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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第七章 看板娘は、もう戻れない
102/173

貴族の戦場 その5

普段、この欄はあまり使わないようにしているのですが……。

あまりに嬉しかったので!


なんと、香音様より本作の扉絵をいただきました! 本当に、感無量です。

プロローグに掲載しましたので、是非是非、ご覧ください!



 エルシアは混乱の極みにいた。


「いつまで突っ立っているつもり? さっさとそこにかけなさいよ」

「え?」

「あーもう、鈍くさいわね。話をするから座りなさいって言っているのよ」


 ロザリーヌの口から飛び出る言葉。高飛車な口調こそ昨日と大差ないが、随分と雑な言葉遣いだ。

 その勢いに半ば押され、エルシアは目を白黒させながら椅子に座る羽目になった。

 とりあえず、片付けてしまうのも気が引けたので、ナイフは机の上に置いておくことにする。


「あの、これはどういう……」

「黙りなさい」


 当然の疑問を手を押しとどめられたエルシアの前で、令嬢が大きなため息を吐いた。そして再び目を開いてのたまう。


「エルシア様って本当に馬鹿なのね! 何よその服。よくそんなに田舎臭い着こなしができたわね」

「え」

「本当に何てことしてくれんの!? 部屋抜け出して侍女に紛れて一階を闊歩(かっぽ)!? エレオノーラ様もドン引きよドン引き! 挙句やったことと言えば片っ端から厨房の覗きって! あなたお腹減ってるの!? ここのお菓子食べていいから外でみっともない真似しないで頂戴! あんなに微妙な顔した”影法師(シルエット)”、私だって見たことないわ」

「ちょ、ちょっと……」

「いくら来たばかりとは言え、あなたにだって今の王城が何か変だってことくらい分かるでしょ? 無謀にも限度があるわ。ホント何なのあなた! 殺してほしいならあなたの部屋の扉に”殺し屋歓迎”とか書いてあげるから大人しくしておきなさいよ!」


 怒涛(どとう)の勢いでまくし立てた令嬢に、エルシアはただただ唖然(あぜん)とするしかない。

 とりあえず、自分の行動が周囲に筒抜けだったことは分かった。”ドン引き”とは何だろう。ブランカでは聞いたことのない言葉だ。ロクな意味ではなさそうだが。


 令嬢の隣に歩み寄った優男が爆笑している。先程までの品位は欠片も見られず、大口を開けて笑っている姿はどことなく間抜けだ。

 昨日の夜会からは想像もつかない令嬢の姿。だが少なくとも、今すぐエルシアに危害を加えるつもりのないことだけは察することができた。


「……それを私に伝えてどうしようと言うんですか?」


 腹の底から湧き上がる言葉を飲み込んで、注意深く問いかける。

 エルシアは冷静になる必要があった。そうでなければ、いつ足元を掬われるか分かったものではないのだから。

 内心で自分に言い聞かせるエルシアの前で、ロザリーヌが首を振る。


「いやもう、私が教えて欲しいわよ。段取りも何も滅茶苦茶にしてくれて。あなた本当にエレオノーラ様の妹なの? 育ち一つでここまで変わる?」

「……私をここまで連れてきたのは貴女方でしょう? それでその言い様は流石にどうかと思いますが」


 冷静に。

 令嬢の目的はエルシアを怒らせることかもしれない。頭に血が上れば、それだけ付け入る隙が生まれるのだから。というか隣の男の笑い声も結構気に障る。

 そんなエルシアの必死の努力も知らず、ロザリーヌは更にやれやれと肩をすくめる。


「あっきれた! エルシア様が阿呆な真似しなければ、こんなことする必要自体なかったわよ。様子見てたらすぐこれだもの。せっかく国の将来を憂う者に相応しい雰囲気を作って、後世に語られるような有意義な話し合いができると思ったのに。誰かさんのせいで滅茶苦茶ね!」


