看板娘は少女を拾う その1
診療室のベッドは大入り満員だった。
あくまで冒険者ギルドだから、医師がいる訳ではなくとも一通りの薬や包帯は揃えている。戦闘には参加しなかったマーサが、あちこち飛び回って手当てをしていた。
もちろん、ギルドの診療所では簡単な怪我しか診ることができない。重傷者は町中にあるお医者様に見てもらうしかないだろう。
本当に幸運なことに、あれだけの戦いにも拘らず、エルシアにはほとんど怪我がなかった。せいぜいが擦り傷くらいか。
むしろ、この後の筋肉痛が怖い程だ。最近ロクに運動していなかったツケが回って来たとも言える。
そんな彼女は目の前のベッドを見つめていた。
今こうして生きているのも、怪我らしき怪我がなかったのも、全ては目の前の少女のおかげだった。
「様子はどうだ?」
あちこちに包帯を巻いたガルドスが顔を出した。どかりと椅子に腰を下ろして、腕をさする。
「さっきまで魘されていたけれど、まだ起きないわ。マスターが脱水症状じゃないかって。泥だらけだったけど、特に傷もないし」
「ダッスイ、……なんて?」
「脱水症状。体の中の水がなくなるとすごく辛いらしいわ。マスター曰く、魔法を覚えたての人がよくなるんだってさ」
大男にはよく分からなかったのだろう。へえ、と気のない返事をしたガルドスに聞いてみる。
「……で、ガルドスこそ大丈夫なの?」
「正直言って、こんな包帯いらないくらいの怪我だった。まあ傷の数が多いし、膿んだらマズいってんで、ぐるぐる巻きにされたけどな」
難なく言ってのけたガルドスの姿に、エルシアはほっと息をついた。
「そっかぁ。良かった……」
普段は互いに憎まれ口ばかり叩いている間柄でも、別に嫌っている訳ではない。エルシアが素直に肩から力を抜くと、ガルドスはびっくりしたように目を瞬かせた。
「なんだよ、やけに素直だな」
「いいじゃない、こんな時くらい」
「お、おう……」
きっと気が抜けたのだろう、憎まれ口を叩く元気もなかった。
しばらく気詰まりなような、くすぐったいような無言の時間が流れたが、ガルドスが突然にやりと笑った。
「そういえばお前、さっき俺のこと”ガル”って呼んでただろ。ガキの頃『なんか恥ずかしいから呼ぶのやめる!』とか言ってた癖にさ」
「うっさい」
前言撤回だ。エルシアが無言で肘鉄を入れていると、ベッドの上のケトがもぞもぞ動き出した。
「ケト?」
声をかけると、少女の長い睫毛が震え、瞳がゆっくりと開いた。しばらくぼんやり彷徨っていた銀の視線が、エルシアを捉える。
「あれ……?」
「目が覚めた? ケトちゃん」
「エルシアさん……?」
ケトから初めて名前を呼ばれた気がする。もそもそと起き上がって、あたりを見回しているケトだったが、やがて口を開く。
「ここどこ?」
「ギルドの診療室よ。倒れた貴女をここまで運んできたの。あれから半日くらい経ったかな。大丈夫? 辛くない?」
「……しんりょうしつってなあに?」
「えっと、怪我とかを治すところよ。お医者様みたいなもの」
「ふうん」
エルシアの言葉を理解しているのか、いないのか。不思議そうな表情でエルシアを見つめる女の子に、エルシアは続けた。
「怪我はないみたいだけれど、どこかおかしい所があれば言って?」
「うーん……。大丈夫」
「良かった。お茶、飲めそう?」
サイドテーブルに置いておいたカップを手渡す。
ケトが気絶している間、清潔な布を湿らせて口に含ませてはいたが、やはり水分を取らせたかった。
「ありがと」
両手でカップを受け取ったケトが、小さな口をつけた。こくこくと音を立てながら、飲み下すのを待つ。やはり喉が渇いていたのだろう。カップはあっという間に空になった。
「あまい……」
「少しハチミツを入れておいたから。疲れた時にいいのよ」
空のカップを両手で持って、ケトが中身を見つめる。水差しを取って、お茶を注ぎ足しながら、エルシアは静かな声で言った。
「……あのね、あなたにお礼を言いたいの」
「おれい?」
「そう、お礼」
