ただいま その5
「落ち着いたか」
「う、うん。ありがとう、ガルドス」
「全く、無茶するからだ……」
「ごめんって」
「おちゃどうぞ」
「ありがと、ケト」
焚火を前に、三人でお茶をすする。
大分無様な姿を晒してしまったと、エルシアは反省しきりだ。ガルドスから飛んでくる、残念そうなものを見る視線が痛い。
いくらなんでも、襲われた場所でそのまま夜を越す程エルシア達も愚かではなかった。オーガがいなくなった後、腰を抜かして動けなくなったエルシアは、ガルドスにおぶわれて野営ができそうな場所までたどり着いたのである。
注意深く体を伸ばしながら、エルシアは紫色の空を見上げる。この様子なら、半刻もしないうちに真っ暗になるはずだ。
干し肉を水で戻すガルドスをぼんやり見つめながら、エルシアは物思いにふけった。
彼の背中は随分広かった。エルシアがどんなに体重をかけてもびくともしなかった。
重いと思われたら嫌だな、などという乙女心は持つだけ無駄だったことを思い出し、エルシアは苦笑を漏らす。
「……お前、ホントちんちくりんだな」という彼のからかいの言葉は、中々に破壊力があった。彼にはぜひとも女性に対する気遣いと言うものを学んでいただきたいものだ。いつか気になる女性ができた時に、困るのは彼自身なのだから。
「それで? いい加減話してくれるんだろうな」
不機嫌な声に、エルシアは現実に引き戻された。流石に怒らせてしまったようで、またしても反省する。
「もちろんよ。色々迷惑かけたもの」
分けてもらった干し肉の欠片に噛みついて「かひゃい」と声を漏らすケトを見ながら、エルシアは口を開いた。
「まず、あの男がロクでもない奴だったことは確かだと思うの」
「んなこたぁ分かっているんだって。問題は、どうして襲われる危険を冒してまで、オーガの治療を優先したかだ。現に死にかけたんだぞ、俺達」
仏頂面の幼馴染に、エルシアは「落ち着いて」と返す。
「野盗にしては装備が整いすぎていた。姿かたちこそ冒険者だけど、ギルドカードも持っていなかったし。何よりも鎧の重ね着なんて、明らかに普通じゃない。武器は持っていても、旅の道具は何も持っていなかったし。相当の戦闘を想定した人間、しかも仲間がいた、とは考えられない?」
「いきなり話飛んだな。……まあ確かに、鎧は妙ちきりんだったけどよ」
あんな重武装でふらつくには、山は険しすぎる。ブランカの冒険者だって、革鎧だけがほとんどだ。鎖帷子は値段も高い上に手入れが面倒なため、好んで使うものはあまりいないし、重ね着なんてする意味がない。
お茶を一口すすって、エルシアは喉を湿らせる。
「じゃあ、あの人は何してたかって話。子供が攫われれば、親の魔物はそれを追う。しかもズタ袋の中の我が子は、明らかに痛めつけられた後がある。普通の親なら怒り狂って当然だわ」
殴打の跡ならともかく、耳をそいで肩を脱臼させるなど、まともな人間の思考ではない。それなりに回復力の高い魔物だからこそそこまで時間をかけずに持ち直したのだろうが、人間の子だったら一生ものの後遺症を負ってもおかしくない。意図的に傷つけなければ、ああはならないはずだ。
「きっとオーガは、途中で人間たちを見失うでしょう。でも、あちこちに痕跡があれば、足跡やにおいを元に、後を追うことだって可能かもしれない」
「人攫いにせよ、冒険者にせよ、そんなヘマをする奴がいるか?」
エルシアはポケットから紙片を取り出した。くしゃくしゃになったそれを丁寧に広げて、大男に手渡す。
「男のポケットにこれが入ってた」
「何だこれ? ……地図?」
ガルドスは眉根を寄せて目を細めた。
「この辺りの簡易的な見取り図よ。いくつか印が付いているでしょう? 右から三つ目なんてさっきの場所にとても近いわ。それでね、印を順に麓の方へたどってみて?」
「山を下りていくのか。……ん?」
何かに気付いたように、ガルドスは顔を上げた。
「おい、これって……」
「もしも。もしもよ? 印のところに痕跡を残していけば、オーガはやがて山を下りるように誘導できるでしょ。その先にあるのは……」
「……クリシェ。隣町じゃないか!」
「これはあくまで推測にすぎないけれど」と前置きをして、エルシアは声を潜めてから口を開いた。
「あの男、もしかしたらクリシェを襲わせるつもりだったのかもしれない。もちろんオーガは子供攫いの犯人が町にいると分かった時点で仲間を呼ぶ。そうすれば、魔物の群れが隣町に押し寄せるでしょうね」
「嘘だろ……?」
ガルドスは驚きも露わに、看板娘を見つめた。
「確かに魔物を攫って逃げていただけかもしれない。でも、私の言いたいことも分かるでしょう? ……世間では、それをスタンピードと呼ぶのよ」
流石に暴論だと返されてもおかしくない話だ。エルシアは大男の顔色を窺った。案の定、困ったような顔をしたガルドスが、ぶつくさと呟いた。
「いくらなんでもそんな馬鹿みたいな話、信じらんねえよ……」
そうだろう。エルシアも自分で言っておきながら、あまり現実感がない。スタンピードを意図的に起こすなんて、聞いたこともないのだから。
ガルドスがふと気づいたように、看板娘を見つめた。
「お前、もしかしてブランカのスタンピードも同じことが原因だと考えているのか?」
「……確かなことはもっと調べなくちゃね。でも、冬ではなく春の襲撃。その上食料には手つかず。いくら何でも不自然すぎるじゃない?」
