看板娘は少女と共に その5
長い廊下を走り抜けて、城の正面玄関へ。
随分前から”玉座の間”での戦闘が止んでいることに、気付いてはいたのだろう。
正面玄関を包囲する騎士たちは、誰もが戸惑った様子で、しかし退くわけにもいかず、ブランカの冒険者と睨み合いを続けていた。
そんな彼らの目の前。正面玄関のど真ん中に。
上から影が降りて来て、その場の全員が二人に視線を向けた瞬間。
冒険者が、一斉に湧いた。
彼らが飛び出す先には。
泥だらけで、あちこちに傷を負って、着ている服はボロボロで。それでも、その顔に満面の笑みを浮かべる姉妹が、空からゆっくりと舞い降りる姿があったのだ。
突然お祭り騒ぎを始めた冒険者に、呆気にとられる騎士。姉妹はその中を堂々と進み、冒険者の先頭に降り立って。
「みんな!」
その一挙手一投足に注目しながら、冒険者たちは次の言葉を待つ。にっこり笑って、看板娘は言い放った。
「私、負けたわ!」
次の瞬間、冒険者たちが鬨の声を上げた。
唖然とする騎士には目もくれず、エルシアとケトは人の波に包まれる。
一斉に駆け寄った馴染みの顔。彼らにもみくちゃにされる二人からは、幸せそうな笑顔が途切れることはなく、ただひたすらに喜びの声をあげ続ける。
「こんのちんちくりん! 本当に心配かけさせやがって!」
「ガルっ!」
「シアならやってくれるって信じてた! ホントに良かったあ……!」
「ミィも!」
「よく頑張った、ケトちゃん!」
「辛かったのう、力になってやれずすまなかった」
「おいマスター! なにしんみりしてんだ!」
「だから言ったろ。なんたって二人はうちの看板娘なんだぜ!?」
「ハラハラさせやがって、二人とも!」
「おいおい、ちゃんと土産話は聞かせてもらうからな!」
わあわあ騒ぐ冒険者。周囲を笑顔に囲まれたその中心で。
ケトはエルシアに向き直る。
小さな手をそっと伸ばして、細い手に絡めて。
ずっと言いたかった言葉を口にした。
「おかえり、シアおねえちゃん!」
少女の笑顔に。
町のギルドの看板娘は、それはそれは幸せそうに答えたのであった。
「ただいまっ!」
―――
帰り道は、とても賑やかだった。
唖然とする騎士達に「追放されるから道を通せ」と言う訳の分からない論理で凄み、倒れたままの門を踏み越え、エレオノーラやアルフレッドや”影法師”が用意してくれていた、簡素ながら頑丈な荷車や馬車に荷物と怪我人を詰め込み、やんややんや騒ぎながら街道を歩くのである。
道中で、エルシアはてんてこ舞いだった。
王都での事の顛末を片っ端から話して、周囲の度肝を抜いたり。
”傾国”の名を利用して独裁者から国を解放しつつ、どさくさに紛れて王都から逃げ帰る作戦を何度も何度も説明したり。
片時も離れようとしないケトから、町を出た後の大冒険を聞いて、真っ青な顔をしたり。
ガルドスに抱き着いて大泣きしたり、ミーシャにその姿をからかわれたり。
馬車で三日の距離。乗り切らない人たちが交互に歩けば、倍以上はかかる道のり。
二人の周囲はもう、すっかり春だった。
「ねえ、シアおねえちゃん」
「なあに、ケト?」
エルシアは、いつだってケトと手を繋いで歩く。
二人の服のポケットからはカンパニュラの蕾が覗いていた。いずれもケトが「綺麗なお花見つけたっ!」と喜び勇んで渡してくれたものだ。
「今日が何の日か、覚えてる?」
「えっ? 今日?」
突然の問いかけにぱちくりと目を瞬かせると、ケトは不機嫌そうにぷくっと頬を膨らませた。
「おいおいシア。マジかよ」
「あっちゃー、これは覚えていない反応ですなあ」
「えっ? えっ?」
隣を歩くガルドスやミーシャにまで茶化され、エルシアはキョロキョロと辺りを見渡す。記念日の類には意外と敏感なエルシアだが、こればっかりはさっぱり思い当たる節がない。
呆れたにやけ顔に囲まれることしばし。ケトが笑って答えを教えてくれた。
「あのね。去年の今日、わたしは初めてシアおねえちゃんとお話したんだよ!」
「……!」
エルシアは、目を真ん丸に見開いた。
口をパクパクさせ、言葉を探し。やがてこぼれたのは笑い声。
「そっかあ……!」
「むう、シアおねえちゃん忘れてたでしょ」
「い、いや、それはその……」
笑顔で抱き着いたケトに、困ったように微笑みを返しながら、エルシアは少女の頭を何度も撫でた。
「一年、経ったんだね……」
「うん。お顔を拭いてくれて、丸パンにチーズを挟んでくれて、ギルドカードを作ってくれた日!」
少女は看板娘にグリグリと頭をこすりつけ、看板娘はそんな少女を抱き寄せて。
「ね? わたしを拾ってくれて、ほんとにありがとう。シアおねえちゃん」
「私こそ。拾われてくれて、ありがとうね。ケト」
看板娘と少女は、周囲から暖かい視線を浴びながら。
互いのぬくもりを分け合った。
「……背、随分伸びたんだね。ケト」
「ほんと? やったあ!」
ガルドスが、ふと何かに気付いたように大きな声を上げたのは、ちょうどその時だった。
「見えたぞ!」
彼らの向かう先に。
見慣れた壁が姿を現す。回廊の上から覗く三つの小さな頭は、ケトの大事な友達のものに違いない。傍でひょこひょこ動く小さな姿は、ギルドで飼っている白猫のものだろうか。
彼らは揃って身を乗り出して、こちらを指さして、何かを叫んでいる。
「ブランカだ……!」
「シアおねえちゃん!」
「行こう、ケト!」
二人、栗色の瞳と銀の瞳を見合わせて、亜麻色の髪と銀の髪を靡かせて。
看板娘は少女と共に、見守ってくれる人たちと共に。
町に向かって、駆け出した。




