混迷の日 その5
ケトは耳を澄ませる。
未だかつてないほどに神経を研ぎ澄ませて、敵と味方の行き交う戦場を知るためにただひたすら集中する。
「怯むな! ”白猫”さえ押さえればあとはどうとでもなる!」
「くそっ! 援軍だと!? 一体何処から……!」
左から追いすがる教徒を魔導剣で迎撃。一瞥し、壁に向かって吹き飛ばす。
その後ろにいる教徒たちは問題ない。ミーシャの矢が狙っている。ガルドスの防壁に沿うように、更に前進。衝撃波で騎士を吹き飛ばす。
敵の布陣が比較的甘い広場の東側。そこに回り込み、目的の場所へ。
「はッ、やあッ!」
「いいかケト、そこの一団は任せろ、突っ走れっ!」
「あ、ありがとっ」
オドネルとミドが騎士の増援に相対する。”影法師”がすかさず光弾で二人を援護していた。
自分を狙った矢が、魔防壁に当たって弾ける。
更に前方に敵。魔法の撃ち合いでケトに敵う訳ないのだ。衝撃波の応射で体勢を崩させて、光槍で薙ぎ払う。敵が慌てて張った魔防壁など、単純な出力で押し切る。魔法同士が干渉する光の飛沫を飛び散らせたのもつかの間。バリンと大きな音を立てて防御魔法が崩壊した。
「ガルドス!」
「どうした!?」
飛び込んできた騎士を迎撃する大男に、ケトは鋭く呼びかける。盾の合間からロングソードを叩き込みつつ、ガルドスはちゃんと振り返ってくれた。
真っ黒な目を見て、短く一言。
「任せていい?」
ケトとシアおねえちゃんを、ずっと守ってくれた人。
きっと彼が居なければ、ケトはずっと前に死んでいた。シアおねえちゃんだって、重圧に押しつぶされたままだった。
これまで沢山の人の助けを借りたけれど。その筆頭とも言える、大切な人なのだ。
孤児には家柄などある訳がないし、力だって努力した分しかつかない彼。”異常”な二人を迎え入れて、”普通”の人として接してくれた、町の腕利き、”猫のローブ”の冒険者。
何が、ともどう、とも聞かず、やっぱり彼は頷いてくれた。
「当たり前だ、合せてやる!」
「……ありがとう!」
ぐんと翼を広げ、ケトは思惟を前へと向ける。その視線は戦場を抜け、城の内壁を飛び越え、その先へと突き進んでいく。
「……どこ?」
集中すれば、戦場の音が遠ざかっていく。
周囲の人間達の想いがいくつもいくつも読み取れる。こんなに沢山の人が、それぞれの意思を持っているなんて。なんて重たいのだろう。ケトという人間一人には絶対に受け止められる訳がない。
まるで嵐の中の木の葉のように。その圧力に翻弄されながらも、必死にかけがえのないものを探して。
城の奥のさらに奥。包み込んでくれるように優しくて、陽だまりのように暖かくて。ケトと同じように苦しみながら、それでも前を向く等身大の娘。
――貴女は今、何処にいるの?