 冷静に……。


「はぁもう、誰かこの人何とかしてくれないかしら。突然やって来てあちこち引っかきまわして。あなたは本当に”傾国”だわ! 十八年前にこの呼び名をつけた方と是非お知り合いになりたいくらい!」


 鼻息も荒く騒ぐ令嬢を、エルシアは思慮深く見つめる。

 冷静に。至って冷静に、王女は口を開いた。


「……黙って聞いていれば」


 そう、何事も冷静が肝心だ。

 これまでも、これからも。冷静さこそがエルシアの武器で、目の前でキャンキャン喚く女とは違う。だから、柔らかな微笑みを浮かべて、エルシアはその血色の良い唇を開いた。


「あーもう、貴女本っ当に頭にくるわね!」


 ダメだった。


「よっくもまあ、ポンポンポンポン口が回ること! 知っているかしら、私たち会うの二回目なのよ? 普通そこまでこき下ろすなんて良識ある人間ならしないわよ。良かったわね、貴女こそ悪口の才能に恵まれて! それこそ育ちが分かるってものだわ!」


 驚きのあまり固まってしまったロザリーヌを睨みつけて、エルシアはなめらかに舌を回す。


「まったく。謝ってお礼言わなくちゃな、とか思ってた昨日の自分をぶん殴りたいわ。次の夜会、覚悟しておきなさいよ!? 次はワインをボトルごと頭のてっぺんから掛けてあげるわ!」

「ぶっはははは!」


 耳にうるさいローレンの笑い声が響く。しばらく呆気に取られていたロザリーヌも、ようやく我に返ったのだろう。釣り目が更に鋭くなった。


「……なぁんですってぇ!? ちょっとローレン、今の聞いた!? 信じられないわ! なんて下品な発想なの。健気なクシデンタの皆の爪の垢を煎じて飲ませたいわ。ちょっとあなたこっち寄らないでよ? 下品がうつる!」

「人を無理やり拉致(らち)しておいてその言い草は何!? 帰って良いなら喜んで帰るわよ! 大体ね、私だって好きでこんなところに来た訳じゃない。帰してほしいのは私の方よ。ブランカの皆の方がずっと思慮深くて、落ち着きがあるわ!」


 一度不満が漏れだしてしまうと止める術がない。まさしく売り言葉に買い言葉で、大舌戦を繰り広げる女性二人。


 お茶とお菓子を挟んで二人でぜえぜえ言いながら、互いの顔を睨みつける。これほどまでに好き放題ぶちまけたのは久しぶりだなと、エルシアは少しだけ冷えた頭でそんなことを思った。


「お二人とも、気は済みましたか?」


 全身の毛を逆立てた令嬢二人に、心底可笑しそうな、どこか呆れかえったような声がかけられた。横を見ると、ローレンとかいう名前の従者が笑いすぎて滲んだ涙をぬぐう姿が目に入った。


「……流石に笑いすぎよ」


 ロザリーヌの不機嫌そうな声に、腕を組んだ優男が言い返す。


「いやいや、飼い猫と野良猫の醜い争いを見せられたんすよ。笑うなって方が無理ってもんですって!」

「醜いですって……!? この私が!?」

「ほれ、そこでギャーギャー喚くともっと酷くなるから。ちゃんと話しないと、王女サマも納得しませんぜ?」


 まあまあ、と両手で主人を宥めるローレン。そんな主従を眺めながら、エルシアはプディングに手を伸ばした。

 もう作法も何もあったものではない。どのスプーンを使えばいいのか分からないので、紅茶に添えられているティースプーンですくってはちみつ色のプディングを口に放り込んだ。


