少女が娘を拾うなら その2
”玉座の間”に落ちた静寂。それを破ったのは、一つの笑い声だった。
「ふ、ふはははははははは!」
さも可笑しくて仕方ないとでも言うかのように。
ヴィガードは笑う。呆気にとられた貴族や、鋭い目で辺りを観察する教徒を置き去りにして、一人場違いに笑い続ける。表情を変えないエルシアの前で、やがて国王は大きく息を吐いた。
「……なるほど、考えたな、”傾国”」
「何がおかしい」
剣を向けたまま、エルシアは問う。国王は背もたれに体を預けると、ゆっくりと腕を組んでみせた。
「まさか貴様が宣戦を布告するとは。いや、流石に想像しなかったぞ、してやられたな。……だが”傾国”。貴様は私を討ち滅ぼして何とする。よもや私が消えた後で、貴様自身を同じ立場に挿げ替えるだけではないだろうな」
口元を歪に歪め、ヴィガードは嘲る。
「ただでさえ、今この国は厳しい状況にある。それを素人の貴様が治められるとでも思うか? ……ああ、何か案でもあるのか。話してみると良い。助言くらいはしてやろう」
その顔に浮かべるのは、絶対強者の余裕。
ヴィガードは、エルシアの剣が届かない事を知っている。多少悪行や汚職を指摘された程度では、自らの立場が覆らない確信があるのだ。
貴族たちは戸惑ったように顔を見合わせるばかり。
しかしエルシアには王の周囲で”近衛”が警戒を強めるのが分かった。呼応するかのように、枢機卿の傍では”番付き”がそうと分からぬよう防御陣形を固めていく。
「政は遊びなどではない。不慣れな貴様には早いと何度も言ったのだが……。まさか更に馬鹿げたことを考え出すとは。失望したぞ、エルシア」
「……私が紡ぐ、この国の未来を知りたいのね」
落ち着いた表情で、その問いに答えながら。
しかしつかの間、エルシアは耳を澄ませていた。
胸の奥をくすぐられるような、甘い感覚。政治と謀略が全てのこの場において、それはあまりにも場違いでありながらも、しかし確かな呼びかけだ。
嬉しくなって、エルシアは笑ってしまう。
拗らせた大人たちが互いの顔色を窺う中、一方ではこれほどまでに純粋な思惟があるなんて。やっぱりまだまだ人間捨てたものじゃない。
そういう世界だってあるのだと、知っているからこそ。
開き直って堂々と、エルシアは言えるのだ。
「そんなもの、私の知ったことじゃないわ」
空気が凍った。
「何……?」
「だってそうでしょう? 私は降りかかる火の粉を払っているだけ。政に興味なんてないし」
国王の顔に、枢機卿の表情に、そして貴族の間に動揺が広がる。
ここまで状況を引っかき回した王女が、国王と枢機卿を相手に堂々と啖呵を切った王女が、まさか考えなしだとは思わなかったのだろう。目指す未来を明確に見据えた者かと思いきや、我儘を言うだけのただの愚者であると恥ずかしげもなく答えたのだから。
流石に我慢の限界だったのかもしれない。貴族の集団の中から、ふざけるな、と糾弾の声が響いた。もしかしたら国王か教会の一派の人間かもしれないな、なんてことを考える。
「そう言われてもねえ。私は難しいことなんて分からないし」
嘲笑があちこちで上がる中、しかしヴィガードとカルディナーノは、深刻な顔でこちらを見ていた。
ああ、やはりあの二人までは誤魔化せない。
彼らはちゃんと今の王女の発言の矛盾点に気付いている。というか、分かり易過ぎたかもしれない。一転して国王の口から零れた、探るような口調がそれを象徴していた。
なるほど。どうやら自分は今、国王の想定から一歩踏み出した場所にいるらしい。
「……貴様、一体何を企んでいる? 返答次第ではただではおかぬぞ」
「そんな大それたこと考えていないって。ただ、強いて言うなら……」
もはや式典の最中であることなど、誰もが忘れていた。
”近衛”が一斉に動き出す。隅で固唾を飲んで見守る貴族たちには目もくれず、教会に振るうはずの刃を王女へと向ける。
