繕いものは真夜中に その5
昼食を挟んで、再びケトとガルドスを送り出す。
今度は壊された倉庫の片付けだ。北門の外は魔物に踏み荒らされ、畑も家も壊滅状態。最も人手を必要としている地域である。
冒険者ギルドには、相変わらずひっきりなしに客が来る。
時刻は昼過ぎ。普段であれば閑古鳥が鳴いている時間だが、人が途切れない。
エルシアは、目の前の行商人に曖昧に頷いていた。
「確かに矢は相当使いましたが……」
「そうでしょう。冒険者の方々も衛兵の方々も、この町の勇士は大活躍だと聞いておりますから」
「……矢を破格で、という申し出はありがたいのですが、いかんせんこの状況ですから。財政状態が落ち着くまで、迂闊にものは買えないんです」
「もちろん事情は分かります! ですから、今すぐにとは申しません。我々モントシーノ商会はしばらくこの町に滞在しておりますので、ご入用になった際にはぜひこちらまで……」
スタンピードからまだたった二日しか経っていないのに、町に商人が大分増えてきたように思う。彼らは冒険者ギルドにも売り込んでくるから、受付の仕事も増える一方だ。
この忙しい時に、と思わない訳ではないが、その一方でほっとする自分がいて、エルシアは苦笑する。
この短時間でここまで活気が戻ってくるのなら、この町はまだやっていけるだろう。もし商人すら寄り付かなれくなれば、きっとブランカはおしまいだ。
「お待たせしました。お待ちの方どうぞ」
丁寧に頭を下げていった商人を見送ってから、エルシアは次のお客さんに声を掛けた。大分待たせてしまって、少し申し訳ない。マーサを下から呼んで来て、手伝ってもらった方が良いかもしれない。
そこまで考えながら頭を上げたエルシアは、客の姿を見て、一瞬凍り付いた。すぐに立ち直って、何事もなかったかのように声をかける。
「いらっしゃいませ。冒険者ギルドにようこそ」
客は二人組。若い男と初老の男がそろって温厚そうな表情を向けている。
何より特徴的なのはその服装で、ブランカではあまり見かけることのない白いローブを、揃って身に着けていた。
「お忙しいところ、かたじけない。私は龍神聖教会に所属する者で、ジューネイと申します。隣にいるのはラドーレ。お時間を少々お借りしたいのですが、よろしいでしょうか」
ジューネイと名乗った若者は、畏まった態度で微笑んでいた。
「これは、どうもご丁寧に。立ち話で恐縮ですが、私でよろしければ」
少し丁寧な話し方を心がけながら、エルシアも微笑み返した。相手に合わせる、受付の基本だ。
「ありがとうございます。実は我々、支援の申し出に参ったのです」
「支援……ですか?」
思いもよらない言葉に首をかしげると、若者が続けた。
「はい。この町は数日前、魔物の群れに襲われたと聞いております。特に町の北の方は被害も大きなご様子。復旧には時間も人手もかかる、厳しい状況だと思いまして」
初老の男が話を引き継ぐ。
「実は我々、各地を巡礼している最中に、その話を耳にしまして。何かお手伝いできることがないかと、ギルドにお伺いした次第なのです」
「……それは、大変ありがたいお話です。ですが……」
エルシアは考える。言葉を選ばないと角が立ってしまいそうだ。こちらが怪しんでいるのが伝わったのだろう。ジューネイが言葉を被せた。
「ああ、もちろん見返りがどうこうなどと言う話をするつもりはありません。こういった災害の後、財政が厳しくなるのは百も承知です。我々はただ、お役に立てれば満足なのです」
なるほど、そう来たかと、エルシアは内心唸った。
本来であればこれ以上ないほどの条件、飛びつかないわけがない。本当に目的がそれだけならば、の話だが。
そこまでしてくれる理由を聞こうかとも思ったが、少しだけ考えて止めた。どうせ、”神の思し召し”なんて答えが返って来るのは目に見えている。教会を名乗っているなら、宗教的な理由を出されればこちらも深追いはできない。
「すみません。大変勿体ないお話ではあるのですが……」
エルシアがそう言うと、教会から来たと言う二人組は呆気にとられたようにエルシアを見た。
「確かに、今は忙しくはあります。ですが、ブランカは今、人手は足りているのです」
「……足りているのですか?」
ジューネイが怪訝そうなそぶりを見せる。
それはそうだろう。事情は知らなければ、人手が足りているなんて冗談だと思われても仕方ない。
「実はスタンピードの際、隣町から援軍を呼んだんです。残念ながら援軍の到着は襲撃が終わった後でしたが。その彼らが今、町の復興を手伝ってくれています」
苦笑を見せつつ、そこでエルシアは声を潜める。
