看板娘は少女と共に その1
”玉座の間”。
王女が消えた後のそこは、まさしく戦場であった。
中央の瓦礫を挟んで”近衛”と”番付き”が陣を張り、剣と魔法を交わし合う。
設置型の魔導防壁装置に守られながら、国王ヴィガードは淡々と指示を下す。
本来であれば数の優位を活かし、精鋭である”近衛”と数に勝る騎士で取り囲む布陣が、第二王女の蛮行により完全に崩れていた。下手をすれば、教会の首魁、カルディナーノを取り逃しかねない状況だ。
「危険です。陛下だけでも、どうかお下がりください!」
「下がる? この状況でか。馬鹿を言え」
「ですが……!」
「ここが山だ。枢機卿さえ押さえれば、狂信者共など烏合の衆に過ぎん」
瓦礫の向こうに敵影。すかさず”近衛”が一斉射。壁や柱の残骸を光が粉々に砕く傍らから、負けじと応射が飛んで来る。それらは全て、ヴィガードを囲む強固な魔防壁に次々と着弾した。
「この防壁が破られん限りは問題ない。カルディナーノは私を殺そうとしているのだ。私が姿を晒した方が、奴の動きも読みやすくなるだろう」
この場を整えるために、急ぎ用意させた魔導防壁装置。
原理こそ魔導盾と同様であっても、その出力は段違いである。その上、後ろに控える”近衛”や、そして国王自身が身に付けた重厚な鎧。
それらが合わされば、城を囲む内壁に負けるとも劣らない堅牢な盾になる。破られるなどあり得ない。
視線の先、更に”近衛”の分隊が広間の壁際に沿うように展開。立ちふさがる”番付き”と激しい射撃戦に突入し、横合いから騎士の別動隊が切り込んでいく。
更に反対側でも接敵。正面からも敵が押し寄せる。あちこちで”近衛”が撃ち抜かれ、切られ、躯と化していく。
防壁越しに戦場を睥睨しながら、ヴィガードは唸った。
「グレイからの報告は?」
「それが未だ……」
「……何をしているのだ!」
宣戦布告のタイミングで大きな番狂わせこそあったものの、入念な事前の準備が功を奏し、教会との戦況はどうにでもなる範疇だ。
問題は突如反旗を翻した第二王女の方で、ふてぶてしく背中を見せて逃げ出した彼女の動きが掴めない。後を追わせたグレイからの連絡も途絶えたとなれば、警戒を強める必要もあるだろう。
何より、とヴィガードは空を見上げた。玉座についていながらにして雲の切れ間と青い空が見えるとは。
それこそこの国が始まって以来の失態だ。彼を酷く苛立たせるのに十分だった。
「奴には”白猫”がいるのだぞ。もう一度砲撃されたらどうする!」
「さ、探してはいるのですが……!」
「貴族の避難は済んだのであろう? 彼らの護衛を回せ!」
「しかし、それでは終戦後に貴族の反発を受けます。それに陛下をお守りする者としても、その命は承服できません! まずはこの場を押さえるべきです!」
尚も食い下がる騎士団の副団長に、ヴィガードは苛立ちを隠せない。
「教会の動きは想定内だ。現状の戦力で十分対応できると言っているのが分からんか!」
「……で、ですが」
煮え切らない答えを返す副団長に厳しい視線を向けながら、ヴィガードは玉座に立てかけた長い筒を手に取った。
子供の背丈くらいはありそうな、細長い金属の筒と、それをくるむように被せられた長い木の覆い。木目を撫でながら更に口を開こうとした時、”近衛”から叫び声が上がった。
「枢機卿を確認! 十二時!」
「周囲に敵多数! 突破してきます!」
「迎え撃て! 一人たりとも通すなッ!」
視線を向けた先から、まるで嵐のように幾筋もの光が飛んで来る。悉く防壁に阻まれて光を散らすそれを見ながら、ヴィガードはすかさず声を上げた。
「断じて逃すな、殺せ!」
「はっ!」
「前衛突撃、後衛は援護しろ! この戦争を終わらせるぞ!」
