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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
終章 少女は看板娘を拾う
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看板娘は少女と共に その3

 剣の音、魔法の音。壁が崩れ、撃ち抜かれた者の悲鳴が響き渡る大広間。

 この国の中心である”玉座の間”で。


 名の由来である玉座の目の前。そこだけが、しんとした静けさに包まれていた。


 一人の少女によって阻まれていた”近衛”。数と連携で押し切り、もう少しで逆賊の元までたどり着こうとしていた男たちが、一斉に動きを止めていた。


 彼らに取り囲まれていたケトは、掴まれていた腕をやんわりと振りほどく。鋼鉄の鎧に包まれた男は、水を吸い尽くされかけたせいか、力を込めることもなく手を離した。


 一歩、二歩。ケトは男たちから離れて、そこでようやく振り返る。


 彼らが揃って視線を向ける先で。

 王女の剣が、王の首元に突き付けられていた。


「武器を、捨てなさい」


 王女エルシアが、凛とした声で王へ告げた。


―――


 エルシアの勧告に帰って来たのは嘲笑であった。


「はっ」


 口元を歪めたヴィガードが、魔導銃から手を離す。金属と木の塊が転がる音が、大広間によく響いた。


「私を殺すか、エルシア」

「……」

「それも良かろう。だがな、これだけは言っておこうじゃないか」


 肩を上下させながら自分の目を見据えるエルシアに、ヴィガードは続ける。


「例え貴様が牛耳ったところで、この国は終わりだ。”傾国”」

「……」

「私を追い落とし、次に貴様は何をするつもりだ。諸家の反発、教会の存在、国内の混乱。これだけ状況を複雑にして、貴様に一体何ができる」

「……」

「何も為せぬよ、何もな!」


 エルシアは剣を一切動かさない。ただ静かに、王の言葉を聞くだけだ。

 そんな王女を見下ろしながら、ヴィガードは嗤う。口元を吊り上げながら自らを追い落としつつある王女を呪う。


「……貴様が思う程、王は楽ではないぞ。”傾国”の貴様が頭になったところで、夢物語が実現するわけがない。……今日の日を迎えるまでに、私がどれほどの力を注いできたと思っている」