「それに、お恥ずかしい話ではあるのですが、今回の迎撃に参加してくれた冒険者たちに、ギルドはまだ十分な対価を支払えていない現状もあります。あまり大きな声で言えた話ではありませんが、ギルドとしても、彼らに優先的に仕事を回してあげる必要があると判断しています。下手をすれば、当面の生活にすら困窮する者も出て来てしまうでしょうから」
説明していると、白いローブを着込んだ男たちが何とも言えない表情で黙り込んだ。一応、エルシアの説明も筋は通っているはずだ。
「そういった理由から、ギルドは人手に困っている状況ではないのです。ご厚意をお断りするのは大変心苦しいのですが、借りをつくるのは最低限にしなくては、後々私たち自身の首が回らなくなってしまうかもしれませんし……」
「借りなどと、そのような……」
「ああ、すみません! その、なんと言うか、私たちが気にするというだけの話です。失礼な事を申してはいるのですが」
ちょっと苦しい言い訳だろうか。しかし、教会の使者は頷いてくれた。
「……そうですか。お手伝いできないのは残念ですが、この町がそれだけ強い町だということなのでしょう。むしろ我々にとっても喜ばしいことです」
言葉が出ない様子の若手の代わりに、初老の男が答えた。ここらが引き時だと判断したのだろう。
ギルドから出ようとする二人を見送りながら、最後にエルシアは、申し訳なさそうな微笑みを作った。
「あの、お心遣い自体はとっても嬉しかったです。ご期待に沿えなくてごめんなさい」
やっと立ち直ったジューネイが、少しだけぎこちなく会釈した。耳が赤くなっているのは気のせいだろうか。
「い、いえ! こちらこそ。あなた方に神のご加護がありますように」
「ええ。貴方がたにも、幸運のあらんことを」
ベルの音を立てて閉まったドアを見つめて、エルシアは小さくため息を吐いた。とりあえずは不快に思わせず帰ってもらえただろうか。
見ず知らずの相手が言う”無償で”と言う言葉を、エルシアは鵜呑みにするつもりはない。人となりも分からず力を借りた場合、その場で対価を要求されなくても、後で何を求められるか分かったものではないのだから。
ましてや相手は龍神聖教会。残念ながら、その言葉を一から十まで信じるつもりはこれっぽっちもなかった。
「エルシアちゃん、ちょっといいかい?」
カウンターの前で、冒険者が受付の順番を待っていた。いけない、かなり長いこと待たせてしまったようだ。
首からぶら下げたお守りを服の上から一度だけぎゅっと握ってから、看板娘は「はい、ただいま!」と答えた。
―――
「ケト、疲れていない?」
「だいじょうぶ」
黄昏色の空の元、ケトと並んで歩く帰り道で、エルシアは夕食のことを考える。
よく考えたら家にはほとんど食べ物がない。何を作るにしても、食材がなければ始まらない。
「ケト、ちょっと寄り道してもいい?」
「うん? どこに?」
「お夕飯の買い出し。市場に寄って行きましょ」
いつもは直進する角を右に曲がる。少し歩けば市場があるのだ。今からでもギリギリ店じまいには間に合うはずだった。
「ケトは何が食べたい?」
思い立って聞いてみる。今日の少女は大活躍だったし、はじめて彼女に作ってあげる夕食だ。出来ることなら好きなものを食べさせてあげたい。
「うーん……。スープ」
「スープ?」
「えっとね、ときどきママがつくってくれてたやつでね、おまめをつぶしてつくるの」
豆を潰してつくるスープ。少しして思い当たった。
「あー、ポタージュのことかしらね。分かった、今日の晩御飯はポタージュにしよう」
「いいの……?」
「いいもなにも。任せなさいって!」
ベーコンはまだ残っているからいいとして、レンズマメや牛乳、玉葱は必須だ。チーズも残り少ないから買い足しておこう。エルシアはにっこり笑って市場に向かった。
―――
面倒を見ると大見得を切ったとはいえ、エルシアはまだケトのことを良く知らない。ふと考えれば、ケトとゆっくり話ができるのは、彼女がエルシアの元に来てからはじめてかもしれない。
鍋の中のレンズマメを大匙で潰す。この作業をさぼると、ポタージュが滑らかな食感にはならないのだ。時間がかかる作業の合間に、看板娘は少女に、色々なことを聞いた。
はじめの方こそ、中々答えない少女にやきもきしていたエルシアだったが、彼女がとてもマイペースなのだと気付いてから、ゆっくりと返答を待つようにした。
ケトはのんびり屋なだけで、答えたくない訳ではないらしいということが分かったのは、エルシアにとっても大きな収穫だった。
「へえ、じゃあケトの家では蚕を飼っていたんだ?」
「うん。やねうらべやにいっぱいいたの」
どうやら、少女の実家は養蚕を営んでいたらしい。
家には糸車もあったそうだ。町の北側に養蚕家はいなかったはずだから、これでケトは町の外から来たことがはっきりした。周りには木がいっぱいあったと言うところを見ると、もしかしたら北の山脈のどこかかもしれない。
