小さな願い、ひとつだけ その3
【お知らせ】9/29投稿分につきまして
いつもお読みいただきありがとうございます。
本日二話目の更新です。
前話「小さな願い、ひとつだけ その2」は19:00に投稿しておりますので、閲覧順にご注意ください。
全て、少女がその目で見ていたはずのこと。
全て、龍の目で視ていたはずのこと。
本当は分かっていた。
シアおねえちゃんが少しずつ追い詰められていくことを。ずっと隠し通してきた秘密すら武器にして、世界中を敵に回していたことを。
そこに手を差し伸べなかったのは自分だ。守られ続けて、それでいいと、ニコニコ笑って、甘えて。
そして今はこの様だ。
大切な町を壊し、自らも追われ続けているというのに。性懲りもなく、まだ自分は守られている。
「ガルドス、左だ!」
「くそっ! 敵が多すぎる!」
交差する剣と剣。あちこちで魔法が弾け、空気が震える。
目の前の男二人。シアおねえちゃんが残した、少女を守る最後の盾だ。
目を凝らせば、遠くに王都の外壁が見える距離なのに。
橋を渡るためにどうしても通らなければならなかった、名前も知らぬ小さな町。その片隅で、少女は現実に襲われていた。
自分を包み込んでくれていた薄青の防御魔法。その壁が、揺らいで消えた。
「……すまない。魔法は打ち止めだ」
コンラッドが淡々と呟き、飛び込んできた白ローブを一太刀で黙らせる。
「いよいよマズいな。もうすぐそこだってのに……!」
ガルドスが歯ぎしりする。その剣も鎧も、既にボロボロだ。体のあちこちから血をにじませ、それでもその大きな体で、少女を隠すように立ちふさがる。
敵が、来る。
「はあっ、はあっ! 連れてなんて行かせるかよッ!」
「第三波だ、凌げよッ!」
一斉に襲い来る襲撃者。右から五人、左から七人。数が分かったってどうしようもない。
ガルドスが雄たけびを上げる。
ひらりと翻した体で斬撃を躱し、剣の柄で腹を狙う。鎖帷子越しに届いた衝撃が敵に致命的な隙を生み出し、その隙に返す剣で叩き切った。あと四人。
コンラッドの気合は静かだ。
敵の勢いをいなして、最小限の動きで切り付ける。足の関節、鎧の施しようのない場所に無慈悲な一撃。くずおれる白ローブからダガーを奪い取り、流れるように投擲。あと五人。
その間に敵が増える。まるで、スタンピードの魔物のように。
魔物と異なるのは、一人一人の練度の差と、その連携だ。
ガルドスのロングソードが火花を散らす。その隙に魔法の連撃で狙われる。革鎧の表面を焦がしながら地面を転がった大男に、さらに追撃が叩き込まれた。
「ちっくしょうがッ……!」
彼が剣を全力で突き出す。鎖帷子を力で押し切り、深々と刺さった剣が抜けない。慌てて手を離し、一歩下がったガルドスの肩鎧を、光の槍が貫いた。
「うがあああああっっっ!」
「ガルドスっ……!」
飛び散る血が、地面に模様を描く。ふらつき、体を丸め、それでも倒れようとしない大男に、更に襲い来る剣。もはや意地の体当たりで敵の懐に入り込む。剣が放り出され、敵を巻き添えにして地面に倒れ込む。
うつ伏せに倒れ込んだ彼は、すぐに身を捩った。別の敵が振り下ろした剣が地をえぐり、直後コンラッドの投げたロングソードが、敵を串刺しにする。
建物に背をつけてずるずるとしゃがみこんだまま、震える瞳でケトは目の前まで迫った敵を見つめた。
シアおねえちゃんがいなくなる切っ掛けとなった奴ら。
町を襲い、ギルドを壊し、今もまた、ケトにとって大切なものを奪おうとする奴ら。
「ねえ、どうして放っておいてくれないの?」
悔しさ、悲しみ、怒り。自分の中で渦巻く気持ちが、分からない。
「貴様には価値がある」
「価値……?」
「そうだ。その強大な力を、我々は必要としているのだ」
やっぱり力だ。この力が原因だ。
