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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第二章 看板娘は旅をする
22/173

繕いものは真夜中に その9

 チキンソテーと丸パンの晩御飯を終えれば、少しだけゆっくりして、あとはもう寝るだけ。

 薪の欠片を積み上げて遊ぶケトを横目に、エルシアはベッドに腰かけて裁縫箱を取り出した。


 縫うのはケトの旅装である。

 それからガルドスからもらったカバンとベルトも調節する必要がある。旅装は厚手な上に、要所要所に革で補強を施したものだから、繕うのにもそれなりに手間がかかるだろう。太めの針も用意した方が良さそうだ。


 ケトの両親が住んでいるかもしれない村まで、きっと数日間の旅になるはずだ。流石にいつもの普段着では心許ない。

 孤児院を出てからの三年間、エルシアは冒険者をやっていた。その頃着ていた服の丈を直してケトに着せるつもりだった。当時レザーメイルを買うほどの蓄えがなかったエルシアは、自分で旅装を作っていたのだ。別に戦う訳でもないし、サイズさえ合わせてあげれば今回の旅にだって十分耐えられるだろう。


 蝋燭を手元に引き寄せて、まず手始めに下に着るシャツの袖を縫い始めた。一針一針に丁寧針を刺していると、ふとケトがじっと手元を見つめていることに気付く。


「どうしたの?」

「エルシア、じょうずだね」


 こちらを見つめるケトの表情は穏やかだった。そこに怯える小動物のような表情を見せる彼女はもういない。エルシアの家に連れて来てから二週間弱。それなりに馴染んでくれたように思う。


「昔からよくやっていたからね。この服だって、そもそも私が作ったのよ?」

「すごい、ほんとう?」

「ケトもやってみる?」

「……いいの!?」


 エルシアの何気ない問いかけに、少女がぐいと身を乗り出した。

 まさかそんなに食いつかれるとは思わなくて、エルシアも目を丸くしてしまった。こちらを上目づかいで見上げる少女に、頬が緩むのを感じる。「こっちにおいで」とケトを自分の隣に座らせた。


 二つのカップからお茶の香りがただよう室内で、少女と二人、身を寄せ合う。


「まずは、布をこうやって持って。針は右手でこう……、ああ、それだと危ないからこう持った方が良いわ」

「う、うん」


 真剣な顔で、そろそろと布地に針を刺すケト。昔を思い出して、エルシアはくすりと微笑んだ。最初は誰しも緊張するものだ。自分も昔は沢山練習したっけ。


「むずかしい……」

「ふふ。最初は皆そんなものよ」


 出発は五日後と決めた。そうしたら、ケトは家に帰る。

 きっと寂しくなるだろう。エルシアはそう思ってしまう自分に思わず苦笑した。


 最初からそのつもりのはずだったのに。それが少女にとっても最善なのだと分かっているのに。自分はいつの間にか、子猫の様な彼女に必要以上に入れ込んでしまっている。


 エルシアは蝋燭の灯りに照らされた室内を見回す。

 こじんまりとした一人住まいの部屋。元々は食事をして睡眠をとるだけの場所だったはずだった。それがたった二週間でずいぶんと温かいものになったのは気のせいなんかじゃない。

 理由なんて分かりきっている。ケトが帰ってくる場所なのだと、否が応でも意識するようになったから。


 けれども、その日々ももうすぐ終わり。少女にとっても、看板娘にとっても、それが最良なのだと分かっているけれど、やっぱりどこかに切ない気持ちは残る。


「いたっ」

「大丈夫? ちょっと休もうか」


 針を突き刺して(もだ)える少女に声をかけるも、逆にケトはやる気に火をつけたようだった。


「やだ、もういっかいやる」

「ゆっくり丁寧にやった方が、早く上手くなるわよ」

「むう」


 意固地になっているケトが、かつての自分に重なる。

 そう、あの頃の自分だって、目の前のことに必死になって喰らいついていた。今みたいにどこかで線を引くことなく、ただ認めて欲しい一心で。


 今の生活を、ケトはどう思っているのだろうか。わざわざ聞くつもりはなかったが、少しでも良い感情を持っていてくれたら嬉しいと、そんなことを思う。

 手元を照らす蝋燭の火が揺らめいて、寄り添う二人の影を温かく照らし出した。


―――


「そうそう。この結び目をしっかり押さえて、反対の手で引っ張るの。焦らないで、ゆっくりとね」

「ぬうううう」


 やっとのことで結び目を作り上げたケトが、ほうっと息を吐く。合間合間で彼女から聞いた話では、ケトの母はまだ早いと言って、ケトに針を持たせなかったそうだ。だから、裁縫はずっと気になっていたんだとか。

