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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第二章 看板娘は旅をする
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繕いものは真夜中に その3

「完全に筋肉痛だあ……」


 前日から続く痛みにエルシアが呻くと、「だいじょうぶ?」という声が隣から返ってきた。

 手にはタオルと着替えを二セット。日が傾きかけている中、ケトと二人、共同浴場に向かう道中だ。

 気の早い店は早くも営業を再開したようで、町の通りには少しずつ人の姿が戻り始めている。この様子なら二、三日後には、上辺だけでも元通りの姿を取り戻すことだろう。


 やはりこの子は放ってはおけない。

 通りを歩きながら、エルシアは再度認識を新たにしていた。だが同時に、先程の光景を思い出して、頭を抱えたくなった。


 見慣れた狭苦しい自室で、ケトが縦横無尽(じゅうおうむじん)に翔けまわっていた。もちろん地に足はつけず、ふわふわと浮かんだまま、である。

 エルシアが、今ここで飛べたりするの?と聞いた結果だった。

 この子ならまさかと思いながらも、未だ半信半疑な彼女の前で、ケトはまるで立ち上がるかのように飛び立ってみせた。


 手をぶんぶん振り回すわけでもなく、足元に複雑な形の魔法陣を展開することもなかった。何なら”鳥さんみたいにパタパタ”すらしていなかった。ただつっ立ったままの態勢で、ケトはふわりと浮かんだのだ。あんぐりと口を開けるエルシアの前で飛び回る姿は、いまいち現実味も迫力もなかった。


 やっぱり魔法でも使っているのかと疑ったが、どうやら違うらしい。

 そもそも魔法とは、そこら中にある水をなんやかんやしている、という話を聞いたことがある。水をどうこねくり回したって空は飛べない気がする。

 もっとも魔法のことをエルシアは何も知らないし、結局空の飛び方はもっと分からなかった訳だが。


 とりあえず、周りの人たちがびっくりしちゃうから人前で飛ばないでね、と言い聞かせはした。しかし少女自身がどこまで分かっているか怪しいものだ。変な(やから)に目をつけられないと願うばかりだ。


 一昨日からギルドに泊まり込みだったエルシアも、今まで満足に水浴びもできていなかったであろうケトも、全身汚れて酷いものだ。一応、昨晩濡れた布で体を拭きはしたが、二人とも砂埃と泥にまみれたままだ。

 

 となれば、次は風呂に入らなくてはいけない。汚れた体で着替えたのならば、せっかく買った服も台無しだ。


 一応、エルシアが借りている部屋にも共同の洗い場が付いていて、普段はそこで体を洗うのだが、それにも結構な手間がいる。自室で熱湯を沸かして、井戸から汲んだ水を混ぜて、作ったお湯をちびちびとかけて少しずつ洗うことになる。

 そんな面倒なことは、少なくとも今このタイミングでやってはいられなかった。近くにある共同浴場に行くことにする。あそこならお湯も使い放題だし、大きな石造りの湯舟があるので、ゆっくりとお湯につかることもできる。

 しかし、風呂に行くと聞いたケトは少し不満そうで、エルシアは不思議に思った。


「どうしたの? ケト」

「……おふろきらい」

「どうして? 気持ちいいのに」

「あたまから、おゆがザバーってかかるんだもん」


 ケトは嫌そうにふるふると首を振った。その様子がエルシアには少し可笑い。


「ふふふ。貴女、一人の時はどうしてたの?」

「………」


 ケトは気まずそうに視線を逸らした。何とも分かりやすい反応だ。


「ようし。今日は私がしっかりと洗ってあげよう」

「……ううー」


 ケトは嫌そうな顔をしながらも、曖昧に頷いた。


 比較的早い時間だったからだろうか。共同浴場には、エルシアとケト以外の客の姿はなかった。

 これが遅い時間になると、完全にザルの中で洗われるヒヨコマメの気分になるのだ。昨日の今日で雑貨店を開けてくれたことと言い、今日はついている。


 脱衣所で、少女に両手を上げさせてから汚れた服を引っぺがしたエルシアは思わず唸った。


「貴女、本当にガリガリね……」

 

 服を脱げばその酷さがよく分かる。これでは、ほとんど骨と皮しかないではないか。

 とは言え、孤児院出身のエルシアにとっては、そこまで驚くほどのことでもなかった。とてもひもじい思いをした子供が孤児院に流れ着くことは、たまにある話なのだ。

 しっかりと三食取ってよく眠れば、一か月ぐらいで元気にはしゃげるようになるはずだ。エルシアはそれを経験則として知っている。


 エルシアは小さな木桶に並々とお湯を組むと、にんまりと笑った。


「それじゃ、お湯かけるわよ。耳ふさいでおいたら?」

「うう……」


 目をギュウっと瞑り、耳を手でふさいだケトに思い切りお湯をかけてから、石鹸を泡立てて体を洗ってやる。

 予想はしていたものの、少女の体は汚れきっていた。何度も石鹸を泡立てて、洗い続ける。最初は身をよじって嫌がっていたケトだったが、途中からは諦めたようにされるがままになっていた。