彼女の声が、少女の感覚を震わせて。
「……いた」
短く呟き、ケトは地を蹴る。
少女が動くことを予期した防壁が一瞬前に消えて、ケトは遮るものの何もない空へと舞い上がる。
自らの力を、自らの意思で。シアおねえちゃんのために使う、その一歩。
周囲の味方が、敵が、一斉に舞い上がる少女を目で追った。それすらも視つつ、少女は広場の中央へ突き進んだ。
届かせる。ケトの想いを届かせる。その邪魔なんて、絶対にさせない。
次々に撃ち上げられる迎撃を潜り抜け、水が絶え、崩れた噴水の正面に彼女は舞い降りた。ひび割れ、バラバラと散る石畳の中、ケトは真っ直ぐ前を見る。
彼女の前に広がるのは、王城へ続く一直線の大通り。城にほど近い噴水広場からは、城の入口である正門が良く見えるのだ。
視界が開け、通りの左右に建物が立ち並ぶその先に。ケトはついにそれを捉える。
高くそびえる城の内壁、そしてその上に設置された魔導砲の数々を。
「……ッ!」
龍が耳元で警告をがなり立てていた。視界の先でパッと閃光が放たれるのを少女は龍と己の目でみた。
破壊の奔流。それがまっすぐに、ケトを、みんなを、広場ごと飲み込もうと突き進んでくる。
ふつふつと湧き上がる想い。それが言葉になって、少女の口から転げて落ちた。
「……さっせるもんかあああああ!!!」
仁王立ちして、真正面から迫る砲撃に相対する。全身全霊を込めて、両手を前に突き出しながら、ケトは強く願う。
「わたしだって、守れるんだからああああッッッ!」
目の前を真っ白に染め、受け止めた光。魔障壁が猛烈な反発力を持って砲撃を押し返す。両手の先に光り輝く幾重もの魔法陣が、ギャリギャリと耳障りな音を立てて、まるで破城槌のような一撃を受け止める。
弾いた奔流が広場をズタズタに切り裂いていく。あちこちで”影法師”が慌てて降りた建物に直撃し、破壊の嵐を撒き散らしていく。逸らした奔流が向け先を変え、後方にそびえていた背の高い石造りの建物が、中ほどから力尽きたように崩れ落ちていく。
魔導砲による斉射は止むことがない。
右隣の魔導砲からさらに一撃が上乗せされる。左隣の魔導砲が収束を開始している。額に浮かんだ汗が一瞬で蒸発し、嵐の中に一人で立っているような風がケトを転ばせようと吹き荒れる。目をギュッと瞑って奔流に耐え続ける中、後ろで動きがあるのを、感覚の端で捉えた。
「今だ、奴は動けん……!」
「しかしあの防壁がなければ、味方も巻き添えに……!」
「あの悪魔を撃ち滅ぼせ!」
「正気か!? 騎士共は仲間がいると分かって撃ったのか!?」
騎士が叫び、教徒が指し示す先で、ケトはギリと歯を噛みしめた。
彼らは分かっているのだろうか。ケトが受け止めなければ、この広場に在る命は全て燃え尽きたっておかしくないのに。
騎士や教徒が手をかざし、あちこちで展開された魔法の数々。しかし、それらは一瞬でかき消された。
ケト自身、噴水の下の地下水道から水を掻き集める必要があるのだ。あんなちっぽけな魔法など、展開した瞬間ケトの糧だ。
だが、矢は別だった。純粋な機構のみで撃ち出される刃は、魔法とは関係のない物理法則だ。あちこちでキリキリと弦が引かれ、鋭い返しのついた矢じりが少女を狙う。
「合図と共に一斉射! いいな!?」
「狙え! 悪魔を撃ち滅ぼすのは今しかない!」
騎士が、教徒が、一斉に叫んだ。
「放てッ!」
弾かれる弦。撃ち出される矢。その数は十や二十では収まらない。必死に奔流を受け止めて動けない無力な少女に、それら全てが殺到する。
前方から途切れることなく続く砲撃に、後方から確実に迫りつつある矢に、少女はとうとう悲鳴を上げた。
「うわあああああああああッッッ!!!」
その言葉をかき消すように。
「守り抜けえええええええッッッ!!!」
大男の野太い声が、思惟が、その場を駆け巡った。
魔防壁を使えないことを分かっていながら、それでも大盾をかざす彼が、敵から盾を奪った冒険者達が、駆け付けた”影法師”が、少女の背中に立ちはだかった。
大嵐のように矢が降り注ぐ世界。その全てを防ぎ、弾き、守り抜く音。
龍の力などなくとも、命を奪う刃に必死に抗い続ける彼らの姿が、ケトには感じ取れる気がする。
誰もが必死に抗っていた。必死に、ただ持てる力の全てをもって、小さな力全てを合わせて、ケトを守り抜いてくれている。
振り捨てた涙を片端から蒸発させつつ、ケトは光を睨みつける。
少しでも応えたい。幾度となく感じた想いが一際強まるのを感じ、ケトは吠えた。
あんな機械仕掛けの力なんかに。
負けたくない。負けられない。
わたしは龍の少女。この身に人ならざる力を宿す者。
「……この”白猫”を、やれると思うなああああッッッ!!!!」
魔法陣に変化を促す。
敵がこちらを押し潰すつもりなら、自分はそれを貫いてみせよう。
まだまだ使いこなせているとは言えない力。他の人ならもっと上手くやるのかもしれない。けれどこの力を持っているのはケトだけで、そんなケトを導き、考え方と向き合い方を教えてくれる人がいた。
光の向こうを幻視する。
その”あなた”が、大切な”あなたが”。今まさに戦っている姿が、少女には視えるのだ。
王城の中心で、沢山の悪意に囲まれる”あなた”が視えるのだ。
毅然と背を伸ばし、素敵なドレスを靡かせて、彼女が世界を睥睨する存在に立ち向かっているのが分かる。ずっと隣に寄り添ってくれた温もり。それが今、溢れんばかりの熱量をケトに伝えてくれていた。
耳を澄ませば、ほら、”あなた”の声が聞こえる気がするのだ。
――貴女は、何処?
