背中を守ってくれる人 その1
点々と続くつたない明かりの元。地下の細道をひたすらに進む。
アルフレッドが地下に潜って歩くことしばし、遠くから剣の打ち交わされる重い音が響いて来た。
静かな緊張感。近頃ずっと響いていた悲鳴や派手な叫びがない代わり、衝突音に紛れて短い気合が聞こえる。
「ふっ……! はあっ!」
「遅い! 敵は待ってくれんぞ」
「くうッ! やッ!」
「きびきび動け! お前の強みは何か、言ってみろ!」
「体の小ささと、すばしっこさ!」
岩の影から、小さな体が転がり出てきた。
刃の潰された長い剣を器用に体に巻き込んで、短いバックステップからの流れるような受け身。距離を詰めようとした黒ローブの前に、今度は大きな盾が立ちふさがる。
鈍い衝突音。金属の欠片がパッと散る。上段、上段、突き。大盾が流れるような攻撃を防ぎ、最後の蹴りは持ち主が体を傾けて受け流す。
その隙に立ち上がっていた少女は、瞬く間に魔法陣を手に浮かべる。二重のそれは、手数に重きを置いた連射仕様。
大男が射線から飛びのいた途端、重い発射音を立てて、少女の魔法が地をえぐる。岩の表面を砕き、”影法師”へと迫る魔法は、しかし牽制のナイフによって射線を一瞬揺らがせた。
「馬鹿者! 今のを防がんでどうするか、ガルドスッ!」
「悪ぃケトっ!」
「ガルドス! もっかい!」
「おうよッ!」
掛け声とともに斬撃を防いだ大盾の影から、再び小さな影が飛び出していく。それを見ていたアルフレッドに、近づく者がいた。
「アルフレッド様」
「コンラッドか。調子はどうだ」
フードを外した男と並び、厳しい叱責にもひるまず転がり回る二人を見る。
「……大したもんですよ。あれは間違いなく化ける」
「そこまでか」
「元の才能なのか、それともあの年頃は皆そうなのか。とにかく技術の吸収が早い。既に我々も敵に回したくないくらいには成長しています」
ケトが剣を振るう。上手く隠しているが、教官役のフードの下の表情が歪むのが分かった。連撃を受け止め続ける手が辛そうだ。
「一撃で剣を折っていた頃が嘘の様です。彼女にとってはそこまで力を込めている訳でもないそうなので、切り返しも早い。ケト嬢は確実に力の使いどころを理解しつつあります」
「魔法は?」
「ここに来た時点で、基礎は固まっていました。魔法陣自体は一つ古い型なので、効率の悪さは本人の力で押し切るしかありませんね。これは師が良かったのでしょう」
「ロンメル殿か、流石だな」
「光槍、衝撃波、それぞれ連撃まで含め、実戦で使えます。防壁も問題ありません。後は二、三もう少しで形にできますが、……驚いたのは水を吸い尽くす魔法ですね」
少女が跳躍。空中で姿勢を変えられるのは、翼を持つ彼女の特権だ。球体をその手に生成する。衝撃波は小規模ながら、相手の姿勢が揺らがせるには十分だ。
「……一部で運用を開始したばかりの魔法じゃないか。どこで覚えた」
「独学だそうです。ケト嬢が言うには、発案はエルシア様だとか。攫われる時は体のどこかを掴まざるを得ないから、そこで発動できるようにと」
「えげつないことを考えるな、従妹殿」
「植物相手に調整中ですが、加減の調節にかなり苦労しています。彼女の力ではすぐ殺してしまうので」
大男が前面に。剣を受け止めた体勢から、盾で押し込む。
「……実戦に耐えられそうか?」
「技量で言うなら、ガルドスと組ませれば十分に。後は本人の心構えですが……」
コンラッドはそこで、にやりと笑った。
「私は心配していません。皆がよってたかって支えるお陰で、あれの心は強い。きっと耐えきれます」
「そうか……」
