繕いものは真夜中に その4
朝日の差し込む部屋で、手に持った針と糸をひたすらに動かす。
小鳥のさえずりが聞こえる。ふと窓の外に視線を移せば、朝焼けが徐々に青空へと変わっていくところを見ることができた。
エルシアは視線を手元に戻す。
縫っているのは、彼女が小さい頃着ていた普段着だ。昨日買った紺のワンピースは、普段使うには立派すぎる。代わりに気軽に着れるような、体の動きを妨げない服を用意しているのだ。
繕うと言っても、袖と丈を直すだけだから簡単なもの。てきぱきと手際よく、裾まつりあげていく。
繕い物はエルシアの十八番だった。孤児院で暮らしていた頃からしょっちゅうやっていたのだから、当たり前とも言えるが。
無心で針を動かし続ける、こういう時間が結構好きだ。変に難しいことを考えなくて済むから。
玉止めを作って端の処理をすればほら、今日着る分の完成である。
こんもりとした掛け布団の山が動くと、中からケトがもぞもぞと顔を出した。
寝ぼけ眼のまま、右を見て、左を見て。ようやくエルシアに気付いたようで、ぽけっとしたまま視線が合う。少女の美しい銀の髪が乱れに乱れているのを見たエルシアは、思わず吹き出してしまった。
「ぷふっ。おはようケト」
「んー……? おはようー……?」
ぼんやりとしていた銀の瞳に焦点が合う。小さな手で目をこすった後で、ケトは間延びした声をあげた。
エルシアは立ち上がってかまどの方へ向かう。火にかけていた小さなやかんから、木のカップにお茶を注いで、ケトに手渡しながら声を掛けた。
「よく眠れた?」
「うん」
しばらくカップの中身を眺めたケトは、ふうふうとカップに息を吹きかけ始めた。寝起きだからか、何をするにも動きがのんびりしている。
そんな少女を見ながら、明日からはミルクを準備しておこうと考える。育ち盛りならホットミルクが必須だ。
孤児院の朝食にもホットミルクは欠かせなかったのだ。これがつかなくなると、ああ、今はお金がないんだなあと幼心に切なくなったのを思い出す。
炉の上のスキレットにはベーコンを、丸パンは木の串にさして火の近くで炙る。残念ながら、オーブンなんて便利な物はこのボロ屋に存在しない。
「服は椅子の上に置いてあるものを着てね。そっちの桶にはぬるま湯が入れてあるから、布を絞って顔を拭いて」
「わかったー」
一人で暮らしていた期間もあるケトのこと、エルシアはあまり心配していなかったが、やはり朝の支度は問題なかったようだ。一人で顔を拭く少女を横目で確認しつつ、エルシアはベーコンを皿にあげた。
とは言え、どうやら髪は梳いてあげなくてはいけないようだ。椅子によじ登ったケトの頭は、髪が絡まってこんもりと山をつくったままだ。
机の上に、炙ったパンとベーコンの簡単な朝食を置く。「どうぞ」と声を掛ければ、やはり少女は「いただきます」と挨拶をしてから、フォークを手に取った。
エルシアは椅子の後ろに回り込んで、ケトの後ろに立つ。
「本当に綺麗な髪ねえ。サラサラで絹糸みたい……」
こんなに絡まっていなければ、と心の中で付け加えながら、別のことを聞いてみた。
「ケトの髪はお父さんとお母さんのどっち似なのかしらね?」
こんなに目立つ髪なら、見たことのある冒険者もいるかもしれない。後で常連さんにも聞いてみよう。ケトは、口いっぱいに頬張ったパンをごくんと飲み込んでから答えた。
「わたしはね、かみのけとか、かおとか、ちっちゃいころのママにすごくにてるんだって。パパはかみのけちゃいろなの。それでボーっとしてるとこが、わたしとそっくりだっていわれるよ」
少女の頭に櫛を通す。髪の毛を引っ張らないように注意しながら、柔らかく手を動かす。絡まった髪をどんどん解いていけば、ものの十分もせずに儚げな少女の出来上がりだ。今度は頬にパン屑が付いていたが。
