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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第十章 少女はその手に剣を取る
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猫の徽章と黒ローブ その6

 ケトにはずうっと不思議だったことがある。

 シアおねえちゃんが何かやらかす時、みんな絶対に「すごい」とは言わないのだ。


「……何やってんだエルシアちゃんは。よく分かんないけど」

「これってヤバいんじゃない? よく分かんないけど」

「いや、絶対ヤバいだろ。よく分かんないけど」


 今だってそうだ。みんな戸惑いながらも、顔に浮かべるのは一様に呆れ顔。

 けれども最近、ケトにはみんなの気持ちが少しだけ分かったような気がするのだ。


「どうしてあの子はやることが極端なのかね」

「悩みすぎてはっちゃけたんじゃないか?」

「ありえる。というか絶対そうだろ」


 そう。エルシアは常識外のことを、常識外れだと分かった上で実行するのだ。巻き込まれる方はたまったものじゃない。

 そしてもう一つ。


「普段なら、アホかって言って終わりだぜ、こんなの」

「……だがなあ」


 顔を見合わせる田舎者達。


「もしも、もしもだぞ? エルシアちゃんの策の通り行けば……」

「ああ。ちょっとは、何かが変わるんじゃないか?」

「……あの娘は本当に、人を乗せるのが上手いよなあ……」


 腐りきったこの国で、エルシアの口から語られる未来。

 それは決して褒められた考えではない。むしろ全てを混乱に叩き落としてしまう、傾ききった思想なのかもしれない。彼らにだって、それくらいは分かる。


 けれども。

 それが何故か、”良いもの”に見えてしまうのだから、本当に始末に負えない。


 ロンメルが、目を伏せていた。

 やはり思うところがあるのだろう。小さく動いた口から「リリエラ様」とかつての主人の名が紡がれるのが、ケトの目に映った。


「覚悟を決められたのか……」

「うん。シアおねえちゃんも、わたしも」


 小さく答えると、ロンメルがガルドスとケトへと視線をやった。


「分かっておるのか? その策は理想論じゃ。子供の我儘とすら言える。失敗すれば皆殺しになっても文句は言えんぞ」

「逆に聞くが、シアがその程度のことも分からず進めようとしてると思うか、爺さん」


 ガルドスはため息を吐いた。


「俺だって、最初は何言ってるんだって思ったよ。だがな、この国を知れば知る程、何かが(くすぶ)るんだよ。どうにもならないって分かっているのに、どうにかしたくなっちまう。そしてそんな人は、王都にも沢山いる」


 人攫いの騒動で。王都で。あの逃避行で。

 ガルドスはただひたすらに、もどかしかった。

 力のない自分が。頭の回転が遅い自分が。自分の想いすら言葉にできない自分が。


 きっと自分だけじゃない。そんなもの、誰もが抱えていて。誰もが目を逸らしていて。


 けれども、それと正面から向き合い、エルシアは一つの答えを見出した。

 今の第二王女は、そのもどかしさを言葉にできる人間だ。


「うちの領主様もやる気だ。シアの姉ちゃんも説得している。その人たちの力も借りれば、夢物語が現実になることだってあるだろう」

「理想論でしかないんじゃぞ? その先に待つ混乱はどうする……? 責任など誰にも負えん。こんなもの、一人の人間の肩に負えるものではない」

「だからこそ、考えて欲しい」


 大男の真っ直ぐな視線を受け止めたロンメルが、言葉を詰まらせた。


「シアからの伝言を伝えるよ」


 しんと静まり返るフロア。


「”無謀だと思ったら無理はしないで欲しい。その場の雰囲気に流されないで欲しい。皆を危険にさらしたくないのも本心だから。だけど、よく考えて、本当によく考えて、賭けてみても良いと言ってくれる人がいるなら、どうか私を助けてください”」