 それこそ、事実なのだろう。

 彼は彼の信条にそって、ひたすら愚直に進んだだけ。少女一人に惑わされたエルシアには、決して到達できない場所にいる。


「少しでも、国を前に進ませるため。二十年前、教会の老いぼれと語った夢に、変わりはないよ。もっとも奴は怖気づいた訳だがな」


 ”より良く”。

 皆それを考えて、価値観の違いで争う。なんて悲しい世界だろうか。


 そんな世界に、在るだけで国を傾ける自分ができること。エルシアには、一つしか思い浮かばなかった。


 エルシアは、ゆっくりと、ゆっくりと、表情を変える。


 準備はいい? 自分自身に問いかけて、息を吐いて笑った。


 さあ、最後の大芝居だ。

 ”傾国”の二つ名に恥じない大立ち回り。観客はこの国の全て。沢山の人たちに、そして誰よりも大切な少女に支えられて。果たしてこれ以上の舞台があるだろうか。


 さあ、受け取れ。エルシアの答えを。


「だから、知ったこっちゃないって」

「は……?」


 国王の表情が変わった。ポカンとした、呆然とした顔。予想されたいかなる返答とも異なる言葉に、周囲の”近衛”も、近づきつつある”番付き”も、誰もが呆気にとられた。


「知ったこっちゃないって言ってるのよ」


 微笑んで、悠然と。

 私はエルシア、この国の王女。”女狐”の子にして、皆が跪き崇め奉る”傾国”の娘。

 必要ならば、この答え、何度でも言ってやるのだ。


「さっきの式典で言ったじゃない、聞いてなかったの? 私は降りかかる火の粉を払っただけ。だって殺されそうだったんだから、暴れるのは当然でしょ?」

「何を、言っている……?」


 ヴィガードが小さな声で呟いた。事ここに至ってあまりに稚拙な王女の言葉。理解できないとでも言いたげだった。


「国? あんまり難しいこと言わないでよね。私は学のない大馬鹿者なんだから、そんな大それたこと言われても困ってしまうわ。せっかくだし皆にも聞いてみようかな?」


 ”近衛”がざわめく。教徒が目を見開く。

 その中で、唯一。何かに気付いたヴィガードの表情だけが変わった。


「……何だ。貴様、一体何を考えている?」


 嘲笑と共に余裕すら消えた男を見て、エルシアはにやりと悪い笑みを浮かべた。

 やはり、王は聡い。宣戦布告の時もそうだったが、今のエルシアの言葉も、そのままの意味では受け取ってくれやしない。


 けれど、大丈夫。今のエルシアは、王に剣を届かせた娘だ。


「うん? 何言ってんの?」

「ふざけるな! 貴様が考えなしにこんなことをするはずなかろう! ”傾国”、この期におよんで何をするつもりだ!」


 すっとぼけてやると、ついに彼に焦りが見えた。

 それなり以上に頭が回るはずのエルシアの言葉とは思えない振る舞い。第二王女の考えが、彼にはさっぱり読めないのだろう。


 だから、エルシアは教えてあげることにした。剣はそのまま、ゆっくりと顔を近づけて、国王に囁く。


「決まっているじゃない」


 その目を覗いて、歌うように。


「断罪するのよ。貴方と、そして私を」


 そう口にして、エルシアが笑ったその時。


「そこまでだ。”傾国”」


 第二王女のすぐ後ろから、そんな声が掛けられた。


―――


 エルシアはゆっくりと振り向いた。


「……アルフレッド」


 王女は目線を下に向ける。自分の首のすぐ脇に突き付けられた刃を見て、その持ち主である宰相家嫡子に視線をやった。


「どういうつもり?」


 アルフレッドの後ろに立ち並ぶ顔を認め、更にその周囲を見渡す。


 エルシアの後ろで、ケトもまた隣に佇む黒ローブを見上げていた。小さな手で、コンラッドに突き付けられた首元の剣に触れている。


「こういう訳だ。従妹殿」


 答えを返したアルフレッド。彼を守るように囲むのは、見慣れた”影法師(シルエット)”の黒ローブ。更にはその間から、一人の淑女が歩み出る。

 気品ある、しかしこの場には明らかに場違いな、ドレス姿の第一王女。戦場を割って入り、玉座のすぐ手前に佇んでいる。彼女の隣に付き従うヴァリーが、人目もはばからずエルシアに向かって微笑んでいた。

 そして第一王女に付き従うように、ロザリーヌの姿もある。令嬢は抑えきれない感情をその目に湛えて、しかし厳しい表情を”傾国”に向けていた。


 後ろの”番付き”が妙に静かだと思ったら。質素な白い修道着に身を包んだ教皇アキリーズが、彼らの前に立ちはだかっているのだ。思慮深い瞳で、両手を広げて、主を失った信者と向き合っていた。


 ”本命”の到着ね。誰にも聞こえないよう、エルシアは小さな声で呟く。


 いつの間にか、”玉座の間”でのすべての戦闘が止まっていた。

 剣を握ったまま動けない”近衛”が。傷だらけの教徒が。そして、エルシアが国を託した大切な人たちが。


 誰もが視線を向けている。この国の中心に目を向けている。


 そこまで認識したところで、”傾国”の第二王女は、剣を握るアルフレッドへと、ゆっくりと体を向ける。微笑みを噛み殺し、あえて冷たい声で言い放つ。


「こういう訳ってどういう訳……?」

「……陛下の暴走を止めてくれたこと、国を代表して礼を言おう。だがな」


 アルフレッドが、穏やかに口を開いた。


「あなたは王に相応しくない」


 静まり返った広間で。エルシアに刃を突き付けながら、宰相家嫡子は言った。


「あなたのこれ以上の横暴を、許す訳にはいかない。”傾国”」

「へえ……」


 ああ、これで。

 エルシアは最後の役目を果たせる。その安堵に、飾らぬ笑みが漏れた。


「……そう。勝手にすれば?」

「そうさせてもらうよ。エルシア殿下」


 右手からゆっくりと力を抜く。国王に突きつけていたショートソードを手元に戻して。激闘に付き従ってくれた剣が、するりと細い手から滑り、軽い音と共に床に落ちた。


「……なんだ、これは」


 訪れた静寂。エルシアは周囲の人間から、静けさを破った男へと、ゆっくりと視線を戻した。


 目の前の国王が、驚愕に目を見開いていた。


「なんだ、この茶番は……?」

「茶番?」


 エルシアがキョトンと首を傾げた瞬間。ヴィガードが激高した。


「エルシアッ!」

「なあに、陛下?」

「貴様、図ったな……!?」

「はあ……? 何を言っているの?」


 両手を振り回し、ヴィガードが怒鳴る。


「貴様がエレオノーラやアルフレッドと裏で手を組んでいたことは知っている。そうかなるほど、エルシアは囮か。この女に剣を持たせ、時期を見計らって介入だと!?」

「……またお決まりの陰謀論か。見苦しい真似などそう何度もするものではないぞ、息子よ」

「……!」


 人垣をかき分けて出てきた人物に、ヴィガードは遂に言葉を失った。


「……先王陛下」


 アルフレッドが剣を下ろす。判断に窮した”近衛”が陣形を乱して道を開け、先王キャラベルを通す。


「……な、なぜここに」


 かすれたヴィガードの声は、一切の余裕を失っていた。

 

