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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
終章 少女は看板娘を拾う
168/173

看板娘は少女と共に その1

 ”玉座の間”。


 王女が消えた後のそこは、まさしく戦場であった。


 中央の瓦礫を挟んで”近衛”と”番付き”が陣を張り、剣と魔法を交わし合う。


 設置型の魔導防壁装置に守られながら、国王ヴィガードは淡々と指示を下す。

 本来であれば数の優位を活かし、精鋭である”近衛”と数に勝る騎士で取り囲む布陣が、第二王女の蛮行により完全に崩れていた。下手をすれば、教会の首魁、カルディナーノを取り逃しかねない状況だ。


「危険です。陛下だけでも、どうかお下がりください!」

「下がる? この状況でか。馬鹿を言え」

「ですが……!」

「ここが山だ。枢機卿さえ押さえれば、狂信者共など烏合の衆に過ぎん」


 瓦礫の向こうに敵影。すかさず”近衛”が一斉射。壁や柱の残骸を光が粉々に砕く傍らから、負けじと応射が飛んで来る。それらは全て、ヴィガードを囲む強固な魔防壁に次々と着弾した。


「この防壁が破られん限りは問題ない。カルディナーノは私を殺そうとしているのだ。私が姿を晒した方が、奴の動きも読みやすくなるだろう」


 この場を整えるために、急ぎ用意させた魔導防壁装置。

 原理こそ魔導盾と同様であっても、その出力は段違いである。その上、後ろに控える”近衛”や、そして国王自身が身に付けた重厚な鎧。

 それらが合わされば、城を囲む内壁に負けるとも劣らない堅牢な盾になる。破られるなどあり得ない。


 視線の先、更に”近衛”の分隊が広間の壁際に沿うように展開。立ちふさがる”番付き”と激しい射撃戦に突入し、横合いから騎士の別動隊が切り込んでいく。

 更に反対側でも接敵。正面からも敵が押し寄せる。あちこちで”近衛”が撃ち抜かれ、切られ、躯と化していく。

 防壁越しに戦場を睥睨(へいげい)しながら、ヴィガードは唸った。


「グレイからの報告は?」

「それが未だ……」

「……何をしているのだ!」


 宣戦布告のタイミングで大きな番狂わせこそあったものの、入念な事前の準備が功を奏し、教会との戦況はどうにでもなる範疇だ。


 問題は突如反旗を翻した第二王女の方で、ふてぶてしく背中を見せて逃げ出した彼女の動きが掴めない。後を追わせたグレイからの連絡も途絶えたとなれば、警戒を強める必要もあるだろう。


 何より、とヴィガードは空を見上げた。玉座についていながらにして雲の切れ間と青い空が見えるとは。

 それこそこの国が始まって以来の失態だ。彼を酷く苛立たせるのに十分だった。


「奴には”白猫”がいるのだぞ。もう一度砲撃されたらどうする!」

「さ、探してはいるのですが……!」

「貴族の避難は済んだのであろう? 彼らの護衛を回せ!」

「しかし、それでは終戦後に貴族の反発を受けます。それに陛下をお守りする者としても、その命は承服できません! まずはこの場を押さえるべきです!」


 尚も食い下がる騎士団の副団長に、ヴィガードは苛立ちを隠せない。


「教会の動きは想定内だ。現状の戦力で十分対応できると言っているのが分からんか!」

「……で、ですが」


 煮え切らない答えを返す副団長に厳しい視線を向けながら、ヴィガードは玉座に立てかけた長い筒を手に取った。

 子供の背丈くらいはありそうな、細長い金属の筒と、それをくるむように被せられた長い木の覆い。木目を撫でながら更に口を開こうとした時、”近衛”から叫び声が上がった。


「枢機卿を確認! 十二時!」

「周囲に敵多数! 突破してきます!」

「迎え撃て! 一人たりとも通すなッ!」


 視線を向けた先から、まるで嵐のように幾筋もの光が飛んで来る。悉く防壁に阻まれて光を散らすそれを見ながら、ヴィガードはすかさず声を上げた。


「断じて逃すな、殺せ!」

「はっ!」

「前衛突撃、後衛は援護しろ! この戦争を終わらせるぞ!」


 そう、戦争など長く続ける必要などない。

 所詮教会など狂信者共の巣窟。頭である枢機卿がいなければ、洗脳された兵など何の役にも立つまい。城下街の戦況は芳しくないようだが、その後スタンピードの人為的な発生を公にすれば、北の義勇軍も抑えるのは容易い。