「……もし、私がついていったら、ガルドスとコンラッドを助けてくれる?」
「いいだろう。この男たちをこれ以上傷つけることはないと約束しよう」
そうか。それならまだ救われるかも知れない。
「駄目だ、それだけは駄目だ! ケトッ!」
「聞くなケト嬢! 奴の言葉に耳を貸すな!」
ガルドス、ずっと傍で守ってくれていた人。コンラッド、シアおねえちゃんが遣わしてくれた人。
ぺたりと座り込んで、涙を流しながら、ケトは問う。
「……ついていったら、わたしはシアおねえちゃんに会える?」
目の前で、金刺繍を施した白ローブを纏った枢機卿が、嗤った。
「もちろんだ。君が我らと共に来れば、あの王女とて無下にはできまい。元々王都には良い感情を持っていなかった女だ。君が説得すれば、きっとこちらにつくさ。我らの旗頭として、民の先頭に立つにふさわしい方となってくれるだろう」
「……わたしは、そんなに強くない」
「君は強い。我々は君にそれを教えてやれる」
共に救国の英雄になれるぞ。左右を護衛に守らせた枢機卿カルディナーノが、そう言ってケトに手を差し出す。
「そっか……」
それは良い。
大切な人ひとり救えない自分が、強くなって国を救う英雄になるとは。なんだか笑えてしまう。
ケトは問う。尚も問う。聞ける人がいないから、自分自身に問いかける。
強くなれと、シアおねえちゃんが言った。
考えろと、ガルドスが言った。
だから考える。どうして強くなりたいのか、考える。
一人じゃ答えなんか出せない問題を、ひたすらに考える。
いくら頭を捻っても、さっぱり分からない。ぐるぐる回る思考。投げ出してしまいたい。縮こまってしまいたい。
そんなケトを助けてくれたのは、ここにはいないシアおねえちゃん。
……ああそうか。答えはちゃんと、あの時に、お別れの時に、シアおねえちゃんが教えてくれていたじゃないか。
――貴女が、私の言葉を理解するために。
あなたの言葉は難しい。ケトにはいつだって謎解きのようだ。
――貴女が、自らの手で大切な人を守るために。
守るどころか、傷つけてばかりのケト。今だって、大切な二人がケトのせいで危ない。
――貴女が、人の悪意を跳ね除けるために。
大人は怖い。目の前の教徒しかり、王都の貴族しかり。みんなみんな、ケトの力を求めて争うのだ。
――貴女が、自分の願いを成し遂げるために。
願い。わたしの願いはなんだろう。
よく視てみよう。ちゃんと見てみよう。
この胸の中に宿った、小さな願い、一つだけ。
気付いてしまえば簡単で、とてもとても恐ろしい、そんな小さな願いを。
怖い。本当に怖い。失敗したらどうしよう。
そんなのは絶対嫌なのだ。許せないのだ。もしも上手くできなかったら、ケトはもう二度と立ち直れない。
けれども、そんな悠長なこと、言っている余裕もなくて。
少女は震える息を吸った。
「決めた」
差し伸べられた、金刺繍の男の手。取ったら最後、絡めとられて使われる。
ケトはそれを醜いと思った。見たくないと感じた。
だから、ケトは顔を上げて、口を開く。
「どれだけ怖くたって、どれだけ泣いてたって……」
濡れた地面に右手をついて、倒れないように体を支える。
ポロポロと涙が落ちるのは仕方ない。だって怖いのだ。うずくまってしまいそうなほど、怖いのだ。
それでも、ここで諦めてしまうのは、もっと怖いから。
「……小さな願い一つ、叶えられない人間には、なりたくない。なっちゃいけない」
「ならばその願いを言って見るといい。我々もできる限り協力しよう」
まだ言うか。
両足にぐっと力を込めて。ゆらりと少女は立ち上がる。
目を閉じて、早まる鼓動に身を任せる。ずっと抑え込んできた、凶暴な衝動。龍の血が囁く、悪魔のような誘惑。
「……おい!」
やはりお前は気付くか。枢機卿を守るため、そこに佇む死神ディクトリ。
ねえ、分かってる?
