混迷の日 その1
2019/12/22 追記
扉絵を掲載しました(作:香音様)
建国式典。
三百年の昔、このカーライル王国が建国の際に繰り広げたという大戦争。その偉業をたたえ、その上に成り立つ今日の暮らしに感謝をささげる一日である。
もっとも、当時の詳細な記録などもうどこにも残っていない。この現代において、この建国記念日は特に何のことはない一祝日に過ぎないのだ。
仕事人たちにとってはありがたいが、だからと言って何かある訳でもなく、のんべんだらりと日々を過ごすだけのこと。
だが、この日ばかりは違った。
年明けから急速に広まった開戦の噂。周辺諸国と過去数度の小競り合いはあったとは言え、大きな戦争などついぞ知らぬ国民たちは、国の内部で戦闘が起こるかもしれないことに不安を抱えつつも、しかし互いの顔を見合わせるばかりであった。
皆、用がなければ家から離れず、場合によっては逃げ時を探らなければならない。
だというのに、国からの指示は要領を得ないものばかり。
”式典終了まで、不要不急の外出は控えよ”
前日に発布された、いかにもきな臭い指示である。
これはもうマズいだろう。聞いた瞬間、誰もが悟ったのである。
ついに戦争がはじまるのだと。
王都の中心に程近い、冒険者ギルド。
人通りの減った通りとは違い、ここはまだ情報収集に訪れる冒険者達に溢れていた。彼らは情報の大切さをよく知っている。だからこそ、朝早くから根も葉もない噂話に花を咲かせるのだ。
そんなフロアを、オーリカはバックヤードから覗き込んだ。
「やっぱり皆いる……」
「そうだろうよ。怯えているんだ、誰もが」
隣には強面のギルドマスター。手にした箱の中身を、渋い顔で見下ろす。
「……オーリカ」
「何でしょう?」
振り返ると、いつも恐ろしい上司が、表情に緊張の色を滲ませていた。
「こう言っちゃなんだがな。……あの方の情報は本当に信用できるのか?」
「不敬で捕まりますよ」
「……」
「冗談ですって。そんなしょげないで」
強面が眉をハの字に下げる。
怒られないのはいいけれど、彼の自信のない様子はあまり見たくないと、オーリカは思った。
「……まあ確かに、ギルドの会長には伝えるなという指示は、少し怖いですけれど。でも、私が保証します。エルシアさんの報告書はとても読みやすいし、きっと頭いいんだろうな、ってずっと思ってましたから」
誰もが怯えているのだ。
エルシアから伝えられた情報は、この不安が現実になる類のもの。それをこれから伝えなければならないというのはかなりの重責だ。
それでも、ギルドマスターは腹をくくってくれた。
「仕方ない。善良なる市民の守り手として、一肌脱ぐとしようか」
「はい。マスター」
ぐっと腹に力を込め、オーリカはフロアへと足を踏み出した。
―――
「冒険者の皆様。緊急の依頼です!」
オーリカは受付のカウンターの前に立ち、声を張り上げる。
これ自体はたまにやることだ。稼ぎの大きい依頼だとか、とにかく急を要する依頼だとか。冒険者たちも慣れたもので、皆が一斉にこちらに視線を向けるのが、オーリカにも分かった。
加えてギルドマスターが隣に立っていることも、冒険者の興味を引くのに一役買っているはずだ。
オーリカはごくりと唾を飲む。
これから自分が言うことが、大きな混乱を呼ぶのは間違いない。
「信じてるからね、エルシアさん……!」
口の中で呟きを飲み下し、オーリカは胸を張った。
「受注難度は最高位。ですが、人数は問いません。むしろ、ここに居る皆様に一人でも多くご協力いただきたいのです」
「何だよ、随分ともったいつけるじゃあないか、オーリカちゃん」
冒険者の一人が野次を飛ばした。いつも通りの反応に、少し気が楽になる。オーリカは片手を腰に当て、言い放ってやった。
「そりゃあもったいつけますって。なんたって、依頼主はエルシア第二王女殿下なんだから!」
「……はあ?」
流石に予想外の言葉だったのだろう。その言葉が理解されるまでの一瞬の隙に、オーリカは間髪入れず、口を開いた。
「依頼内容は”王都市民の避難誘導”。可能な限り早く、この町の人たちを地下水道に避難させてほしいんです」