「……やっぱりお腹が空いていたんですの?」

「またケンカ売ってるの? 買うわよ?」

「お嬢、王女サマも、話が進まないんでケンカしないでもらえません?」


 流石に見かねたのか、再び睨み合った令嬢二人をローレンが遮る。それを見て、エルシアはようやく矛を収めることにした。はあ、とため息を一つ吐く。


「……じゃあ聞くけれど、こんなところまで連れてきて、貴女たちは一体どういうつもりなの?」


 こちらから話を向けてやると、ローレンがホッと息をついた。


「それは、お嬢から説明しますよ。そのためにお連れしたようなものですし。ね、お嬢?」

「……はあ、もう」

「もう少し様子見てからっていうのも分からなくはないですけれど。もう既に手詰まりなのは分かっているでしょう? 第二王女にまで敵に回られたらそれこそおしまいなんですよ?」

「分かってる、分かっているって」


 整った顔に不服を浮かべたのもつかの間、令嬢は椅子に座りなおすと、エルシアをじっと見つめた。


「こほん。色々、寄り道してしまったけれど……。まずは来ていただいたことに感謝するわ」

「ま、あんだけ言い合っておいて今更なんですけどね」

「いいのよ。(おおやけ)の場ならともかく、今更取り繕うつもりもないわ」


 無理やり連れてきた癖に良く言う、とは流石のエルシアも言葉にはしなかった。

 誘拐というには雰囲気がおかしいし、元々エルシアだって一度ゆっくりと話をしてみたかった相手でもあるのだ。ひとまずは話し合いに応じてみても良いだろう。

 軽く頷き、続きを促したエルシアを見て、令嬢が話を続ける。


「さて、少し強引な手を取ってしまったことは謝らなくてはいけないわ。ローレンに指示を出したのは私なのだから」

「……てっきり教会が私を連れ去ろうとでもしたのかと思いました」


 やはり、目的は別にあるようだ。胸を撫で下ろしながら、エルシアも答える。だとすれば、こんなことをした理由はなんだろうか。


「確かに、第二王女誘拐の気配があること、私も聞いているわ。そういう隙を見せないために、ローレンに連れてこさせたの」

「……教会が手を出す前に攫ったってこと?」

「ああ、やっぱりそこは分かっているのね……。だというのにこんな馬鹿な真似を……」


 今の国は二分されている。旧来の国王派と、それに噛みつく教会派。エルシア王女の発見により、両者の争いが新しい局面を迎えた。その程度はエルシアにも想像がつく。

 やれやれと首を横に振ったロザリーヌが、じっと王女を見据えた。


「今この国は、緊張状態が今にも弾けそうなの。その中で第二王女が”近衛”に気付かれないように部屋を抜け出した。おまけに侍女服を着て、使用人の間を闊歩(かっぽ)している。その報告を聞いた時の私たちの驚きが分かる?」

「……」

「攫ってくれと言っているようなものだわ。だから先にローレンに一芝居打ってもらったって訳」


 朧げながら事情を掴めてきた。つまるところ、彼女たちはエルシアの考えなしの行動をフォローしようとしていたのだろう。国の不利益は徹底的に排除する。見方によっては助けてくれたとも言えなくはない。

 それにしても、だ。酷くモヤモヤしてしまって、思わずエルシアは呟く。


「……自分以外、監視はいないって、ヴァリーは言ってたのに」


 何が自分一人だけ、だ。やっぱり他にも監視がついていたのではないか。そうでなければ、エルシアの行動が筒抜けになるとは思えない。

 どことなく裏切られた気分で内心悪態をつきながらも、エルシアはふと、酷く残念なものを見るような表情をした令嬢に気付いた。


「ヴァリーが不憫(ふびん)ね……」

「本人は滅茶苦茶張り切ってますけれどね」

「……逆境を楽しむタイプなのかしら」


 ジロリと睨みつけると、ロザリーヌからも鋭い視線が帰って来る。


「ヴァリーがあなたに嘘をついた、などと思っているなら、筋違いも良い処よ」

「……どういうこと?」

「私はヴァリーほど忠義に厚い侍女を見たことがない。彼女を疑うなんて、主人の風上にも置けなくてよ」


 その言葉が酷く癪に障る。

 彼女の発言は、判断できる位の情報を与えて初めて出てくるものだ。確かにエルシアをブランカまで連れて行ってくれたのはヴァリーだった。しかし、それだって十三年も昔の話。心変わりするには十分すぎる時間だ。

