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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
終章 少女は看板娘を拾う
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混迷の日 その2

 薄い雲に覆われた空の元、既に王城では式典が開始されているはずの時間に。

 王都北区に配されていた騎士団の一分隊は、一通の文書を前に頭を悩ませていた。


「またこの書状か……」

「どうなってるんです、キャバリエ隊長」

「俺が知る訳ないだろう」


 目の前で喚く市民たちには「家に戻れ」としか言いようがない。騎士に聞いても埒が明かないと分かったのだろう。彼らはため息を吐きながら、道の向こうで騒ぎ立てる冒険者の元へと向かった。


「いいから避難してくれ! 一日だけで良いから!」

「屋内待機じゃないのかよ! なんで俺たちが逃げなきゃいけないんだ!?」

「店はどうなる! 家は? 誰が保証してくれるってんだ!」

「だからこれを見ろって! それどころじゃねえんだよ!」


 王都の大通りで大声を上げる市民たち。その中心にいる冒険者が、手に持った書状をブンブン振り回しているのが見える。

 同じ光景が、王都のいたるところで見受けられていた。お陰で警邏の騎士は、あちこちで市民から質問責めだ。


 騎士の一人が、肩をすくませながら隊長に問いかける。


「第二王女が何かやらかすなんて、聞いてませんよ」

「ああ。しかも、開戦をあれだけ派手に喧伝するなんて、正気か?」

「上は何やってるんです。我々は何度同じ内容報告すればいいんです?」

「仕方ないだろう。上は多分、教会の動きに気を取られてやがるんだ」


 教会の攻撃が開始されるまで、市民は屋内待機ではないのか。少なくとも彼らに与えられた命令は、そのはずなのだ。

 それこそ何人もの騎士が、事前避難を上申したのだ。戦闘になる可能性があるなら、事前に市民を避難させるべきであると。しかし彼らの必死の訴えも、殿上人が下した”政治的判断”で聞き入れなかった上での結論だった。