「エレオノーラから、お前とエルシアの愚行を聞いた。いささか俗世から離れすぎた私だが、流石に黙っていられなくてな」

「先王まで……。そうか、考えたな”傾国”」


 ゆっくりと周りを見渡し、ヴィガードはようやく息を吐いた。ぎらつく目でエルシアを睨みつける。


「貴様は言ったな」

「何?」

「一人で決めるな、と」

「ええ」


 青の瞳が、栗色の瞳を睨みつけた。


「その答えが、これか」

「私は私にできることを為すの。言ったでしょう、国の傾け方は自分で決めるって」


 混じり気のない憎しみを湛えて、国王が王女を見た。


「……貴様がリリエラの娘だということを、忘れていたよ」


 憎悪を隠さない言葉に、エルシアは深く深くため息を吐いた。

 興奮が少しずつ収まるにしたがって、滲み始める寂しさ。それを、ようやく素直に受け止められる気がした。


「……貴方の娘でもあるのに」


 最後まで、分かり合えなかった。どこまでも血がつながっただけの他人であった。彼と自分は、父と子にはなり得ない。それをはっきりと感じ取ってしまった。


「……もしも貴方が、私を家族として見てくれていたら。別の結末もあったかもしれないのに」

「……」


 彼の愕然とした顔は、もう見ていられなかった。


「私、”家族”の元へ帰るわ。そのために立ち上がったんだもの」


 その言葉を決別に。エルシアはもう父親の顔を見ようとはしなかった。

 目を閉じて父と妹の会話を聞いていたエレオノーラが、代わりにゆっくりと告げる。


「国王陛下。あなたが犯した罪はあまりに重く、深い。……二十年前から度々行われた粛清。苦言を呈した宰相の暗殺。スタンピードに関連する事実の意図的な隠蔽と、それがもたらした民への被害の拡大」


 アルフレッドが口を引き結び、ロザリーヌが激情をよぎらせる。


「数えればきりがない。故に、我々はその罪を問わねばなりません」


 第一王女が、凛とした声で告げた。


「陛下。エレオノーラ・マイロ・エスト・カーライルの名を以て、陛下の王位を剥奪いたします。沙汰(さた)が下るまで、陛下には”六の塔”にて謹慎していただかなくてはなりません」


 歯を噛みしめるギリと言う音が、ヴィガードの口から漏れた。


「……この私を、幽閉すると? お前に何の権限があって……」

「この戦争を主導した者を野放しにはできません。もう二度とこんなことが起きないための体制を、(わたくし)たちは(わたくし)たち自身の手で作り上げなくてはいけないのです。……もちろん、これは暫定処置に過ぎません。陛下の処遇も、もしかしたら変わるかもしれません」


 一度は王位継承権を捨てた第一王女が、しかし王族の視線で罪人を射抜く。


「……ですが、それを決めるのは貴方でも、そこのエルシアでも、(わたくし)でもない。あなたと同じ道を歩まぬために、皆で決断をしなければなりません」


 それはエルシアが叫んでいたはずの言葉。稚拙な”傾国”の夢物語。


「”皆で決める”だと?」

「……少なくとも、我々はそう考えます」

「くだらん。上手く行くはずがない。国を停滞させる気か」

「もちろん、今のままでは立ちいかないでしょう。”より良い”方向に進めるには、この国にも変革が必要です」


 視線の先で。ヴィガードは言葉に詰まった。しばし激情を抑え込んだ後で、彼は最後に低く唸った。


「出来る訳がない。そんなこと、出来る訳がない」

「……そうやって人を信じられないから、私に負けたのに」


 エルシアが呟いた声にも、彼は反応を返さず。もう何も言わない王は、ただ項垂れるばかり。いつしか床に膝をつき、そのまま決して顔を上げようとしなかった。


 そして、そんな彼を他所に、皆がエルシアに視線を向けた。

 先程国王に向けていた厳しい視線を、今度は”傾国”に向けているのだな、とエルシアには分かった。だが一人一人の顔を見返せば、どこか想いが透けて見えるのが、何とも可笑しい。


 だから、エルシアは彼らに向かって気高く微笑んでやった。


 大丈夫だよ。最後の猫は、ちゃんと被ったから。


「エルシア」


 第一王女が、厳かに語り掛ける。


「まずはあなたに感謝を。どのような形であれ、この戦争に一応の決着をつけられたのは、あなたの無謀な行動あってのことです」

「へえ……。貴女にお礼を言われるなんてね」


 全く悪びれずに、いけしゃあしゃあと。エルシアは言ってのける。

 相対する姉は、厳しい表情を崩さなかった。


「ですが……」

「何?」

「我々はあなたにこの国を明け渡すつもりもありません。我が国を傾けたその罪。それは決して軽くない」


 それは、今まさに王位から蹴落とされそうになっている王に、戸惑うばかりの”近衛”に、呆然とへたり込む教徒に向けた言葉。


 誰もが息を飲んでいた。地面から視線を動かそうとしなかったヴィガードですら目を見開き、顔を上げて”傾国”を見上げる。


 今や、彼女はこの国の中心に立っていた。

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