 どうやら少女は、一度集中しだすと周りが見えなくなるタイプらしい。エルシアがお茶を二杯飲み干す間、彼女は一心不乱に針を動かしていた。


 ケトはしばらくじいっと縫い目を眺めた後、こくんと頷いてからエルシアを見上げる。

 その顔に浮かべる表情に、エルシアは思わず目を奪われてしまった。


「できた!」

「上出来よ、ケト」

「うん!やったあ!」


 小さな女の子が、満面の笑みをエルシアに向けてくれていた。

 初めて見せてくれた心からの笑顔に驚き、そして自分もつられて笑顔になりながら、エルシアはケトの頭をくしゃりと撫でる。


 少女は初めて繕ったシャツの袖。ガタガタの縫い目を見せながらも、きちんと袖を縫いとめてくれている。エルシアにも、何故だかそれがたまらなく嬉しかった。


 エルシアとケト、二人でベッドにもぐりこむ。

 集中力の切れたケトは、眠そうに瞼をこすりながらエルシアの隣にすっぽりと収まった。


「寒くない?」

「うん……」


 一人用のベッドに二人で収まる狭さにも、もう慣れた。これくらいの年頃の子の例に漏れず、ケトの寝相もお世辞には良いとは言えないが、少なくとも今は、エルシアのすぐ隣にきちんと毛布に包まっている。


「……ねえ、エルシア?」

「なあに?」


 今にも目が閉じてしまいそうな少女の顔を見つめる。頑張って目を開こうとしては、だんだんと瞼が落ちていくのが微笑ましい。


「ええっと……」


 ケトは眠気に耐えながら、何とか言葉を口にしようとしているようだった。緩やかな呼吸を聞きながら、少女の言葉を待つ。もしかしたらこのまま寝てしまうだろうか。見つめるエルシアに向かって、少女は頑張って口を開いた。


