小さな彼女におかえりを その5
ギルド二階の一番奥。倉庫の隅。
そこには、小さな梯子が備え付けられている。上に登れば鐘楼にたどり着けるそこは、普段ならば職員が登って掃除する時くらいしか使われることがない。
その小さな梯子に、子供たちは必死になって飛び付いた。
「ジェス、急いでってば!」
「はやく、はやく!」
「分かってる、分かってるって!」
ジェスは必死になって、梯子のてっぺんの跳ね上げ扉を開けた。
予想外の重さにふらつきながら、蝶番を軋ませて持ち上げる。四角く切り取られた空から日の光が差し込むそこに、白い毛並みの猫が体を滑り込ませた。
穴に体をねじ込んで、半ば転がり出るように、屋上へ。
町の外の轟音。下の階の激しい戦闘の音。
酷くうるさい町のてっぺんで、鐘楼は静かに、三人と一匹を迎えてくれた。
周囲はもう、冬とは思えない程に暖かかった。それはもうすぐ来る春の訪れか、はたまた少女の魔法の力か。それは彼らにも分からない。
けれども、うららかな日差しの元に飛び出した彼らは、一様に思う。
春が近い、と。
「あった……!」
ティナが指さす方向。鐘を吊るす金具に括り付けられたそれを、彼らはついに視界に入れる。
「大きな袋、重そうな袋……!」
「間違いない!」
ティナが騒ぎ、ジェスはロングソードを悪戦苦闘しながら引っこ抜いてから気付く。
「どうやってあそこまで登る?」
「どうしよう……」
ジェスが振り返ると、ティナが眉をへの字に曲げた。
下から何かが衝突する音。これが剣戟の音なのだろうか。ロビーではロンメルたちが、すぐ下で、ランベールが戦っているのだ。急がなければならない。
「……ジェス、あたしの肩に乗っかって!」
「はあ? 何言ってるんだ、俺が下だろ!」
「その長い剣持ってるのはあんただけでしょ! ほら、ティナも準備!」
「文句言うなよ!?」
サニーがにやりと笑う。その顔を見て、ジェスは心を決めた。
「うひゃー、なんか変、なんか変! ていうか、あんた重すぎ!」
「うるさい、変な声出すな!」
「あああ、危ないってば……」
鐘楼の外壁と鐘自体を支えに、危なっかしくふらふらとしながらも、サニーは何とかジェスを乗っけることに成功した。
同じくらいの背丈のジェスを乗せているからか、ポニーテールを振り乱す彼女の足元が酷くおぼつかない。ティナはもう気が気じゃなさそうだ。
「は、早く切って……、もたないぃ……」
「揺らすなって、もうちょい、もうちょい……!」
中身を傷つけたら元も子もない。剣の重みでプルプル震える腕を伸ばして、ジェスは狙いを定めた。
「うおりゃあッ!」
「わっ、わっ、わあっ!」
無理やり振るったロングソードの先で、袋の腹が切り裂かれた。はずみでサニーがバランスを崩し、上に乗ったジェスが滑る。期せずして振り上げる形になった剣が鐘に当たって、一際大きな調べを奏でた。
「ひゃあああ!」
「ぬわあああああッ!」
「あああああ!」
鐘の音に子供たちの悲鳴が重なる。
サニーが尻餅をつき、ジェスは石の床に転がり落ちた。どこか間の抜けた騒ぎの中、少年が入れた袋の切れ目が、中身の自重によって少しずつ開いていく。
「いったあ! ……お願いティナっ!」
「うおお、痛えっ! ……ティナっ!」
二人が痛みにおかしな呻き声を上げた瞬間。ついに袋の中身が転げ落ちてきた。べちゃりと床に落ちてきたそれに、子供たちは更に悲鳴を上げる。
サニーがお尻を押さえ、ジェスが頭にたんこぶをつくりながら。
「ひいいいいいっ!」
転げ落ちてきたオーガの子の鼻先に、涙目のティナが薬瓶を突き付ける。
傷だらけで、耳たぶがないオーガの子は、突然開けた視界に目を丸くした後、黒髪の人間が差し出した薬の匂いを嗅いで、目をぱちくりさせた。
―――
「お前ら、こう何度もブランカを狙う理由はなんだ! この町に何の恨みがあるってんだ!」
「”白猫”に”傾国”を抱えた町だぞ? 事を起こす前に潰す理由にしては十分だろう!」
「ふざけるな! この町の人間が何をしたってんだ!? お前らが手を出さなければ、何も起こらなかった。化け物を化け物として呼び覚ましたのはお前らだろう!?」