そう、戦争など長く続ける必要などない。
所詮教会など狂信者共の巣窟。頭である枢機卿がいなければ、洗脳された兵など何の役にも立つまい。城下街の戦況は芳しくないようだが、その後スタンピードの人為的な発生を公にすれば、北の義勇軍も抑えるのは容易い。
手元に引き寄せていた、まるで槍の出来損ないのような形をした筒。先端には槍の穂先のような刃が取りつけられているが、これはあくまで補助の役割しか持たない。再び戦場の様子を一瞥した後、ヴィガードは抱えた筒に視線を落とした。
引き金の下を覆う用心金。そこから伸びた細い金属の棒を掴んで回すと、ネジが回って手元の蓋が開くのだ。そこに、彼は丸い鉛の弾を装填した。
これもまた、彼が為した一つの技術の結晶だ。
弓のように力を必要とせず、騎士が簡単に使いこなせるように。現行の光槍魔法よりも更に効率的に。
損失による熱で焼き切るよりも、気体変換時の圧力を利用すれば、同じ水の量でもずっと多くの攻撃が出来るはずだ。
撃ち出すのは魔法そのものではなく、金属の弾丸。込めた鉛弾の後から、浄水を注ぎ込む。
きちんと使えるようにするには精度が大切だ。まさしくこの国の技術の結晶とも言っていいそれは、つい最近、使えそうな最初の数丁が完成したばかり。
きっとこの”銃”も、世界を変える一つになるだろう。
「いい加減、決着をつけようではないか。龍神聖教会」
戦場の空気を挟んで、国王ヴィガードは魔導銃を手に、枢機卿カルディナーノを睨みつけた。
―――
渾身の一斉射が、防御魔法に阻まれ火花を散らしたのを見て、カルディナーノは歯噛みする。
「これでも破れんか……!」
「主よ、このままではこちらが押し切られます!」
「地下水路の別動隊はどうした!」
「不明です。伝令の話では地下が避難民で溢れており、突破は不可能と……!」
悲鳴交じりの状況報告を断ち切るように、”近衛”の一隊が横合いから強襲をかけてきた。
激しい魔法の応酬。悲鳴と怒号が入り混じる中、”番付き”が張った防御魔法に衝撃波の嵐が着弾。彼らを腹の底から揺さぶる。
「もう少し、もう少しなのだ! 何としても奴の障壁を破れ!」
「しかし、このままでは退路すら断たれます。主の御身まで危険に……!」
どこまでも目の前しか見ようとしない信者のその言葉に、カルディナーノは怒鳴り返した。
「愚か者が! 今奴を殺さねば全て終わりと何故分からん!」
「……!」
「ヴィガードが生き残れば、奴はスタンピードの真実を国中にばらまくぞ! 我々と戦争を始めた時点で、奴に事実を隠す理由はなくなるのだ!」
言葉に詰まった教徒を他所に、カルディナーノは憎き敵を睨んだ。
龍神聖教会から搾取し続けた挙句、不要となれば打ち捨てた男。何としても、この手でやらねば気が済まない。
「なぜだ、主力はマイロにいるのではないのか……!?」
そう。ここまでの抵抗は予想外だ。
そもそも騎士団の主力は南の港町にいるのではなかったのか。王都の防備にすら、諸貴族からの私兵を募る困窮具合。それを、教会に内通している貴族からこれでもかと聞いていたのだ。
だからこそ、一部の教徒をマイロに残して不穏な動きを見せ続けることで、騎士の目を引いていたはずなのに。
焦るな。落ち着け。
二十年の歳月をかけて準備をした。積年の恨みを晴らすべく日夜励み続けてきた。人を騙し、洗脳し、利用する。そのことに対する良心の呵責も、いつしか消え去ったていた。
今日と言う日に、彼は自らの全てを賭けているのだ。
「負けぬ、奴をこの手で殺すまでは、断じて負けぬ!」
「右だッ! 突破された!」
「正面に敵、主を守れッ!」
「閣下……!」
教徒の叫び声が響き、目線を上げたカルディナーノ。
