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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第九章 少女は優しく抱き留める
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たすけて その2

 エルシアは狼狽(ろうばい)する。

 変だ。あまりに疲れて耳がおかしくなってしまったのだろうか。


「す、すみません。もう一度、おっしゃっていただけませんか?」

「七日後に、死んで欲しいと言ったのだ」


 自分の声も、呼吸の音も。全てが遠く聞こえる中、父親の言葉だけは何故かはっきりと聞こえた。


「え、あ……。い、意味が分かりません。死ぬ? 私が?」

「そうだ。式典会場に、モーリスの娘を向かわせる。前回の夜会では及び腰で失敗したものの、”六の塔”に捕らえた今のあれは追い詰められているからな。今度こそやるだろう。お前は以前のように暴れたりせず、大人しく刃を受けてくれればいい」

「……ま、待って。意味が……、意味が分からない。どうして、どうして?」


 半ば呆然と、父親の顔を見つめる。確かにお披露目会の時、一人挙動不審な令嬢がいた。メイヴィス。確か男爵の令嬢。教会派の娘。

 ドレスにおかしなスリットを開け、中の短剣をまさぐっていた女。ワイン騒動のせいで隙を逃した人。


 その名が何故、国王の口から出てくるのか。


「お前が先程指摘した通り、私には二十年も昔のいざこざに対する理論武装ができぬからだ。あの頃は私も若かった。今ならもっと上手くやるのだがな」


 王が、深々とため息を吐く。


「魔法は元々奴らの(まじな)いに過ぎなかった。確かに紐解いたのが我が国ではあるが、そこに教会の助力は必須だった。特定の教義に、肩入れせざるを得なかった。それが私の弱みだ。消せぬ過去だ。反発する者にとっては格好の糾弾材料で、それこそが私が自ら教会に実力行使をできなかった理由だ。……スタンピードによる扇動が教会解体の名目を与えてはくれるが、式典でカルディナーノは必ずそこを突いてくるだろう。だからこそ、それを吹き飛ばすだけの事件が必要なのだ」


 エルシアは呆然と、首を横に振る。頭が、心が理解を拒んでいる。


「”教会の刺客に第二王女が殺される”。それは事を動かすに十分な理由だ。これまでモーリス家を泳がせた甲斐があったと言うものだ。昨日の襲撃は噂のままで終わったが、同時にもたらされた男爵が連れ去られたの報告も大きい。教会との癒着(ゆちゃく)を作り上げるのに好都合だな」

「う、嘘だ。まさか、あれは陛下が……?」


 メイヴィス・クレド・モーリス。

 話したことなんかない。顔もしっかりと覚えてはいない。


 けれども、それが教会の仕業と決めつけて疑わなかった。性懲りもなくまたと、半ば怒りを覚えてすらいたのに。

 まるでケトを狙うように、教会がエルシアを狙ったのだとそう思い込んでいた。そこに疑問を抱いたことなんかなかった。


 それなのに。

 父親が何事もなかったかのような顔をして頷く。娘を殺そうとしたことを肯定する。


 息が苦しい。

 少しずつ開いていく瞳孔。意思に反して、わなわなと震える両手。痛い、痛い。胸が、心が、そして何よりエルシアが、ただ痛い。


「どうして!」


 血反吐を吐くように、エルシアは叫ぶ。気持ち悪かった。酷く気持ち悪かった。


「お前が一番分かっているのではないか? ”傾国”」


 返される言葉はとことん冷たく、エルシアを凍えさせる。


「お前の立ち位置は非常に特殊だ。私と教会、双方の罪の生きた証だ。教会に渡れば奴らに力を与える。例え教会でなくとも、事情を知ったものが拾えばいい脅しの種だ。当初お前に期待していた”影法師(シルエット)”を手中に収めることに関しては、エレオノーラとアルフレッドの婚約で進められる」


