決戦へ その1
夜の帳が降りてくる、ほんの少し前。
王都近郊、とある貴族から提供された屋敷の一つで。
枢機卿カルディナーノは、静かに”十三番”の報告を聞いていた。
辺りを明るく照らしているのは、簡易の魔法灯。水を入れ物に注ぐだけで灯りがとれる優れものだ。
「なるほど、ヴィガードもやはり、事を起こす気だな」
「はい。王都の警備は厳戒態勢です。大弩はもちろん、新型の魔導砲まで起動状態にあります。義勇軍が外から攻めただけでは、外壁は突破できません」
それなりに広い講堂には、”番付き”がところ狭しとひしめいていた。彼らは皆、白ローブの下に鎖帷子をつけた戦闘態勢。一糸乱れぬその様は壮観だ。
報告によれば、憎き国王もまた、正面からやり合う気らしい。
「なるほど、奴も血気に逸っているようだな。それならこちらも、気兼ねなく叩き潰せると言うもの。王都内部の手はずはどうだ?」
「滞りなく。時間と共に、一斉蜂起の予定です。同時に北門から義勇軍が、南門から本隊が。そして別動隊は地下水道から突入します」
そこで”十三番”は少しだけ迷った素振りを見せた後、自らの主人に問いかけた。
「ですが、本当に閣下自らが城に出向かれるのですか?」
「反対か?」
「御身が心配です。戦場の真っただ中ですから……」
「そうだな……」
枢機卿はゆっくりと手を組んだ。目を閉じて彼の進言を噛みしめる。
だが、結論が変わることはないのだ。
「許せ。これは私にとって、一つのけじめなのだ」
「謝られることではございません。これは私の我儘なのですから」
そう。
これは、恨みを飲み下し、次の時代を見据える者が乗り越えねばならない壁。
この国を統べ、ひいては外の世界に向かうために必要な試練だ。
金刺繍が施された白い修道着。それを靡かせて、枢機卿はゆっくりと立ち上がる。
ようやくここまで来た。後はあの男を叩き落すだけだ。
「聞け、皆の者」
静かな講堂に、枢機卿の声が響く。
「ついに明日、我らは反旗を翻す。我らを利用し、不要になった途端に打ち捨てた罪深き男に、龍神の鉄槌を下すこととなる。我々の手で愚王の断罪を行う時が来たのだ」
最初は間違いなく、人の為に始めたことであった。
しかし、国王によって歪まされ、迫害され、ここまでくるのに二十年以上もかけた。
「明日始める戦争は、ただの内戦などではない。我らの正義を示す聖戦である」
聖戦などと。
そのような高尚なものではないことは、カルディナーノが一番分かっていた。これはどこまでも、俗事にまみれた二人の男の権力争いでしかない。
「長い時をかけ、遂にその準備も整った。敵は確かに強大であるが、諸君と義勇軍の力をもってすれば、必ずや打ち滅ぼすことができるであろう」
長年の恨み。憎しみ。苦しみ。それにようやく終止符を打つことができる。
若かりし頃、それに興奮を覚えない日はなかった。
しかしそれすら、もうどうだって良いのだ。
「だがよく覚えておいてほしい。我らが目指すのはその先だ」
復讐が色褪せて見えた気がしたのは、果たしていつからだろうか。
「我らの手によって築き上げた、魔法と言う名の未来。しかしその発展は、あろうことか国そのものによって妨げられてきた。我らの力を恐れた国は、あろうことか数々の傍若無人な行為によって苦境を強いて来た。……奴の蛮行により我らは時も金も、満足に確保できなかった。我らが舐めてきた苦渋を、”より良い未来”を阻まれるもどかしさを。諸君らにも分かってもらえると信じている」
振り仰げば見える場所にあるのに、それを為せないもどかしさ。
どれほど耐えてきたことか。どれほどの辛酸を舐めてきたことか。
「だが、その日々も明日変える。我々が変える。……激しい戦いになるであろう。犠牲も出るかもしれん。だが、我らはそれでも為さねばならぬ。神の元に召されるその時まで、決して足を止めてはならぬ」
二十年かけて育て上げた腹心の部下たちを、彼はゆっくりと見渡した。
「だから私は諸君に頭をさげよう。私に理想の世界を見せてもらいたい。そのためなら、私はどんな非道も乗り越えて見せよう。そして諸君らと共に、新たな未来を切り開こうではないか!」
両手を大きく広げて、部下に向き合う。
”十三番”に視線をやる。彼もまた、深く、深く頭を垂れていた。
「どこまでもお供します。枢機卿閣下」
「ありがとう」
目の前に跪く精鋭達も、ただひたすらに枢機卿へと忠誠を誓う。感極まったのか、中には涙を浮かべるものまでいた。
”十三番”が、よく通る声で彼らへと告げた。
「皆、やろう。我らの手で、主に新たな明日を見せよう!」