その目の前に”三十七番”が飛び出し、主の盾となって撃ち抜かれる。断末魔の代わりに「お逃げを……!」と呻いた教徒に見向きもせず、彼はそれでも敵を睨む。
「負けられぬ!」
また一人。魔防壁を破られた”七十八番”が血しぶきを上げて転がる。剣を抜いて突っ込んだ修道着が三方向から剣を受け、物言わぬ躯と化す。
「負けられぬッ!」
足元に着弾。光槍の余波で左足をズタズタにされながら、カルディナーノ自身も魔法を練り上げた。
収束、照準、撃発。それこそ魔法黎明期から使いこなして来たのだ。彼には誰よりも早く撃ち込む自信がある。
彼の意思を受け真っ直ぐに飛んだ光の槍が、防壁に阻まれ無残に四散した。
「負けられないのだよ、私はッ!」
崩壊した戦線。あちこちで教徒が倒れ、白の修道着を真っ赤に染めていく。更に手駒が盾になり、吹き飛ばされて血を撒き散らす。
迫る敵に手駒が応射。あちこちに反撃の魔法が叩き込まれ、その中の一撃がカルディナーノの右手をもぎ取る。叫び声を上げた瞬間、もう一撃に右足を射抜かれた。
真っ赤に染まる視界。それでも残った左手で、カルディナーノは魔法を撃ち続ける。
「私は、私は、私は……ッ!」
その時、彼は見てしまった。
視線の先。揺らめく魔防壁の向こうの憎き男。
奴は嗤っていた。地に這いつくばるカルディナーノを見て、片手に妙な槍を持ったその男は、ゆっくりとその口を動かしてみせた。
「ご苦労だったな。カルディナーノ」
遠くても、戦場の音に声をかき消されても。
カルディナーノには、奴が何を言ったか分かった。分かってしまった。
この期に及んで、奴が自分を蔑んでいることを理解してしまった。
「ヴィガアアドオオオオッッッ!」
奴は知っている。彼の恨みを、憎しみを知っている。
その上で、奴は足掻く自分たちを見下ろして嘲笑っているのだ。
睨み続けたところで、刃が届く訳もなく。にやにやと笑う国王を睨み続けるしかなく。憎しみの狂気に飲まれながら、枢機卿は最期に呪詛を吐いた。
「命令だ! 誰でも良い、誰か奴を、ヴィガードを殺せッ!」
薄れゆく意識の中、彼が最期に見たものは。
自らに迫る光の渦と、その向こうでヴィガードが何かに注意を取られたように、彼から視線を外す様であった。
―――
猫の外套が、紺と白のバトルドレスと共にバタバタとはためく。
崩壊した屋根から突入するため上空から”玉座の間”に近付きつつあるケトは、戦場の様子を見て息を飲んだ。
「カルディナーノさんが……!」
「……っ」
抱えたエルシアが、音にならない声を上げた。
戦いは激化していた。
瓦礫の山と化した広間のあちこちで、”番付き”が決死の突撃を図る。対する”近衛”は魔法と剣で迎撃を試みる。
「こんな……!」
いつの間にか空に雲はほとんど見えず、陽の光が差し込む玉座の間。近づくほどにその現実が見える。ケトと腕を組んだまま、ようやくエルシアは呻いた。
地獄だ。ここはまさしく地獄だ。
騎士も教徒も関係なく、ただ血を流して倒れ伏す男たち。地面に広がる血だまりを震える瞳で見つめて、彼女は首にかけた王印を上からぐっと握りしめていた。
「……どうして止まらないの? 枢機卿が倒れているのに……!」
「シアおねえちゃん?」
広間の片隅。ケトが感情のうねりを感じ取って向けた視線の先で、騎士に囲まれた死に体の白ローブが魔導瓶を暴走させた。周囲を巻き込み、一際大きな閃光が走る。凄惨な自爆を遂げたその男の姿を、真っ白な霧が覆い尽くしていた。
「……カルディナーノ」
瓦礫の間に倒れ伏している男。真っ赤に染まった金刺繍はもはや見る影もなく、”番付き”と思しき教徒が必死に蘇生を試みている様。
己の人生の全てを復讐にささげた哀れな男の末路を、二人は見てしまった。
趨勢は決した。なのに戦争は終わらない。