コテンと首を傾げた姿は、九歳と言う年齢に相応しい。
「助けてくれて、ありがとう。貴女がいなかったら、きっと酷いことになっていたわ」
「どういたしまして……?」
彼女はなぜお礼を言われているのか理解できていない様子だった。
「ありがとう」を言われたら「どういたしまして」と返すのが決まりだから、とでも言いたげな雰囲気だ。自分のしたことにまるで自覚がないように見える。
「……それでね、ケトちゃん」
少しためらいながら、エルシアは問いかける。
ここからが本題。これだけ謎の多い子だ。突然、態度が豹変したりしないだろうか。
「さっき、その……、すごく強い力や、魔法を使っていたでしょう? どうして、あんなにすごいことができたの?」
エルシアが覚悟していたほどの反応を、少女は返さなかった。むしろ、彼女自身が戸惑っているように首を傾げる。
「うーん。よくわかんない」
「分からない?」
こくりと頷き、ケトは続けた。
「えっとね、ドーンってなるまえはできなかったけど、ドーンってなったらできるようになった」
隣でガルドスが「ドーン?」と呟いている。エルシアも同じ気持ちだ。ドーンって何だ。これで分かる人がいたらぜひ解説してほしい。
「ドーンってなあに?」という問いかけに、「よくわかんない」と返されたエルシアは言葉に詰まった。聞き方を変えた方が良いのかもしれないが、目覚めたばかりの年端もいかない少女に、これ以上深く聞き込むのも憚られる。
であればと、エルシアは話題を変えた。
「それじゃあ、お母さんやお父さんはいるの? 明日になったら、ケトちゃんのおうちまでお話をしに行こうと思うの」
「……わかんない」
「……え?」
今度の「わかんない」は、さっきよりもずっと落ち込んだ声だった。少女の表情も、心なしかしょげたように眉が下がっていた。
「あのね、ママいってたの。ここでいいこにしていなさい、かならずパパとむかえにくるからって。でもこなかった。みっかたってこなかったら、どうくつをでてひとをさがしなさいって、ママがそういったから、ここにきたの」
しまったと、エルシアは後悔した。隣のガルドスが息を飲む音が聞こえる。
「そっか……。つらいこと聞いちゃったね。ごめん」
肩を落としたケトの頭を撫でてやる。ケトは嫌がりも喜びもせず、されるがままになっていた。
「それじゃあ、今はどこに住んでいるのかしら? きちんとお礼もしたいから家まで送らせてほしいのよ」
「わかった……」
どうやら家族の話を振ったのは失敗だったらしい。相変わらず元気のないケトにエルシアは慌てた。「そうだ!」と手を叩く。
「しばらくご飯食べられなかったでしょう。寝起きかもしれないけれど、食べられそうなら、これ食べたほうが良いわ」
サイドテーブルに置いてあった皿を引き寄せる。
中身の黒パンは、きっとお腹がすいているだろうと思って、マーサに炊き出しを分けてもらったもの。エルシアが厨房からベーコンをちょろまかして間に挟んだ豪華仕様だ。
案の定、少女は食い入るように黒パンを見つめて、「食べる」と答えた。
もしゃもしゃと黒パンを食べ始めたケトを見ながら、エルシアはガルドスに声を掛ける。
「ガルドス、貴方なんで喋らないの?」
「図体がでかい男に話しかけられたら怖がるかもしれないだろ」
「貴方、そんなこと気にしてたの……」
「うっせえほっとけ」
ふと見るとケトが興味深そうに、言い合う二人を眺めていた。もぐもぐと口が動いているのが可愛らしい。
「ああ、騒いじゃってごめんね。こっちはガルドス。図体は大きいけど悪い奴じゃないわ。仲良くしてあげてね」
バツの悪そうな顔をするガルドスを眺めて、ケトは黒パンから口を離した。
「うしろがわにいたひと?」
しばらく言葉の意味を考えた二人だったが、どうやら戦闘中、ケトの後方にいたことを指していると気付いたようだった。
「その通りだ。今日は助かった、おかげで命拾いしたよ。よろしくな、ケト」
「うん」
ケトは頷くと、再び黒パンを頬張った。