揃ってポカンと口を開いた後。
一斉に冒険者達の雰囲気が変わった。
「おいおい、何の冗談だ?」
「避難!? 戦争がはじまるって言うのか?」
「意味が分からん。そういうのは騎士様のお仕事じゃないのか?」
半信半疑の冒険者達。
オーリカだって、エルシアから詳しい話を聞いたときには同じ反応をしたものだ。
そんな彼らを納得させる、手っ取り早い方法。
オーリカは最も近いテーブルに向かい、手に持っていた小袋を逆さにした。
「訳有りなの。でも、これから王都中央部の人を避難させるには、とにかく人手が必要で、そしてこれが……」
中身がこぼれるやかましい音に負けないように、オーリカは声を張った。
だが、果たして彼らが聞いているのか怪しいところだ。周囲の視線は零れ落ちる黄金の輝きに引き寄せられているのだから。
「成功した時の報酬です。皆で山分けしても、相当でしょ?」
冒険者たちが何度も口を開けたり閉じたりしていた。一人が掠れた声で言う。
「……訳ありってのは、本当みたいだ」
「そう。エルシア殿下曰く、今の騎士様は当てにならない。だから私たちの力を借りたいと」
オーリカだって疑問に思ったのだ。そんな大事なこと、どうして騎士団に頼まないのかと。
”冒険者”と言えば聞こえはいいが、ようは日々の雑多な仕事を請け負う、その日暮らしの労働者のようなものだ。それを理解しているはずのエルシアが、どうしてこんな依頼を、と。
それに対するエルシアの返答は、オーリカにもやっぱり難しくて。けれどもその瞳は嘘を言っているようには思えなかったから。
――王族として答えるのなら、金銭による契約がそれなりに強固だと感じているから。私には王都の冒険者との繋がりがない。けれど、提示できる対価はある。貴女と言う橋渡し役もいる。政治的な圧力がかかる中、今の私が残り少ない時間で手が欲しいと感じた時、これが最適解だと感じたの。
その後で、表情を緩めた王女は目を伏せて言ったものだ。
――そして、ギルド職員として答えるなら。私は彼らがいかに頼りがいのある人たちか知っている。まあ、やっぱり王都の人たちと面識はないんだけれどね。依頼したいのは戦闘ではなく、避難誘導。そんなの、日頃から王都の市民と接している冒険者以上に適任な人はいないと思うの。
憂いを帯びた伏し目で、彼女は自嘲の微笑を浮かべていた。
――権威は貸すわ。だからお願い、私に力を貸して。
オーリカにはエルシアが分からない。けれど、話を聞いて、彼女がオーリカと冒険者たちに求めていることを聞いて。
これは受けるに値すると判断したのだ。
机の上の金貨の小山。それが何を意味するかは、度肝を抜かれた顔を見せる冒険者にも分かったようだった。
フロアのどこからか聞こえた声が、彼らの驚きを物語っていた。
「こんな量の金貨見たことねえ……。明らかに危ない匂いがプンプンしやがるじゃねえか」
「危ない仕事だってのは認めます。でも、我が王都ギルドは、これを依頼を受けるに値すると判断しました。どう危ないか、これからマスターに説明してもらうから、各自の判断に委ねさせて」
場がざわつく。あちこちから上がる「どういうことだ」と言う声を聞きなながら、王都のギルド職員は脳裏に友人を思い浮かべて、頭を下げた。
「もうすぐ王都は戦場になる。エルシアさんは、……第二王女殿下は、一人でも多くの人を守るため、私たちに助けを求められているの」
エルシアの言ったことが本当だとするならば、王女が頭を下げる理由も納得できる。更にギルド職員であった彼女の経歴が、その信憑性を確固たるものにする。
手紙こそ交わしていたけれど、実際はたった二回しか会ってない仲。それを信じられるのか、オーリカ自身、迷いはある。
けれども、あの思慮深いまなざし。気品に満ちた、しかし必死さに溢れた言葉。そんな彼女なら、信じても良いような気がしたのだ。
「皆の力、どうか貸してください」
これが終わったら、また手紙を交わそう。オーリカはエルシアの事をもっと知りたい。なんたって、彼女はオーリカの文通友達なのだから。
2019/11/5 追記
混乱を招く表現があったので、建国式典の説明から一文消しました。