「とりあえず、あなたがのんびり屋だっていうのは分かったわ」
エルシアは、少女の頬のパン屑を取ってあげながら、笑って言った。
「さあて、食べ終わったら仕事に行くわよ」
―――
冒険者ギルドは大忙しだった。
町の人から、衛兵隊から、次から次へと依頼が持ち込まれる。
撤退した魔物の偵察、囮に使った水車小屋の確認、魔物の死体の処理、窓に打ち付けた板が取れないから取ってほしい、防衛用の木柵の片付け。
スタンピードが残した爪痕は大きい。危機を切り抜けた今だからこそ、どこも人手を欲している。やらねばならないことが沢山あるのだ。
エルシアは、書き上げたばかりの依頼書を手にカウンターから出た。今朝から数えてもう十二枚目だ。
抱えた依頼書の内容は、王都から来る行商人の護衛任務。
こういう災害の後は物が不足しやすくなるため、商人の数が増えると言う話を、エルシアはマーサから教えてもらったことがある。
所狭しと依頼書が張り付けられた掲示板は、張る場所を探すのも一苦労だ。新しい依頼を無理やり張り付けていると、入口のドアが開いた。
扉の隙間から少女の小さな姿が現れる。すぐ後ろから入って来たガルドスは、何故か呆れ顔だ。
「お帰りなさい……。あれ?」
出迎えたエルシアは、その後からどやどやと続く常連さん達の姿に首を傾げた。
「どうしたの? 皆揃って」
「こいつとんでもねえぞ」というのが、ガルドスの第一声だった。
彼には、今日もケトのお守りをお願いしていたのだ。
当のケトには、依頼の中でも単純な、それでいて力の必要な仕事をお願いしている。町の入口に設置した木柵の片付けなんて、彼女にぴったりだと考えたのだ。あれはとても重たいものだが、片付けるだけなら、さして危ない依頼でもない。
今朝のケトは、ガルドスと二人で出かけたはずだ。なぜこんなにも大人数でもどってきたのだろう。ケトが何かやらかしたのだろうか。
「みんなもお帰り。どうだった?」
ガルドスの代わりに別の冒険者が答えた。町の被害の対策会議にもいた、ナッシュと言う名前の常連さんだ。
「どうもこうもねえよ。北門の、一番でかい柵があっただろう? ゴブリンの大群に飛びかかられて倒れちまったやつ。あれをケトがたった一人で持ち上げちまってよ」
「ああ……」
新米冒険者のミドがその後を引き継いだ。
「押して移動するだけで、三人は必要な大きいやつなんだ。俺達が全員で引っ張ろうと思って、ロープ何本も結んだんだぜ? なのにケトが真ん中の一本だけちょいと引っ張ってすぐ立てたんだよ。もうみんなポカンとしてたよ」
渦中のケトを見ると、相変わらずの無表情で椅子によじ登っていた。自覚があるのかないのか、表情だけでは相変わらずよく分からない。
気付けば周りに冒険者の輪ができていた。五人もの屈強な冒険者に囲まれて大丈夫かと心配したエルシアだったが、ケト自身は特に慌てることもなく、マイペースに返事をしていた。
「とりあえず、狙い通りってとこか?」
カウンターまで歩いて来たガルドスが、周囲に聞こえないよう小声で囁く。
そう。彼にケトのお守りを頼むときに、少女が馬鹿力を使っても止めるなと伝えていたのだ。「まあね」と囁き返して、エルシアはケトを見つめた。
エルシアと同じ孤児院出身の冒険者が、ケトに手を見せてもらっていた。どこかにからくりがあるのではと疑っているのだろう、小さな手をしげしげと観察している。
だが、何も見つかる訳がない。昨日の夜、エルシアも同じことをやったので気持ちはよく分かる。
「……あの力、どう考えてもおかしいもの。それをあの子は、襲撃の日に何人もの前で思う存分使ってしまったわ」
