背中を守ってくれる人 その4
これだけ痕跡を残したのだ。今ばかりは正体を隠すだけ無駄だろう。
階段を伝って地下室から屋敷に上がった二人は、敷かれていた包囲網をいともたやすく突破した。ただ歩いて出てきただけで、完全武装の私兵たちが道を開けてくれたのは驚きだった。
もっとも跡をつけてきた私兵たちは、ケトをこっそりと見守っていたコンラッドの手で、ぐっすり眠らされることになった訳だが。
包囲突破の立役者となったモーリス男爵は、今や項垂れて一言も発する気配を見せない。
私兵や使用人たちの前では、あれ程までに堂々とした態度で「手を出すな、別命あるまで待て」と言い放っていたのに。意気消沈して丸めた背中は哀愁を誘う。
そのことを聞いてみると、中年の男は足を引きずりながら、皮肉気に口元を歪めた。
「不思議なのか、化け物」
「うん」
「……ああでも言わなければ、彼らの不安を煽ることになろう」
地下水路に入ったところで目隠しをしたせいで、男爵の足取りは酷く頼りない。脇に流れる水路との間には手すりがないから、落っこちないと良いのだが。
「腐っても私は彼らの主人だ。自信を見せねば、彼らが惑う。此度のことは私の無能が引き起こしたこと。彼らに罪はない」
「ふうん?」
ケトは曖昧に頷く。話の内容はよく分からないが、何となくそんなに悪いことを言っているわけではないような気がする。
「これで、当家は取りつぶし、私は処刑か。……せめて彼らの今後の斡旋先くらい、考えておかなければな」
「……シアの誘拐なんかしなきゃ良かっただけじゃねえか」
「青年。私がただ、私利私欲のために行ったと思っているなら、それは間違いだ。私がしなければ、別の誰かがやったことだ。断れない程の弱みを作った時点で、どうしようもない」
ガルドスが不審そうに首をひねった。
「……何の話だ」
「その様子を見るに、君たちはどうやら貴族の諍いには疎いようだな」
その口調に揶揄する響きが混じったような気がして、ケトはちょっとイラッとした。魔剣の先っぽで、男爵の尻をつつく。
「先に言っておくが、私をどうにかしたところで、エルシア殿下への攻撃は止まらんぞ。誘拐、暗殺、洗脳。あの方はそんな世界と付き合っていかざるを得ん」
「……!」
全てを失いつつある男爵は、静かに驚く二人を遮って、朗々と紡ぐ。その男を映し出すケトの目は、深い無念と、一糸報いてやったという刹那の充足を読み取っていた。
「そして殿下はその全てに対抗しきれないぞ。早晩、その命を散らすことになるだろう。国一つを傾けたのだ、それくらいされても当然というものだな。全く、”女狐”もとんでもないものを残してくれたものだ」
「そんなこと、させない。わたしがさせない」
男が笑う。その歪な声は、ケトの背筋に悪寒を走らせた。
「”白猫”の娘。君に一体何ができる。教会だけではない。今や陛下すら君の危険性を認識している状況で」
「……あなたに言うわけないでしょ」
適当に返しながら、しかしケトは考え込まざるを得ない。
エルシアに会う。その目的だけは明確だ。では、その後は? 戦争に進みゆくこの国で、その中心にいるエルシアに、一体自分は何ができる?
「果たして殿下は誰に殺されるのだろうな。教会が諦めたなら、それこそ陛下に殺されてもおかしくはない。実に滑稽だ」
「王さまはシアおねえちゃんのお父さんなの。教会の怖い人とは違う。そんなことする訳ない」
「陛下が家族の情など持つものか。あの方にとって、すべての人間は有用な駒か無能な駒かのどちらかでしかないのだぞ?」
「なにそれ……?」
「あの方を理解しようと思うだけ無駄だということさ。我々が見ている世界と、あの方が見ている世界はどこまでも別物だ」
むなしい笑い声を響かせる男爵。その全てを理解はできないものの、ケトにははっきり言えることがあった。
まだ、終わりじゃない。シアおねえちゃんは、まだ危ないのだ。
水路の角を曲がった先に光が見える。アルフレッドの持つカンテラの灯りだ。
眩しさに目を細めながらも、ケトはガルドスと顔を見合わせた。
「それでも、わたしは……」
「分かってる。やれること、考えなくちゃな」
立ち込める暗雲に表情を曇らせる二人。
第二王女付きの侍女からアルフレッドへと届けられた書類から、事態が一刻を争うことを知るのは、すぐ後のことだった。