その声に、迷いなく答える声が響いた。
「我らが主の、御心のままに!」
カルディナーノは満足して頷く。
それでいい。そうして、憎き国王を潰し、その先の未来を描こう。それこそが、魔法を統べる、龍神聖教会枢機卿カルディナーノの使命なのだから。
―――
国王ヴィガードは深くため息を吐いた。
もうすぐ太陽が沈む時間。彼は執務室で一人思索にふける。
何度も、何度も、考えたことだった。
このカーライルという国が、”より良き未来”をつかむために必要なこと。
それが魔法だった。
一宗教の雨乞いの呪術。それに興味を持った時、こんなことになるとは欠片も思っていなかった。ただ、民が苦しまなければ良い。王族の一員として、皆と同じ志を持って始めたことだった。
本当に、はじめはただそれだけだったのだ。
だがすぐに、彼は気付いた。
この力は、飢饉への対策に留めるにはあまりに強大であると。
どこにでもある水を、一瞬で気体へと変換させる力。その際に光と熱が損失として発される。未だ紐解かれていない謎も多いが、それが魔法の基礎理論であることに違いはない。
それはすなわち、水さえあれば無限の力が手に入るということ。目を疑う発見に狂喜乱舞したのもつかの間、彼は魔法が恐ろしくなった。
これは、間違いなく世界を変える。
それを見つけてしまった自分が怖かった。取り返しのつかない一歩を進めてしまったような気がした。
確かに、その損失の利用は一定の成果をもたらした。時に灯りに、時に武器になる光と熱、それだけでも恩恵は十分大きかった。だが、その程度で留まる力ではないのは明らかだった。
これから、魔法技術は新たな段階へと進む。
着目するのはその形態変化。液体から気体に変わる、その莫大な反発力を利用すれば、出来ることは飛躍的に広がるはずだ。
製鉄技術と組み合わせた工業の革新。外洋航海技術に活用した海運の革新。
そう。この国はもうすぐ、産業革命を迎えようとしている。
その先にあるのが果たしてどのようなものか、ヴィガードですら予想は難しい。このカーライルという小国が、他の列強諸国に対してどう振る舞えるのか、不安は尽きない。
だがもう止められないし、止めるつもりもない。
確かに民は大切だ。だが、それだけで国は成り立たない。他国にこの技術が渡る前に、自らが強くなる必要があった。
だからこそ、急いだのだ。父親を蹴落とし、国の実権を握ったのだ。
それなのに。
北に山、南に海。それがこの国の縮図。
その海を龍神聖教会に抑えられてしまったのが、どこまでも痛手だったのだ。ヴィガードの推し進めた、革新的な、それでいて強引と言わざるを得ない政策には反対する者も多く、彼は苛立った。無理に進めようとして、エルシアという望まれぬ命すら生み出した。
事態が動いたのは、昨年のこと。
”頻発しているスタンピードに、龍神聖教会が関与している”。
その報告を受けた時、彼は喜んだ。
ようやく。ようやくこれで、教会を潰せる。大海へ通じる道を手に入れる口実を得た、と。
民の犠牲。それは確かに避けるべき事態であろう。だが、それよりも優先すべき事項が彼にはあるのだ。
そう、結局は優先順位の問題。天秤にかけているだけ。
教会は臆病だ。戦力を整えなければ襲ってはこない。すぐさま糾弾すれば、力を蓄えつつある教徒は南に閉じこもり、隠れて更なる戦力の拡充に終始するだろう。ならば奴らを調子に乗せ、いけるかもしれないと錯覚させ、王都に誘い込んで叩けばいいだけのこと。
すべてが終わった後でスタンピードの事実を公表すれば、義勇軍の目も冷めよう。国の動きが遅かったことは確かに責められるだろうが、それこそ躱し方はいくらでもある。
「何故誰も分かろうとしない……」
本当は、彼だってここまで混乱させるつもりなどなかった。
気付いたらこうなっていた。気付いたら民を傷つけていた。それでも進むべきだと信じた。ただそれだけのこと。
けれど、第一王女も、宰相も、その息子も。皆が皆、彼に反旗を翻すのだ。
だから幽閉した。謹慎させた、毒殺した、失脚させた。
王はいつだって孤独だ。
それも、明日で終わり。
どれだけ傷つけることになろうとも。王として為すべきことを為す。
それが国の発展を為す、国王の責務だ。
何度も考えた終戦後の動きを頭の中でなぞりながら。ヴィガードはたった一人、思考の海をたゆたい続けていた。
建国式典の前日のことだった。
―――
ケト達が身を隠している川沿いの小屋。そこから少し南下すれば、王都は目と鼻の先だ。
向こうに見えるのは高くそびえる外壁。
更にその先、突き出た何本かの塔のある場所が、目指すべき王城なのだろう。