 顔をしかめたエルシアに、令嬢は淡々と告げた。


「エルシア様が部屋を抜け出すかもしれない、どのような危険にさらされるか分からないから、至急”影法師(シルエット)”をつけて欲しい。エレオノーラ様にそう伝えたのがヴァリーよ」

「……では、何故ロザリーヌ様が動いたのです? この場にエレオノーラ様がいるならともかく、今の状況は腑に落ちない」


 相変わらず、部屋の中にはエルシアと、ロジーヌ主従二人しか見えない。屋根裏に隠密がいるのかもしれないが、エルシアには気付きようもない。

 エルシアは、次の言葉で本格的に首をひねることになった。


「エレオノーラ様が、第一王女殿下だから。あの方が動けば、それは国王陛下に筒抜けになる。この短時間では、密談の場所も方法も準備できないもの」

「……陛下は、このことを知らないと?」


 令嬢の目が憂いを帯びる。従者がチラリと主人を見やって、やはり何も言わずに肩をすくめた。


「もしもこのことが陛下に知られたら、あなたは二度と部屋から出られなくなるわよ。かつてのリリエラ様のように」

「……どういうこと?」

「……今の国王陛下は、ある意味で龍神聖教会(ドラゴニア)よりも危険なのよ」


 謁見した時のヴィガードを思い返す。父であることを否定し、王として見ることをエルシアに強要した男。国で一番偉いはずの男。


「元々、強硬な政策をとる人ではあったけれど、今の陛下は度が過ぎている。こういう言い方は失礼かもしれないけれど。陛下にとっては、エレオノーラ様も、エルシア様も、ただの駒にしか過ぎないはず」


 その認識はある。あの短い謁見の時間で、エルシアは父に期待するのは間違いだと悟った。


「そして(おおやけ)にはなっていないけれど、宰相閣下が暗殺され、王妃殿下が事実上の幽閉状態にある今、表だって止められる人間が、既にこの国にはいない」

「……!」


 宰相が既にこの世にいない?

 考えてみれば、エルシアは確かにまだ見たことがない。エルシアの叔父であり、アルフレッドの父親であるはずの、宰相家当主を。


「ショックを受けたならごめんなさい。でも、エレオノーラ様はとうの昔に、陛下を父とは呼ばなくなった。陛下が考える自分の役割をこれ以上なく理解し、それでもどうにかならないか、藻掻(もが)き続けているの。私は、そんなあの人の力になりたい」


 一体何の話だ。教会が国に反旗を翻そうとしていて、国が対策を練っている。そういう状況ではないのか。


「……何を、言っているの?」


 最早ふざけた空気は欠片も残らず、ロジーヌ伯爵家の主従は、真摯な顔で第二王女を見つめていた。令嬢が立ち上がり、エルシアが腰かける椅子の前まで歩いてくると、深々と頭を下げる。


「本日お越しいただいたのは、他でもありません。エルシア第二王女殿下、あなたにお願いがあるのです」

「ロザリーヌ様……?」

「どうか、エレオノーラ第一王女殿下と、アルフレッド様に、あなたのお力をお貸していただけませんか」


 令嬢の口調が、かりそめの丁寧さを取り戻していた。

 状況が分からない。姉に手を貸す? それは国王に手を貸すのと何が違う?