 しかし、それを完全に無視した第二王女の暴挙である。しがない一騎士である彼らには、もう理解のしようがない、というのが正直なところであった。


 しかしそんな彼らの思考も、南の空から聞こえたかすかな音によって、途切れることになる。


「おい、今の……」

「隊長、伝令が!」


 騎士の一人が、こちらに向けて駆けて来ていた。息を切らせながら、駆けてきた若者が「報告!」と怒鳴る。


「王都南門付近で武装勢力と戦闘発生!」

「始まった……!」


 隊の副長が呻く。それにかぶせるように、伝令は口を回す。


「更に北門より大規模の武装集団が接近中! 至急北門へ参られたし!」

「宣戦布告は? もう為されたのか?」

「不明です。式典は始まっているはずですが、正式な開戦の宣言はまだ……!」

「どうなってやがる!」


 そのまま駆けて行こうとする伝令の肩を慌てて掴む。


「おい、市民はどうするんだ。開戦したなら避難誘導は良いのか? 既に情報が洩れている。このまま家になんて戻ってくれる訳ないし、我々とてそんなつもりはないんだぞ!」

「すみません。それについても指示はなく、とにかく北門の防衛に、と……」

「くそ、これだから上は……!」


 隊長は焦った目で周囲を見渡した。伝令の声が漏れ聞こえていたのだろう。市民たちが真っ青な顔をして、キャバリエの隊を見つめていた。


「このまま北門へ向かえだと……?」


 元々疑問だったのだ。どうして陛下は王都で戦闘がはじまると確信しておきながら、市民の誘導を後回しにしているのか。


 その答えは、すぐ傍の冒険者の手の中にある。

 意図的に情報を漏洩させた第二王女。その真意は分からなくとも、今、縋るべきはそれだ。


「……隊長」

「各員、ついてこい。……おい、そこの冒険者! すまないが、その文書をもう一度見せてくれないか」


 殺気立った市民をかき分け、先程まで騒いでいた冒険者の元へ向かう。こちらが何も知らないことは分かっているのだろう。彼はジロリと一瞥をくれただけで、言葉を返さない。

 だが、その手で振り回していた紙切れはしっかりと差し出してくれた。


 何度も読んだそれを、もう一度読み返す。


 流麗な文字は、冒険者が言うにどうやら王女の直筆らしい。読みやすく整った筆跡で語られるのは、王都中央部市民への避難命令。


 曰く、今日これから戦争がはじまるのだと。

 曰く、王都が戦場になる可能性が高いと。

 曰く、国からの避難指示が出ない理由は、情報を握る一部の者が敵の悪行を増やすため事実を隠そうとしているからであると。

 曰く、王都の各所に設けられている保全用入口から、下水道に逃げ込めと。避難期間は丸一日であると。


 そして、右下の”エルシア・アリアスティーネ・エスト・カーライル”のサインと共に押された、大きな印。それはまさに王族のみが持つことを許される王印に他ならない。


 これが、今朝早くから王都中でばらまかれている。何でも、冒険者ギルドの面々が、王女じきじきに依頼をもらったのだとか。


「……助かった」


 隊長は最後に一度だけ文章に目を通した後、それを冒険者へと手渡した。そのまま、自らの部隊へと向き直る。


「各員、聞け!」


 隊長の命令に、プレートメイルに身を包んだ騎士たちが一斉に姿勢を正す。


「我らには、陛下から命ぜられた防衛任務がある。だがしかし、この状況下において、市民の避難が最優先であるという第二王女殿下のご意見には賛成だ。よって、我ら分隊は速やかに市民を誘導、その後防衛戦に加わる。良いな!?」

「はっ!」


 市民に向き直り、隊長キャバリエは胸を張った。


「そういう訳だ。皆には悪いが、避難誘導に従ってもらいたい」

「だ、だがよ、戦争がはじまるってのは、ここが戦場になるってのは、本当なのかよ!?」


 キャバリエはつかの間考えてみて、馬鹿らしくなった。

 高度な政治判断がなんだ。既に戦争は始まっているのだ。悩む前に動いてしかるべきだろう。


「本当だ。もうすぐこの国は宣戦布告されるんだ」


 一瞬の静寂の後。町の人々から一斉に声が上がった。


「おい、本当かよ!」

「どうしてそう言い切れる!?」

「ふざけるな、王城はどうして何も言わない!」


 一斉に市民が詰め寄る。恐慌状態に陥りかけた群衆を見渡し、しかしキャバリエは胸を張った。ここで怯えたら終わりだと、分かっていた。


「聞け!」


 その響く声に、市民が気圧された一瞬の隙に、キャバリエはまくし立てた。


「情報が錯綜しているが、どうか落ち着いてもらいたい。君たちは王城からの指示がないと言ったが、それは違う。この書面こそが指示だ。第二王女殿下直々に、避難命令が発布されている!」


 ざわめく市民の目の前で、キャバリエは仁王立ちして言う。


「諸君、すぐに避難を開始してくれ。避難先は地下水路、期間は一日。国からの正式な命令だ。従わなければ処罰の対象とさせてもらう」

「だが、家はどうなる!?」

「店だってあるんだ、捨てて逃げられる訳が……!」

「心配するな、被害が出たら国が補償するさ」

「嘘つきやがって!」

「本当かよ、今の国が信じられる訳ないだろう!?」


 口々に巻き起こる国に対する不信感。キャバリエは内心冷や汗をかきながら、ふと気付いてしまった。


 噂によると、第二王女の蔑称に”傾国”と言うものがあるらしい。

 間違いない。今の王国は確実に傾きつつあった。


「安心してくれ」


 キャバリエは内心の憤りを載せて、騎士剣を天に向かって振り上げてみせた。


「これで補償しないなんて言って見ろ。俺が上に怒鳴り込んでやる」

「……」


 しばし市民が沈黙している間に。

 轟音と共に、一筋の魔法の掃射が、光の粒子を拡散させながら彼らの頭上を横切って行った。

 それを見ながら、キャバリエは部下に向かって声を張り上げた。


「総員散開! 避難命令を市民に伝えて回れ。建物の中にも確実にだ」

「はっ!」

「いいか、誰一人として置き去りにするな! 老人、子供、赤ん坊もだ。歩けない者には手を貸してやれ! 副長、セント―隊とクロムウェル隊に伝令送れ! 手が足りん、急げ!」

「了解!」


 手始めに近場の入口を探しながら、キャバリエは心の中で深々とため息を吐く。


「……全く。降格処分で済めばいいが」


 ただでさえ辛いお小遣い制。愚痴の一つでも呟かないとやっていられない。

 けれどまあ、尻に敷かれっぱなしの嫁にも、産まれたばかりの我が子にも。お世辞にも褒められた人間ではない自分だが、この判断だけは誇れるのだろうなと、キャバリエはそう思った。


