手駒の真実 その1
冬も峠を越えたその日、王城は混乱の極みにあった。
突然打ち切られた御前会議に、消化不良のまま取り残された貴族たち。
元々、年末に行われる税の徴収が被ったせいで、主要な貴族のほぼ全員が王城に集まっている時期でもある。そんな彼らを待っていたのは予想だにしない言葉であった。
――既に、開戦は不可避である。
突然集められた玉座の間。彼らの前で、国王はそう言った。
宰相が姿を見せないのは恒例だ。しかし、更に貴族たちの度肝を抜いたのは、広間の両脇にずらりと並んだ騎士達の存在だった。
腰に携えている剣は、平時の式典で使われる儀礼用ですらなかった。装飾が抑えられながらも国の紋章がはっきりと刻印された、戦闘用の騎士剣だ。
北の辺境ブランカ、及びその他数か所への同時襲撃。
これはれっきとした侵略行為であり、断固として許すことはできない。国の主として見逃すことはできない、と。
これまで開戦には表向き消極的であった、国王ヴィガードの手のひら返しであった。
「私は、教会総本山へ使者を送るよう命じた」
玉座に着いた彼の口調はどこまでも重々しい。
広間は静まり返っていた。皆、固唾を飲んで見守っている。
「龍神聖教会はこれまでの再三に渡る出頭命令を拒否し続けてきた。政教の不可侵がその理由であったが、もはや悠長なことを言っていられる状況ではないのだ。これ以上、我が民を傷つけられる訳にはいかぬ」
王は、指に嵌められた王印を撫でながら続ける。
「しかし、戦が民を疲弊させるのも事実。可能な限り避ける道を探すべき、と言うのもまた、私の本心だ。よって、彼らに最後通牒を渡すこととした。これに応じなければ、私は龍神聖教会の解体を命ずることになる」
場が一気にざわめく。この国において、政治と宗教の独立は大前提のはずだった。それを誰よりも思い知っているはずの王が、掟を破ると宣言したのだから。
「一月後に行われる建国祭。その式典に枢機卿の出頭を命じた。皆の前で龍神聖教会そのものの主張と弁明を改めて聞く。我らの主権と相入れなければ、そこで解体を申し渡す」
誰もが王を見つめていた。それぞれの思惑を隠し、少しでも情報を集めようと画策する時間。それを知ってか知らずか、カーライル王国第十七代国王ヴィガードは、身にまとった衣装を翻して立ち上がる。
「皆の者。この国は今、非常に厳しい状況に立たされている。私の判断によって、更なる苦境を民に与えるかもしれぬ。……しかし、私は国王として、民を守る責務があるのだ。国を守れずして、何が王か、何が貴族か! 今こそ、皆の力を合わせ、困難に立ち向かおうではないか!」
一瞬の静寂。
それを破ったのは一つの拍手だった。皆が目を見開く中、視線の先にいる騎士団の長は、ただ王を見つめて拍手を続けていた。
グレイ侯爵の賛同。すなわちこの国の剣である騎士団はやる気だということ。その事実を認識した貴族たちが、一人、また一人と手を叩きはじめる。
迷いのある、しかし勝ち馬を逃すまいとする、歪な輪。
いかに武勲を上げるか考えを巡らせる騎士団の関係者。周囲の者に同調する日和見主義の貴族。今後の情勢をいかに仕入れ、いかに教会に伝えるか画策する男達。
それぞれの思惑をよそに、玉座の間は大きな拍手に包まれていく。
その裏で、第一王女と宰相家嫡子がある理由で謹慎を申し渡されていたことに気付いた者は、少なくともその時点でほとんどいなかった。
―――
「なんてこと……、なんてことですの!」
「……誰かに聞かれますよ、お嬢」
東支城の長廊下。滞在場所として充てられた部屋に戻る最中、ロザリーヌはブツブツと呟いていた。
正式な物とは言えなくとも、実質的には開戦宣言だ。今頃貴族たちは大わらわだろう。水面下では既に情報戦が展開されているはずだった。
ロザリーヌとて、隣に付き従うローレンの言葉の意味はよく分かっている。
既に王城は安全な場所とは言えない。貴族の中には隠れて教会に与する者も多い。下手に気を抜けば、あることないことでっちあげられて、嵌められてもおかしくないのだ。
時期も良くない。よりにもよって、普段は領地に籠っている貴族たちが城に集まる季節。