他方で、教会の”番付き”もまた、剣の柄に手を添えていた。その中心にいるカルディナーノが何事かを”十三番”に囁く。動きがあれば第二王女を殺せ、とでも言っているのだろうか。
「剣を捨てろ、エルシア。”影法師”一人だけ付き従えた貴様に何ができる」
「……私が一人と、誰が言った?」
「……皆、構えよ」
もはや国王は取り合おうとしなかった。
”近衛”が一斉ににじりよる。呼応するように教徒が魔法陣を手に纏わせる。
視線の先、鉄壁を誇る魔防壁の向こうで。
ゆっくりと右手を上げた国王が、エルシアに語り掛けた。
「最後通告だ。エルシア、殺されたくなければ武装を放棄し、その場に跪け」
「……今更従うとでも? 恭順する者すら殺そうとする男の言葉など、誰も信じる訳ないでしょう?」
「そうか。……では、貴様の罪を償え」
エルシアは抵抗の意思を込めて、彼の目を見返した。
同時に、心の中にそっと触れた呼びかけに、全力で答える。
「エルシアを殺せ」
ヴィガードが手を振り下ろすのを、エルシアははっきりと見る。
視線の先で”近衛”が更に一歩、こちらに迫った。
エルシア自身には対抗できる術などある訳がない。コンラッド共々刺し貫かれて終わりだということは、彼女自身が一番分かっている。
だがもちろん、エルシアにそんなつもりはない。そうならないために、先程からただひたすらに、少女の呼びかけに答え続けているのだから。
ゆっくりと目を閉じ、聞こえる感覚に語り掛ければ、ほら。
――あなたは、何処?
――ここだよ、みんなも一緒に!
――嬉しい!
再び開いた目には、希望を宿して。
「私は”傾国”。生まれた時から国を傾けることを宿命づけられた者」
どれだけ隠し通しても、結局それには抗えなかった。自分は沢山の人を巻き込んで、人生を滅茶苦茶にしてしまう娘。救いようのない、在ってはならない娘。
それでも、何も出来ない訳じゃない。
迫り来る剣。だけど心配なんかいらない。
その向こうから何かが来る。一直線に飛び込んで来る。
「その名の通り、私は役目を果たすわ」
その言葉と共に。
”玉座の間”を光が刺し貫いた。
―――
まるで、世界が崩壊したような衝撃だった。
エルシアの頭上で、ステンドグラスが一斉に砕け散る轟音。
すかさず後ろのコンラッドが防御魔法を展開する中で、エルシアは上を見た。
城の壁を貫いた一筋の光。
煌々と輝きを放つ細い光の槍は、まさしく少女の狙撃。
はるか彼方、王都の広場から放たれたそれは、広間の中心を横切って反対側の壁から外へと抜けていた。
直撃を受けた壁がごっそりと吹き飛ばされ、天井の魔導照明が次々に火を噴く。巻き起こった衝撃が片端から人々を這いつくばらせ、バラバラと舞い散る破片が広間の床に突き刺さる。
皮肉にも、一番最初に反応したのは貴族達だった。
広間の端に集まった彼らは、”近衛”と教徒の頭上を貫いた光を目の当たりにすることとなった。呆けていたのも一瞬、誰かが上げた悲鳴がパニックを引き起こし、あまりの事態に動けなかった騎士を他所に、一斉に近場のバルコニーの出口へと殺到する。中には慌てるあまり、頭を抱えてひっくり返った者までいる。
しかし、精鋭たちは対照的だった。
国王を守る”近衛”と、枢機卿を守る”番付き”。
どちらも即座に退避を試みる。それぞれが広間の両端へと移動しつつ、もちろん魔防壁を展開することも忘れない。彼らの頭上に何重にも張られた薄青の壁は、片端から吹き飛ぶ壁の残骸を何とか弾き返す。
欠片の雨を挟んで、エルシアは真っ直ぐ国王を睨む。
広間の入り口側で足を止めた彼女にも、濁流から弾かれてあらぬ方に飛んできた小さな欠片が降り注ぐ。王女の頭上でもまた、壁の破片が”影法師”の魔法に阻まれて細かく割れていた。
「き、貴様ッ……!」
視線の先、ヴィガードは敵意を隠そうとしていなかった。彼の顔に先程まであった嘲笑の色もない。それはすなわち、エルシアを敵であると認めたことに相違ない。
その男に、エルシアは語り掛ける。きっと彼には届かないだろうけれど、一つのけじめとして。
