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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第七章 看板娘は、もう戻れない
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貴族の戦場 その4

「流石に、ちょっと、厳しい、かなあ……」


 グチグチと文句を言いながら、エルシアは右手をそろりと伸ばす。出っ張り、壁の突っ張りはどこだ。早いところ、ここを抜け出したい。


「うわっ!」


 ドレスが風にあおられ、危うくバランスを崩しかける。まったく、気を抜く暇なんてありゃしない。必死の思いで目星を付けた窓から中を覗き込み、人影が見えないことを確認する。


「大体、部屋から出られないって。やっぱり軟禁状態も良いとこじゃない……!」


 はじめはエルシアだって、こんなことするつもりはなかった。本当は正面の扉から堂々と出ていく予定だったのだ。


 悪戦苦闘しながら自分なりにドレスを身に着けて、精一杯優雅な装いでドアから出たエルシアだが、早速”近衛”に止められたのだ。


 ”近衛”曰く、王城に慣れるまで、自分は部屋から許可なく出ることが禁じられているのだとか。エルシアにしてみればまさしく青天の霹靂(へきれき)であった。


 それを聞いた瞬間、エルシアは計画を強行することに決めた。

 かつて外に出られなかった身からすれば、それこそ事実上の軟禁宣告に等しい。なによりエルシアの読み通りなら、このまま待っていても事態は改善しないはずだ。


 部屋に据え付けられた一番大きな窓を開けて、そこから外へ。少しだけ張り出した壁の装飾を足掛かりに、下を見ず少しずつ動く。


「ひいぃ……」


 如何せんここは五階、地面ははるか下だ。落ちたらそれこそ大怪我では済まない。

 風にあおられること数回。何とかたどり着いた窓から、やっとの思いで中に滑り込む。


「よっと……」


 彼女が降り立ったのは、どうやら倉庫の様だった。清潔なシーツが山と積まれ、石鹸の香りに満ちている。その中をかき分けて、エルシアは沢山保管されている服の中から目的のものを手にした。


 なんだ、あるじゃないか。自室で苦労して着たドレスだが、こちらに着替えた方がずっとマシと言うものだ。


「うん。やっぱりこっちの方が動きやすいわね」


 少し胸元がきついが仕方ない。グルグルと両腕を回して動きやすさを確認する。ドレスよりもずっと身に馴染む。これで行こう。

 王城の侍女服を身にまとったエルシアは、ついでに髪を後ろでまとめてから、廊下へのドアをそっと開ける。キョロキョロと左右を見渡してから、ドレスをまとめた籠を持って、倉庫から飛び出した。


―――


 迷った。


「何よこれ、広すぎでしょう……」


 ”近衛”の視線に内心ドギマギしながら、顔色を一切変えずに乗り切る。ヒヤッとしたところがあるとすれば、五階、すなわち王族の住まう階層から降りる際、使用人用の階段の手前で止められたことくらいか。


 すれ違った騎士に呼び止められた訳だが、そこは「第二王女付きのヴァリーさんからの頼まれごと」と言ったら通してくれた。

 なにせこちらには第二王女直筆の書類があるのだ。部屋で書いた内容は裁縫道具の手配依頼。大した内容ではないし、多少不審であっても、”近衛”も王女直筆のサインを持った侍女の邪魔をしようとは思わなかったのだろう。恐らく、第二王女の顔がまだ広く知られていないのも大きいはずだ。


 使用人用の階段を探し出し、一気に一階まで降りることのできたエルシアは、その活気に感心した。

 王家の居室とは全く違って、使用人や侍女が所狭しと行きかう。文官が書類の束を抱え、時折兜を取った騎士がドタドタと駆けていくのを横目に、エルシアはすんなり進むことができた。


 目指す場所はこの建物の外にある。

 だが、断片的に残る記憶の中に、隠し通路の存在があった。記憶が正しければ、その道は本城の厨房から続いていたはずなのだが。


「……参った。考えが甘かった」


 本城の厨房が一か所ではないのが予想外だった。あやふやな記憶では、目的の場所がどこか分かったものではないし、これだけたくさんの人が働いていたら、ゆっくり調べることもできやしない。

 それとなく観察して得られた情報と言えば、どうやら王族や貴族向けの料理を作る厨房は限られた人しか入れないこと。考えてみれば当たり前だ。お貴族様の口に入るものなのだ、毒など入れられたら一大事である。警邏がいてしかるべきだろう。


 そもそもあの部屋は本当に厨房だったのだろうか。その時点で既に自信がなくなってきた。


 シーツを詰め込んだカートを押す侍女に道を譲ってから、厨房を覗きこむ。これで三か所目、どうやら使用人用のまかないを作る場所らしい。ここには流石に警邏の姿もなかったので、見覚えのある景色を求めて、戸口の傍に佇む。


