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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
終章 少女は看板娘を拾う
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少女が娘を拾うなら その3

 長廊下を駆け抜ける。


 あちこちに見える騎士たちには、まだ広間での出来事が伝わっていないようだ。

 しかし大広間で致命的な何かが起きたことは分かったのだろう。彼らは一様にエルシアの脇をすり抜けていく。

 彼らの流れに逆らってなりふり構わず駆けていくエルシアたちに不審な目を向ける者はいたが、声を掛ける勇気もなければ、そんな時間もなかったのだろう。彼らはわざわざ第二王女の行く手を阻もうとはしなかった。


 エルシアは歩みを止めないまま、窓の外をちらりと覗く。曇り一つない窓ガラス越しに見えるのは、あちこちから立ち上る煙。城の中にいても、叫び声と戦闘音が聞こえ始めていた。恐らく戦域が近づきつつあるのだ。


「まったく! 寿命が縮みましたよ、殿下」

「私もよ、こんなに怖いのははじめて」


 コンラッドが額に冷や汗を浮かべていた。「とてもそうは見えませんが……」という言葉は恐らく素で転がり落ちたものだろう。


「ケトが私を呼んでくれたの。慣れれば意外と分かるものね!」

「……その内、気配を隠す方法を考えなくてはなりませんね」

「確かに。あれじゃ困るわ」


 苦笑を交わしながらエルシアは先へ進む。途中で、伝令役を担った”影法師(シルエット)”が加わり、彼女はようやく外の状況を知ることができる。


「それじゃあ……!」

「はい。ケト嬢は無事噴水広場より撤退。北城門に向かっています。冒険者の皆様と、我々”影法師(シルエット)”本隊も合流。陣形を整えることに成功」

「内壁の城門の様子は?」

「北と南がどちらも激戦です。壁の上に設置された魔導砲が相当厄介なので。ただ、教会に突破はできなくとも、ケト嬢であれば可能です」


 二人の黒ローブを連れて本城の一階に降りると、人の姿はほとんど見えなくなった。城の使用人も流石に避難しているのだろう。時折バタバタと駆けていく騎士の集団を部屋に飛び込んで躱しながら、エルシアはひたすらに突き進む。