「国王陛下は今、この国に戦乱をもたらそうとしています。龍神聖教会(ドラゴニア)の動きを利用しようとしている。内乱の兆しをあえて見逃して、開戦の要因を教会に押し付ける計画なのです。戦争によって、反対派である彼らを完膚なきまでに叩くつもりなのでしょう」

「……内戦の誘発を、国王自身が望んでいると、貴女はそう言うの?」


 あまりに馬鹿げた話だ。しかしあろうことか、ロザリーヌはそれに頷いて、厳かに告げる。


「我々は、……エレオノーラ第一王女殿下を筆頭とする我々は、それを止めたい。度重なる北のスタンピードで、南の騎士団の派遣で、民は既に疲弊しきっている」


 令嬢の頭のてっぺんを見たエルシアは、スタンピードから何とか復興したブランカを思い出す。もはや原型を留めない、ケトの故郷を思い出す。クシデンタを地獄と称したランベールを思い出す。”物騒な話”を教えてくれた王都の受付嬢を思い出す。


「現状、陛下もそして教会も、互いを滅ぼしたいのはどちらも同じです。しかしそれでは戦火が広がるばかり」

「……」

「そのどちらとも異なる立場で内戦を阻止する。その為に、エルシア殿下、あなたのお力をお貸しいただきたいのです」


 思わず見開いた目の先に、毛を逆立てた飼い猫の姿はもはや見えない。ただ、国の行く先を憂慮する一貴族令嬢の瞳を見つけて、エルシアは息を飲んだ。


「お受けいただけるのであれば、私は殿下の望みに協力を惜しみません。……本来であれば、殿下にはもう少し王城内の実情をご理解いただいてからお声を掛けよう。そうエレオノーラ殿下と話していたのです。……ですが、状況は日に日に悪くなるばかり。であれば、少なくとも行動力だけはある殿下にも、どうかお考えいただきたい。そう思って、本日お連れした次第なのです」


 混乱する。

 教会は敵だ。エルシアの大切なものをことごとく奪う、敵。今まさに、ケトに手を伸ばそうとしている悪しき者。

 それに立ち向かうため、秘密を明かしてまで王家に取り入った。エルシアにとって、王家は敵ではなく、受け入れなくてはならないもの、そのはずだった。


「……”我々”と言ったわね。他に協力者がいるの?」


 王家の威信が揺らいでいる。それは確かに聞いたことがあった。

 事実、北の町でもそれは感じていたはずだ。魔物の襲撃で被害を被ったと言うのに、王都の反応が妙に鈍かったと、ロンメルが言っていたではないか。


 ブランカに対して国が寄越してくれた支援。金だけを寄越して援軍の派遣を断られたはずだ。

 あの町の場合、人的被害が最小限で済み、復旧の目途のついていたから大きな問題にならなかっただけ。実際、復興に鎧を着て旗を掲げる兵士の出番はなかったのだから。

 では、他の町はどうだったのか。かつての人攫いのことを思い出す。


 ロザリーヌは少し眉を下げて答えた。少しだけ砕けた口調で、弱々しく呟く。


「正直なところを申しますと、エレオノーラ様と、アルフレッド様、それから私。他数名いるにはいますが、皆、家長の目を盗んで行動するしかないのが実情です」

「たった、それだけ……?」


 おうむ返しに聞き返す。なんだそれは、本当に止める気があるのか、と突っ込みの一つも入れたくなる。ロザリーヌにも自覚はあるのだろう。彼女は頬を赤く染めて主張する。


「し、仕方がないでしょう! 私たちは貴族。自らの主張は民を巻き込みます。皆、様子を見て勝ち馬に乗ることに必死なのです。そんな中、国への裏切りともとられかねない賭けに出られる者がどれくらいいると思って?」


 その言葉は、エルシアの心をスッと冷やす。その感情をそのままに、元受付嬢は冷ややかな視線を貴族令嬢に向けた。

 目を閉じればいくらでも思い出せる、襲撃を乗り越えた後の混乱。不安と覚束(おぼつか)なさ。それを間近に見続け、対応に苦心した者として、言ってやらなければ気が済まなかった。


