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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第九章 少女は優しく抱き留める
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背中を守ってくれる人 その1

 点々と続くつたない明かりの元。地下の細道をひたすらに進む。


 アルフレッドが地下に潜って歩くことしばし、遠くから剣の打ち交わされる重い音が響いて来た。


 静かな緊張感。近頃ずっと響いていた悲鳴や派手な叫びがない代わり、衝突音に紛れて短い気合が聞こえる。


「ふっ……! はあっ!」

「遅い! 敵は待ってくれんぞ」

「くうッ! やッ!」

「きびきび動け! お前の強みは何か、言ってみろ!」

「体の小ささと、すばしっこさ!」


 岩の影から、小さな体が転がり出てきた。

 刃の潰された長い剣を器用に体に巻き込んで、短いバックステップからの流れるような受け身。距離を詰めようとした黒ローブの前に、今度は大きな盾が立ちふさがる。

 鈍い衝突音。金属の欠片がパッと散る。上段、上段、突き。大盾が流れるような攻撃を防ぎ、最後の蹴りは持ち主が体を傾けて受け流す。


 その隙に立ち上がっていた少女は、瞬く間に魔法陣を手に浮かべる。二重のそれは、手数に重きを置いた連射仕様。

 大男が射線から飛びのいた途端、重い発射音を立てて、少女の魔法が地をえぐる。岩の表面を砕き、”影法師(シルエット)”へと迫る魔法は、しかし牽制のナイフによって射線を一瞬揺らがせた。


「馬鹿者! 今のを防がんでどうするか、ガルドスッ!」

「悪ぃケトっ!」

「ガルドス! もっかい!」

「おうよッ!」


 掛け声とともに斬撃を防いだ大盾の影から、再び小さな影が飛び出していく。それを見ていたアルフレッドに、近づく者がいた。


「アルフレッド様」

「コンラッドか。調子はどうだ」


 フードを外した男と並び、厳しい叱責にもひるまず転がり回る二人を見る。


「……大したもんですよ。あれは間違いなく化ける」

「そこまでか」

「元の才能なのか、それともあの年頃は皆そうなのか。とにかく技術の吸収が早い。既に我々も敵に回したくないくらいには成長しています」


 ケトが剣を振るう。上手く隠しているが、教官役のフードの下の表情が歪むのが分かった。連撃を受け止め続ける手が辛そうだ。


「一撃で剣を折っていた頃が嘘の様です。彼女にとってはそこまで力を込めている訳でもないそうなので、切り返しも早い。ケト嬢は確実に力の使いどころを理解しつつあります」