日はもう沈みつつある。夜のはじまりだ。
ケトはガルドスとミーシャに付いて来てもらって、偵察に出ていた。
「……時間通りだな」
「時計、まだうまく読めない。ガルドスに見てもらったの」
ふと気づけば、ケトの隣に黒いローブの男が二人立っている。合流の時間だった。
いいや、違う。少女の感覚はしっかりと忍び寄る”影法師”の感覚を捉えていた。どうやら川沿いにぐるりと回り込んで来たらしい。ガルドスがふんと鼻を鳴らし、ミーシャは目を真ん丸にしていたけれど。
「馬と荷車、ありがと」
「……帰るときに必要だろう?」
「うん、でも武器まで乗っけてくれるなんて思ってなかったから」
共に来てくれたブランカの面々は、もう少し後方で待機している。宰相家嫡子と第一王女が提供してくれた隠れ家で、その時を待っているのだ。
第一王女曰く、王族が非常時に使うための場所なら、まだ騎士団の監視もないのだとか。
彼らが驚いたのは、隠れ家の隣に止められていた数台の荷車である。
被せられた布をのければ。それはもう出るわ出るわ。矢に盾、魔導瓶、投槍に、ナイフ。更には大樽いっぱいの浄水までもが、これでもかと詰め込まれていたのである。
「これが、”よこながし”ってやつ?」
「いやケトちゃん、違うから。お願いだから変な言葉覚えないで」
フードを取っ払ったコンラッドは、焦るケルンや目をぱちくりさせるケトに向かって、笑いかけてみせた。
「さて、時間は限られているからな」
これがケトにもたらされる最後の状況報告だ。一語一句聞き逃すつもりはなかった。
コンラッドにもやることは山ほどある。この後すぐに、王都にとんぼ返りする手はずになっている。
「式典は予定通り、明朝開催される。その場で教会から陛下へ宣戦布告となるだろう。開戦だ」
「うん」
「だが、実際にはその少し前から戦闘が始まると思ってくれ」
「そりゃもう式典どころじゃないんじゃないか?」
口を出したのはガルドス。その視線が地図から離れることはない。
「宣戦布告前に仕掛けるのは義勇軍だからな。教会との繋がりを明らかにしない以上、陛下は強引に式典を強行するよ。……話を戻すぞ。今回、エルシア殿下の策略で、地下水路は完全に非戦闘地域となる。地下から抜かれることはない代わりに、地上は激戦が予想されている」
何度も見てきたボロボロの地図に、顔を突き合わせる。
「ケト嬢は、戦闘開始と同時に王都北門を突破。その後、指定位置に指定時間までに辿りついてくれ」
「もし遅れたらどうなるの?」
「エルシア殿下が死ぬ」
「……分かった」
なんともあっさりと帰って来た答えにぐっと口を引き結び、ケトは地図をじっと見据える。
目指す場所、周辺に張り巡らされている裏道の数々。全て頭に叩き込む。今こそ龍の記憶力が必要になる時だった。コンラッドが地図の一点を指で示して続ける。
「指定場所の確保が鍵だ。敵の部隊も陣取っているはずだし、城門の魔導砲の射程内でもある。だから援軍をそこで待機させておく。”猫の徽章”のことは伝えてあるから、うまく連携してくれ」
「そいつは心強いな。……合流後、指定位置を引き払ったら、後は可能な限り急いで王城へ向かう。それでいいな?」
「ああ。ここまでくると状況が読みづらくなるが、目指すのが”六の塔”であることに変わりはない。エルシア殿下と”本命”も、その近辺にいるはずだ」
「了解」
ガルドスの声を聞きながら、ケトは小さく息を吸う。
要は、突っ込んで、戦って、突破する。混じり気なしの総力戦だ。
「ケト嬢」
「うん」
「気負うなよ。お前には助けてくれる人が沢山いる。それを忘れなければ大丈夫だ」
数の少なさを、奇襲の勢いと少女の力で押し通す作戦なのだ。成功がその小さな肩にかかっているようなもの。震えて当然だ。
「……大丈夫」
「ああ。怖くなったら周りをよく見ろ。ケトは決して一人じゃない」
「あたしたちが守ってみせるから。ケトちゃんは心配せずに前を向いていなさい」
小さく何度も頷く少女に、大人たちは笑いかける。
「うん」
「……エルシア様が待っている。ちゃんと迎えに行ってあげてくれ」
コンラッドからかけられたその言葉は、隠密などとは思えない、暖かな感情の色を纏っていた。
そうだ。シアおねえちゃんだって戦っているのだ。
怖いのはケトだけじゃない。それを考えれば、きっとやれる。
「分かった。がんばる」
すう、はあ、と大きく深呼吸をしてから頷いた少女に、コンラッドはそっと手を伸ばした。
「ああ。がんばれ」
最後に微笑んで、ぐしぐしと銀の髪を撫でてから。”影法師”は少女の前から姿を消した。




