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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
終章 少女は看板娘を拾う
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少女が娘を拾うなら その5

「貴様の母親もそうだった。最期の最期まで気味悪く笑っていたよ」

「へえ。……うん、その時のかあさまの気持ち、何となく分かるわ」


 笑顔は武器だ。時に他者の警戒を解き、時に他者の怒りを誘う。エルシアだって幾度となく使い分けて来た。

 けれど、その時の母はただ素直に笑っていただけなのだろう。その微笑みは己の戦いに勝ったことを確信し、充足感に浮かべたものに違いない。


「もう勧誘はしないの? 残念」

「これまでしてきたことを振り返ってみろ。貴様ほど信用できない女を他に知らん」


 今日の彼は嫌に饒舌(じょうぜつ)だ。これまで対峙した時は何も話そうとしなかったのに。それが意味することは一つ。


「私を殺したところで、貴方は何も変わらないのに……」

「いいや、変わるさ。少なくとも国は変わる。あの小娘を取り巻く状況も一変する」

「……枢機卿は国を立て直す人格者となり、”傾国”に傾けられた”白猫”は慈悲深き教会に保護されると?」

「よく分かっているじゃないか」


 気付けば、”十三番(ディクトリ)”の口元が皮肉気に吊り上がっていた。なんだ。奴も笑えるじゃないか。


「……うーん、貴方自身がどう変わるか聞きたかったんだけどね」


 それを手駒に求めるのは酷か。国王の駒として使い潰されかけた自分には人のことなんか言えないと、エルシアは胸中で呟く。

 いつも無表情だった男が、この時ばかりどこか歪んだ感情を目に浮かべていた。彼は既に剣を抜いていて、エルシアの命は風前の灯だなんて分かり切っている。


 それでも、エルシアは毅然してと胸を張るのだ。


「一応警告しておく。抵抗すればするだけ、貴様は痛い目を見ることになるぞ」

「そんな言葉で止められるとでも? 私は死ぬまで抗うまでよ」


 もう一歩後ずさった右足が、屋根の縁を捉えた。

 エルシアはゆっくりとショートソードを抜き放つ。利き手とは反対の左手に持ち替えてから、剣先を”十三番(ディクトリ)”に向けて腹の底から言い放った。


「やれるものならやってみると良い。”死神”」

「憐れな女が……」

「……憐れなのは貴方だ」


 もう説得の言葉は必要なかった。

 別の形であれば、エルシアは彼を少なくとも理解しようと努めるくらいはしたのかもしれない。逆もしかりだ。”十三番(ディクトリ)”はエルシアの価値を尊重し、最後に味方に引き入れようとする一言くらい発したのかもしれない。