「……偉い人はみんなそう。自分たちの醜い争いに巻き込まれて苦しむ民のことを何も考えていない。貴女は知らないかもしれないけれど、ブランカは必死だったのよ。父を失った子がいる。怪我をして冒険者として生きていけなくなった人もいる。畑を失った人、家を失った人だって……。みんなどうすればいいのかって、途方に暮れて泣いていたわ。それを、勝ち馬に乗りたいからなんて理由で……」

「……」


 ロザリーヌは唇を噛みしめていた。そのドレスが、塗られた紅が、エルシアには酷く気に障る。


「私は貴女のような貴族が何を見ているかなんて知らない。でも、目の前の現実に向き合おうとせず、ただ自らの利権のために動く奴らのことなんか、信じるつもりないわ。内戦回避? その前に自分が治める町の面倒くらい見てから言いなさいよ。ロジーヌ領クシデンタの領家令嬢サマ?」

「……そんなこと」


 ため息を一つ。これはただの八つ当たりだとエルシアは分かっている。

 災害の絶望を知る一人として、言ってやらなきゃ気が済まなかっただけ。その相手がたまたまロザリーヌだっただけ。

 自己嫌悪に顔を伏せたエルシアの頬を、怒声がはたいたのはそのすぐ後だった。


「そんなこと、あなたに言われるまでもない!」


 思わず口を閉じたエルシアにロザリーヌが歩み寄る。呆気にとられた王女の目を、令嬢が燃える瞳で睨みつける。次の瞬間、着ていた侍女服の胸元をぐっと引っ張られ、エルシアは目を白黒させた。


「私が何も知らないだろう、ですって!? 廃墟になったクシデンタを見て、私がどんな気持ちになったと思って? 畑が、家が、作物が……! 罪もない皆の絶望に染まった目を見て、何も……、何もしてやれなかった私の気持ちが、あなたに、あなたなんかに分かるものですか! どれだけの民が冬を越せなかったと、よく顔を出していた孤児院の子が、一体何人飢えて死んでいったと……!」

「ロ、ロザリーヌ様……?」

「あなたに、あなただけには言われたくない。自らに力があると知りながら、それを自分の我儘で隠し続けたあなたには! ねえ、あなた自分は関係ないとか思っていない? スタンピードの被害を受けたと主張する前に、王女としてのあなたにしかできないことがあったのではないの!?」


 燃え上がるロザリーヌの瞳に、エルシアの亜麻色が映る。


「……!」

「あなたは、守るべき民のことなんか何にも考えてない! ただ、我儘を押し通して悦に浸っているだけの王族なんて、私は認めない!」


 間近で王女を睨みつけたロザリーヌは、怒りに震える声で告げた。


「エルシア殿下。あなたは……、あなたは王女に相応しくない」

「わ、私は……」


 続く言葉が出なかった。エルシアは愕然とするしかない。ロザリーヌは胸倉をつかんでいた手をようやく放して、視線をそむけた。


「それでも、あなたには力がある。だから頭を下げるのです。だから手を貸してほしいと、見返りにあなたの望みに協力しようと、そう言っているのです」

「お嬢、その辺にしてやってください。来たばかりの王女サマには酷ですって」


 ローレンが口を挟み、言葉が出ないエルシアに「お嬢が失礼しましたね」と、頭を下げた。感情が高ぶったのか、ほんの少し涙目になったロザリーヌの背中を、ローレンがさする。彼女が深く息を吐く姿を見て、何だか自分の感情が抑えられなくなった時のことを思いだしてしまった。


「……本当は、こんな話をするつもりはなかったんですけれどね。お嬢、流石に言い過ぎです。王女サマも戸惑っていらっしゃる」

「……う、うるさい、分かってる!」


 目を伏せるロザリーヌを見てローレンは苦笑した。


「こりゃしばらく駄目そうだ。王女サマ、俺から話します。昨日の夜会の後、エレオノーラ様とアルフレッド様とお嬢の三人で話し合ったんすよ。宰相がお亡くなりになったのが数日前。表だって止められる方が空席になった以上、陛下の暴走は加速するはずだと」

