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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第十章 少女はその手に剣を取る
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小さな彼女におかえりを その1

2019/11/21 追記

扉絵を掲載しました(作:香音様)

挿絵(By みてみん)




「むうー」

「お前はまだマシだろ。俺なんか全然話せなかったんだぞ」

「まあ、そうだけど……」


 ケトは頬っぺたをぷくーっと膨らませた。

 それと言うのも、シアおねえちゃんに会ったらしてもらおうと思ってたことを全然できていなかったのが悪い。


「やっと会えたのに!」

「あいつを説得するのに、時間かけすぎたな」

「シアおねえちゃん、がんこもの!」

「ケトも人のこと言えないと思うけどな」


 俺も告白できなかったよと、ガルドスは苦笑する。

 ケトの予定では、抱き着いて、名前を呼んでもらって、頭を撫でてもらいながら、これまでのことを沢山話して、やさしく「偉いね」と言ってもらうはずだったのだ。

 頭を撫でてもらってないではないか。いや、ケトの方から撫ではしたけれど。それとこれとは別だ。

 如何せん、時間が限られていた。ぐずぐず鼻を鳴らすエルシアと今後の動きを相談した後、すぐに王城から逃げてきたのだ。


 でもまあ、気分は悪くない。


 かちゃり、かちゃりと金属がなる音。胸がきゅうっと締めつけられると同時に、鎖帷子が擦れる音が響いた。


「ぐえっ」

「おお、悪い。きつかったか」


 アイゼンベルグ邸の中庭で、ガルドスにベルトの長さを調節してもらっているのだ。外套の下につける特注の鎖帷子が間に合ったので、色々と手直しが必要なのだ。


「いいな。ケト嬢が傷ついたら本末転倒だ。絶対に守れよ?」

「分かってるって、ちゃちゃっと片付けてやるさ」


 腕を組んで佇むアルフレッドに、ガルドスはしっかりと頷いた。ちらりと視線をやったまま、ゆっくりと「なあ」と続ける。


「全部話したら、あんたの立場もやばくなるかもしれない。本当にいいんだな?」

「全くもって良くないが、本当に今更だな。……判断は、ケト嬢に任せる。お前が手助けしてやれ」

「わたしは弱いから、みんなに助けてもらわなくちゃダメなの。シアおねえちゃんもそう言ってた」


 ガルドスがポンポンと柔らかく頭を撫でてくれた。ごつごつしたガントレットの感触を感じながら、ケトはピンと翼を伸ばす。


「準備できたよ」

「自分で言っておいてなんだが、滅茶苦茶怖えな……」


 ガルドスが盾を背中の金具に取り付けてから、その巨体をひざまずかせる。彼の大きな背中を眺めながら、ケトは自分と彼を繋ぐベルトのバックルを確かめた。貴公子が二人の顔を交互に眺めて、眉を下げている。


「何とも不安な構図だな……」

「大丈夫だよ、多分」

「……俺行かなくていいか?」

「だめー」


 青年が肩をすくめ、ガルドスの苦笑には、指でバッテンを作って答える。くすくす笑ってから、ケトはゆっくりと魔法陣を展開する。


「……壁じゃない、波。揺らめく、波」


 ポーチの中に忍ばせた小瓶が、朧げな光を放ち始めた。

 二人をふわりと包み込む波。この波のイメージがつけられなくて、ケトは何度もアイゼンベルグ邸の風呂で波をばちゃばちゃ波を立てたのだ。掃除する人ごめんなさい。

 だが、その甲斐あって、ケトはこの魔法を使えるようになった。


 青年の前で、少女と大男の姿が揺らめく。すうっと音もなく、空間に消えていく。


 昔研究されたものの、結局没になった魔法らしい。どうやら海の方でまれに見られる”シンキロー”とか言う現象を紐解いて応用した魔法だと教えてもらった。”影法師(シルエット)”曰く、魔法で空気の温度を無理やり高めると、特定の条件下で起こすことができるのだとか。もっとも、理論上可能であると考えられていただけであって、実際にやろうと思ったのはケトが最初だそうだ。

 起動するだけで瓶の水を丸々一本使い果たしてしまうため、後はケトの中の水を絞り出すしかない。あまり長い時間使っていたらそれこそひっくり返ってしまうのだろうと、教官が言っていたっけ。


 ちなみにケトにはさっぱり意味が分からなかった。ガルドスにも分からなかった。

 が、少なくともどの程度の収束が必要かは力技で覚えた。

 もちろん、近くに誰もいないことが前提だ。注視されると焦点が合わないからばれる上、周囲の景色も一緒に消える。更にはある程度近づくと見えるようになってしまうから、ぶつかるぶつからない以前の問題だ。ついでに中の音もばっちり聞こえる。