 皆、顔を俯けていた。

 その言葉を自分の心に落とし込もうとしているのだと、大男には分かった。

 一人だけ苦笑を漏らしているミーシャは、何とも言えない口調でぼやいた。


「……何よ。何も考えずに行くつもりだったあたしが馬鹿みたいじゃない」

「あの受付さんらしいな……」


 ランベールが呆れたように笑い、ロンメルは肩を落として笑う。


「……じゃあ、何じゃ。うん、とりあえず考えてみようかの」

「待ってくれ。もう一回、最初から状況を説明してくれなきゃ分かんねえよ」

「俺もだ。話が複雑すぎて意味分からん」

「さっき酒瓶開けなかったことに感謝してる……」


 戸惑ったように毒気の抜けた顔で笑い合う人々に向かって、ケトとガルドスはもう一度、ありがとうと頭を下げた。


―――


 ケトが倉庫の階段を伝ってギルドの鐘楼に上がるまで、ジェスは跳ね上げ扉を押さえていてくれた。

 少女の傍を片時も離れようとしないミヤは、二人の隣をすり抜けて欄干に上ると「みゃあ」と一声。


「ありがと」

「おう」


 サニーがポニーテールを揺らしながら、問いかける。


「お話、終わらないね」

「難しいし、答えなんてないから。きっとまだかかるよ」


 鐘楼から見渡す町は、とっくに夜の帳に覆われている。

 けれども、下では今も大人たちが議論を交わしているはずだ。ミヤの柔らかな毛並みを撫でながら、ケトはへにゃっと笑った。


「……せんせい。怖かったね」

「でも、ギルドに泊まること、許してくれた」

「絶対帰れって言われると思ったもんね」


 ティナがふるりと、体を震わせてみせた。

 先程、炊き出しの鍋を片付けるケトの前に、ダリア院長が現れたのである。

 その目に光るものを滲ませた院長先生から、力いっぱい抱きしめられたのもつかの間のこと。ケトはやっぱり、他の三人と一緒にしこたま叱られてしまった。

 何て危ないことしたのかと言われてしまうと、ケトにもサニーやティナにも言い返す言葉がない。

 そんな中で、ジェスだけは一人食い下がった。


 危ないことは分かってる。でも、やらなきゃいけないことだったのだと。

 どれだけ怒られたとしても、絶対にやり切ることだったのだと。


 ケトは驚いた。やっぱりジェスはすごい。あの院長先生を驚かせていたのだから。

 目を見開いて少年を見つめた院長は、やがて眦を緩めて言ったものだ。


 その言葉を、ケトは改めて呟き直す。


「絶対に帰ってくること。分からないことは相談すること。帰ってきたら、ちゃんと何があったか話すこと」


 どれもとっても大切なことだ。

 ケトにとって、何も分からないまま突っ走ることほど怖いものはないのだから。


 詳しい話はしなかったけれど。きっと先生も何かを察していたのだろう。

 最後にケトの頭を撫でながら、看板娘の育ての親は、こう言った。


「シアを……。あの子を、助けてあげて」


 両手をついて、欄干から身を乗り出して。

 一人の”白猫”と一匹の白猫は、一緒になってぐうっと伸びをする。ついでに大きく深呼吸。

 火照ったケトの心は冷めないままだ。けれど夜風のお陰で、頭の中がすっきりと澄み渡っている。


「ギルド、直してくれてありがとね」

「……大したことじゃねーし。それにまた壊れちまったし」

「ジェス照れてる」

「照れてるー!」


 思わずそっぽを向いた少年を、サニーとティナがはやし立てる。


 ついこの間、ケトの誕生日にも同じやり取りをしていたはずなのに。

 変わらない四人。けれど、少しだけ大人になった四人。


 何だか、酷く懐かしい気がして。四人、顔を見合わせてくすくす笑った。


「また直さなくちゃいけないね」

「……でも、お前またどっか行っちゃうんだろ?」


 ポツリとこぼれた言葉。

 隣の顔を見れば、真面目な顔をした少年が、ケトをじいっと見つめていた。

 胸のどこかをドキリとさせるその真っ直ぐなその瞳に、ケトは思わず息を飲む。