「はっ。貴様の戯言に付き合う気はない」

「奇遇ね。私ももう貴方の言葉を聞く気はないの」


 けれど既に、相いれない価値観を持っていることを、互いに理解してしまった。

 ”影法師(シルエット)”ですら危険視する、教会きっての暗殺者。対するのは”木札”にも劣る元冒険者の田舎娘。


 けれど、エルシアの胸中に不安などこれっぽっちないのだ。


「ねえ”十三番(ディクトリ)”。良いことを教えてあげる」

「聞くつもりはないと言った!」


 刺客が屋根を蹴った。不安定な足場をものともせず、彼は剣を振りかざす。


 その瞬間、エルシアは不敵な笑みを浮かべた。

 心の内をくすぐられる感覚。全てを見られて恥ずかしいのに、それが何よりも愛おしく、何よりも心強い。


 湧き立つ想いに後押しされて、エルシアは全力で叫んだ。


「貴方に私は殺せないッ!」


 迷いなく、屋根の縁を蹴る。

 支えのない虚空へ、身を躍らせる。


 ゆっくりと、ゆっくりと、視線が傾く。

 死神の少しだけ見開かれた目。合わせていた視線がゆっくりと外れ、屋根の淵が視界を遮り。その先に広がるのは、遥かな空。

 先程まで立っていた尖塔の向こうに、エルシアは雲の切れ目とその先の青空を見た。


 左手に剣を掴んだまま、空を落ちる。翼を持たぬエルシアには、羽ばたくこともできず。落ち行く娘には為す術がない。


 けれども、そんな看板娘を横合いから光が照らした。

 どこまでも上を向いたまま。エルシアは差し込む日差しの眩しさを全身で受け止めながら、想いの丈を叫ぶ。


「ケト!」


―――


 瞬間、少女の目から火花が散った。


 力一杯地面を蹴り飛ばし、小さな体を空へと押し出す。待ってましたと言わんばかりに、冒険者が矢を放ち、”影法師(シルエット)”が魔法を撃ち込み始める。

 対する騎士も黙ってなどいない。視界にその小柄な姿を認めた途端、間髪入れずに光の槍を嵐のように叩き込む。


 ケトの前面に張られた魔防壁、薄青の半透明なそれに、いくつもの攻撃が撃ち込まれていた。少女が引っ掴んだ大男が、盾を前にかざしてくれているのだ。

 閃光が走り、少女の脇をミーシャの矢がすり抜ける。その一射は、同じく叩き込まれる魔法と共に、前に立ちふさがろうとした騎士の鎧の隙間を正確に射抜いて、更に隙を作る。


 ありったけの援護を受けながら、ケトは翼がちぎれそうな程に振り回した。

 後ろから追い抜いていく矢と魔法が、一筋の道を作り出してくれる。立ちはだかる敵からは、隣の大男が守ってくれる。

 目の前に騎士の大部隊。そこに真っ直ぐ突っ込みながら、ケトは大声を上げた。


「このまま突っ込むッ!」

「ああ、思いっ切り行けっ!」


 向かう先で騎士が叫んでいた。


「”白猫”が来るぞ、総員、放てっ!」

「そこを、どけええええッッッ!!!」


 隊列を組んだ騎士たち。立派なフルプレートメイルを身につけ、かざした手から一斉に放たれる魔法。

 迫る光を真っ直ぐ見据え、自分に届く一瞬前に、ケトは地面に向かって翼を振り下ろした。


 グンと開ける視界。高度が上がる、世界が上がる。冒険者が、”影法師(シルエット)”が、騎士が、翔け抜ける少女につられて一斉に空を見上げた。


「ケトッ!」


 ケトの片腕を掴んだガルドスががなり立てる。それ以上の言葉など必要なかった。

 猛烈な上昇。”六の塔”の壁に沿って垂直に上がる。小さな鉄格子付きの窓をいくつもいくつも下に追い越し、張り出した屋根の傍をすり抜けて。

 すかさずガルドスをぶん投げる。その勢いのまま、ケトは空を蹴った。


 身を潜めている東支城の影から、わっと挙がった歓声。その合間を縫って、「よっしゃ、逃げるぞお前ら!」という野太い声だってちゃんと聞こえる。

 その言葉を耳の片隅に。ケトは一気に飛び込んだ。


 すぐそこに、あなたがいる。

 吹き付ける風に髪を乱し、目を希望に輝かせ、あなたがわたしを見ている。


 あなたが、なりふり構わず右手を伸ばしてくれた。目一杯、全力で、わたしに向かって手を差し伸べてくれる。日差しに照らされた亜麻色の癖っ毛がキラキラ輝いているのを見る。吹き付ける風に外套をはためかせ、空を舞うあなたに手を伸ばす。


 あなたの口が開いた。心の底から幸せそうに、わたしの名前を呼んでくれる。


「ケト!」


 だからわたしも、応えるの。あなたの名前を全力で叫びたいの。

 伸ばした手と手。あとちょっと、もうちょっと。指の先までピンと伸ばして更に加速する。


「シアおねえちゃあああああん!」


 指と指が触れ合う。手のひらが重なる。

 小さな手で、細い手を絡める。わたしが力を込めて握りしめたら、あなたも痛いくらいの力で握り返してくれて。


 そして、少女は看板娘を拾う。


「シアおねえちゃん、シアおねえちゃんっ!」

「ケト! ケトぉっ!」


 そのままエルシアの胸に顔をうずめれば、姉がきゅうっと身を寄せてくれた。抱きしめて、抱きしめられたそのぬくもりに、思わず涙がこぼれる。


 顔を上げたら目が合って。ケトが心の内から溢れる微笑みを浮かべると、エルシアも恥ずかしそうにはにかんでくれた。ぐっと翼に力を込めると、エルシアは素直にケトへと身を預けてくれた。


 地面が近づく。上で死神が狙っている。周囲を騎士が取り囲もうとしている。

 まだ、何も解決していないけれど。


 もう大丈夫。二人だから、大丈夫。


「つかまってっ!」

「もちろんっ!」


 外套からぴょこりと出した翼を大きく振る。


 猛烈な風を巻き起こし、少女と看板娘の軌道を変える。

 地上の騎士団からの追撃。そんなものにやられるつもりなど、これっぽっちもない。


 整えられた芝生の上を滑るように滑空。周囲を迎撃の嵐が吹き荒れ、芝を掘り返す中を、猛スピードですり抜ける。


「会いたかった、会いたかったっ!」

「ケト、ケト! 本当に来てくれた!」


 エルシアの胸元に頬ずりしながら、ケトはひたすらに歓喜を呟く。エルシアもまた、涙をポロポロと風に散らしながら、ケトを抱きしめたのであった。

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