 だが、頑張ると良いことがあるものだ。これのお陰で、ケトはエルシアに気付かれずに本音を聞けたのだから。


「確かにこれは……。随分景色が妙だな」

「ここだよ」


 手を振ってみたが、アルフレッドは何度も目をしばたいていた。どうやら展開に成功したようだ。


「ケト嬢、ガルドス」

「なあに?」

「確かこう言えば良いのだったかな」


 自分が見当違いの方向を見ていることは分かっていたのだろう。アルフレッドは目を伏せて柔らかく笑った。


「……すまない。お前たちに、幸運のあらんことを」

「ううん、ありがとう、アルフレッド様」

「……ブランカを、頼む」

「うん、任せて」


 翼を広げ、風を感じて。


 ケトは地を蹴った。

 ガルドスの重みにふらついたのも一瞬。羽ばたきが莫大な推力を巻き起こす。少女の体がふわりと浮き上がり、続いて大男が引き上げられる。

 ばさりばさりと、翼を動かす。周囲の目から隠れたまま、少女は王都の夜空へと舞い上がった。


「うおおおお、怖えええええっ!」


 ガルドスが真っ青な顔をして、足をばたつかせているけれど。あんまり時間がないのだ、申し訳ないが慣れてもらうしかない。

 

「行くよ!」

「お、おうよ!」


 真っ直ぐに北を見据えて、ケトは空を蹴り出した。


―――


 冬も終わりに近づきつつあるブランカだが、一面の銀世界は変わらない。


 見通しの良くなった表通りを、今日も今日とて子供たちが駆け抜ける。先頭はジェス、ティナが後に続いて、殿はサニー。いつもの並びだ。

 道の向こうに見える北門跡地は、町中に溢れた瓦礫を集めて、応急的にふさがれたままだ。上から雪が積もったせいで、見た目はまるで真っ白な雪山だった。


「雪降らないねー」

「もう春が近いもんな」


 どれほど痛めつけられても、諦めなければ町はそれなりの平穏を取り戻す。相変わらず院長に叱られてばかりの三人だが、ギルドを直しているのだとバレたころから、先生は見ないふりをしてくれるようになった。


 なんとか再建に取り掛かったマチルダさんの八百屋の角を曲がり、べちゃべちゃの道を進む。

 道端に避けられた雪を横目に更に奥へ。何日か前に三人で作った雪だるまはまだ形が残っていた。


 ギルドの壁に空いた穴はふさいだ。割れたガラスは綺麗に片づけた。置き去りにされた道具も、散らばった木剣まで含めて元の倉庫に立てかけた。窓ガラスだけは探し出せるようなものがないから、とりあえず厚手の布で覆っているだけ。


「ロンメルさん、何か言ってた?」

「分かんないって。衛兵さんたちと調べてるけどさっぱり」

「あの噂は? ほら、騎士団が狙ってるってやつ」

「衛兵さんは聞いてないって。でもここ最近、騎士さん見なくなったよね」

「来たって来なくたって変わらねえよ。どうせケトを探すだけで、町の片付けなんか手伝っちゃくれないんだから」


 ブランカの冒険者ギルドは、運営に支障が出る程の損害を負ったせいで、南門の衛兵詰所の一角を間借りしている状態だ。ギルド再建を考えるにはまだほど遠く、勝手に建物を直そうとする三人にお礼を言いに、ロンメルがよく孤児院に来る。と言うかそのせいで院長にバレたのだ。


「春になったら、戻って来るかな」


 ティナがポツリと呟く。

 誰が、なんて言うまでもなく、三人がそれぞれ同じ顔を思い浮かべた。

 無言の沈黙。あの子は元気だろうか。怖い思いをしていないだろうか。一人ぼっちで泣いていないだろうか。


 自然と足取りは重くなった。

 いくら田舎だとしても、この町にだって噂は伝わる。そう、戦争が近いのではないかという噂が。根拠はないのに、何となくあの子が巻き込まれている気がして、子供たちはどこか落ち着かない。


 どうせギルドはすぐ近くだ。別に急ぐ必要なんかなかった。

 いつもの元気はどこへやら。トボトボと歩みを進めた三人だったが、先頭のジェスが、ふと人影を見つけて足を止めた。


「あれ……?」

「ランベールさんだ」


 ティナの後ろからひょっこりと顔を出したサニーが呟く。彼らの視線の先に、見知った男の姿があったのだ。


「何やってんだ、あれ」

「さあ……」


 ランベールは建物の壁に背をつけて、角からこっそりと通りをうかがっているようだった。近づく子供たちに気付くと、一瞬驚いた顔をする。その足元から真っ白な毛並みの猫が姿を現して、小さくみゃあ、と鳴いた。