「事実上、貴族たちは掌握されたも同然だわ。教会への情報漏洩を恐れているのか、それとも別の思惑かしら。税収策定と建国式典の時期に繋げて領地へ戻れないようにしたんだわ。……どこまで陛下の筋書きだと思う?」
「俺にはもうさっぱりですよ。でもこれだけは言えます」
この時期を、狙ってやったんでしょうね。彼はそう言って、秀麗な顔を歪めた。
「よりにもよってエレオノーラ様は自室で謹慎。アルフレッド様に至っては王都の自邸に帰らされた。これでは私たちも動きようがない」
「……これまで、俺達泳がされていたんですかね。……”白猫”の検査結果偽装ごときでここまでやるとは、いやはや、恐れ入った」
開戦宣言の裏側で行われた、第一王女と宰相家嫡子の処分。それは穏やかな形ではあるが、国王の意に反する者の粛清に他ならない。
その気になれば、ケト・ハウゼンの能力について虚偽報告をした時点で暴くこともできたはずだ。そうしなかったのは、弱みを掴んでおくため。
元々派閥ですらない、言うなれば第一王女の我儘に端を発した少数集団だ。あの二人を押さえられた今、もはやロザリーヌにどうにかできる状況ではない。
正直、ロザリーヌが罰されなかったのは、彼女自身は何の力も持っていなかったからに過ぎない。”白猫”の偽装に直接的には関わっていないこともあるが、そもそも弱小伯爵家の娘など、国王にとってみれば吹けば飛ぶような立ち位置だ。
これ以上は、家に、そして領地の民にとって取り返しのつかない事態を引き起こしかねない。そういう意味で、唾棄すべき日和見主義者どもは有能だった。彼らは自らの立場と、ある程度の繁栄を失うことは恐らくないのだから。今の自分が見習うべき最適解だと、彼女自身感じていた。
もしもこの状況で行動を起こせるものがいるとしたら。
その者の名をローレンが口にする。
「……残るは、第二王女のみ、ですか」
「あんな奴に何とかできるわけないでしょう?」
立て続けに起こったブランカの襲撃と”白猫”の失踪。流石に堪えたのだろう。エルシアはあれ以来、外に出ようとしなくなった。
だからこそ、国王もわざわざ幽閉しようとは思わなかったのだろう。エレオノーラやアルフレッドと異なり、彼女の待遇だけが全く変わっていない。貴族たちの間に伝わる噂によると、彼女は完全にふさぎ込んでベッドから出てこないとか。
居室にたどり着く。
ローレンが錠に鍵を差し込んでいる脇で、令嬢は呟いた。
「……ここまでかしらね」
化粧が崩れるのも構わず、ロザリーヌは両手で目を覆った。キャンキャン騒いで、噛みつくことしかできない自分が、あまりにも情けなかった。これでは敬愛するエレオノーラにも顔向けできやしない。
自らへの失望を滲ませながら、従者が開いたドアの隙間からすり抜けようとした時。
ローレンが動いた。
「……!」
「うぎゃっ!」
ロザリーヌの華奢な体を強引に引き戻し、彼が代わりに部屋の中へ。流れるような動作で剣を抜き、大股で突っ込む。
「ちょっとローレン! 何、何ですの!?」
驚きのあまり吊り目を丸く開きながら、ロザリーヌは憤慨する。
主を押しのけて部屋に入るという、従者としてあるまじき愚行を叱ろうと、彼女は部屋の中を覗き込み。
「お嬢に手を出そうとは。随分となめた真似をしてくれる」
「ち、違っ……! ちょっと待って、ホント待って!」
侵入者に剣を突き付けている彼を見て、絶句した。
―――
ロザリーヌ・ロム・ロジーヌ。
伯爵家と言えども、北西のあまり特徴のない領地を治める彼女の家に、取り立てて力がある訳ではない。実際に貴族の勢力図を描くのであれば、隅っこの方にポツンと存在しているようなものだ。
だから、彼女について特筆すべきことがあると言うならば。家のことではなく、彼女自身のことになるだろう。
例えば。
彼女は、領民から非常に特殊な慕われ方をしている、とか。
「お嬢! そこにいるのはお嬢ですよね! 助けて! 私、悪い人、違う!」
「黙れ、不届き者が」
ローレンがゆっくりと剣の先で侵入者の首筋を撫でた。ひい、と言う声と共に、男がブルブル震える。
涙目をしばたたき、かりそめの落ち着きを取り戻したロザリーヌは、頭を高速で回転させていた。油断せず目の前の男を見つめる従者。両手を挙げて真っ青な顔をする侵入者。そして、扉を開けっ放しの自分。
「……そうね」