剣を交わしながら、”四十八番”は叫ぶ。
「剣を退け、ランベール! 今ならまだ許してやろう、下の冒険者どもを鎮圧して来い」
「はっ、冗談きついな!」
「クシデンタに残した家族が泣くぞ。さぞ見ものだな」
「ならばお前はここで潰さないとな……!」
家族のことを引き合いに出された瞬間、頭に上りかけた血。それを諫めるように、上階で鐘が一つ鳴った。目の前の教徒がハッとしたように目を開く。
「……くそっ、さっきのガキどもか!?」
「通さないと言ったはずだ!」
彼らもまた、戦っている。銀の少女と共に戦っている。町の人と共に、戦っている。
敵としてではなく、見守る大人の輪の中で、その小さく、かよわく、しかし希望に満ち溢れた背中を守ることができる。それの、なんと幸せな事か。
血相を変えた白ローブに光弾を連射。撃ち返された魔法は紙一重で避けながら、突破を試みた敵の前にランベールは立ちはだかり続ける。
「そこを通せ! 我々は目先のことばかり見ている訳にはいかん! 我らはヴィガードを殺した後のことを考えなければならんのだよ!」
「俺達の生活を滅茶苦茶にして、あいつらを傷つけて、言うことが”先のこと”!? ふざけるのも大概にしやがれってんだ!」
「大義の前には必要な犠牲だ。この世を次の時代に進ませるためのな! ランベール、貴様とてそれは分かるだろう……!」
「黙れッ!」
もう狂信者の言うことなど聞くつもりはなかった。敵が剣を振り抜いた瞬間を狙って、膝蹴りを叩き込む。ふらついた白ローブに向かって更に拳を振り下ろす。
修道着の男はしぶとかった。苦し紛れの剣舞でランベールの動きを抑えようと飛び込む。
「必要な犠牲だと……?」
途切れぬ連撃。けれど、生まれた隙に迷わず袈裟懸けを叩き込むことくらい、”金札”には出来る。ローブの前が破け、鎖帷子のきらめきが映る。カウンターで放たれた光弾が、ランベールの頬を切り裂いた。
「いくら難しい理窟をこね回したって……」
「くそがっ……!」
クヴァルデコークの顔が歪む。その腕を切り付けて、敵の動きを鈍らせる。
「あいつらを泣かせようとする奴を、俺は許さねえよ!」
白服の手から剣が落ちる。それでも左手に展開された魔法陣を、蹴り飛ばしてかき消す。狂ったように喚き続ける”番付き”に、”金札”は突っ込んだ。
「……いくら守ったところで、あの娘どもは幸せなどなれん。生まれた時点でその宿命を……!」
「もういい、黙ってろお前」
そんなこと、言われなくたって知っている。
あの姉妹を取り巻く環境がどれだけ厳しいものなのか、考えるくらいの頭はランベールにだってある。今町を守ろうと剣を持つ少女が、どれだけの奇跡の上に立っているか、想像だってつく。
「でも、だからこそだろう? だからこそ俺たち大人が、あのガキどもを守らなきゃいけないんじゃないのか!?」
傷つけるなど言語道断。どれだけの思想をかざしたところで、幼い子供を蔑ろにすることを前提とした理想郷なのだ。それはもう、陳腐な我儘と何が違うのか。
悩み、迷い、泣き、怒りながら成長していく子供たちを、それとなく手を貸し、慈しみ、しかしいざとなれば正して。何よりも、共に笑い、喜び、寄り添い、彼ら自身が望む方向へ導いてやること。
「それこそが、大人の務めってもんだろうが!」
「ウガッ!」
呻いた狂信者が最後の足掻きを見せた。
胸元に四重の魔法陣。瞳孔を開き、口から血を撒き散らしながら、教徒そのものが輝きを纏う。血の巡りを暴走させ、自らもろとも吹き飛ばそうとした男に、ランベールは突貫した。
「わ、我らの世界に、栄光あれえええッ!」
「そんな世界は、迎えさせねえッ!」
全力で剣を叩きつける。魔法陣を叩き割り、自爆の魔法を強制的に止める。彼はその胸に剣を振り下ろして。
もはや、物言わぬ躯となった男の前で、ランベールは呟く。
「俺は大人だ。あいつらを、あいつらが生きる世界を守るのが、俺の役目だ」
その邪魔は、誰にもさせるつもりはなかった。
―――
「怪我はないか、お前ら!」
「ランベールさん!」