 手元に引き寄せていた、まるで槍の出来損ないのような形をした筒。先端には槍の穂先のような刃が取りつけられているが、これはあくまで補助の役割しか持たない。再び戦場の様子を一瞥した後、ヴィガードは抱えた筒に視線を落とした。

 引き金の下を覆う用心金。そこから伸びた細い金属の棒を掴んで回すと、ネジが回って手元の蓋が開くのだ。そこに、彼は丸い鉛の弾を装填した。


 これもまた、彼が為した一つの技術の結晶だ。

 弓のように力を必要とせず、騎士が簡単に使いこなせるように。現行の光槍魔法よりも更に効率的に。

 損失による熱で焼き切るよりも、気体変換時の圧力を利用すれば、同じ水の量でもずっと多くの攻撃が出来るはずだ。


 撃ち出すのは魔法そのものではなく、金属の弾丸。込めた鉛弾の後から、浄水を注ぎ込む。

 きちんと使えるようにするには精度が大切だ。まさしくこの国の技術の結晶とも言っていいそれは、つい最近、使えそうな最初の数丁が完成したばかり。


 きっとこの”銃”も、世界を変える一つになるだろう。


「いい加減、決着をつけようではないか。龍神聖教会(ドラゴニア)


 戦場の空気を挟んで、国王ヴィガードは魔導銃を手に、枢機卿カルディナーノを睨みつけた。


―――


 渾身の一斉射が、防御魔法に阻まれ火花を散らしたのを見て、カルディナーノは歯噛みする。


「これでも破れんか……!」

「主よ、このままではこちらが押し切られます!」

「地下水路の別動隊はどうした!」

「不明です。伝令の話では地下が避難民で溢れており、突破は不可能と……!」


 悲鳴交じりの状況報告を断ち切るように、”近衛”の一隊が横合いから強襲をかけてきた。

 激しい魔法の応酬。悲鳴と怒号が入り混じる中、”番付き”が張った防御魔法に衝撃波の嵐が着弾。彼らを腹の底から揺さぶる。


「もう少し、もう少しなのだ! 何としても奴の障壁を破れ!」

「しかし、このままでは退路すら断たれます。主の御身まで危険に……!」


 どこまでも目の前しか見ようとしない信者のその言葉に、カルディナーノは怒鳴り返した。


「愚か者が! 今奴を殺さねば全て終わりと何故分からん!」

「……!」

「ヴィガードが生き残れば、奴はスタンピードの真実を国中にばらまくぞ! 我々と戦争を始めた時点で、奴に事実を隠す理由はなくなるのだ!」


 言葉に詰まった教徒を他所に、カルディナーノは憎き敵を睨んだ。

 龍神聖教会(ドラゴニア)から搾取し続けた挙句、不要となれば打ち捨てた男。何としても、この手でやらねば気が済まない。


「なぜだ、主力はマイロにいるのではないのか……!?」


 そう。ここまでの抵抗は予想外だ。

 そもそも騎士団の主力は南の港町にいるのではなかったのか。王都の防備にすら、諸貴族からの私兵を募る困窮具合。それを、教会に内通している貴族からこれでもかと聞いていたのだ。

 だからこそ、一部の教徒をマイロに残して不穏な動きを見せ続けることで、騎士の目を引いていたはずなのに。


 焦るな。落ち着け。


 二十年の歳月をかけて準備をした。積年の恨みを晴らすべく日夜励み続けてきた。人を騙し、洗脳し、利用する。そのことに対する良心の呵責(かしゃく)も、いつしか消え去ったていた。