「……あのね」

「うん」

「おさいほう、おしえてくれてありがとう。おようふくくれて、ありがとう。それから、ごはんつくってくれて、ありがとう。いっしょにねてくれて、ありがとう」

「ケト……」

「あとね、ええっと……、わたしをひろってくれて、ありがとう……」


 胸がいっぱいになった。

 瞼が落ちきり静かな寝息を立て始めたケトを、起こさないように抱きしめる。

 温もりに癒されているのはエルシアの方なのに、貴女はそんなことを言う。彼女の柔らかな銀の髪に顔をうずめて、エルシアは呟いた。


「……私こそ、ありがとうね。ケト」


―――


「食料に毛布、水筒、火打石。薪と鍋はガルドスに持ってもらうとして、油もいるわね。いざって時の薬も良し。ああ、カンテラも忘れないようにしないと」


 持ち物の点検をしながら、エルシアは振り返って声をかけた。


「大丈夫? 大きくない?」

「だいじょーぶ! ブカブカじゃないよ!」


 ケトはくるくると回転したり、ピョコピョコ跳ねまわったりと忙しい。丈を直したシャツと上着、スカートやその下のレギンスの調子を確かめているのだ。


「ぴったり!」

「ブーツはどう? 中になめし皮何枚か引いただけだから、足に合わなかったちゃんと言うのよ」

「きぐつより、すっごくうごきやすいね!」


 ふむ、とエルシアは頷く。どうやら旅装も革の靴も問題なさそうだ。後は荷物の中に替えの下着と靴下を放り込んでおけば良い。


 さて、とカバンの蓋を閉じたエルシアは向き直った。


「じゃあ、吊るしておくから、普段の服に着替えて」

「ええー、もう脱いじゃうの?」


 残念そうなケトに、エルシアは微笑む。心を込めて繕った服なのだ。気に入ってくれたようで何よりだ。


「明日からイヤって程着られるって。それよりほら、着替えたらギルドまで行くわよ」

「これから?」


 ケトは部屋の窓から夕暮れの空を見上げた。普段であれば、もう帰る時間なのだ。これから家を出ることに不思議がるのも当然だ。


「そう。これから」


 にこっと笑って、エルシアは答えた。


―――


 宵闇が町を包むころ、ギルドに着いたエルシアは、迷わずにドアを開けた。

 カランコロンとベルが音を立てるが、今日は週に一度の安息日。ギルドもお休みだから中には誰もいない。


 だが、ケトの鋭い聴覚は何か物音を捉えたようだった。いや、エルシアの耳にもかすかな騒ぎが聞こえる。キョトンとした顔のケトを階段へ促した。


「おやすみなのに、みんないるの?」

「そうよ、今日は特別に、ね」


 階段を下りるにしたがって、地下食堂から漏れ出る音が良く聞こえてくるようになる。少女の手を引きながら、エルシアはゆっくりとドアを開いた。


「おおお! 主役の登場だあ!」


 入口の近くに陣取っていたミドが大声を上げると、大入り満員の室内からやんややんやの喝采(かっさい)が響き渡る。誰も彼もが、手に手にエールが入ったジョッキを握っていた。


「えっ、えっ!?」

「ケトちゃーん!」

「おそいぞー!」

「ふえっ!?」


 何事かと目を白黒させるケト。あちこちから酔っぱらいの声を浴びながら、エルシアはケトの手を引いて皆の前へ。


「来たか。待ちくたびれて先に始めちゃったぞ」

「ごめんね、思ったより準備に手間取っちゃって」

「こっちこそ主役を待てなくて悪かったな。じゃあ、音頭(おんど)は頼んだぞ」


 待ち構えていたガルドスに促されて、エルシアは皆の方を振り返った。室内の騒ぎに負けないよう大声で叫ぶ。


「みんなちゅうもーく!」


 揃って「おお! エルシアちゃんだー!」と叫ぶ常連さん達。もう出来上がり始めている人も多そうだ。


「今日は集まってくれてありがとーっ!」

「おおおおお!」

「これから! 故郷に帰るケトに、行ってらっしゃいパーティーを開催します!」

「お母さん見つかるといいなあ!」

「また遊びに来いよお!」


 口々に騒ぐ冒険者たちを見てびっくりしているケトに、マーサがホットミルクの入ったカップを渡した。エルシアもエールを受け取ると、天井に向けてぐっと突き出した。


「皆さん準備はいいかな!? それでは、乾杯!」

「かんぱーい!!」


 あちこちで木のジョッキがぶつかる鈍い音が響き、宴が始まった。

 ぼんやりとエルシアの演説を聞いていたケトは、どうやら途中で主役が自分だということに気付いたようだ。目を丸くして、エルシアの声を聞いていた。


「ケトちゃん、明日には帰っちゃうでしょ?だから、最後にみんなでお見送りのパーティをしようって集まったの。ちなみに言い出しっぺはエルシアよ」


 ミーシャが人込みの中から抜け出して来て、ケトに説明してやっていた。ケトが常連さんたちを見渡せば、彼らも応えるように杯を掲げる。オドネルもナッシュも、年も考えずニコニコ顔だ。

 驚きからようやく立ち直ってきたケトに向かい合って、エルシアは笑った。


「そういうこと。短い間だったけれど、ケトは色んな思い出をくれたからね。そのお礼よ。マーサさんにご馳走(ちそう)も用意してもらったから、いっぱい食べてね」


 腰をかがめて少女と視線を合わせる。ぱちくり瞬くシルバーの瞳を見つめながら、自分のジョッキを、ケトのカップにこつんとぶつける。

 看板娘が「乾杯」と笑えば、しばし戸惑った後で「かんぱい」という言葉と、笑顔が帰ってきた。


―――


 何かにつけては飲みたがる連中だ。切っ掛けさえあればなんでも宴会にしてしまう。

 ケトもはじめの方こそどうしていいか分からないようだったが、少し時間がたった今では、鳥の香草焼きを片手に冒険者たちと力比べをしてはしゃいでいた。その方法が腕相撲というのが何とも微笑ましい。