「魔法は?」

「ここに来た時点で、基礎は固まっていました。魔法陣自体は一つ古い型なので、効率の悪さは本人の力で押し切るしかありませんね。これは師が良かったのでしょう」

「ロンメル殿か、流石だな」

「光槍、衝撃波、それぞれ連撃まで含め、実戦で使えます。防壁も問題ありません。後は二、三もう少しで形にできますが、……驚いたのは水を吸い尽くす魔法ですね」


 少女が跳躍。空中で姿勢を変えられるのは、翼を持つ彼女の特権だ。球体をその手に生成する。衝撃波は小規模ながら、相手の姿勢が揺らがせるには十分だ。


「……一部で運用を開始したばかりの魔法じゃないか。どこで覚えた」

「独学だそうです。ケト嬢が言うには、発案はエルシア様だとか。攫われる時は体のどこかを掴まざるを得ないから、そこで発動できるようにと」

「えげつないことを考えるな、従妹殿」

「植物相手に調整中ですが、加減の調節にかなり苦労しています。彼女の力ではすぐ殺してしまうので」


 大男が前面に。剣を受け止めた体勢から、盾で押し込む。


「……実戦に耐えられそうか?」

「技量で言うなら、ガルドスと組ませれば十分に。後は本人の心構えですが……」


 コンラッドはそこで、にやりと笑った。


「私は心配していません。皆がよってたかって支えるお陰で、あれの心は強い。きっと耐えきれます」

「そうか……」


 アルフレッドは脳裏に第二王女の姿を思い浮かべた。


 ケト・ハウゼンにとっての奇跡。

 それは、間違いなくエルシアに拾われたことだと、彼は断言できる。


 異常な力を持つ少女。

 一歩間違えれば、周囲の人間は距離を置いて当然の存在。そして権力者なら誰もが自らの手駒にしたがる存在。

 畏怖か、利用か、洗脳か。歳相応の判断しかできぬ彼女を待ち受ける未来は、その程度のはずだった。


 その中でエルシアだけが、ただ幼い女の子として手を差し伸べた。

 他の子と何ら変わりなく、遊ぶべきを遊び、叱るべきを叱り、慈しむべきを慈しんだ。その力の脅威性を正しく認識し、それでいて恐れることはなかった。


 国の手先でもなく、教会の暗部にもならず。


 ケト・ハウゼンはどこまでも素直に育った。彼女は年齢相応の感性で物事を見定めることができた。


 そして今、彼女は何のしがらみもなく、純粋な願いを口にする。それはもう、周囲を驚かせる程に。

 エルシアはこれを思い描いていたのだろうか。いいや、きっともう、少女は姉の想像を越えて成長しているはずだ。


 それに乗りつつある自分は相当な馬鹿だ。その自覚があってなお、自分の心に素直になれる自分が、アルフレッドには何だか嬉しかった。


「……コンラッド。二人を呼んで来い」

「アルフレッド様?」


 訝し気に見上げたコンラッドは、青年の真剣な瞳に唇を引き結んだ。


「どうやらあの力、借りる時が来たようだ」


―――


 ケトは思わず大声で叫んでしまった。


「それって、どういうこと!?」


 慌てて口に手を当てる。部屋の外に聞こえやしないだろうか。だが、流石に驚きはいなせず、あわあわと口を震わせる。


「落ち着け、ケト」

「だ、大丈夫だもん。うん、落ち着いた」

「嘘つけ。良いから深呼吸しとけって」


 ガルドスが呆れた顔で見てくる。両手で握ったマグカップの中身がチャプチャプと揺れていた。真っ白な薄手の陶器のカップ。割ってしまったら一大事だ。

 カタンと音を立てて、カップをローテーブルの上に置く。おなかの底から吸って、吐いて。

 よし、これで話に集中できるだろう。身を乗り出したまま、ケトは問いかける。


「もっかい、言ってくだしゃい」


 噛んだ。緊張するとすぐこれだ。

 ガルドスがニヤニヤ笑ってくるのが鬱陶しい。何だかジェスみたいだ。表情を和らげたコンラッドが頷き、アルフレッドが口を開く。


「エルシア様の誘拐計画がある。その阻止に協力してほしい」


 聞き間違いなどではない。悪者がエルシアを攫おうとしているのだ。グッと拳を握りしめたケトを尻目に、ガルドスは冷静に問いかけた。


「説明を頼めるか?」

「ああ、もちろんだ」


 ケトはガルドスを見上げた。

 何だか、最近の彼はすごく頭が良くなったような話し方をすると、彼女はぼんやり思った。


「教会に内通している貴族が手引きをし、王城に侵入、従妹殿を拉致した後で教会に連れて行こうとしているそうだ。二人とも、モーリス家、と言う家名に聞き覚えは?」

「ある訳ない。どんな奴だ?」