 今日と言う日に、彼は自らの全てを賭けているのだ。


「負けぬ、奴をこの手で殺すまでは、断じて負けぬ!」

「右だッ! 突破された!」

「正面に敵、主を守れッ!」

「閣下……!」


 教徒の叫び声が響き、目線を上げたカルディナーノ。

 その目の前に”三十七番”が飛び出し、主の盾となって撃ち抜かれる。断末魔の代わりに「お逃げを……!」と呻いた教徒に見向きもせず、彼はそれでも敵を睨む。


「負けられぬ!」


 また一人。魔防壁を破られた”七十八番”が血しぶきを上げて転がる。剣を抜いて突っ込んだ修道着が三方向から剣を受け、物言わぬ躯と化す。


「負けられぬッ!」


 足元に着弾。光槍の余波で左足をズタズタにされながら、カルディナーノ自身も魔法を練り上げた。

 収束、照準、撃発。それこそ魔法黎明期から使いこなして来たのだ。彼には誰よりも早く撃ち込む自信がある。

 彼の意思を受け真っ直ぐに飛んだ光の槍が、防壁に阻まれ無残に四散した。


「負けられないのだよ、私はッ!」


 崩壊した戦線。あちこちで教徒が倒れ、白の修道着を真っ赤に染めていく。更に手駒が盾になり、吹き飛ばされて血を撒き散らす。


 迫る敵に手駒が応射。あちこちに反撃の魔法が叩き込まれ、その中の一撃がカルディナーノの右手をもぎ取る。叫び声を上げた瞬間、もう一撃に右足を射抜かれた。


 真っ赤に染まる視界。それでも残った左手で、カルディナーノは魔法を撃ち続ける。


「私は、私は、私は……ッ!」


 その時、彼は見てしまった。


 視線の先。揺らめく魔防壁の向こうの憎き男。

 奴は嗤っていた。地に這いつくばるカルディナーノを見て、片手に妙な槍を持ったその男は、ゆっくりとその口を動かしてみせた。


「ご苦労だったな。カルディナーノ」


 遠くても、戦場の音に声をかき消されても。

 カルディナーノには、奴が何を言ったか分かった。分かってしまった。

 この期に及んで、奴が自分を(さげす)んでいることを理解してしまった。


「ヴィガアアドオオオオッッッ!」


 奴は知っている。彼の恨みを、憎しみを知っている。

 その上で、奴は足掻く自分たちを見下ろして嘲笑っているのだ。


 睨み続けたところで、刃が届く訳もなく。にやにやと笑う国王を睨み続けるしかなく。憎しみの狂気に飲まれながら、枢機卿は最期に呪詛を吐いた。


「命令だ! 誰でも良い、誰か奴を、ヴィガードを殺せッ!」


 薄れゆく意識の中、彼が最期に見たものは。

 自らに迫る光の渦と、その向こうでヴィガードが何かに注意を取られたように、彼から視線を外す様であった。


―――


 猫の外套が、紺と白のバトルドレスと共にバタバタとはためく。


 崩壊した屋根から突入するため上空から”玉座の間”に近付きつつあるケトは、戦場の様子を見て息を飲んだ。


「カルディナーノさんが……!」

「……っ」


 抱えたエルシアが、音にならない声を上げた。


 戦いは激化していた。

 瓦礫の山と化した広間のあちこちで、”番付き”が決死の突撃を図る。対する”近衛”は魔法と剣で迎撃を試みる。


「こんな……!」


 いつの間にか空に雲はほとんど見えず、陽の光が差し込む玉座の間。近づくほどにその現実が見える。ケトと腕を組んだまま、ようやくエルシアは呻いた。


 地獄だ。ここはまさしく地獄だ。

 騎士も教徒も関係なく、ただ血を流して倒れ伏す男たち。地面に広がる血だまりを震える瞳で見つめて、彼女は首にかけた王印を上からぐっと握りしめていた。


「……どうして止まらないの? 枢機卿が倒れているのに……!」

「シアおねえちゃん?」


 広間の片隅。ケトが感情のうねりを感じ取って向けた視線の先で、騎士に囲まれた死に体の白ローブが魔導瓶を暴走させた。周囲を巻き込み、一際大きな閃光が走る。凄惨な自爆を遂げたその男の姿を、真っ白な霧が覆い尽くしていた。