アルフレッドは脳裏に第二王女の姿を思い浮かべた。
ケト・ハウゼンにとっての奇跡。
それは、間違いなくエルシアに拾われたことだと、彼は断言できる。
異常な力を持つ少女。
一歩間違えれば、周囲の人間は距離を置いて当然の存在。そして権力者なら誰もが自らの手駒にしたがる存在。
畏怖か、利用か、洗脳か。歳相応の判断しかできぬ彼女を待ち受ける未来は、その程度のはずだった。
その中でエルシアだけが、ただ幼い女の子として手を差し伸べた。
他の子と何ら変わりなく、遊ぶべきを遊び、叱るべきを叱り、慈しむべきを慈しんだ。その力の脅威性を正しく認識し、それでいて恐れることはなかった。
国の手先でもなく、教会の暗部にもならず。
ケト・ハウゼンはどこまでも素直に育った。彼女は年齢相応の感性で物事を見定めることができた。
そして今、彼女は何のしがらみもなく、純粋な願いを口にする。それはもう、周囲を驚かせる程に。
エルシアはこれを思い描いていたのだろうか。いいや、きっともう、少女は姉の想像を越えて成長しているはずだ。
それに乗りつつある自分は相当な馬鹿だ。その自覚があってなお、自分の心に素直になれる自分が、アルフレッドには何だか嬉しかった。
「……コンラッド。二人を呼んで来い」
「アルフレッド様?」
訝し気に見上げたコンラッドは、青年の真剣な瞳に唇を引き結んだ。
「どうやらあの力、借りる時が来たようだ」
―――
ケトは思わず大声で叫んでしまった。
「それって、どういうこと!?」
慌てて口に手を当てる。部屋の外に聞こえやしないだろうか。だが、流石に驚きはいなせず、あわあわと口を震わせる。
「落ち着け、ケト」
「だ、大丈夫だもん。うん、落ち着いた」
「嘘つけ。良いから深呼吸しとけって」
ガルドスが呆れた顔で見てくる。両手で握ったマグカップの中身がチャプチャプと揺れていた。真っ白な薄手の陶器のカップ。割ってしまったら一大事だ。
カタンと音を立てて、カップをローテーブルの上に置く。おなかの底から吸って、吐いて。
よし、これで話に集中できるだろう。身を乗り出したまま、ケトは問いかける。
「もっかい、言ってくだしゃい」
噛んだ。緊張するとすぐこれだ。
ガルドスがニヤニヤ笑ってくるのが鬱陶しい。何だかジェスみたいだ。表情を和らげたコンラッドが頷き、アルフレッドが口を開く。
「エルシア様の誘拐計画がある。その阻止に協力してほしい」
聞き間違いなどではない。悪者がエルシアを攫おうとしているのだ。グッと拳を握りしめたケトを尻目に、ガルドスは冷静に問いかけた。
「説明を頼めるか?」
「ああ、もちろんだ」
ケトはガルドスを見上げた。
何だか、最近の彼はすごく頭が良くなったような話し方をすると、彼女はぼんやり思った。
「教会に内通している貴族が手引きをし、王城に侵入、従妹殿を拉致した後で教会に連れて行こうとしているそうだ。二人とも、モーリス家、と言う家名に聞き覚えは?」
「ある訳ない。どんな奴だ?」
アルフレッドが答える。
「南の小領地を治める男爵家だ。以前から、龍神聖教会との内通が疑われていた家でな。所謂教会派と言う奴だ」
「そんなの野放しにしてんのか」
「いくつか決定的な証拠を掴んではいたんだが、陛下の命であえて泳がせていた。先日の夜会でエルシア様の暗殺を企てたんだが、未遂に終わっているんだ」
「マジか、暗殺未遂!?」
目が零れ落ちそうなほど見開きながら、しかしケトは声を上げなかった。話の腰を折るのは良くないと、ケトはちゃんと知っているのだ。