「……そう、だね。シアおねえちゃんが待ってるから」


 そう。まだ、終わりじゃない。

 ケトには行かなければいけない場所がある。


「本当だったら、一緒に行くって言うんだけどな……」


 酷く大人びた目。

 本当に、彼はいつからこんな顔をするようになったのだろう。それこそ歳なんてケトと二つしか違わないはずなのに。


「戦ってるお前を見て、分かった」

「え?」

「きっと今の俺じゃ、足手まといになるだけだ。だから、一緒には行かない」

「ジェス……?」


 彼が今も背負っている剣は、かつて彼の父親が振るっていたものなのだそうだ。

 それはまだ、彼にとって酷く大きい。


「だからさ、必ず帰って来いよ。お前が帰って来るころには、今度こそギルドをピカピカにしておく」

「……うん」

「その時には、俺ももう少し強くなっているから」

「ジェスはすっごく強いよ」

「ケトには負けるさ」


 気負いのない顔で微笑み合う。

 少年の暖かい手が、少女の両手を包んだ。


「ロンメルさんに頼んだ。俺、春から冒険者になるよ」


 少年の目が、きらりと光る。

 それはかつて、少女が憧れた意思の光。今ならきっと、少女にも宿っている、決意の光。


「いつか、追いついてみせる。ケトを守れるくらい強くなってみせる」

「うん」

「だから、抜け駆けはなしだ。何があっても、この町に帰って来い。約束だ」

「約束……」


 口の中で、言葉を転がす。約束。うん、良い響きだ。


「約束、する」

「ああ。待ってるから」


 何だか顔が熱い。見上げる少年の頬も、心なしか赤いような気がして。

 にやにやと見ていたサニーとティナが、我慢できなくなったように「照れてる!」と茶化し、更に顔を赤くしながら、ケトは思う。


 やっぱりジェスはすごい。

 必ず帰るという意思を、ケトにくれたのだから。


―――


 翌朝のこと。早くも復旧に動き始めた町で。


 その南門には、剣と鎧を着込んだ一団が揃っていた。


 冒険者を中心にしたその中には、旧式の騎士鎧に身を包んだ老人だとか、衛兵に借りた革鎧をまとった元人攫いだとか、そこここに一風変わった戦士の姿も見える。


 彼らの中心には、一人の少女。


 外套に身を包み、刃のない剣を腰に纏った”白猫”が、声を震わせていた。


「……こんなに!」

「どうだ、すごいだろう、ケト?」


 隣の大男が自慢げに笑う。

 誰も来てくれなかったらと思うと怖かったのだが、そんな心配は杞憂だった。まさかここまで集まってくれるとは思いもしなかった。


「……ほ、本当にいいの?」

「良くねえよ。滅茶苦茶危ない橋を渡ろうとしているんだぞ」


 そう答えたのはオドネルだった。ギルドの常連さんが一斉にうんうん頷き出した中で、彼は腕を組む。


「だがよ、うちのギルドの看板娘が二人とも困ってるってのに、何もしないなんてどうなんだって話になってな。それこそブランカの冒険者の名折れじゃねえか」

「ま、帰ってきてくれんと華がねえよな」

「おいナッシュ! マーサさん見送りに来てくれてるんだぞ! 聞こえたらやばい」

「何か言ったかい? ……この町は衛兵隊とあたしらで守るから。心配せずに行ってきな」


 ギルドの先輩職員が睨みを利かし、一部の冒険者たちが震えあがる。衛兵隊のエドウィンが、まあまあと笑って収めていた。


「……かつて儂は、エルシアの母君を守り切れなんだ。その無念を晴らさせてもらう機会をくれたのじゃ。行かぬと言う選択肢がない」

「ま、受付さんには何だかんだ世話になったからな」


 ロンメルが、ランベールと視線を合わせにやりと笑う。


 ケトには分かる。


 決してそんなに簡単な理由で決められる話ではなかったはずだ。国一つを巻き込む戦地に飛び込むことがどういうことか、昨日あれだけ激論を交わしていたのだ。誰もが向き合ったうえで、ここにいるはずだ。