「……貴方の言葉は正しかった。私は確かに”傾国”だ。在るだけで国を傾ける忌み子だ」
そのことにずっと苦悩してきた。
存在ごと自分を消えてしまえたらと、何度も思った。泣いても耳をふさいでも、その呼び名はエルシアに付きまとってきた。
けれど、今は素直にその称号を受け入れられる自分がいる。
そう、自らの意思さえあれば。
「だからこそ、傾け方は私が決める!」
「総員、奴を殺せ!」
最後に国王を一瞥してから、エルシアは踵を返した。
悲鳴を上げる貴族と戸惑う騎士の間をすり抜け、一直線に扉へ駆け抜けながら、全力で少女を叫ぶ。
「ケト!」
応えるように、頭上の光が動いた。
ゆっくりと、高さを変えず水平に。光の照射が”玉座の間”の壁を切り裂いていく。
次から次へと降り注ぐ石の中に大きな破片が混じり始めた。エルシアの後方で、一抱えも二抱えもある巨大な柱が次々と溶断されていく。
支えを失いつつある大屋根が、その重量に耐えきれず軋みを上げ始めていた。
逃げようとする貴族達は、我先にと手近な扉からバルコニーへと飛び出していた。もっとも、逃げ出せた彼らもまた、既にあちこちで燃える王都を見て呆然とする他ないのだが。
「総員防御態勢! 陛下を守れ!」
「はっ!」
「騎士は何をしている。貴様らは参列者の避難が先だ!」
「は、はい!」
かすかに届いた騎士団長の叫びと部下の悲鳴。それをかき消すかのように、耳障りな音を立てて崩落を始めた天井。
濛々と立ち込める煙の中から薄い雲のかかった空が見え始め、彼らは広間の屋根が持たないことを悟り始める。
「陛下、ここは危険です!」
「落ち着け! 砲撃はもう弱まっている。それよりもエルシアだ、絶対に逃すな。グレイ、ここは副団長に任せて奴を追え。生死は問わぬ、確実に仕留めろ!」
「はっ!」
その直後、まるで断末魔のような破断音を立てながら、広間中央の屋根が崩落を始めた。先程までとは比較にならない程の瓦礫の奔流が広間を襲い、慌てて退いた”近衛”の一部を巻き込んでいく。
広間に等間隔に立ち並んでいた柱の中で、少女が溶断したのは四本。ちょうど広間の中心点のみを切り裂いた形だ。重みを支えきれなくなったのはドーム型の屋根の中央部。そこだけがごっそりと抜け落ち、瓦礫の山を作り出す。
それはエルシアが事前に指示した通り、入り口側に退いた教会側と、玉座を守る国王側との間に物理的な障壁を作る形となった。
それに気づいたのも後のこと。誰もが伏せるしかなく、ただ頭を庇う中で。
一目散に入口間近まで駆け抜けて瓦礫の雨の範囲外へと飛び出したエルシアは、広間の警備として控えていた騎士に向かって、右手のショートソードを振りかざした。
「と、止まってください!」
「国を憂う志があるなら、そこを通せッ!」
真っ青な顔で額に汗を浮かべた騎士を見据え、迷わず突っ込む。
指示など出さなくとも、隣のコンラッドは魔法を手に纏わせてくれた。
後方に展開された魔防壁に、光の槍が着弾。撃ったのは果たして”近衛”か、それとも騎士に紛れ込んだ”番付き”か。
もちろん狙われたのはエルシアだけではない。王女を制止しようとした入口警備の騎士にも魔法が撃ち込まれる。
「くそ、くそっ! 防御陣形を保てっ!」
「教会の主力がこちら側にいるんじゃないのか!?」
「迎撃する! 体勢を整えろ、”近衛”はどこにいる!?」
「隊長、王女! 王女がっ!?」
「どけって言ってるのよ!」
混乱で、報告も指示も滅茶苦茶だ。
注意が逸れた騎士に向かって、エルシアは突撃。速度を緩めず体当たり。小柄な彼女では大きな騎士をよろめかせるのが精一杯であっても、この状況においては十分な隙であった。
「コンラッド!」
「仰せのままに!」
隣の”影法師”がまたしても魔導瓶を光らせる。
中に満たされた浄水が一気に真っ白な霧と化し、まるで煙のように周囲の視界を奪った。怒号と悲鳴、そして早くも戦闘が開始された音を背にして、エルシアは廊下へと転がり出た。