「今度の建国式典で、戦争がはじまる可能性が高いと言う話はしたな? 教会はそれまでにエルシア様を手に入れるか、できなければ殺すか、どちらかを企んでいる」
「攫うか殺すか? 意味分からん。極端すぎるだろ」
ガルドスの言葉にケトは頷く。手に入れられなければ、死んでしまえというのは何とも酷い話だ。
「考えてもみろ。従妹殿は教会の襲撃が切っ掛けで孤児になった。このまま王家の手の内にいたら、教会の悪事の生きた証拠になるだろう?」
「まあ、そうだな」
「だが、エルシア様は国のいざこざのせいで軟禁されていた過去を持つ。攫ってその言動を偽ってしまえば、打倒王家の旗頭に早変わりだ」
ガルドスが何とも言えない表情で呻いた。
「……うわあ。何て立ち位置にいるんだ、あいつ……」
ケトにはちょっと難しかった。後でガルドスに教えてもらおうっと。
「つまり、教会は王城に従妹殿がいない方が良い。攫うか、殺すかしてしまいたい。もちろん式典まで教会の関与は伏せたままでな」
「……」
「だが、実行するモーリス家にとっては別だ。殺してしまえば矢面に立たされることになるからな」
「最悪、教会は知らぬ存ぜぬを通すことで、シア暗殺の罪を逃れることができるってことか?」
「そうだ。つまりトカゲの尻尾切りだな。逆に王女の誘拐に成功すれば、モーリス家は戦後の英雄だ。だから彼らは、死にもの狂いで誘拐しにかかるだろう。それを阻止したい、ということだな」
ガルドスが露骨に嫌な顔をする。そのまま「一つ聞かせろ」と続ける。
「何で、ケトにやらせる? それはもう、国王陛下に報告するなり、”影法師”に頼むべきことなんじゃねえのか。アルフレッド、あんた一体何を企んでいるんだ」
「……ガルドス、お前は私のことを何だと思ってるんだ」
渋い顔で答えるアルフレッドに、ガルドスは腕を組んで仏頂面を見せた。
「シアを追い詰めた、いけ好かねえお偉いさん」
「お偉いさんと言う認識があるなら、せめて敬語を使え」
「やなこった」
お互いに黒い笑みを浮かべながら、アルフレッドは諦めたように肩をすくめた。
「陛下はすでにご存じで、王城への侵入をあえて見逃そうとしている。”影法師”も王城守備に手を貸せと言ってきたよ。教会の侵入を王城で迎え撃ち、式典での非難材料に使うつもりだ」
「それは……」
「穏便な口ぶりではあるが、陛下からの圧力だよ。”影法師”の全権を委任せよという、な」
アルフレッドは首を横に振る。
「もちろんそのまま渡すわけにもいかないが、”王城に賊が侵入する”という状況だけ見れば、我々も今晩の件については断りようがない」
「……だから、今回”影法師”は動けないと」
「そういうことだ。今晩のみ、”影法師”本隊は王城警備に回す。何とも情けないことだが、君たちに頼むしか手がない。コンラッドくらいは援護につけさせるが……、どうか受けてはくれないだろうか」
コンラッドが唇を引き結ぶ。
「何とも不甲斐ないことです。王城警備という陛下の命令はどこまで信じられたものか……。あの方のことです。警備に意図的に穴を作って要人暗殺にも利用しかねない」
「その話はこの騒動が終わってからだ。襲撃が起こらなければ暗殺のしようもない。今晩はまだしのげる範疇であることを感謝するしかあるまい」
青年はそんな黒ローブを見やり、ため息を吐いた。
「何より、お前たちのような危険な力を今の陛下に渡せる訳がないんだ。それも何とかしなくては……」
「……苦労するな、あんたも」
「これからケト嬢に一から説明するお前に比べれば、大したことはないさ」
「そうだった……!」
二人して頭を抱えた男達の前で、ケトはホットミルクを飲み干した。