 王は揶揄の表情を一切見せなかった。ただ真っ直ぐに、エルシアのどうしようもなさをあげつらう。


「しかしそうすると、お前を一体どう動かせばいい? 生きていること自体が国にとっての不利益となるのだよ。幸いにもお前の死が国を進ませる原動力となる機会があるからな。これを逃す手はないだろう」


 信じられない。これが産みの親の言葉なのか? それ以上、一言も聞きたくなくて、エルシアは金切り声をあげた。


「ふざけないでよッ! そんな話……!」

「お前は受けるよ」


 ヴィガードは冷静だった。どこまでも冷静に、娘に死の宣告を与えていた。


「命を奪うのだ。余りある代価をお前にやるのは当然だろう」

「命より大事なものなんてあるわけがッ!」


 すかさず噛みつこうとした王女を遮り、王が言う。


「まず一つ。お前の名誉の回復」

「黙れ、黙れッ……!」


 笑えもしない。噛み切った口の端から血を滲ませ、腐ったものを見る目で睨みつけるエルシアに、ヴィガードは間髪入れずに次の条件を提示した。


「二つ目。ケト・ハウゼンの身体、心、名誉の自由の保証」

「はっ……?」


 一笑に付しようとした言葉が出なかった。ただ唖然として国王を見つめた。


「お前が大切にしている小娘だ。今はグレイに探させているが、あれはどうやら教会側も狙っているようだな……。遅かれ早かれ、捕らえられて洗脳されるだろう。運よく逃げ延びたところで、二度と日のある所は歩けまい」

「……!」

「その少女を王が認めよう。あれは亡き第二王女の忘れ形見であり、その遺言に従って一切の干渉を禁ずる。もし、その自由を阻害する者が現れたら、この国の総力を挙げて排除する、とな。悪い話ではあるまい。なんなら王印付きの書面を交付しても良い」


 ケトがただの少女として、遊び、笑い、泣き、怒る自由。それを保障するということ。

 それは、エルシアがずっと追い求めてきた願いだ。エルシアがはじめて貫き通そうとした、唯一の我儘だ。


 言葉が出ない。目の前の男はこれを見越していたのだ。

 ずっと疑問ではあった。御前会議からこのかた、彼は騎士団を使ってケトを探させはしたものの、ことこの件に関しては、これまでエルシアにもアルフレッドにも圧力をかけてこなかったことが。