「おい嬢ちゃん、何ぼさっとしてるんだ。どいてくれ」

「あ、はい、すいません」


 後ろから給仕と思しきおじさんが、エルシアを押しのけるように厨房へと入っていく。

 反射的に謝りながら、エルシアは肩を落とした。白い服を来た料理人が突っ立ったままのエルシアにじろりと視線を向けていたので話しかけてみる。


「あの、ちょっとお聞きたいんですけれど……」

「後にしてくれ、ちょっと手が離せないんだ……」

「え。あ、すみません……」


 つっけんどんな口調に気後れしながら、立ち尽くしてしまう。これはもう少し情報を仕入れてから動いた方が良いかも知れない。誰か暇そうな人はいないだろうか。城の見取り図でもあれば嬉しいのだが。

 廊下の隅で突っ立っているエルシアの傍を、何人もの人たちが通り過ぎていく。ここに居ても埒が明かない。


「よし、まずは使用人の休憩場所をさがそう。……待機室? 休憩室? みたいな部屋あるのかな」


 ケトの検査の時、何度か使用人向けの食堂で昼食をとったことがある。あれなら何となくの場所は覚えていた。

 昼時はとうに過ぎているが、近くで張っていれば休憩に来た侍女の一人や二人捕まえられるはずだ。そこで情報収集しよう。目星をつけられた方が探索もしやすい。


 当座の行動を決めると、少し気も楽になる。

 再び歩き出そうとしたエルシアは、ふと廊下が騒がしいことに気付いた。


「きゃあ! ローレン様よ!」

「うそ!? どこどこ?」

「ローレン様こっち向いてくれたわ!」


 振り向いて騒ぎの大本を探したエルシアは、ふと廊下の向こうから歩いてくる騎士と目が合った。


 切れ長の目、高い鼻、平時の略装を華麗になびかせ、整えられた短髪は光の加減によって茶色にも金色にも見える。優雅に歩む長身の彼のまわりに、侍女服を着たメイドたちが群がっていた。


「何あれ? ……おっと」


 そうだ、様付けされるくらいだから偉い人に違いない。脇によって頭を下げておこう。

 元々廊下の端に寄っていたから、礼をするだけで良い。自分のパンプスの爪先を見ながら、これからの行動を考える。


 情報収集と言っても、まさかそのまま”六の塔”に行きたいなどと言えるはずもない。それらしい言い訳を考えておくべきだ。

 近づく黄色い声を聞いて思いつく。そうだ、”六の塔”の警護の中に気になる人がいる、という言い訳はどうだろう。ちょっと不自然だが、恋バナに注意を逸らせば行けるだろうか。……ちょっと無理がありそうだ。


 ふと気づくと、さっきまでこれ以上なく煩わしかった騒ぎ声が聞こえなくなっていた。と言うべきか、いつの間にか周囲が小声の囁きに満ちている。しまった、考え込みすぎたか。


「あれ?」


 ひょいと頭を上げたら、美形が目の前で微笑んでいてエルシアは心底驚いた。さっきの何某とかいう騎士様が、何故かエルシアに向かってにっこりと笑いかけているのだ。

 周囲を取り囲んでいた侍女たちが、そろってエルシアに刺すような視線を向けていた。「誰あの子?」とか、「ローレン様?」とか、こそこそ話がエルシアの耳にも届く。


「ようやく見つけたよ、全く悪い子だ」

「へ?」


 つかつか寄って来る美形に、思わず一歩後ずさると(かかと)に壁が当たった。そうだった、自分は壁際で頭下げていたんだった。


「我が主も怒っていたよ。さあ、来なさい。いけない子猫にはお仕置きが必要だ」


 周囲の侍女から悲鳴が上がった。何よあの女、ローレン様どうなさってしまったの。

 何の嘆きなのかエルシアには理解できない。だが、ここで目立つのは非常に良くないのだ。


「な、何を……」


 有無も言わさず、右手を取られる。遠慮の欠片もないその手に、ゾワと鳥肌が立った。

 突然何を言っているんだこいつは。そもそもこの男は誰だ。夜会の時にこの顔は見かけただろうか。


 悩んでいるうちにそのまま優雅に引っ張られ、更に優雅に連行される。


「ちょっと、何ですかいきなり……!」

「言ったでしょう? お仕置きが必要だと。……ああ、君たち。騒がせて済まなかったね」


 甘いマスクに微笑まれて、エルシアが体を仰け反らせるのと同時に、周囲からまたもや黄色い悲鳴が上がる。


 エルシアは思考を高速で回転させた。

 考えられる可能性はいくつかある。その中でも有力なのは何だ。

 決まっている。教会がエルシアの存在を嗅ぎつけて実力行使に出た。言っていたではないか、貴族の中には教会に(くみ)する者も多いと。


「ぐっ……、!」


 流石に手を掴まれたままはマズい。一気に力を入れて振りほどこうとしたエルシアの企みは、しかし騎士の力強い腕によって阻まれた。思わず睨みつけると、青年は優雅な微笑みをエルシアに近づけた。