「……それは」

「我々はもはや、なりふり構っていられる状況ではない。だからこんな非常識な手段まで使って、王女サマにお越しいただいたんです」


 ローレンは苦笑しながら肩をすくめる。


「もちろんただで、なんて言いません。我々としても精一杯の譲歩は行うつもりです。手始めに、今からあなたにとって大切な情報を伝えます。だから王女サマ、あなたにはご自分の立ち位置をしっかりと考えた上で、先程の申し出を検討していただきたい」


 エルシアはもう考え込むことしかできない。

 だがどうやら、自分がもう戻れない一歩を踏み出しつつあることだけは、はっきりと自覚した。

 何の心構えもなく、渦巻く川に投げ出されたような、そんな不安。思わず身震いしてしまう。


 第二王女の目の前で、従者が主人を見て、主人は従者に頷いた。伯爵令嬢ロザリーヌは、精一杯の誠意を見せて王女に告げた。


「近日中に、龍神聖教会(ドラゴニア)が大規模な動きを見せるだろうと、潜ませた隠密から報告があったそうです」

「……え?」

「これまでとは違い、彼らは直接的な武力行使に出るかもしれません。目標は複数あるようですが、その中で最優先とされるのは……」


 エルシアの背中に、ゾッと寒気が走った。

 聞きたくない。それ以上言わないで欲しい。そんな願いもむなしく、後に続けたロザリーヌが口を開くのを、王女は為すすべなく見るしかなかった。


「”白猫”と呼称される少女の確保」


 頭が真っ白になったエルシアを置き去りにして、ロザリーヌは説明を続ける。


「アルフレッド様から話は聞いています。おそらく、教会は”白猫”の力に確信を持ち、我が物にしようと企んでいるのでしょう。アルフレッド様に検査の簡単な内容を聞いたのだけれど、あれは使いようによっては国を亡ぼしかねないものです」


 待って。待ってほしい。そんな心構えはできていない。エルシアはそれを可能な限り先延ばしにするために、正体まで明かしたのに。


「あ、あの子は私の”妹”になったの。いくら教会とは言え、王女の妹に手を出せるはずが……」

「王家の威信が傾き、王女ご自身まで狙われている状況で、血の繋がらない姉妹関係にどれほどの効果があると?」

「な、なら騎士団の派遣を……」

「南に騎士を取られている状況で、どれほどの数を動かせるとお思いですか。スタンピードですら対応の鈍かった騎士団が、政治的な圧力がかかる中で、たった一人の少女のために動いてくれるとでも?」

「で、でも……、そんな……!」

「先に言っておきます。もしも諸家の私兵をあてにするなら無駄です。昨年より私兵の大部分が陛下の命で王都の防衛に駆り出されています。当家がスタンピードの復興に最低限しか支援を向かわせられなかったのも、それが理由です」

「そ、それは……!」


 それは駄目だ。

 今のエルシアが施せる、少女を守るための最後にして最大の盾。それが意味をなしていないなんて。そんなこと認められない、認めたくない。


「エルシア殿下、我々の提案について考えるのは、後にしても構わない」

「……え?」

「あなたの大切な人の危機。それが私たちの伝える情報です」


 真っ白な頭に突き刺さる、令嬢の声。エルシアは体を震わせることしかできない。


「もし私たちの提案を受け入れていただけるなら、今後も力を貸すと誓いましょう。すぐには難しくとも、いつかあなたに会っていただきたい人もいることですし。色々根回しをしなくては」

「え、あ……」

「でも、今は動きなさい。時間はそう残されてはいないの、エルシア殿下」


 令嬢の思慮深い瞳が、王女を見据えてそう言った。

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