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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
終章 少女は看板娘を拾う
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看板娘は少女と共に その4

 エルシアは、目の前に佇む腹違いの姉を見つめる。


 自分よりもほんの少しだけ色の濃い亜麻色の髪。緩やかに巻いて誤魔化しているけれど、きっと自分と同じように癖っ毛に悩まされているんだろうなあ、と考えれば何だかくすぐったい。


 艶やかな紅で彩られた口から語られるのは、第二王女が為した蛮行。


 曰く、宣戦布告により国を混乱に陥れた。

 曰く、冒険者を利用し戦闘に介入した。

 曰く、数多の騎士や教徒を傷つけ、無用な犠牲を出した。


 出るわ出るわ。悪逆非道、”傾国”の罪。

 それは全て、血も涙もない、自らの欲望にのみ忠実な、第二王女の罪だ。



――うん、やっぱり私は”傾国”だ。



 あることないことまくし立てられるその全て、羅列される一つ一つを噛みしめながら。


 しかしエルシアは姉の目を見る。少女のように心は読めなくても、その瞳を見れば、エルシアにだって分かるのだから。


 これが、家族からの贈り物だってことが。



――(わたくし)には、これくらいしかできないけれど。



 瞳でそんなことを、姉が言う。

 眉を下げて、へにゃりと笑いながら、エルシアは答える。



――ありがとう。迷惑を掛けて、ごめんなさい。



 これもすべて、エルシアが望んだ筋書き。


 ”傾国”に、国を治める器などありはしない。

 そんなことはじめから分かり切っていた。仮にエルシアが王女を続けたとしても、その発言は全て”傾国”のものだ。その口から発せられる思想も言動も、政治の世界ではいかようにも歪められ、利用されることなんて分かりきっている。


 だからこそ、”傾国”は去り、この国をもっとふさわしい人たちに明け渡すための儀式が必要なのだ。


 エレオノーラの隣に歩み出て、今度はアルフレッドが口を開く。


 曰く、”影法師(シルエット)”を私的運用し、王城への潜入手はずを整えた。

 謹慎中の隙をつかれたアイゼンベルグ家は対応を取ることができず、結果ここまで被害が拡大したと。


 やっぱり二人はお似合いだ。その間に家同士が決めた許嫁以上の絆があるということ、もうエルシアにだってちゃんと分かるのだ。


 自分と同じ、栗色の瞳が問いかける。



――本当に、いいのか。



 ”傾国”はこれから、この国にそのものにとっての忌み子となる。

 誰もがその考えなしな悪行に嫌悪するだろう。一時は国すら滅ぼしかけたその愚行に恐怖するはずだ。

 それこそ、親が子に叱る文句にもなるのではなかろうか。「そんな悪い子は、”傾国”に連れて行かれちゃうよ」なんて。


 アルフレッドはそれを憂いている。

 国を傾けた数多の人間の罪。決してエルシアだけのせいではないそれを、たった一人で濡れ衣を被って、断罪される非情を悲しんでいる。


 だからエルシアは、彼と同じ栗色の瞳で答えるのだ。



――ええ。私が選んだ道だもの。



 そこにはもう、迷いなど欠片もない。


 私は”傾国”。在るだけで国を傾ける王族の娘。それは受け入れなくてはいけない事実。


 ならば私は、自分を忌み嫌う国など見向きもしてやらないのだ。

 私はそんなに暇じゃない。大切な人たちと、自分の人生を歩むのに忙しいの。


 周囲の視線を一身に浴び続ける”傾国”。彼女の前には、いつしか年老いた男が立っていた。


「あら、お爺様」

「エルシア……」


 エルシアは苦笑する。

 まったく、かつての国の主ともあろう者が、何という顔をしているのか。これでは皆にバレてしまうではないか。


 なんだかもう、エルシアはニコニコしてしまう。

 もちろん顔に浮かべる笑みだって、今ばかりは取り繕う必要なんかない。きっと後世で、自分はこう伝えられるはずだから。


 かの悪名高い”傾国”は、自らを断罪されながら、それでも嘲笑を浮かべ、国を呪っていたと。


「ここまでの蛮行は前代未聞である。儂には到底看過できぬ」

「お爺様までそんなことを言うのね。私、悲しいわ」



――ごめんなさい、お爺様。私は酷い不孝者です。けれども貴方たちにお願いした、このどこかおかしな断罪こそが、私の願いなのです。



「その罪、償ってもわわねばならん」

「あらまあ怖い。私をどうするつもり?」

「……」


 上っ面の返事を心掛ける第二王女。

 ゆっくりと、ゆっくりと、祖父が息を吸い。

 孫娘へと、そして国へと、堂々と宣言した。


「今この時を以って、第二王女エルシア・アリアスティーネ・エスト・カーライルに対し、王族及び宰相家としての全ての権限の剥奪を宣告する。今後、カーライル、アイゼンベルグ両家との接触を一切禁ずるものとする。この者を我が国の貴族と見なすことはなく、またこの者のいかなる行動、発言も、我が一族に一切の関係を持たぬものとする」