 アルフレッドが答える。


「南の小領地を治める男爵家だ。以前から、龍神聖教会(ドラゴニア)との内通が疑われていた家でな。所謂教会派と言う奴だ」

「そんなの野放しにしてんのか」

「いくつか決定的な証拠を掴んではいたんだが、陛下の命であえて泳がせていた。先日の夜会でエルシア様の暗殺を企てたんだが、未遂に終わっているんだ」

「マジか、暗殺未遂!?」


 目が零れ落ちそうなほど見開きながら、しかしケトは声を上げなかった。話の腰を折るのは良くないと、ケトはちゃんと知っているのだ。


「今度の建国式典で、戦争がはじまる可能性が高いと言う話はしたな? 教会はそれまでにエルシア様を手に入れるか、できなければ殺すか、どちらかを企んでいる」

「攫うか殺すか? 意味分からん。極端すぎるだろ」


 ガルドスの言葉にケトは頷く。手に入れられなければ、死んでしまえというのは何とも酷い話だ。


「考えてもみろ。従妹殿は教会の襲撃が切っ掛けで孤児になった。このまま王家の手の内にいたら、教会の悪事の生きた証拠になるだろう?」

「まあ、そうだな」

「だが、エルシア様は国のいざこざのせいで軟禁されていた過去を持つ。攫ってその言動を偽ってしまえば、打倒王家の旗頭に早変わりだ」


 ガルドスが何とも言えない表情で呻いた。


「……うわあ。何て立ち位置にいるんだ、あいつ……」


 ケトにはちょっと難しかった。後でガルドスに教えてもらおうっと。


「つまり、教会は王城に従妹殿がいない方が良い。攫うか、殺すかしてしまいたい。もちろん式典まで教会の関与は伏せたままでな」

「……」

「だが、実行するモーリス家にとっては別だ。殺してしまえば矢面に立たされることになるからな」

「最悪、教会は知らぬ存ぜぬを通すことで、シア暗殺の罪を逃れることができるってことか?」

「そうだ。つまりトカゲの尻尾切りだな。逆に王女の誘拐に成功すれば、モーリス家は戦後の英雄だ。だから彼らは、死にもの狂いで誘拐しにかかるだろう。それを阻止したい、ということだな」


 ガルドスが露骨に嫌な顔をする。そのまま「一つ聞かせろ」と続ける。


「何で、ケトにやらせる? それはもう、国王陛下に報告するなり、”影法師(シルエット)”に頼むべきことなんじゃねえのか。アルフレッド、あんた一体何を企んでいるんだ」

「……ガルドス、お前は私のことを何だと思ってるんだ」


 渋い顔で答えるアルフレッドに、ガルドスは腕を組んで仏頂面を見せた。


「シアを追い詰めた、いけ好かねえお偉いさん」

「お偉いさんと言う認識があるなら、せめて敬語を使え」

「やなこった」


 お互いに黒い笑みを浮かべながら、アルフレッドは諦めたように肩をすくめた。


「陛下はすでにご存じで、王城への侵入をあえて見逃そうとしている。”影法師(シルエット)”も王城守備に手を貸せと言ってきたよ。教会の侵入を王城で迎え撃ち、式典での非難材料に使うつもりだ」

「それは……」

「穏便な口ぶりではあるが、陛下からの圧力だよ。”影法師(シルエット)”の全権を委任せよという、な」


 アルフレッドは首を横に振る。


「もちろんそのまま渡すわけにもいかないが、”王城に賊が侵入する”という状況だけ見れば、我々も今晩の件については断りようがない」

「……だから、今回”影法師(シルエット)”は動けないと」

「そういうことだ。今晩のみ、”影法師(シルエット)”本隊は王城警備に回す。何とも情けないことだが、君たちに頼むしか手がない。コンラッドくらいは援護につけさせるが……、どうか受けてはくれないだろうか」


 コンラッドが唇を引き結ぶ。


「何とも不甲斐ないことです。王城警備という陛下の命令はどこまで信じられたものか……。あの方のことです。警備に意図的に穴を作って要人暗殺にも利用しかねない」

「その話はこの騒動が終わってからだ。襲撃が起こらなければ暗殺のしようもない。今晩はまだしのげる範疇であることを感謝するしかあるまい」


 青年はそんな黒ローブを見やり、ため息を吐いた。


「何より、お前たちのような危険な力を今の陛下に渡せる訳がないんだ。それも何とかしなくては……」

「……苦労するな、あんたも」

「これからケト嬢に一から説明するお前に比べれば、大したことはないさ」

「そうだった……!」


 二人して頭を抱えた男達の前で、ケトはホットミルクを飲み干した。

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