「……良かった、お前らか」

「何してんだ? また人攫いでもするのか?」

「そんな訳あるか」


 胡乱な表情を見せるランベール。

 ジェスは彼がよく分からない。毎日毎日子供たちに付き合ってギルドの修繕にいそしむ理由は、彼の一体どこにあるのか。

 今更衛兵隊に突き出すつもりもなかった。助かっているのも事実だし、彼にはもう棘がない。そもそも、半数が壊滅したこの町の衛兵隊はそれどころではないのだ。


 一体何処で手に入れたのだろう。

 彼はよくある革鎧を着込み、よくある外套を羽織っていた。腰にはこれまたよくある安物のロングソード。捕らえられた時に持ち物は全部没収されていたはずだから、最近になって用立てた物に違いない。

 何でクシデンタに戻らないのか。ジェスが何度聞いてもはぐらかされるだけだ。そう言う割には故郷で待っているであろう一人娘の惚気話を欠かさないから始末に負えない。


 だか、その時のランベールは雰囲気が違って、ジェスは無意識に手を握りしめていた。何となく、夏前に見た彼に似ているような気がした。

 近づいて来た子供たちに向けて、ランベールは口元に指を当ててみせた。首を傾げながら、子供達はその言葉に従ってコソコソと問いかけるしかない。


「何してんだよ、こんなとこで」

「……安心したよ。お前らがもう中に入っちまってたらどうしようかと思ってたんだ」

「どうして?」


 キョトンとサニーが目を瞬かせる。ランベールが建物の影からギルドの方角を示した。


「見てみろ。静かに、こっそりとだ」


 ごそごそと集まって、角から首だけ出してみる。


「ちょっと、ジェスしゃがんで」

「うお、いてえ何すんだ」

「……見えない」


 わちゃわちゃしはじめた三人に、「静かしろと言っただろ」と押し殺した声が掛けられる。その一方で、ティナを抱え上げてちゃんと見せてあげる辺り、彼もまた優しい所である。

 騒いでいた彼らだったが、ギルドを窺った瞬間、揃ってピタリと口を閉ざした。


「見えただろう?」

「……何、あいつら」

「教会のやつらだ……!」


 見覚えのある修道着。二人がギルドの表口を陣取っている。腰には剣。窓ガラスの代わりに揺れる厚布をめくって、建物の中から別の白ローブが顔を出し、外の男達と何かを話しだす。

 やがて、外の男達も建物の中に消えたことを見届けて、彼らは首を引っ込めた。「フシャー」とミヤが毛を逆立てていることに今更になって気付く。


「裏口も似たような状況だった。確認できただけでも七人、昨日まで影も形も見えなかったのに、どうして突然……」


 ランベールが低く唸る。


「どうしよう!」

「また町を襲いに来たんだ……!」


 震え出すサニーとティナ。襲撃の恐ろしさは子供たちにも身に沁みついているのだ。ジェスは拳をギュっと握りしめた。


「と、とにかく、大人を呼ぼう。ロンメルさんと、衛兵隊の人たちも」

「それが良い。俺がここで見張っている間に、お前たちは知らせに走れ。ここには絶対に戻ってくるなよ」

「俺は戻る。大切な場所なんだ、それをあんな奴らに……」


 言いながらランベールを見上げたジェスは、思わず言葉を引っ込めた。

 彼の目に宿る剣呑な光を見て取ったのだ。こんな目、ケトを攫った時にも見せたことなかったはずなのに。これが本物の殺気だと、ジェスは直感的に感じ取った。


「坊主、気持ちは分かるが押さえろ」

「で、でも……」

「恐らく殺し合いになる。お前にはまだ早い」

「俺だってもう十二だ。冒険者にだってなれる。それに……」


 遠くから、鐘の音が響いたのはその時だった。

 怯まずに言い返した少年の言葉をかき消すように、小刻みな音が続く。


 時刻を知らせる重い音ではなかった。普段なら馴染みのないはずの、危険を知らせる甲高い音。

 春先にも、あの雨の日にも聞いた音。悪夢の音だ。


 サニーの顔から血の気が引き、ティナが耳を押さえる。ランベールが鐘の音の方へ振り向く。


 少年もまた、全身が総毛立つのを感じた。


 家々の窓から、人々が顔を出す。皆、何事かとささくれだった神経を研ぎ澄ます。


 どこか遠い所から聞こえる悲鳴と混乱の中に。


「スタンピードだ!」


 少年は、誰かが発したその叫びを、はっきりと聞いた。

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