お前たちがシアおねえちゃんのお母さんを殺したことを、わたしは知っているんだぞ。
「……お前らが、シアおねえちゃんを手に入れる? シアおねえちゃんから全てを奪ったお前らが?」
ケトに自信なんか、ある訳がない。
だから、きっと一人だったら迷わずついて行くのだろう。それで大切な人を巻き込まずに済むなら、自分は喜んで従ってしまうはずだ。
だけど、これだけは胸を張って言える。
「シアおねえちゃんに酷いことをする、悪い奴……」
それこそが、ケトの答え。少なくとも今この時、力を奮う理由になってくれる。
さあ、やろう。自分の意思で。
目を見開く。体中に血が巡り、瞳孔が開いていくのが分かった。
「そんな奴について行くほど、わたしは弱くはいられないッ!!!」
ディクトリが金刺繍を引き倒す。隣の白ローブがケトに剣を振るう。
でももう、そんなこと、どうだって良かった。
展開する魔法。まばゆい光を持つただの真円に、ケトは意思を宿らせる。それは複雑な文様と化し、陣を形成して。
目の前で、自分に振り下ろされた剣が砕け散った。
「邪魔だ!」
剣の破片を白ローブに吹き飛ばす。鋼鉄の欠片が迷いなく敵の一人を射抜いた。
「このっ!」
既に自分は囲まれている。だが、それが何だと言うのだ。
地面に叩きつけるように翼を振るう。路地裏に暴風が吹き荒れて、ケトの足が地面を蹴った。
「こ、こいつ!?」
一拍遅れて足元を剣が薙ぎ払っていった。その持ち主を魔法で撃ち抜いて、少女は路地を舞う。敵から撃ち込まれる魔法の光。衝撃波が小さな体を揺らす。
――でもね、ケト。本当に必要だと思った時には躊躇しちゃだめよ。木剣が折れたって、相手をふっ飛ばすことになったって、迷わずにぶっ叩いてやりなさい。
光の槍は防御魔法で弾き、ケトは収束に神経を集中させる。
水の姿を一気に変える。これが中々難しい。その上、龍の感覚が思い切り打ち込めと唆すのだ。そんなことをしたら周りの家がバラバラになると、分かっているのだろうか。
展開する魔法陣は三層で十分。飛んできたナイフは急降下して回避。無理やり着地した足が地面を叩き割り、パラパラと破片が飛び散った。
「落ちろッ!」
男達の真上に、球体の魔法。対応する隙など与えるつもりはない。
強制撃発。気体へと変貌を遂げた水の成れの果てが、周囲の空気を押しのける。それは猛烈な圧力を持って男たちに襲い掛かった。
轟音が路地裏に響き渡る。
十を超える球体が一斉に変質し、路地裏を吹き荒れた。変換しきれなかった水が白い霧となって一気に視界を覆い尽くす。その一撃で白ローブが一斉に吹き飛ぶ。慌てて伏せたガルドスとコンラッドの頭上を、矢のように人が飛ぶ。
「まだ来る……!?」
霧を破り、男が突撃してきた。完全に予想外、相変わらずケトは考えが甘い。今の魔法で全部倒せたと思ったのに!
