか、分からない。見慣れたはずの小さな背中がひどく遠い。これまであまり感じていなかったケトの異質さを初めてはっきりと意識した瞬間だった。


 ふと見れば、前方で木々が途切れていた。

 異臭がどんどん強くなる中、エルシアは緊張した面持ちで木々の間をすり抜け、森の切れ目へと足を踏み入れた。


 そこは、周囲を崖に囲まれた、小さな泉だった。

 西を向いているからか、ポツポツと見える雲の隙間から、夕方の光が差し込んで、泉に朱色を反射させている。


「何……、ここ……?」


 下草を踏みしめながら進む。目の前にはごつごつとした岩肌がそびえ立ち、一行の行く先を阻んでいる。


 まるで、人間が足を踏み入れてはいけない聖域に、土足で上がり込んでしまったようだ。その場所には、そんなことを思わせる雰囲気があった。


「ついた!」


 紅に照らされた銀の少女が振り返る。浮かべているのはいつも通りの表情のはずなのに、夕日に染まったその顔が恐ろしい。

 少女の姿は仮のもので、何かの化身なのではないかと、そんな馬鹿げたことまで考えてしまいそうな程に。


 魔と出会う時間帯。逢魔時という言葉が似合う。

 そんなことを考える程には、エルシアもガルドスもその場に雰囲気に飲まれていた。神秘的で絶対的な存在がいるのだと思い知った気分だ。それが何かはエルシアにも分からないけれど。


 だからこそ、この異臭が気になる。

 明らかに何かが腐っていることを漂わせる、醜い死の香り。この場にはあまりに不釣り合いだ。

 奥の岩肌に小さく崩れた跡があった。エルシアがここ?と視線で問いかけると、ケトが頷いた。柔らかな草を踏みしめ、崩れた崖に近付く。


 間近で見てみると、洞穴が崩れた跡だと分かった。

 入口の天井が崩落したのだろうか。黒々とした崖とは明らかに異なる、白く傷ついた岩と土砂は、崩落が最近のものである証拠だ。腰をかがめれば、人ひとりが何とか抜けられそうな隙間が開いていた。


「貴女は、ここにいたの?」

「そうだよ。ここでいいこにしてたんだけど、いきなりドーンておとがして、まっくらになっちゃったの」


 また、”ドーン”だ。もしかして、崩落のことを言っているのだろうか。


「"ドーン"ねえ……。貴女の他に、中に誰かがいた?」

「わかんない。なにかおっきなものがとつぜんはいってきて、ドーンてぶつかったの」

「じゃあ、何か、中にいるっていうのか……」


 ガルドスが抜身の剣を片手に小さな入口を睨みつけていた。

 その横で、エルシアは荷物の中からカンテラと火打石を引っ張り出す。ちびた蝋燭(ろうそく)に火をともしていると、ガルドスが慌てて遮ってきた。


「おい、待てよ。エルシア、この中に入るつもりか?」

「ええ」

「中がどうなっているか分からないんだぞ? 何かいるなら危険かもしれない。中にガスが充満(じゅうまん)している可能性だってあるんだ。入った瞬間ひっくり返るかもしれないぞ」

「洞窟はそんなに深くないんでしょ? 危なそうならすぐ引き返すわ。もし私がひっくり返ったら、ガルドス、あなたが引っ張りだして」


 布きれを口と鼻にきつく巻き付けておく。少しためらった後、エルシアは思い切って隙間に体をねじ込んだ。


 崩落したのは入り口だけだったようで、中は思った以上に広かった。もはや目が痛くなるほどに漂う腐敗臭に耐えながら、思わずくぐもった声で呟いた。


「本当にあの子、こんな場所で生活していたの?」


 エルシアの入った隙間のすぐ近くに、破れた麻袋や、蓋の空いた水筒が無造作に転がっていた。ケトが置いて行った荷物かもしれない。カンテラを下ろして見れば、地面の岩がまるで染料でもぶちまけたかのように茶色く塗り固められているのが印象的だった。珍しい色だ。こんな色の石は見たことがない。


 捨てられた荷物から視線を放し、今度はカンテラを高く掲げてみる。洞窟の奥の方まで頼りない明かりを目を凝らしたエルシアは、そこで凍り付いたように固まった。


 ――何だ、これは。


 大きな影がそこにあった。獣の死骸、酷い匂いの発生源はこれだったようだ。


 ――何だ、これは。


 カンテラの光が、命の抜け殻を弱々しく照らしていた。

 肉体が腐ってもなお、鈍く赤い輝きを持つ鱗。くずおれてはいても、かつてのしなやかさを窺わせる細長い首。力なく広げられた翼からは、翼膜がべろりとはがれ、上から岩に押し潰されている。鞭のような尾の先は、腐りきった肉がへばりつき、鱗の隙間から骨が見えていた。