「突破する! ”五十五番”、援護を!」
「よくも、よくも主をッ!」
「狂信者共め! 奴ら自爆を……!」
「くそ、何故諦めない、頭は潰したはずだ!」
「隊長、右ッ!」
「我らが主の描く世界に、栄光あれえええッ!」
ケトは目を凝らす。
絶望と狂気の高揚に染まりつつある教徒。冷静たらんとしながらも、捨て身の蛮勇に恐怖を広げはじめた”近衛”。きっと誰一人として、戦争の止め方が分からないのだ。
その中で、広間のあちこちを見つめていたはずのエルシアが、いつの間にか一点を凝視していた。
完膚なきまでに崩された”玉座の間”。既に広間とすらいえない瓦礫の山の中で、唯一原型を留めているその場所へと神経を集中させる。
「陛下。停戦勧告を」
「勧告? なぜそのような事をする必要がある」
遠くても、ケトの耳なら会話を聞き取ることなんか造作もない。
「ですが、これ以上はいたずらに兵を損耗するだけです……!」
「いいか副団長。奴らの目を見ろ。あれ程の憎しみを持つ輩を生かしておけば、第二、第三の龍神聖教会を生むことになる。それが貴様には分からんか。今が奴らの総力を叩ける唯一の機会なのだぞ?」
あれが、エルシアのお父さん。この国で一番偉い王様。
ケトのパパとは、似ても似つかない。
「ですが、教徒も枢機卿の死を理解しているはずです。せめてどうか勧告だけでも……!」
「ならん。それをすればまた二十年、禍根を残す」
ケトはふるりと震えた。
彼が、王が一体どんな思考をしているのか。龍の目で視通したそれが、ケトには理解できなかったのだ。
「こんなに冷たいなんて……」
どうしてああも人を軽んじられる? 目の前でバタバタ倒れていく人に、どうしてこれっぽっちも感慨を抱かない?
エルシアが王女として何を敵とするのか。
話を聞いてもケトにはピンと来なかったけれど。今この時、その男を視界に入れた瞬間、王女の思惟の一端を少女は理解した。
あの男は、人を人と考えていない。
国王にとって、兵とは、人とは、紛れもなく駒でしかない。
事ここに及んで、戦場を上から睥睨し続ける男。
絶対的な安全圏から、散る命をただ数として捉え、勘定する男。
彼が、魔法を軍事転用した。
彼が、更なる駒を得るため、エルシアを生み出した。
彼が、魔法を海に持ち出すため、反対する者を滅ぼした。
そのために、エルシアは捨てられ、ケトは孤児になった。
スタンピードで町が消え、潰れ、民は暴徒と化した。
そして今、世界はこんなだった。
それもこれも、全ては国を前に進ませるため。少女がどれだけ目を凝らしても、王の願いはそれだけだ。
”家族”に飢えていたはずのエルシアが、迷いなく敵と呼んだ、彼女の肉親。彼女はその男を止めようとしているのだと、ケトは理解した。
国王は既にエルシアの存在に気付いていた。
槍なのか、杖なのか。先に刃がついた木の棒を持って、ゆっくりと立ち上がる。口を一文字に引き結び、隣の”近衛”に指示を出していた。一斉射だ、あれを叩き落せ。所詮は小娘、数で押しつぶせ。
先程からまばらに飛んで来る迎撃の光槍は、まだ射程外だけれど。
「……ケト。お願いを聞いてくれる?」
「なあに、シアおねえちゃん」
「私の剣を、あの人に届かせたいの。あの人を止めるのを、手伝って」
「……分かった」
王女と二人、敵を見据えたその先で。ヴィガードの口が薄い笑みを作り、ゆっくりと開いた。
――相手をしてやろう、”傾国”。
エルシアにも、彼が何を言ったか分かったようだった。小さく唇が動き、彼女の決意を描き出す。
「貴方を、止めてみせる!」
国王もまた、大声で指示を出した。
一斉にこちらを向く”近衛”たち。攻撃されると認識した感覚に従って、ケトは一気に空を蹴った。