ロザリーヌは急いでドアの外を見渡す。
廊下に見える人影は少なかった。ずっと向こう、本城との渡り廊下の手前に警護の騎士の姿が小さく見えるだけ。こちらに気づいたそぶりは見えない。
きっと貴族たちはまだ本城で、お喋りと言う名の情報戦に勤しんでいるのだろう。
それだけ確かめてから、静かにドアを閉める。内側から鍵をかけ、睨み合う男達に向き直った。正確に言えば睨んでいるのは一人だけで、もう一人は泣きそうな顔をしている訳だが。
「お嬢、俺の後ろに」
「……ローレン」
普段はあれだけチャラチャラしているのに。こんな時だけ真面目な顔をするのは卑怯だ、なんて場違いなことを思ってしまった。かつては騎士団にいた時期もある彼のこと、その動作に無駄はなく、顔が良いから余計に始末に負えないと、ロザリーヌは微笑んだ。
「ローレン、ありがとう。私は大丈夫よ」
「お嬢?」
「剣を下ろして」
「危険です。武器を隠し持っているかも」
「うーん、一応確かめて。持ってないと思うけれど、念のためね」
「も、持ってないって! 何なら全部見せるから!」
騎士の平服を纏っている侵入者に、ロザリーヌは視線を向けた。
「まあきっと、あなたは持っていないでしょうね」
「知り合いですか?」
「あらローレン。あなたも会っているはずよ?」
「……俺は人の顔を覚えるのが苦手で」
ようやく剣を下ろしたローレンは、侵入者が脱いだ上着を放り投げた。
「……久しぶりね、ケルン」
「お嬢、覚えていてくれたんですね!」
真っ青な顔で、王都に逃げ込んだ教会の捕虜が、嬉しそうに手を広げていた。
「いましたっけ? こんなにうるさい奴」
対するローレンは警戒こそ解いたものの、未だに胡散臭そうに男を見ている。
「ええ。春先にクシデンタでわんわん泣いていたわ」
「いやあ、そんな。流石に泣いていませんて!」
「恋人さんに思い切り抱き着いて泣いていたでしょう」
「……」
「……あー、思い出したわ。気の強そうな恋人さんだった」
「……」
ロザリーヌ・ロム・ロジーヌの特異性。
それは民との距離が異常なまでに近いこと。
スタンピードの被害に遭ったクシデンタ。
そこに真っ先に駆け付けたのが、ロザリーヌであった。王都の警備にとられて、ほぼいないに等しい私兵をそれでもなんとか掻き集め、物資を荷車に詰め込んで、スコップ片手に飛び込んだのである。
それでも全ては救えず、無力感に打ちひしがれながら、出来るだけのことをするしかなかった苦い記憶がよみがえる。
「それで? そのケルンがどうして私の部屋に?」
「それですよ、聞いてくださいよお嬢!」
クシデンタで見た着の身着のままの服ではなく、騎士の恰好をしたケルン。
一体何がどうなれば、こんなことになるのか。似合っていない。本当に似合っていない。
「驚かないでくださいよ!? 第二王女殿下からの書状をお持ちしたんです! なんかお嬢に手伝ってもらいたいことがあるらしいですよ?」
「……は?」
「”影法師”でしたっけ? そのコンラッドって人にとっ捕まってたんですけど、その人が第二王女殿下と悪だくみしてるらしくて。手が足りないからお前も手伝えとか言われて、私も王城に忍び込む羽目になって!」
能天気な男から、次々と放たれる予想外の言葉たち。思わず目を見開き、ロザリーヌは身を乗り出した。
「あなた、一体……」
「ええ、ええ。訳分からないっすよね。私も未だに信じらんないですし。いやね、ちょっと聞いてくださいよお嬢! 最初は人攫いの真似事させられてたはずなんですけど、攫おうとした子がとんでもなく強くて、しかも第二王女殿下の妹だっていうんですもん!」
「……”白猫”?」
「お、ご存知ですか、さっすがお嬢!」
訳の分からない、ぐちゃぐちゃの言葉たち。必死に整理しようと躍起になりながら、一方でロザリーヌは一つの事実に気付いていた。
施錠され、それなり以上の警備態勢の王城の一室。手紙一つ置くのだって至難の業のはずだ。だが、ケルンから手渡されたその手紙には、見慣れぬ造形の王印が押されている。つまり、第二王女の元に、それを為す手段が戻ってきたことを意味していた。
国の何たるかも知らず、王族の心構えも知らぬ田舎娘。粛清の手を唯一逃れた、”傾国”が動き出した証だった。