 ――何だ、これは。


 近づく足が震える。揺れるカンテラの明かりが、洞窟の壁に陰鬱(いんうつ)な模様を刻んだ。

 見るのは初めてだったが、それが何かすぐに分かった。原型すら留めていない塊であっても、こんな姿をしている生物は他に二つといない。

 そう、これは。これはまさか。


「龍……!」

「うわあ!」


 すぐ後ろで発せられた声にエルシアは飛び上った。

 慌てて振り向けばガルドスが洞窟の中に入り込んでいる。驚かされたことに対する文句を言う余裕もなく、二人で目の前の獣を見つめる。


「初めて見た……。あまり大きくないけど、ひょっとして子供の龍か何かなのか? どうなってるんだよ、なんでこんなところに……」


 ガルドスがぶつぶつ言う隣で、ふと気づいたエルシアは、ぎょっとして足を上げた。足元の岩は、一分の隙間なく赤茶けている。


「地面のこれ、もしかして全部龍の血……?」

「うおっ!」


 二人して飛び上ったが、そもそも地面の石のほとんどが、血で塗り固められている。踏まないようになんて不可能な話だ。無様に二人で跳ねたがどうにもならず、茶色い地面を踏みしめるしかない。


 死骸に恐る恐る近づいていくガルドスを見ながら、エルシアは龍から目を背けた。彼のように触ってみる勇気は持てない。

 入口に置き去りにされた荷物をつまみ上げてみる。麻袋に水筒。どれももれなく、べったりと固まった血が染みついている。


「昔話に、龍の血を飲んだ騎士の話があったよね……」


 何を話せばいいか分からなくなったエルシアが呟いたのはそんな話だった。あまりに現実離れした光景に、まるで夢を見ているように現実感がない。墓穴に潜ったら、こんな気持ちになるに違いない。


「龍に乗ってお姫様を助けるやつか。あったなそんなの」


 孤児院にあった数少ない絵本の一冊だった。エルシアは自分より小さい子たちに読んであげていたから、内容を(そら)んじることだってできる。


「龍の血は万病を癒す薬になる、だったっけ……」

「それだけじゃなくて、色々できた気がするぞ。龍の血って」


 ガルドスは恐々と手を伸ばして、龍の鱗の一枚を拾い上げた。


「どんな怪我も傷跡すら残さず治癒するとか。畑に撒けば、その土地は百万の富を生むほどの祝福が与えられるとか。どれもおとぎ話や言い伝えだけどな」


 そう、龍の話はエルシアだっていくつも知っている。世界のどこかに住んでいると言われている龍。生まれてこの方、姿なんて見たことがないから、空想上の生き物と言われた方がしっくりくるのだ。

 昔話では、お姫様や王子様や騎士様や、色々な人が龍に乗って空を飛ぶ。お姫様は血を飲んで病を治すし、またある騎士様は血を飲んで傷を癒す。とあるおじいさんに至っては、力尽きた龍の周りに花を植えたところ、一面の花畑を作り上げるのだ。

 そして龍の血を飲んだある者は……。

 

 エルシアは思わず目を見開いた。カンテラの光が大きく揺れ、つまみ上げた水筒の影が壁の中で暴れた。


「思い出したわ……」


 小さく息を吸ってから口を開いた。


「龍の生き血は、人を人ならざる者に変えるんだ」


 よくある昔話。その中で、勇者は悪者をやっつける。負けそうになった勇者は、付き従えていた龍から血を分けてもらい、自らの姿を龍に変えるのだ。

 孤児院にいたころ、よく年下の子供たちに語ってやった、そんなただのおとぎ話。


 ガルドスもエルシアの言いたいことに気付いたようだ。笑おうとして失敗したような歪な顔で、エルシアの方に振り向いた。


「それだっておとぎ話じゃないか。実際に起こる訳ないだろう?」


 彼の言うことは正しい。普段ならエルシアだって、何を馬鹿なと言うだろう。

 でも、とエルシアは呟く。


「……でも、もしもそれが本当なら? 全部、全部説明がつくわ。あの人間離れした力だって、空を飛べる事だって。魔法のことは私にはよく分からないけど、龍だって魔法を使うんでしょう? ……もしも、もしもよ」


 カンテラの明かりが頼りの暗闇の中で、エルシアは振り向く。奥にある無残な深紅の龍を見つめた。


「もしもケトが、龍の血を飲んだのだとしたら?」

「うん?」


 返事は舌足らずの幼い声だった。

 銀の少女が、入口の狭い隙間に上半身だけつっこんでこちらを見詰めていた。そのシルバーの瞳が、深みをたたえてカンテラの光に反射していた。

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