 今までほとんど触れようとしてこなかったケトの存在。それは、今この時の条件とするためなのだと、ようやくエルシアは思い知った。


 そんな馬鹿げた話など。聞くはずがないと、理性が訴える。ケトを守れなくていいのかと、感情が叫ぶ。

 エルシアにはもう、どうすればいいか、分からない。


「ああ、それから。これはまた別の話だが」


 取って付け加えられたような言葉に、王女はノロノロと顔を上げる。


「お前が住んでいたブランカ。そこに教会の襲撃が予定されているという情報がある。最もこの時期に戦力は碌に割けないから、スタンピードを利用するそうだがな」

「……え?」

「今や抜け殻の町だが、”白猫”と”傾国”ゆかりの地だ。教会も放ってはおけなかったんだろう。開戦前に潰す魂胆だろうな」


 嘘だ。春先のスタンピード、あれを退けたのは奇跡だと言うのに。

 崩壊した今の町に、耐えきる力なんてある訳がない。


「お前の返事次第では、あの辺りに駐留させた騎士団を送っても良い」


 嗚呼、嗚呼。

 自分はどこまでもこの男の手の平の上だ。叶う願いと、叶わぬ望み。ヴィガードはそれを良く弁えている。

 エルシアは、蚊の鳴くような声で呟くことしかできなかった。


「まさか、私の返事次第では援軍を出さないってこと……?」

「本来であれば、私が知り得ぬ情報だ。スタンピードの予想など、一体誰にできると言うのだ。式典で教会の非道を語る証拠の一つになるだろうな」


 目の前の男は、打つ手があると言うのにあえてそれをしないと言う。エルシアが言うことを聞かないなら、見せしめにすると言っている。


「あ、貴方は、それでもこの国の王なの……!?」


 湧き出た怒りが、押し殺した怒声を引き出した。


「所詮は平民の間で育った娘と、王のあり方を論ずるつもりはない」

「貴方はッ……!」


 怒りに目を燃やし、拳を握りしめるエルシアに、王はどこまでも冷たく言い放つ。


「そのような態度であれば、私も条件を考え直さなければなるまい。いいかエルシア、お前がどう答えようと、何をしようと、式典での死は決定事項だ。だがお前は何をしでかすか読めないからな。王族の一人として、自らの役割も知らぬまま散るのはあまりにも不憫でもあるし、変な動きをしないようにと話しただけのこと」

「ふ、ふざけるな……!」

「お前とて分かるだろう? 第二王女エルシアの存在は、在るだけで国を揺るがす。戦が終わった後、お前は一体どうするつもりだ? 火種として生き続けるのか?」

「だからって、私を殺すの? 父親の貴方が!」

「私が殺すのではない。教会に内通する貴族が殺すのだ」


 どこまでも、噛み合わない。父は娘を見ていない。

 もう嫌だ。ここから早くいなくなりたい。


「……話にならないわ」

「”白猫”もブランカも、どうなってもいいと?」


 ぐ、という呻きが喉から絞り出された。


「……少し、考えさせて」

「いいだろう」


 よろめく足でドアへと踏み出す。とにかくどこかで縮こまってしまいたかったのに。「ああそうだ」と、その背中から声を掛けられ、エルシアは気が遠くなる。


「ブランカへのスタンピード。明日の昼には町に到達するそうだ。決めるなら早い方がいい」


 返事をする気力もなく、ドアを肩で押し開けてふらつく足取りで廊下へ出る。扉の外で控えていた”近衛”は微動だにせず王女を見送り、彼女の後ろで扉が閉まる重い音が鳴る。


「嗚呼……」


 虚ろな瞳で、エルシアは言葉にならない声を上げる。


 戦って、傷ついて、失って。

 やっとの思いで手に入れたエルシアの願い。


 それは、甘い絶望の味がした。


―――


 ”忌み子”