ブランカへの襲撃は幸いにも阻止できた。しかし、同じことが隣町に起こったら? 想像するだに恐ろしい。
「さっき私がオーガの子供を助けたのは、オーガに住処に帰ってもらうためよ。”人間が、攫われた自分の子を治療し解放した”という事実を理解してくれれば、それだけ報復する必要性は減るはずだから」
「……オーガがそんなこと理解するかねえ」
半信半疑のガルドスだったが、エルシアはそこに不安はあまり持っていなかった。現に先程のオーガ達は退いて行ったのだ。
この考えが合っているのかどうか、エルシアにも分からない。だが、きっとオーガには子供の面倒を見るという現実的な問題も発生したはずだ。
治療したとはいえ、怪我は怪我。魔物生来のタフさであの子供は駆けていたが、しばらくは休ませなければいけない。その間、親はつきっきりで看病し、人里に復讐に向かうどころではないのではと踏んだのだ。
「隣町まで知らせに行くべきじゃないか?」
「この装備では、流石に無理よ……。それに荒唐無稽な話すぎて信じてくれないわ。いずれにせよ、オーガが消えた方角はクリシェとは反対側だし、当面の危険は去ったと信じて、ブランカのギルドから正式に注意を促すしかないしょうね」
「お前、自分が滅茶苦茶言っている自覚はあるのな……」
意外そうなガルドスの表情を見て、エルシアはむっとした。「何よ、普段から私が変な事ばっか言っているように聞こえるじゃない!」と食って掛かると、ガルドスは呆れたように笑って「そう言っているんだ」と返した。
―――
見張りの夜は長い。ガルドスはあくびをしながら枝を一本火にくべた。
意外と知られていないことだが、森の夜は案外にぎやかだ。
名前も知らない虫が鳴き、少し離れたところで何かが下草を踏みしめるガサガサと言う音が響く。たとえそれが小動物の類だとしても、音の方に注意を向けて剣の柄を握るのは、長年の冒険者生活で染みついた習慣のようなものだ。
焚火を挟んで反対側には、こんもりとした毛布の山が二つ。
そのうちの片方から「んんー」という間抜けな声が聞こえてきた。しばらく眺めていると、ごろりと寝返りを打って毛布の中からケトが転がり出てきた。
その拍子に片足でエルシアを蹴とばしていて、ガルドスは笑いを抑えるのに必死になる。蹴とばされたエルシアはと言えば微動だにしていない。呼吸と共に、かすかに毛布を上下させているだけだ。
静かに眠るエルシアに視線を移す。
小さい頃は隣で眠るのが当たり前だったはずなのに、今となってはそれが信じられない。
かつては泣いてばかりいたちんちくりんが、随分と大人になったものだと思う。元々可憐な娘が色気まで兼ね備えて、無防備な顔を見せているのだ。これでは意識せざるを得ないではないか。
先程エルシアを背負った時、ガルドスは否応なく顔が赤くなるのを感じた。
普段触れることのない彼女の柔らかさと暖かさ。例え鎧越しでも確かに感じ取れて、心臓が跳ねまわるのを必死に抑えたものだ。こちらの緊張が彼女に伝わらなかったのは鎧のお陰だ。ハードレザーに感謝しなくてはいけないだろう。
もっとも、成長したのは体だけではない。
いつのことからか、彼には看板娘の頭の中が分からなくなった。
昔から頭の回転が速い奴だとは思っていた。その気にさえなれば呑み込みが早く、自分なりに理解してアレンジまで付け加えて返してくる。
間違いなく、親なしの彼女がこれまで生き延びてこられた理由はそれだろう。
力に任せて問題を解決するガルドスと、頭を働かせて状況に対処するエルシア。正反対と言ってもいいタイプだ。その思考の速さに、ガルドスは徐々についていけなくなった。
今日の昼間だってそうだ。
オーガの子を治療し始めた時、こいつの頭はお花畑で出来ているのだろうかと真剣に考えたものだ。
もちろんそれにはきちんとした理由があって、頭の悪い大男にも分かるように説明してくれた。同じ状況を見たはずなのに、ガルドスにはさっぱり思いつかない論理を展開されたのだ。
正直に言えば、彼女の思考に置いて行かれることにショックを受けたこともあった。彼女の考えに疑念を持つこともあった。
しかし、今ではそれでいいと思っている。
彼女には力がない。運動神経は鈍く、ロングソードすら満足に振るえない非力さ。彼女自身、それを自覚している。
戦うには致命的な鈍くささであっても、彼女はたびたび剣を取らざるを得なくなる。この間のスタンピードだって、今日の昼間だってそうだった。
だから、守れるようになりたかった。
彼女が考えたことを成し遂げる力になりたいと、気付けばそう思うようになっていた。
もっとも、ガルドスにはまだそれを口に出すつもりはない。
いつか胸を張って隣に立てる時が来たら、その時に言うつもりだ。それまでは、”脳筋”と”ちんちくりん”もとい、親分と子分の関係で十分だ。
「……まあ、ここまで意識されてないのは、ちょっと堪えるけどなあ」
ガルドスは毛布の山を見て苦笑する。自分だって年頃の男だと言うのに、彼女は全く気にするそぶりも見せない。孤児院にいたころと同じように、じゃお休みと言って、早々に毛布にくるまってしまった。
彼女は今、どんな夢を見ているのだろう。もちろん自分には分からない。けれども、その想いを形にしたいと願った時、隣で剣を振るうのは自分でありたいと、ガルドスはそう思った。