「みゃー」
ランベールが梯子を登り切ると、ほんのりと暖かい風が彼の頬を撫でた。澄み切った空気が、身に沁みついた血の匂いを払ってくれるようだった。
「大丈夫、よゆーよゆー」
「ジェスが一番ビビってたくせに」
「んなっ!」
抜身の剣を握ったままの少年が真っ赤な顔をしていた。ケラケラ笑うサニーの横で、ティナが片っ端から薬瓶を開けているところであった。
「いっぱい塗った」
女の子が小さな指で示す先を見る。
オーガの子供が、薬に全身に塗りたくられべとべとになり、あちこちに包帯が絡みついた状態で座り込んでいた。
「言われた通りお薬あげたの」
「お、おう……」
「こいつすっげー大人しいのな。薬がどんなものなのか分かってるのかも」
ジェスの言った通り、小さなオーガは辺りを囲む子供たちの顔をキョロキョロと見回している。暴れる素振りは全く見せていない。
「そんなオーガがいるは思えんが……。と言うか、こいつ縛られたりしてなかったのか?」
「とっちゃった」
「何だと!?」
隅に転がった、縄の残骸を見てランベールはギョッとした。まだ子供とは言え危険極まりない魔物を、拘束もしていないとは。
「……良く襲われなかったな」
「こわかった」
ティナがまた一瓶開けて、オーガに手渡す。魔物の子供が思い切り嘗め回しているのを見て、それは塗り薬だ、舐めるものじゃないと突っ込むかどうか悩む。
黒髪の女の子が放り出したカバンを見つけて、ランベールは中を探った。包帯を見つけ出したランベールは、テキパキと傷の上から巻きはじめた。
「結構痛めつけられているな。古傷も多いが……」
オーガの片耳は削がれていた。
恐らく今回の騒動でつけられたであろう傷の他にも、オーガの体のあちこちに古傷が見て取れた。耳たぶが削がれているのも、昨日今日でできた傷じゃない。結構古い傷が多いだろうか。
オーガの子供は確かに暴れずに、包帯をじっと見つめていた。大人しく治療を受け入れていることが、流石の”金札”にも信じられない。
「でも、スタンピードなんて、ここからどうやって終わらせたらいいんだよ?」
「ガルドスが言っていた通り、外の魔物の前まで連れて行くしかないだろうな……」
勢いのついた魔物が、ちょっとやそっとのことで止まるとは思えない。
町から引き離すためには、それこそ魔物に見せつけた上で町から離れるくらいは覚悟しなくてはならないはずだ。もちろん、囮役の生還は無視した上での話だ。
遠くの空が光る。それは少女が今も戦っている証拠。終息の兆しはまだ見えず、だが。
「……あの受付さんが、それを許すとは思えねえ」
囮くらいなら、あの看板娘は躊躇なく使うだろう。けれども捨て駒は絶対に用いない。彼女はそこまで肝が据わっていやしない。
ランベールにだってそれくらいの確信はあった。
「あの化け物、どこまでも普通の感性をもってやがる。どこまでも凡人の感性を」
彼女の顔を思い浮かべる。町の路地裏で対峙した時の敵意、地下牢で見せた異様な風格。そして町の人々から聞く彼女の人物像。
エルシアはどこまでも凡人だ。ただ、虚勢だけを身に着けた、十九歳の娘。周囲に見守られながら、日々を過ごすひねくれ者でしかない。
包帯でグルグル巻きになったオーガに、ティナが薬と包帯の詰まったカバンの肩紐をかけてあげていた。
「もってって」
「?」
「使い方わかるのかな?」
サニーが呆れたように笑う。自身も苦笑しながら、ランベールはオーガを抱え上げる。やはり魔物は全く暴れることはなかった。
隣で剣を構えるジェスが、まっすぐな目で”金札”を見ていた。
「行こう、ランベール。ケトのところへ」
もしかして、少年が名前をちゃんと呼んでくれたのははじめてではないだろうか。
自分で想像していた以上の感銘を受けつつ、冒険者ランベールは「ああ」と答える。
「援護を頼みたい。やってくれるか」
「任せてくれ」
にやりと不敵な笑みを浮かべて、進むべき階下へと目を向ける少年の隣で。
何となく、そんな気分になって。
最後に町を見渡して、ランベールはそっと呟いてみた。
「……良い町だな、受付さん」