「……カルディナーノ」


 瓦礫の間に倒れ伏している男。真っ赤に染まった金刺繍はもはや見る影もなく、”番付き”と思しき教徒が必死に蘇生を試みている様。

 己の人生の全てを復讐にささげた哀れな男の末路を、二人は見てしまった。


 趨勢(すうせい)は決した。なのに戦争は終わらない。



「突破する! ”五十五番”、援護を!」

「よくも、よくも主をッ!」



「狂信者共め! 奴ら自爆を……!」

「くそ、何故諦めない、頭は潰したはずだ!」

「隊長、右ッ!」

「我らが主の描く世界に、栄光あれえええッ!」



 ケトは目を凝らす。

 絶望と狂気の高揚に染まりつつある教徒。冷静たらんとしながらも、捨て身の蛮勇に恐怖を広げはじめた”近衛”。きっと誰一人として、戦争の止め方が分からないのだ。


 その中で、広間のあちこちを見つめていたはずのエルシアが、いつの間にか一点を凝視していた。

 完膚なきまでに崩された”玉座の間”。既に広間とすらいえない瓦礫の山の中で、唯一原型を留めているその場所へと神経を集中させる。


「陛下。停戦勧告を」

「勧告? なぜそのような事をする必要がある」


 遠くても、ケトの耳なら会話を聞き取ることなんか造作もない。


「ですが、これ以上はいたずらに兵を損耗するだけです……!」

「いいか副団長。奴らの目を見ろ。あれ程の憎しみを持つ輩を生かしておけば、第二、第三の龍神聖教会(ドラゴニア)を生むことになる。それが貴様には分からんか。今が奴らの総力を叩ける唯一の機会なのだぞ?」


 あれが、エルシアのお父さん。この国で一番偉い王様。

 ケトのパパとは、似ても似つかない。


「ですが、教徒も枢機卿の死を理解しているはずです。せめてどうか勧告だけでも……!」

「ならん。それをすればまた二十年、禍根を残す」


 ケトはふるりと震えた。

 彼が、王が一体どんな思考をしているのか。龍の目で視通したそれが、ケトには理解できなかったのだ。


「こんなに冷たいなんて……」


 どうしてああも人を軽んじられる? 目の前でバタバタ倒れていく人に、どうしてこれっぽっちも感慨を抱かない?


 エルシアが王女として何を敵とするのか。

 話を聞いてもケトにはピンと来なかったけれど。今この時、その男を視界に入れた瞬間、王女の思惟の一端を少女は理解した。


 あの男は、人を人と考えていない。

 国王にとって、兵とは、人とは、紛れもなく駒でしかない。


 事ここに及んで、戦場を上から睥睨(へいげい)し続ける男。

 絶対的な安全圏から、散る命をただ数として捉え、勘定する男。


 彼が、魔法を軍事転用した。

 彼が、更なる駒を得るため、エルシアを生み出した。

 彼が、魔法を海に持ち出すため、反対する者を滅ぼした。


 そのために、エルシアは捨てられ、ケトは孤児になった。

 スタンピードで町が消え、潰れ、民は暴徒と化した。


 そして今、世界はこんなだった。


 それもこれも、全ては国を前に進ませるため。少女がどれだけ目を凝らしても、王の願いはそれだけだ。


 ”家族”に飢えていたはずのエルシアが、迷いなく敵と呼んだ、彼女の肉親。彼女はその男を止めようとしているのだと、ケトは理解した。


 国王は既にエルシアの存在に気付いていた。

 槍なのか、杖なのか。先に刃がついた木の棒を持って、ゆっくりと立ち上がる。口を一文字に引き結び、隣の”近衛”に指示を出していた。一斉射だ、あれを叩き落せ。所詮は小娘、数で押しつぶせ。

 先程からまばらに飛んで来る迎撃の光槍は、まだ射程外だけれど。


「……ケト。お願いを聞いてくれる?」

「なあに、シアおねえちゃん」

「私の剣を、あの人に届かせたいの。あの人を止めるのを、手伝って」

「……分かった」


 王女と二人、敵を見据えたその先で。ヴィガードの口が薄い笑みを作り、ゆっくりと開いた。


――相手をしてやろう、”傾国”。


 エルシアにも、彼が何を言ったか分かったようだった。小さく唇が動き、彼女の決意を描き出す。


「貴方を、止めてみせる!」


 国王もまた、大声で指示を出した。

 一斉にこちらを向く”近衛”たち。攻撃されると認識した感覚に従って、ケトは一気に空を蹴った。

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