 無人の第一厨房に飛び込み、重いワゴンをうんうん言いながら扉の前へ。これで少しは追手への時間稼ぎになるはずだ。

 厨房の奥で、抜け道を確かめていたコンラッドが頷いていた。彼に続いて隠し通路に飛び込み、再び水路へと駆けだす。


「ロジーは?」

「ロザリーヌ様は、北門の戦闘開始と同時に予定通り行動を開始されています。ローレン様と先んじて”六の塔”へ。警備隊を制圧中」

「……流石ね!」


 魔導砲が放たれたのか、更なる振動が地下水道まで届いた。

 急がねばなるまいと、唇を噛みしめたエルシア。だが振り返った時にふと、隣のコンラッドが固い表情を見せていることに気付いた。


「どうしたの?」

「追手です。恐らく”番付き”。狙いはあなただ」

「急ごう、コンラッド。……悪いんだけど、貴方はエレオノーラとアルフレッドに状況を伝えて。予定通り”本命”と合流を、と」

「はっ」


 情報を届けてくれた”影法師(シルエット)”の一人とは地下道で分かれ、エルシアは先導するコンラッドの背を追いかける。

 忍び込むのが三回目ともなれば、エルシアだって手慣れたものだ。無骨な扉を蹴破って、中に突き進んだコンラッドの後に続く。


「ロジーは上手くやったみたいね。警備が誰もいない」

「恐らくロザリーヌ様は上階の小部屋にいらっしゃるはずです。このまま合流しましょう。念のため、私から離れないで」

「了解」


 腰の鞘に刺さったままのショートソードの柄の感触を確かめ、開いたままの扉から、王女は”六の塔”へと飛び込んだ。


―――


 長く細い螺旋階段。隠し部屋への直通通路だから、端に手すりも付いていない。足を滑らせたら真っ逆さまだ。

 体力のないエルシアにとっては登るだけで一苦労だ。だが、エルシアが息を切らせる理由はそれだけではないのだ。


「お急ぎを!」

「わ、分かってる!」


 ひたすらに続く石の階段で、コンラッドが珍しく焦りを顔に浮かべていた。その理由が何となく想像できる王女は、とにかく一段飛ばしで前に進むしかない。


「ごめん、私また足引っ張ってる」

「いいえ、敵が異常なだけです。……追いつかれるのは避けられません。交戦の許可を」

「はあっ、はあっ……! 了解、けれど最優先は先に進むことよ。それから……」


 エルシアの言葉をかき消すかのように、階下で響いた鈍い音。間違いなく入口の扉が蹴破られた音だ。

 顔を見合わせた王女と隠密はどちらともなく再び階段を登り始めた。そんな二人をあざ笑うかのように、下から男の声が響き渡る。


「”傾国”!」

「……ディクトリだ!」


 思わず呟いた瞬間。エルシアのすぐ傍の床が弾け、思わず竦みあがる。

 魔法を撃ちこまれているのだと認識した脳が、脱兎のごとく体を先へと進ませた。


「そこか!」


 コンラッドが螺旋階段から身を乗り出して応射。上下に行きかう光が王女の頬を照らす。重い足を動かしながら、エルシアは大きく息を吸って、階下に呼びかける。


「今度は何の用!?」

「決まっている。もはや貴様はこの地に害悪しかもたらさない」

「だから殺すと?」

「よく分かっているじゃないか!」

「くそ、ちょこまかと。あの糸さえ押さえられたら……」


 コンラッドが唸る。

 ”十三番(ディクトリ)”の腰にまきとられたワイヤー。注視してようやく見える程度の細さでありながら、その強度は折り紙付きだ。先端の錘をあちこちに飛ばし、三次元の軌道で二人を追い詰める。


 さっきまで先導していたはずのコンラッドが、今度はエルシアの背中を守ってくれていた。限りある魔導瓶を節約するためだろう。手数重視の光弾を、彼は一発一発丁寧に階段のあちらこちらに放つ。


 その横顔を見ていると、なんだか申し訳ないような、複雑な気分になってしまう。

 エルシアの体に流れる血。全てとは言わないまでも、その血こそが彼が付き従ってくれる理由の一つであることには違いない。

 彼もまた、”傾けられた人”。力のないエルシアに、力を貸してくれた人。


 そんな彼だからこそ、少しでも恩返しがしたかった。


 ようやく着いた階上で、エルシアは裏口のドアに飛び付く。ねじり取る勢いでドアノブを回すと、事前にロザリーヌに頼んでいた通り、鍵が空いたままの扉がすんなりと開いた。


「コンラッド!」


 鋭く呼びかけると、彼は怒涛の連射を撃ち込んだ後で、すぐさまドアから滑り込んだ。近くに転がっていた閂を叩き込むように下ろし、エルシアは部屋へと踏み出す。


 事ここに至って、家と呼ぶべきその部屋は彼女を静かに迎え入れてくれた。

 きっともう、自分は二度とこの部屋に来ることもないのだろう。ここまで成長したエルシアにはそれがよく分かる。


 戦闘音が少しだけ遠ざかる中、エルシアは最後に呼びかけた。


「かあさま」


 母に何を伝えればいいのか、なんて悩んだ時期もあったけれど。案外考え込むほどのことでもなかったなと、そんな感慨と共に。

 娘はちょっとだけ照れながら、はにかんだ。


「守ってくれて、ありがと」


 エルシアはもう振り返ることなく、外へと続く扉を開いた。表廊下に出て右手へ。迷わずに最上階へ続く階段を登り始める。


 決めたのだ。エルシアは、ちゃんと幸せに生きるのだと。

 そのためにも、自分は自分の役目を果たそう。そう、まずは目の前の問題から。


「コンラッド」

「はっ」

「このままじゃ追いつかれるわ」

「はい。どこかで迎え撃たなければ」


 王女を見据える思慮深い瞳。

 もう少し時間があったなら、彼のことももっと知れたのだろう。そんな名残惜しさを胸に、エルシアは命を下した。


「私が囮になる。貴方は貴方の責務を果たして」

「なっ!?」


 柄にもなく、コンラッドが狼狽していた。初めて見た驚きの表情に思わず笑ってしまう。


「な、何をおっしゃっているのか分かっているのですか?」

「もちろん。”十三番(ディクトリ)”はこちらで引き付けるって言っているの」

「殺されますよ!?」

「大丈夫。そう簡単に死んでなるものですか」

「なりません。私も共に……」

「コンラッド」


 狭い通路を横に並んで進む。足を止めずに、エルシアはコンラッドの瞳を覗き込んだ。


(わきま)えなさい。貴方にはよく分かるはずよ。私と国と、どちらが大切なのか」


 コンラッドが短く息を吸うのが分かった。


「今ここで、教会の人間が”本命”に気付く事態は絶対に避けなければいけない。私以上に、貴方の力と存在を必要とする場があるの。こんな”傾国”ごときに惑わされては駄目」

「殿下……」


 フードを外した彼が、迷ったように口を閉じる。


「心配なんていらないわ。どれほど意地汚い手を使っても、私はあの子と生き抜いてみせるから」


 自信たっぷりに言ってのけると、彼は口元を震わせた後、小さく呟いた。


「……今この時、そのように命じられるあなただからこそ、……私は仕えたいと、そう思うことができたのです」

「……コンラッド」

「エルシア様、いえ、エルシア第二王女殿下。……短い間ではありましたが、あなたにお仕えできたこと、心から光栄に思います」

「ふふっ。貴方にそう言ってもらえるなんて、私こそ光栄ね」


 足は止めずに視線だけ合わせて、二人は気負いなく笑った。

 国の裏で暗躍する”影法師(シルエット)”。その彼が浮かべる屈託ない笑顔を見ながら、最後に第二王女はいたずらっぽく命じたのだった。


「いきなさい。そしてどうか、この国を守って」

「エルシア殿下の、御心のままに」


 真摯な瞳をのぞかせて、隠密はそう答えた。

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