確かに、少女の行動のおかげでエルシアもガルドスも生きているようなものだ。その意味で、ケトには頭が上がらない。
だが同時に、大きすぎる力は畏怖を生む。もしもその力を自分たちに向けたらと、怯える人間だってきっといるはずだ。そういう無意識の恐怖が積み重なれば、大きな悪意となって、彼女へと襲い掛かる可能性だって否定できない。
「だからこそ、しっかりアピールしなきゃね。ケトはこの町に対して敵対心を持っていない、むしろ積極的に協力してくれるんだってこと。それに貴方が傍にいることで、ギルドもケトのことを認めているって、広められるでしょ。一応はそれを狙ってみたのよ」
依頼書にサインを書き入れてから顔を上げると、ガルドスがじっとエルシアを見つめていた。
「そりゃ、いくら何でも考えすぎじゃないか?」
「そうであることを祈るわ」
「お前って本当に頭回るよなあ……。俺にはもうさっぱりだ。ギルドマスターのじいさんには話通してるんだろうな?」
「あれ、褒めるところじゃないの? 何でそこで呆れた顔してんのよ。……コホン、当たり前でしょ。一昨日の会議の後にちゃんと話したってば」
水差しからお茶を注いで、看板娘はケトの元へ向かった。いつの間にか冒険者たちの輪の中心にいるケトは、興味深そうに周囲の人の顔を見渡している。
「お帰り、ケト」
「ただいま」
お茶のカップを手渡す。両手で持って飲み始めた彼女を横目に、エルシアは周りの冒険者達に話しかけた。
「皆もお疲れ様。この子、いたずらとかしなかった?」
「ううん全然! すっごくいい子じゃない、ケトちゃんは!」
力んでそう答えたのはミーシャだった。
妙に実感がこもっているのは、きっと孤児院の愛すべき悪ガキ達を思い浮かべているからだろう。エルシアにも気持ちは痛いほど分かる。
一方で、ナッシュが怪訝そうな表情で、少女を見つめていた。
「しっかしホント、どこからこんな力が出てくるんだ?」
「私にもさっぱり。本人も、よく分かっていないみたいだしね。でも、この子がいてくれて、助かったでしょ?」
エルシアは彼にお茶のカップを渡した。必殺の看板娘スマイルを向けてやれば、相変わらず仏頂面ではあったが、ナッシュはカップを受け取った。
「まあ確かに、この怪力があれば復旧作業もはかどるだろうけどな……」
「でしょう?」
「なんでエルシアが誇らしげなんだよ」
「気にしない、気にしない」
ガルドスの視線が痛かったが、無視を決め込む。ああ、せっかくの機会だから、これも聞いておかなくては。
「そうだ。ちょっと皆に聞きたいんだけれど……」
今度は飲み終えたカップを受け取りながら、問いかける。
「誰か、ケトと同じ髪の色をした女性を知らない? 今、この子の両親を探しているんだけれど、どうやらこの子お母さん似みたいなの。ケトの髪色は珍しいから、同じ色を見かけたら覚えているんじゃないかと思うんだけど……」
常連さんが一斉に、椅子にちんまりと座る少女を見た。流石に視線が気になっただろう、ケトが居心地悪そうにもじもじしていた。
「銀髪の女の人ねえ……。ナッシュさん、何か知ってる?」
「いんや、これだけ目立つ色なら覚えてそうなものなんだがなあ」
ミーシャが首を横に振る。ベテランのナッシュも、新米のミドも見たことがなかったようだ。
「そう……。やっぱり、ケトの家はこの町からずっと離れたところにあるのかしらね」
ブランカやその近辺に住んでいるなら、きっと噂くらい聞いたことがあるはずだ。それすらないと言うのであれば、きっと遠い場所から来たのだという推測もつく。どうやら、本格的に町の外を探すことも視野に入れる必要がありそうだった。