 そう。私の存在は、皆を不幸にした。


 確かに母は愛してくれたのかもしれない。だが、私の存在が母を幽閉し、命を奪った。

 確かに侍女は暖かく迎えてくれたのかもしれない。だからこそ、彼女に要らぬ苦労を掛け、その人生を滅茶苦茶にしてしまった。

 確かに町の皆は慕ってくれたのかもしれない。その結果、町は壊され、親しい人を亡くし、皆が悲嘆に暮れながら厳しい冬を迎えることになった。


 確かに妹は好いてくれたのかもしれない。そのせいで、あの子は狙われる羽目になってしまった。何もかもを敵に回してしまった。


 自分は、”在ってはならない者”。そんなこと、ずっと分かっていたのに。


 我儘を言ってしまった。死にたくないと。

 それを認めてくれる人たちに囲まれて、自分は育った。幸せになっていいのだと言ってくれる、その優しさに甘えた。


 だから、これは罰だ。在るだけで国を揺るがす人間が、傲慢にも幸せになりたいと願った罰。


 ”傾国”と言う呼称を使い始めたのが誰なのか、娘は知らない。だがきっと、その人は賢かったのだろう。こうなることを予測してくれていたのかもしれない。


 何が王女だ。必死になって作り上げた付け焼刃が、いかに無力か、いかに考えなしか、思い知らされた。

 王はまさしく格が違う。目の前のことしか見られない自分と違って、どこまでもこの国の未来を考えている。


 もちろん反発はある。娘の胸中には、失望と、怒りと、悲しみが渦巻いている。

 けれども、エルシアは呟くのだ。


「……これじゃ、選びようなんかないじゃない」


 足は自然と外へ向いた。

 侍女の待つ、あの部屋に戻る気にはなれなかった。ただ、今は何も考えず、一人にしてほしかった。


 さくり、さくり。踵の高いこの靴は、歩きづらいことこの上ない。整えられた庭園を、エルシアはゆっくりと進む。


 日差しが何だか温かかった。嗚呼、もうこんな季節。春にはまだ早いが、世界はもうじき冬の眠りから覚めようとしている。


 やがて、エルシアは足を止めた。

 冬でも葉を落とさない数本の木が、恥ずかしそうに佇む石碑を隠すその場所に。城の端の、更に端。共同墓地の一画。


 母の墓石の前で、エルシアは呟いた。


「……死にたくないなあ」


 天秤にかけるまでもない。

 例え生き延びたとしても、災厄を撒き散らすしか能のない自分。そんな自分と引き換えに提示されたのは、恩人たちの安全と、誰よりも守りたいと願った少女の幸せ。

 迷う必要がどこにある? 結論など、とうに出ているのだ。何なら、あの部屋で即答する程度の問題に過ぎない。


 受けない理由がどこにある。悩むだけ時間の無駄。


「よりによって、今日言うことはないじゃない……」


 胸元で揺れる王印を、ぎゅうっと握りしめる。

 自分が殺されたら、墓は隣に建てられるのだろうか。せめて向こうで、かあさまに会えたらいいかな。


 状況がどうであれ、事情がどうであれ。エルシアには自分に言いたいことがあるのだ。墓石をそっと撫でて、エルシアは呟いた。


「誕生日おめでとう、私」


 エルシアはこの日、十九歳になった。

 そして、十九歳と七日で、死ぬことを決めた。


「少しだけ、ほんの少しだけ、こうさせて……」


 不謹慎だなんて、分かり切っている。それでも、娘はズルズルと墓石に寄り掛かって、ぺたりと草の上に腰を下ろした。

 一人で居たいのだけれど、独りぼっちは寂しいから。


「疲れちゃったなあ……」


 何か、残せるものはあるだろうか。

 どうせなら、母がくれた王印のようなお守りがいい。いざという時、役に立つものが良い。


「会いたかった……」


 手紙を残すべきだろうか。大切なあの子に、何か伝えずにはいられなくて、でも苦しませてしまうのが嫌で。書いてみてから、渡すか考えるのもありだろうか。


「ケト……」


 少女の名を呼び、目を閉じる。耳朶をサラサラと木の葉がすれる音がくすぐった。

 まだ寒いはずなのに、木漏れ日が暖かく感じるのが不思議だ。世界中の時間が止まってしまったような錯覚。いっそこのまま全て止まってしまえばいいのに。


 冬の終わりの静かな午後。エルシアが終わる静かな午後。


 どれくらい、そうしていたのだろう。王都に来てからはじめて、娘は何も考えない時間を過ごしたような気がした。


 それなのに。

 娘の静寂を崩す者がいた。

 足音。草を踏みしめる、軽いような、重いような革のブーツの音。


 来ないでよ。こんな時くらい一人にさせてよ。

 もう、私は何もするつもりはない。何かしでかすのではないかなんて、警戒する必要なんかない。


 さくり、さくり、さくり、さくり。

 目を閉じたままだからか、その音は良く聞こえた。足音が目の前で止まったことだって分かった。


 じろじろ見るな、無粋な乱入者。私は見世物じゃない。

 目の前の人は何も言わず、エルシアは目を開けない。無言の時間に風がそよぎ後で、前に立つ誰かが静寂を割った。


「ひっでえ面だな、シア」


 鼓膜を震わす低い声。ぶっきら棒で、それでいて落ち着いた声。

 思わず目を開けた、娘の視線の先に。


「そこで寝たら風邪ひくぞ、ちんちくりん」


 幼馴染の大男が立っていた。

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