 小さな声で。まるで睦言(むつごと)を囁くように彼は言う。


「止められた方が良いかと。ここで騒ぎを起こすと、不利益を被るのは殿下ですよ?」

「……貴方、何者?」

「しがない騎士の端くれです。主の命により、あなたを迎えに。危害は加えませんからご安心を」


 令嬢たちの視線を浴びながら、掴まれた手を振りほどくのは難しいと諦めたエルシアは、小さくため息を吐いた。


「……好きにするといいわ。ただし」

「何でしょう?」

「その嘘くさい笑みを今すぐ消して。寒気がする」


 一瞬呆気にとられた貴公子だったが、まるで聞こえなかったかのように、すぐに元の甘い笑みを浮かべた。こっちの話を聞いていたのだろうか。

 その視線が、侍女服のポケットのあたりをさまようエルシアの手を見た瞬間だけスッと細まる。長身の優男は目を細めてフンと鼻を鳴らしていた。


「……こりゃ物騒だ、王女サマ。あなたはやっぱり面白いわ」

「何を……!」


 鋭い視線で睨みつけるエルシアは、しかし隠し持つ刃物にも気付かれ、抗うこともできずにずるずると引きずられるしかなかった。


―――


 青年に連れて行かれた場所はそこまで遠くなかった。

 渡り廊下を通って、本城から東の支城へ。一気に人気の減った廊下を歩いた男は、やがて一つの扉を勢いよく開け放った。


「お嬢、いますか!? 連れてきましたよ?」


 先程までエルシアに向けていた、蕩けるような甘い微笑みは欠片もない。歩みは大股、ドアを開けるときにもノックすらしない。極め付けは何とも雑な言葉遣いである。

 彼はズンズン歩みを進めて部屋の中へ入る。後ろ手で閉めた扉が、やはりバーンと大きな音を立てた。


「……いい加減、離せ!」

「おっと失敬」


 エルシアが右手を無茶苦茶に振り回すと、あっけないほど簡単に青年が手を離した。すかさず距離を取り、ポケットの中に手を突っ込む。テーブルナイフの存在を今更隠す理由はない。

 エルシアは銀のカトラリーを、ダガーの要領で逆手に構えた。


「何者? 龍神聖教会(ドラゴニア)の内通者か、それとも陛下の監視か?」 


 極限まで警戒を強めた王女がそう問うと、青年は心底呆れたような表情を見せた。


「俺はローレン。言ったっしょ、あんたのことを俺の主が呼んでるんすよ」

「主。なるほど、貴方の主は良い手を考えたわね。あの人込みでは下手に動けないと踏んだのかしら」


 ローレンと名乗った騎士の顔がうんざりしたように歪み、そのままおかしな悲鳴を上げた。


「あー、この王女サマ話通じねえよ……! ってかお嬢! 粋な演出したいって気持ちも分かりますけど、いいからとっとと出てきてくださいよ。この野良猫、俺の手には負えませんって!」


 騎士が振り仰いだ先、部屋の奥のテーブルに腰かけた人影が、ゆったりとした動作で立ちあがる。騎士から注意を離さないまま、ちらりとテーブルを窺ったエルシアは、思いもよらぬ人物の姿に、目を丸くしてしまった。

 豊かに巻き上げられた艶のある茶髪。身を包むドレスは華やかな橙に染められている。すくりと立ち上がるその一つ一つの仕草は、エレオノーラに負けずとも劣らない高貴な人物の所作であった。

 その高貴なお方は、紅に彩られ、潤った唇を開いた。


「ちょっとローレン! 何よ演出って! 私はこの場の主導権の確保という大切な目的のために……」


 流麗な所作で首を振った騎士が、その豪奢な略装を靡かせて返答を返した。


「そんなもん必要ないっしょ。この王女サマは既にいっぱいいっぱいですぜ?」


 侍女服のエルシアが言えたことではないが、どうやらこの場に高貴な人物はいないようだ。何だかどっと疲れが出て来て、エルシアは小さな声でちくしょうと毒づくのだった。


「一体何しているんですか……」

「それはこちらの台詞よ!」


 間髪入れずに返された言葉に、エルシアはもう困惑するしかなかった。とりあえず、他にすることもなく、エルシアは侍女服のまま、付け焼刃のカーテシーを披露するしかないのだった。


「ごきげんよう。……ロザリーヌ様?」

「昨日ぶりですわね。”傾国”の姫殿下」


 エルシアの視線の先に、不機嫌さを隠そうともしない令嬢が佇んでいた。

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