 静まり返った広間。ただ、先王の言葉だけが反響する。


「そして同時に、エルシアの王都追放を宣告する。王印を国へと返却し、即刻王都から立ち去れ」



――許せ。エルシア。

――謝らないで、お爺様。私があの場所に帰る、たった一つの方法なの。



 抑えきれない感情を目に乗せて、祖父と孫娘が声にならない会話を交わす。


 短い時間しか、お話できなかった。

 本当は、もっともっとたくさんのことを、お話したかったのだけれど。


 その想いを堪えて、エルシアは手を首元へ向かわせた。


 ぎゅっと掴む、黄金の指輪。

 こうして握れば励まされる、母がくれた大切なお守り。


 エルシアは、幼いころからいつだって共にあったそれを、ゆっくりと首から外した。


―――


 ケトは息を詰めて、エルシアの姿を見つめていた。


 たった一人に突き付けられる、断罪の嵐。

 彼女とは関係のない罪まで、滅茶苦茶な責任を押し付けられている姉。


 だと言うのに。


 こんなにも、みんなが暖かいなんて。その場に広がっていく、まるで冬の暖炉のようなぬくもりに、雪解けの春のようなぬくもりに。ケトの胸は、ほんわりと熱を持ってしまう。


 エルシアのお姉ちゃんも、エルシアの従兄も。そしてエルシアのおじいちゃんも。そのとなりにいるエルシアの侍女さんも、勝気な瞳でエルシアを見つめる貴族のお姉さんも。


 誰もが彼女を惜しんでいる。

 この状況を作り出した立役者を。戦争を一日で終結させ、激化する争いに一筋の道をつけた恩人を。


 そして何よりも。

 戦いが終わった後も、ひたすらに国の敵として立ちはだかり続けようとする王女を。自らが表舞台から消えた後も影響を及ぼし続ける、世界中で彼女にしかできない役目を果たし続ける娘を。


 本当は、どこまでも心優しいエルシアを。


 エルシアが、王印に持つ手に視線を落とした。

 看板娘にとっての宝物。お母さんの形見。いざという時に守ってくれる、大事な大事なお守り。


 それを遂に、エルシアは使おうとしていた。


 胸の内をさらけ出した彼女から、打ち付けられるのは大きな感情のうねり。

 まるで波のように伝わる名残惜しさ。思わず涙ぐんでしまうような、感謝と切なさ。


 彼女の瞳に一粒だけ浮かんだ涙は、果たして誰に向けたものか。


 エルシアはそれをゆっくりと持ち上げて。

 大切な宝物に、親愛のキスを落とした。


 震える唇が小さく動き、声を出さずに言葉を形作る。


「行ってきます。かあさま」


 ゆっくりと指輪を口元から離して。エルシアは王印を、祖父だった人に手渡した。


「……確かに受け取った」


 先王キャラベルが深く息を吐く。


「皆の者。これを以って、第二王女の全ての名と権限を剥奪。以後この者は当家と完全なる他人となる。……それがお前への罰だ」

「……」

「お前は今から、ただの”エルシア”だ」


 ひたすらに黙り込んでいたエルシアが、大きく大きく息を吸った。



――あーあ、つまんないのっ!



 その栗色の瞳は希望に満ち満ちて。花咲くような笑顔を浮かべて。

 エルシアは、ひたすらに滅茶苦茶な憎まれ口を叩く。


「何よ、せっかく王の座をいただいてやろうと思ったのに! こんな小難しい話されたんじゃたまらないじゃない!」


 彼女は最後まで演じる。在るだけで国を傾ける、”傾国の娘”を。

 全ては再び、ひねくれ者の看板娘として生きるために。


「ねえちょっと! お姫様ってもっとちやほやされるんじゃないの? よってたかってこんなこと言われるくらいなら、王女なんかこっちから願い下げだわ!」


 その目から舞い散る光の粒は、きっと感情が滴になったもの。彼女の抑えきれない想いがキラキラと舞って、差し込む陽の光に反射する。


「王都追放? 望むところよ!」


 この国の中心で、ただの”エルシア”が産声を上げる。


「いい、よく聞きなさい!? 私は貴方たちが羨ましがって仕方ないくらい幸せになってやるわ! その時になって謝っても許してあげないんだから!」


 もういっそ、清々しいくらいの捨て台詞。

 彼女は腹の底から大声で叫んで、くるりと振り向き。


「私、こんな国大っ嫌いなんだからね!」


 満面の笑みで、看板娘は最後にそう言った。


―――


「ほら、行ってこい」

「コンラッドさん……」


 この国の中心で、今まさに暴虐の限りを尽くすエルシアの姿。


 それを見つめていたケトの背中を、先程まで剣を突きつけていた”影法師(シルエット)”がこっそりと押してくれた。


「……久しぶりに、人間捨てたもんじゃないって、そう思えたよ」

「……?」


 どういうこと? と首をかしげて見上げた少女に、隠密はフードの下の笑顔を覗かせてくれた。


「おっと、まだ難しかったか。……大丈夫、ケト嬢にもいつかきっと、分かる日が来るさ」


 一歩、二歩。微笑む”影法師(シルエット)”に見送られて、ケトは足を踏み出す。


 小さな歩幅が少しずつ大きくなって、いつしかケトは走り出していた。瓦礫の山をよじ登り、貴公子と先王の脇を通り、微笑む令嬢と侍女の傍をすり抜けて、彼女の元へ。


 大好きな姉へ。自慢の看板娘へ。


「シアおねえちゃんっ!」

「さあ、行くわよ、ケトっ!」


 大きな声で呼びかけて、華やかな笑顔に呼ばれて。

 エルシアが手を伸ばす。ケトが手を伸ばす。


 互いに手を取りあって、二人は広間を駆け出す。

 二人の行く手にいた人たちが、ゆっくりと分かれて道を作る。その間を、エルシアとケトは真っ直ぐに進む。


 姉が。従兄が。祖父が。

 彼女の力になってくれたコンラッドが。互いに意見をぶつけ合ったロザリーヌが。ずっと傍にいてくれたヴァリーが。


 皆が優しく見守る道を、一心不乱に駆け抜けて。


 町のギルドの看板娘は、少女の手を引いて、外へと飛び出して行った。

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