 大人たちは夢だけ見ていれば良いという訳ではない。

 皆それぞれに、自分の生活がある。その基盤を自らの手で崩す決断になるかもしれない。人生の全てを壊しかねない、そんな決断のはずだ。


 けれど彼らは、一様に呆れた顔をして笑う。

 今だけは全てを飲み込み、心に一応の納得をつけて、誰もがここに立っている。


 ランベールが自らの鎧をつまんで肩を落としていた。


「しかし、混戦になるってのに、統一感ないな。王都で合流するっていう味方に勘違いされないといいんだが」


 皆バラバラの鎧を着て、バラバラの武器を持っているのだ。まあ、当たり前の話である。自分達はどこまでいっても、田舎町の冒険者で在り続けるのだから。

 入り組んだ王都で、混乱する可能性は大いにある。不安を笑い飛ばしながら、戦士たちが自らの装備を見下ろして苦笑を漏らしていると。


「ケトーっ!」

「間に合った!」

「これつけてってくれ!」


 見送りに集まった人込みの中から、三人の子供たちと一匹の猫が飛び出してきた。

 その手にはそれぞれ籠を持ち、強面たちが一斉に浴びせた視線にも負けず、一直線に駆け寄って来る。


「何だ、何を持ってきたって?」

「お守り! みんなちゃんと帰ってきますようにって!」


 ティナが大きな声で答え、サニーがお守りを手に取って見せた。


「お?」

「それって……」

「あ、見覚えあるぞ。何処で見たんだっけか」


 その声に、ジェスが大きな声で答える。


「蚤の市で作ったやつだ!」

「……蚤の市? ……ああ、猫のワッペンか! 家のどっかにあったなあ、どこやったっけ?」

「あー思い出した! めっちゃ売れ残ったってエルシアちゃんがぼやいてたやつか!」


 子供たちの手の中には、黒地に白糸で縫い付けられた猫の刺繍。


 かつて蚤の市で孤児院の子が作り、お店を開いて売っていたワッペン。

 少女の胸にいつだって輝いていた、可愛らしくて、強面には似合わない、そんな意匠のワッペン。

 ご丁寧に服に止めるピンまで持ってきた彼らを見て、戦士たちは笑う。


「……確かに、この場合ぴったりだ」

「ワッペン、……いや、徽章って言うんじゃねえのか、こういうのって」

「”白猫”を守る俺達らしいじゃねえか!」


 彼らは口々に、猫のワッペンを見て騒ぎ始める。


「よし、決まりじゃな」


 ロンメルが背筋を伸ばし、周囲に向き直った。


「皆の者、お守りを受け取ったら左胸につけろ。これで味方を見分ける。良いか、”猫の徽章”が、我らブランカの証じゃ」


 鬨の声が、町を揺らす。

 常連さんを代表するかのように、ブランカのギルドマスターがケトとガルドスに向き直った。


「儂らで、ケトを援護する。お前さんを、エルシアの元まで連れて行こう」

「……!」


 吐き出す息が震える。胸が詰まって、ケトは言葉が出せない。


 朝方のひんやりとした空気に、ふと温かみを感じた。

 きっとこれは龍の感覚。それくらい、ケトにはもう分かる。


 視渡せば、それぞれ違う印象を抱かせる大人たち。

 これまで視てきた人たちだって、誰一人とて同じ色を持つ人はいなかった。


 けれども、ごく稀にそんな人たちから、揃った思惟を感じることがある。

 これまでバラバラに歩いて来たはずの人たちが、それぞれの意思を混じらせて、一斉に同じ方を向いたような、そんな奇跡の瞬間。


 ケトは今、その中心に立つ自分を知覚して。だから、そっと呼びかけずにはいられない。


 ねえ、シアおねえちゃん。

 あなたはこれを作ってくれたんだね。


 少女を囲む、人々の輪。

 これこそ正に、町のギルドの看板娘が築き上げた、少女を守る最強の力だ。


「行ってくるね、ジェス」

「おう。待ってる」


 少年が隣で笑って、少女に言った。


「どうか、ケトに幸運のあらんことを」

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