――ここだよ、みんなも一緒に!
――嬉しい!
はるか彼方で、想いを素直にさらけ出してくれた看板娘。
ケトは呼びかける。心の奥にそっと触れたのが分かったのだろう。少しくすぐったそうに、彼女は微笑んでくれた。
「捉えた!」
実際には、刹那の出来事だったのだろう。
再び開いた銀の瞳には光の奔流が映り、戻って来た聴覚は降り注ぐ矢の音を認識する。
ケトは大きく息を吸い込む。
「……お願い!」
魔法陣が変質する。
拒絶の意思を示し続けた防壁が、ゆっくりと光を受け入れ始める。それは少しずつ少しずつ少女の力へと変換され、描いた文様を一際輝かせて、吸収の魔法へ移り変わっていく。
受け止め続ける奔流が、少女の手によって収束し、指向性を持ちはじめる。次第に大きくなる力のうねり。そこに突き刺さり、更に糧となる砲撃。
良く狙え。あの雨の日のような失敗は許されない。
良く狙え。一点を狙うのだから、とにかく叩きつければいいと言うものではない。
良く狙え。やり方はちゃんと教わっただろう。
途中の障害物の影響、空気中に拡散する分も考慮に入れて。太陽が東から出て西に沈むがごとく、常に地に引き寄せられることだって忘れてはいけない。
王城のど真ん中で、彼女が叫ぶ。周りの悪意に剣を向けられる。
――傷つけるなんて、このわたしが許さない!
体の内で渦巻く何かが出口を求めて荒れ狂う。それにケトは指をさして。
渾身の力を込めて、叫んだ。
「届けええええッッッ!!!」
少女の意思を受け、一筋の光が飛んだ。
それは過たず砲撃の中心点を貫き、打ち寄せる光の奔流を霧散させ、その大本である魔導砲を撃ち抜く。直撃を受けた魔導砲が暴発し、周囲へと金属片を撒き散らすことで、更に被害を広げていく。
少女の力は、もちろんそんなものでは収まることはない。そのまま手を微調整して、ほんの少しだけ下に向ける。その先に待ち構えているのは、城を守る内壁。文字通り鉄壁の防御を誇る王の盾。
だが、そんなものが何だというのだ。
その昔、国の技術を結集して作り上げたという、巨大なぶ厚い鋼鉄の板。
一枚でも頑丈なそれを何枚も重ね、間に幾層にもまたがる大石を挟み込んだ内壁。その一点に、ケトの狙撃が集中する。その膨大な熱と圧力に、石は瞬時に砕かれ、鋼鉄は溶け崩れていく。
極限まで収束したケトの魔法は、少女の信念を写し取ったかのように一直線に進み、鉄の壁を貫いた。
城を守る内壁、その先に鎮座するのはカーライル王国が王城。その中でも一際存在感を放つ、ドーム屋根の建物。
今まさに、宣戦布告が行われているはずの”玉座の間”であった。