 これでも、自分は昔から孤児院のチビたちの面倒を見てきたのだ。暴れ回る悪ガキ達に比べれば、この子はずっとおとなしい。


「来て正解だったわね……」


 再度石鹸を泡立てながら、思わずエルシアは呟いた。これだけのお湯を用意するのは、気が遠くなりそうだ。


 ようやく少女を洗い終わった後、今度は自分の体を洗い始めたエルシアは、ケトがまじまじとエルシアの胸元を見ているのに気づいた。

 最近かなり大きくなってきて、ギルドでも男どもからチラチラ見られるのが鬱陶(うっとう)しい。ちなみに、なぜか彼らは見ていない振りをするのだが、本人にバレていることに気が付いているのだろうか。


 だが、そんな男どものような邪な視線を向ける訳でもなく、少女は別のことを聞いて来た。


「ねえエルシア、それなあに?」

「ん? ああ、これのこと?」


 ケトが指したのは、エルシアが首から掛けている金の指輪だった。見るからに価値のありそうなそれは、貧乏暮らしのエルシアの持ち物としては、一つだけ異質とも言える。


「これは、そうねえ……、お守りみたいなものかな」

「おまもり?」

「そう。危ないことから守ってくれますようにっていう、お守り」


 これは彼女の幼い頃からの持ち物だった。今まで実際に役立てた試しはないのだが、そもそもお守りなんてそんなものだろう。持ち続けていることにこそ意味があるのだ。


「へええ。とってもきれい」

「……そう?ありがと」


 答えたエルシアは頭の上から思い切りお湯を引っかぶる。泡が流れてシャボンが飛んだ。


―――


「似合うわね……」


 エルシアは、上物のワンピースを身に着けたケトを、まじまじと見つめた。

 輝きを取り戻した白い肌、銀の髪に紺の服と白い刺繍が良く映える。袖から覗く腕や脚が細すぎることを除けば、どこぞの商人の家のお嬢様くらいには見えた。

 さすがは高級品、エルシアの今月のお給金を半分ふっ飛ばしただけはある。多少サイズが合っていないのはご愛敬だろう。後で(つくろ)ってやらなければ。

 

 ケトは姿見の前に立って後ろを見たり、前を見たりと忙しそうだ。

 くるりと回ると、ワンピースの裾もふわりと膨らむ。風呂上がりの頬が桜色に色づき、クリクリと見開いた目はやっぱりキラキラと輝いていた。


「おめかししたみたい」

「気にいった?」

「うん!」


 その様子を見ながら、エルシアはほっと息をついた。どうやら年頃の女の子らしく、お洒落にも興味はあるらしい。

 こうして一つ一つ確かめるごとに、ケトの感覚が一般的な人間のそれだと分かっていく。別に疑っているわけではないが、それでも安心する自分に気付いていた。


 おめかしにはしゃいでいたケト。やがて一日中歩き回った疲れがでたのか、帰り道はふらふらだった。少女の小さな歩幅に合わせてゆっくりと道を進む。


「大丈夫?」

「うん……」

「おんぶしてあげようか?」

「……おもたくない?」


 エルシアは答える代わりに、しゃがんで少女に背中を向ける。「おいで」と声をかけてやれば、おずおずと体に小さな手が回される。

 どこか遠慮がちな手が、何だかもどかしい。背中に感じる温かさを落とさぬよう、エルシアは力を込めて立ち上がった。汚れた服は袋に無理やり押し込んで、肩から下げておこう。ちょっと不格好だが仕方がない。

 彼女の体は予想以上に軽く、エルシアでも筋肉痛を堪えながら、何とか支えることができた。


 いつもは一人の帰り道を、今日は二人で歩く。

 おぶっているのが正体の分からぬ少女であっても、そのことが十八歳の娘を、ふんわりと温かい気持ちにさせた。


 もしも自分が子を為すようなことがあれば、やはりこうやって子をおぶって歩くのだろうか。それともおんぶするのは旦那さんの方で、自分は着替えを三人分持って隣を歩くのだろうか。

 あり得るはずのない未来を思い描いてしまって、思わず苦笑していると、背中のケトが身じろぎした。


「エルシア……」

「なあに?」

「どうして、いろんなことをいっぱいしてくれるの……?」


 見えなくても少女の様子が見て取れるようだ。

 眠そうなのに、必死に目を開けていようとする様子に、思わず微笑みがこぼれた。


「ふふっ、そうねえ……」


 放っておけなかったから、もちろんそれもある。でもそれだけではないことは、他ならぬエルシアが一番良く知っている。どこかにエルシア自身の我儘な理由があることは、胸の中に留めておこう。


「……もしかしたら、ケトが大人になったら分かるかもね」


 夢見てしまったから、なんて正直な答えは返せなくて、看板娘はいたずらっぽく答えた。

 返事はすうすうという、静かな寝息だけ。

 エルシアはまたくすりと微笑んで、家路をたどった。

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