迷わず短剣を抜く。腰の後ろに括り付けられた、シアおねえちゃんのお下がりのダガー。例え安物でも大切な、ケトの宝物の一つ。
「このガキ……!」
「……ッ!」
剣とダガーが交錯する。咄嗟に突き出した刃先が、ロングソードを弾き返した。この程度の力なら、ケトの敵ではない。
跳躍。人間には不可能な距離を飛び、敵の背後を取る。敵の首根っこに噛り付いて、短剣を斜めに突き刺した。
「後ろ……!?」
「うおおおおっ!」
至近距離。更に飛んできたナイフを魔法で弾き、敵の懐へ。足元で飛び上って、相手の顔を小さな手で鷲掴み。
「もう下がって!」
「くそっ! ……あがああああッ!」
慌てて引きはがそうとする男の顔に魔法を展開。その体内の水分を根こそぎ吸い取る。干からびて倒れる男を気にする余裕はケトにない。
「ば、化け物……!」
「撃ち込め、奴を休ませるな!」
霧の向こうから男の声。着地箇所を狙われたんだ。猛烈な光の嵐が視界一杯に迫る。
「このっ……!」
翼を一振りして霧を吹き飛ばしつつ、左手に壁の収束イメージ。
着弾の衝撃。防御魔法の淡い光の向こう、霧の晴れた路地裏に残るは三人の敵。
「下がれって、言ってるでしょ!」
地を蹴り突貫。狭い道を矢のように飛び、性懲りもなく迫るダガーを避けるついでに、左手で地面に落ちた剣を掴み上げる。
「く、来るなあ……!」
「それは、わたしの台詞だあっ!」
左手のロングソードを力任せに振るう。派手な金属音と共に、男の体がくの字に折れ曲がる。ケトの手の内で、ロングソードが粉々に砕けていた。
着地。勢いのまま、ブーツの底が地面を滑る。そんなケトを追うように、魔法がすぐ近くの地面を抉った。
振り向いた視界の先で、もう一人の敵が魔法を放つ。光槍、ケトに向かってまっすぐ飛んで来る。このまま撃たれてたまるもんか!
「もう、帰れええええッ!!!」
瞬時に収束。こちらも光槍で応射。段違いの出力で、迫りくる魔法もろとも男を撃ち抜いた。
最後に一人残された白ローブが、剣を放り出していた。ぶるぶる震えながら、両手を上げる。
「や、やめてくれっ」
「はあっ、はあっ、はあっ……」
「な、何でもする、だから命だけは……」
龍の感覚で周囲を精査。敵の首領であるはずのカルディナーノが見えない。ディクトリもだ。霧に紛れて姿を消したのだろう。まんまと逃がしてしまった。
倒れ伏した敵の体に刺さっている剣を軽い動作で抜き、へたり込む白ローブの元へ。見様見真似で剣を首元に突き付けると、男はひいと悲鳴を上げた。
「もう十分だ、ケト」
「……ガルドス」
気付けば、肩から血を流したガルドスが後ろに立っていた。剣を持つケトの手に、がっしりとしたガントレットが被せられる。
「その剣を折るのは勘弁してくれ。俺のだから」
「あっ、……ごめんなさい」
コンラッドの苦笑と、ガルドスの真摯な瞳に見つめられ、ケトの気分が少しずつ落ち着いていく。耳元で鳴り響いていた鼓動が徐々に静まっていった。
「大丈夫か? ケト」
「……うん、平気だよ」
力を奮った自分の両手を見つめて、少し考える。
シアおねえちゃんみたいに言葉を探してみた。きっと口に出さないと、誰にもこの決意は伝えられないから。
「わたし、決めたよ。ガルドス」
「ケト?」
深呼吸して、少女は空を見上げる。建物に切り取られた細長い空から、澄んだ青が見えた。
ああ、そうだ。あの日飛んだ春の空も、こんな蒼穹だったっけ。
「……わたしはあなたを救い出す。もう一度、あなたの隣で笑いたいから」
「……答え、出たんだな」
「……うん」
どこかも分からぬ薄暗い路地裏で、少女は誓った。
町のギルドの看板娘。第二王女。ちんちくりん。
ケトの姉の、シアおねえちゃん。
もう一度、彼女に会うその日まで。
少女はもう、戻らない、と。




