ただいま その2
数刻後。焚火を囲んで、薪のはぜる音とすうすうという寝息が響く。
いつの間にか寝入ってしまったケトに毛布を掛けてから、エルシアは空を見上げていた。
澄んだ空に瞬く星を、ぼんやりと眺める。
エルシアには星座が分からない。それでも見渡す限り広がる星空は、どこか心を惹かれる魅力を秘めているものだ。はるか昔に星座を見つけた人は、きっととんでもないロマンチストに違いない。
太い枝で薪をつつくガルドスに視線を移す。
幼い頃から考えると、驚く程に図体が大きくなったが、小さな黒の瞳だけは変わらない。
静かで落ち着いた時間。互いに気を許したもの同士、そこに気まずさなど一切ない。
ふとエルシアは、ケトの送別会でミーシャに言われた言葉を思い出してしまった。夜空の元で二人きり、だっただろうか。あの時は酔っぱらいの戯言だと相手にしなかったが、確かに今のシチュエーションには、ちょっとドキドキするものがある。
湯気を立てるカップで口元を隠しながら、エルシアはガルドスを眺める。少しだけ赤くなった頬は、きっと焚火の光で誤魔化せるはずだ。
「……こうやって、エルシアと野営するのは随分と久しぶりだな」
「ギルドの職員になってから、あまり出歩かなくなったからね」
カップを満たすお茶に、自分の顔が揺らめくのを見ながら、エルシアは呟く。
「……ねえ、ガルドス?」
「なんだ?」
「傷の具合は、もういいの?」
「傷?」
目を瞬かせたガルドスに、小さな声で「スタンピードの時の……」と付け加えると、彼は思い出したかのように「ああ、そんなのあったな」と笑った。
殿を務めた時に、傷をあちこちに負ったことを思い出したのだろう。
「何だよ急に。あんなかすり傷、ずっと前に治ったに決まっているだろ?」
「そうだとは思っていたけど、一応確認しておきたくって」
「珍しいこともあるもんだな、お前が心配なんて」
「別に心配なんか……」
ガルドスを恨みがましく睨む。普段なら小物でも投げつけてやるところなのに、いまいち気分が乗らなくて、エルシアはふてくされた声色で呟いた。
「……貴方は普段からよく依頼を受けるけどさ、やっぱり戦うことも多いんでしょ?」
「当たり前だろ? それが依頼なんだし」
訝し気に眉を上げる幼馴染。本当に当たり前の話だ。彼が変な顔をするのも当然だろう。
まったく、ミーシャのせいだ。あんなこと言うから、変に意識してしまっているではないか。
「……この間、久しぶりに剣を握ったからかな。ちょっとだけ、怖くなっちゃってさ」
「エルシア?」
「貴方もいつか、怪我をして、帰ってこられなくなるんじゃないかって……」
焚火の頼りない灯りだけでも、ガルドスが目を丸くするのが分かった。
エルシアだって、流血沙汰に耐性はある。ギルドの職員なんて、そうでなければやっていけない。
ましてや、自分だってかつては冒険者だったのだ。本格的な討伐依頼こそ受けたことはないが、怪我の応急処置だって怯むことなんかない。
そんな人間が、今更何を言わんや、だ。
でも、時に酷く不安になることがあるのだ。
例えば、夜布団に入った時に。例えば、カウンターから冒険者を見送る度に。
見ないようにしていた恐怖が、そっと忍び寄って来るのが分かる。本来の臆病な自分が、ここぞとばかりにエルシアの心を搔き乱すのだ。
「俺は大丈夫さ。この間だって、ちゃんと生き延びただろ?」
「……そう、だね。その通りだ」
彼は自分よりずっと強い。心配なんて無用だって分かっているつもりだ。
それでも縋るように言葉をこぼしてしまうのが、エルシアの弱さなのだろう。
「でも……」
「でも?」
「……! な、なんでもない」
「おいおい……。言いたいことがあるなら言えよ」
「なんでもないったら!」
目を見開いて、自分自身に愕然とした。
今、自分は何を言おうとしていたのだろう? ”私を一人にしないで”なんて言ってみろ。まるで愛の告白ではないか。
それは絶対に、自分が口にしてはいけない言葉だ。エルシアがエルシアである以上、知られてはならない、言葉にしてはならない、悪魔の囁きだと誰よりも自分が知っている。
だから、すんでのところで、彼女は引き返すことができた。
「あ、貴方、ケトよりずっと弱いじゃないの! そんな奴に大丈夫なんて言われたって、ちっとも安心できないじゃない!」
苦し紛れに放った一言に、大男が思わず怯んだ。
「ケ、ケトと比べられたら、何にも言えねえに決まってるだろ」
たった一言で、甘酸っぱい空気は霧散していた。そのことに罪悪感を抱く一方で、とりあえずは誤魔化すことができたと、エルシアは安心する。
そう、自分と彼は、これでいいのだ。
「ま、怪我しないように気を付けてね」
幼馴染の不機嫌そうな顔を見ないようにしながら、エルシアは雑な返答で会話を終わらせた。
―――
「ケトを親に合わせて、その後どうするつもりなんだ?」
沈黙することしばし。
口を開けて寝息を立てる少女を見つめながら、エルシアがお茶をすすっていると、ガルドスが疑問を口にした。
「そんなのケトのご両親次第よ。どうするかは様子見て決めないとね」
孤児院育ちのエルシアとガルドスには、”親”というものがよく分からない。
エルシアにはまだ親に捨てられる前の記憶がおぼろげにあるが、ガルドスに至っては生まれて間もなく孤児院の門の前に捨てられていたのだ。
二人とも”親”には過度の期待をしていない。それだけは確かだ。
もしもケトの両親が、ただ彼女を捨てただけであったら? 苦労して探し出したところで、そこにはつらい現実が待つだけだ。
「でもね、この子の話を聞くと、きっとご両親は心配しているんだろうなって思うのよ。『必ず迎えに来るから』なんて言えるのは、本当に愛していたか、本気で騙そうとしていたかのどちらかよ。実際、ケトの仕草や口ぶりからして多分愛されていたんだと思う」
挨拶の習慣や、言いつけをきちんと聞くところ。これはきっとご両親の教育の賜物だろう。
金銭的な感覚がないことも、ナイフを上手く扱えない所も、きっと難しいことは両親にやってもらっていた名残ではないだろうか。
パチパチと焚火がはぜる。ガルドスは火から顔をあげずに呟いた。
「……見つかるといいな。ケトの親御さん」
「そうね」
少女の柔らかな髪をなでながら思う。
生きて、また会うことができたなら、それはとても幸せなこと。
エルシアは少し寂しくなるだろうが、別に永遠の別れではない。彼女が将来字を書けるようになったら文通するのもいいかもしれない。そう思って、彼女は微笑む。
そして最後に、エルシアはずっと抱いていたもう一つの疑問を口にした。
「貴女は一体、何に巻き込まれたんだろうね、ケト?」