 自分の体の倍ほどもある冒険者相手にも、少女が表情を変えることはない。ケトが勝つたびに「おお!」とか「すげえ!」という叫びで部屋の中が埋め尽くされていた。

 

 力を隠さず役立てる、というエルシアの考えは、予想以上に上手くいっているようだった。

 災害から立ち直ろうとしている町なのだ。力が必要な場面は山ほどあるから、ケトはあちこち引っ張りだこだ。ケトもケトで、行く先々でマイペースにお手伝いをこなすから、町の人から取り立てて警戒されることもなく、少しずつ馴染んでいく。


 ケトの片手にオドネルが両手で噛り付いているが、全く歯が立っていなかった。何て大人げない連中だろう。もうアームレスリングのルールも何もあったものではない。


「シア? 現実逃避しても、今日こそは逃がさないよお?」


 慈愛に満ちた表情で少女を見つめる看板娘を、幼馴染の娘がニヤニヤ笑いながら問い詰めていた。


「……もういいでしょ、ミィ」

「いーや、良くない! それで? ガルドスとはどうなの?」


 彼女のジョッキの中身は大分減っている。何杯飲んだか分からないが、かなりいい気分のように見えるミーシャに、エルシアはのらりくらりと言葉を返す。


「どうもこうも、何もないって」

「ホントぉ?」

「あんな男、こっちからお断りよ。私の好みはもっとお上品な人なの。立派な白馬に乗った王子様じゃないと(なび)いてあげないわ」

「王子様ぁ? うっそだあ! 絶対シアの趣味じゃないって!」


 酔っぱらったミーシャが、だる絡みしてくるのもいつものこと。エールをちびりと飲み下したエルシアに、追撃がくる。


「明日から三人で旅するんでしょ? いいじゃない仕掛けるチャンスよ!」

「いや仕掛けないって」

「幼子の寝静まった深夜。満点の星の下で、見慣れていたはずの幼馴染の瞳が、いつもと違う色気を携えていることに気付いて。思わず高鳴った胸の鼓動を鎮めようと俯けば、耳元で囁く彼の声がってキャ――――!!!」

「痛い痛い。背中叩くな」


 バンバン背中を叩くミーシャの腕をつかんでエルシアは口をもにょもにょと動かした。

 満点の夜空の下? ケトが寝ていて、ガルドスと二人っきり? 本当にやめてほしい。うっかり本音が漏れてしまったらどうするのか。


 グイッとエールを飲み干して、騒ぐミーシャを置き去りにして厨房へ向かう。

 明日は朝が早い。余裕を見て飲んでいるから、足元だってしっかりしている。こちらをチラチラ見ていたガルドスとミドが、慌てて視線を逸らすのが見えた。耳まで赤くなって、バレバレだっての。


「マーサさん、今日はありがと。手伝うわ」


 エルシアが声を掛けると、大皿に料理を盛り付けていたマーサが顔を上げて、にっこりと笑った。


「いいんだよ。最近みんな重苦しかったから、丁度いい気晴らしになるさ。あんたも、手伝いなんていいから今日は騒ぐといいよ」

「色々お願いしちゃってごめんなさい。明日からの受付業務もそうだし」

「エルシアが何か頼みごとをするなんて、珍しいじゃないか。たまには羽を伸ばしてきなさいな」


 フロアを見やれば、馴染みの顔が肩を組んで歌っているところだった。歌詞も音程も滅茶苦茶な、皆が知っている定番曲。ケトはどこかと探せば、フロアの真ん中でチーズの塊にかぶりついていた。なぜかミドが隣にいて、ナイフとフォークを使ってお上品に切り分けたチーズを口に含んでいる。


「あの子がいなくなると、きっとギルドも静かになるねえ」


 マーサが少女を見つめて言う。

 その言葉と、酒の力にあてられて、エルシアの口からもポツリと言葉が零れ落ちた。


「……寂しくなるわ」


 マーサは思わず本音をこぼした看板娘の横顔を見やった。優し気な、それでいて少し寂し気なその視線が、少女から離れることはない。


 二人の視線の先で、千鳥足(ちどりあし)になったミーシャが「寂しいよおケトちゃあん!」と後ろから少女に抱きついているのが見えた。驚いたケトが、一心不乱に噛り付いていたチーズを取り落とすのが、看板娘からよく見えた。

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