「本当に、割に合わんよこの仕事」 


 彼らの頭上では、いつの間にか幾筋もの光が撃ち交わされていた。


―――


 明らかに状況がおかしい。

 白い修道服たちは戸惑っていた。


 彼ら教会の別動隊は、地下水道から突入する手はずであった。

 現に王城内の協力者の手を借りることで、地下水道の引き込み口に配備されていた騎士を音もなく無力化したところは、これ以上なく上手く行った。内通者から事前に仕入れていた情報により、何重にも及ぶ強固な警備を突破し、突き進むことができていたのだ。


 だが、城に近付けば近づくほど。何かが変だと言うことに、誰もが気付いていた。


 見かける人影が異常に多いのだ。そのせいで彼らは幾度となく足を止めざるを得ない。その度に迂回路を探すものだから、無駄な時間を食っている。


「状況は?」

「駄目です。避難民で溢れています」

「こちらも同じです。完全にふさがれています」

「……どうなっている?」


 どちらに行っても、人、人、人。

 保全用のハッチドアから。道端の蓋を開けて、血相を変えた人たちが次々に降りてくる。どう考えてもおかしい。市民たちに対する国からの公布は屋内待機ではないのか。

 何故こんな狭い穴倉に降りてくるのか、教会の面々には皆目見当がつかない。


「”二十三番”!」


 狭い通路に反響して響く掛け声。彼らに近付く人影があった。

 一瞬緊張が走ったものの、ローブを脱いで情報収集に出していた味方と分かり、別動隊の指揮を取っていた”二十三番”は剣を下ろす。


「どうだ?」

「これをご覧ください……!」


 部下が差し出したくしゃくしゃの紙きれを差し出す。一体どれだけの人の手に渡って来たのか。端がちぎれ、幾重にも折り目のついた書面を受け取り、目を通した男は絶句した。


「……おい、これをどこで?」

「そこら中にばらまかれています。その全てが、王印入りです」


 この異常な状況を、ようやく理解する。

 王都の民に対する、第二王女の命令書。それは、”傾国”が仕掛けた攻撃だ。


「騎士共の状況は?」

「命令書に従った街の警邏を各所で確認しています。ですが……」

「何だ?」

「混乱しています。あちこちで元の警備隊と揉めているようです。そんな命令は聞いていないと、言い争っていましたから」


 別動隊が沈黙する。

 激戦が予想された、王都の地下水道。それが想定外の区域になりつつある。


 このままでは戦闘どころではない。強引に突っ切るか、と考えすぐに首を横に振る。裏道がいくらでもある地上とは異なり、狭苦しいこの通路で王都市民の間を突っ切るなんて不可能だ。


 そして、悩む彼らに時間はそう与えられなかった。


 どこからか、ガシャンという音が聞こえ、わあわあ言い合う声が彼らの元まで響いてくる。


「”二十三番”!」


 押し殺した声に焦りが滲む。じきにここにも避難民が押し寄せる。それが分かったのだ。


「皆、聞け」


 彼らは決断を迫られていた。


「止むを得ん。地上に上がり、王城を目指す」

「……ですが、それでは城に着くまでに相当の損害が出ます」

「仕方あるまい。このままではたどり着くことすらできんぞ」


 どこかで赤ん坊が泣いたのだろう。ざわめきが更に高まって、彼らを追い立てた。


―――


 頭上を一筋の光が横切っていく。


 オーリカはそれを見上げてから、身を翻した。


「これで最後!?」

「分かるもんか。だが、ありったけ騒いだし、家のドアを片っ端から叩いたんだ。おまけにこんだけやかましい、まともな奴なら様子を見に来るだろうよ!」

「信じるわよ、その言葉!」


 馴染みの冒険者が腰の曲がった老人を担ぎ上げ、穴の中へと消える。それを見届けてから、オーリカは子供を負ぶいながら、梯子の段に足を駆けた。

 最後に、曇り空を見上げながら呟く。


「エルシアさん、やれるだけやったからね……!」


 彼女の言葉を裏付けるように、戦争の光は激しさを増そうとしていた。

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