それから、彼女はどうやら一人っ子だったらしいことも分かった。彼女の話から連想できる家庭はとても暖かいもので、エルシアはどう返していいか分からなくなる。
「ねえ、エルシアのママとパパはどこにいるの?」
しばらく無言でいると、ケトがふとそんなことを聞いてきた。自分の家庭の話をしていたからか、どうやらエルシアの家族もことも気になったらしい。
「え? ああ、そうねえ……。私の親はいないのよ、両方」
「いないの? なんで?」
ただただ不思議そうなシルバーの瞳に、思わず苦笑する。この話をすると微妙な空気になることが多いのだが、ケトは純粋に気になったようだった。聞かれる側としては、変に気を使われるよりも、すっぱり聞いてもらえる方がずっと良い。
「えっとね、私は昔、孤児院で暮らしていたのよ。五歳の時に、親に捨てられちゃってね。それ以降、家族は誰もいないわ」
「ふうん」と答えた少女は、それっきり口を噤んだ。
別におかしな雰囲気ではなかったが、珍しくエルシアにはケトの感情が想像できなかった。一体何を考えているのだろうか。
削ったチーズと塩をひとつまみ。もう一煮立ちさせて、ポタージュが完成した。木の皿に大匙でよそうエルシアの後ろで、ポツリと少女が呟いた。
「……いつか、わたしも、こじいんにいくのかな」
それは、消え入るような小さな声。
だが、エルシアの耳にはバッチリ届いた。その声に含まれる切なさに、思わず匙を動かす手が止まる。
頭を殴られたような気分だった。振り向けば、少女は椅子に腰かけたまま、俯いて小さくなっている。
ようやくそこで、エルシアは少女の不安に気付いたのだ。
ケトだってたった九歳の女の子。親元を離れて寂しくない訳がない。不安にならない訳がないのだ。
当たり前の話なのに、そんな単純なことをエルシアは失念していた。
異能の力を使えるから。人の理から外れた魔法が使えるから。ケトは、普通の子供とはどこか違うはずなのでは、という先入観。結局自分もどこかで、彼女を上辺だけで判断していたということなのかもしれない。
これでは、彼女の力に怯える人間と何ら変わりない。何が面倒を見るだ。これでは少女に、住む場所と、食べ物を与えているだけではないか。
本当なら、腕を伸ばして、抱きしめてあげたかった。なのに、自分にはそれができない。エルシアはそれを痛感する。
今ここに、ケトが求める温もりはない。赤の他人の温もりでは今の少女を癒せないことを、エルシアは確信している。かつての自分がそうだったのだから。
だからエルシアは、抱きしめる代わりに、少女の前にポタージュの皿を置いた。小さな手に匙を握らせ、囁くように促す。
「ご飯遅くなってごめんね。どうぞ」
「え……。あ、うん」
しばらくエルシアを見上げていたケトは、やがて皿から一匙すくって、口に運んだ。
「……」
その様子を見ながら、エルシアは自覚する。
自分は最低だ。少女が持つ希望を裏切ってしまうことを予感しているのに、何一つ埋め合わせをしてあげられない。
「おいしい……」
「そう、良かったわ」
ベーコンは大振りに切って、隠し味にチーズまで入れたのだ。おいしくない訳がない。
それでも、きっとケトが求めているのは、別の味なのだろう。
「……ママのスープとは、ちがうね」
「そうね……」
思わず小さく漏れ出てしまった少女の言葉に、エルシアは静かに囁き返す。自分は座らず、少女の後ろに回り込む。抱きしめることはできなくても、こうすることくらいは、許してくれるだろうか。
「……ねえ、ケト。私が絶対、貴女のママとパパを探し出してあげるからね」
「でも……」
ケトの頭に手を伸ばした。
ゆっくりと、柔らかい髪の感触を確かめるように撫でる。少女の言いたいことは痛いほど分かっている。その切なさは、過去の自分が感じたものと同じもののはずだ。だから、エルシアはそこにも触れてみる。
「もしも。もしもよ? それでも、どうしても見つからなかったら……」
ケトの肩がピクリと跳ねた。小さな口から震える吐息が漏れる。
「みつからなかったら、どうしよう……」
彼女と初めて会ってから、一か月と少し。親が迎えに来られるなら、もっと早く姿を見せたっていいはずだ。きっとケト自身、そう思っているのだろう。
「その時は、私の妹になりなさい」
「いもうと……?」
「私もずっと家族が欲しかったから。もし一人になってしまったら、私の家族になって欲しいなって、そう思うの」
ケトは泣かなかった。
強い子だ、とエルシアは思う。自分が幼い頃は泣いてばかりだったのに、この子の涙はまだ見たことがない。
いつかこの子が泣くのだとしたら、それは再会の嬉し涙であって欲しい。
そう思いながら頭を撫で続けていると、匙をギュッと握りしめていたケトから「うん」という小さな返事が聞こえた。




