赤月さん、大上君に料理を褒められる。
土日が過ぎて、月曜日が来ました。大上君の様子はと言うと──。
「おはよう、赤月さん」
講義が行われる教室へ向かっている途中で、後ろから声をかけられたため振り返ると、そこには元気な姿の大上君がいました。
無理をしていない、にこやかな笑顔を浮かべる大上君を見て、私は思わず安堵の息を吐いてしまいそうになりました。
「おはようございます、大上君。……身体はもう、大丈夫なのですか?」
私は大上君が風邪を引いていたことを他の人に聞かれないようにと小声で訊ねます。すると大上君はにこりと笑ってから頷き返しました。
「おかげさまで、すっかり良くなったよ。それと、冷蔵庫の中に入れておいてくれていた雑炊も全部食べちゃった。赤月さんは本当に料理上手だよね、凄く美味しかったよ」
「料理ならば、大上君も上手ではありませんか」
冷蔵庫の中に小分けにして保存していた雑炊は全部食べてくれたようなので、良かったです。あのまま永久的に冷凍保存されたらどうしようと思っていたので。
「でも、赤月さんの料理の味は食べる人を想って作られているなぁって感じたよ。とても優しい味がしたんだ。だから、俺は赤月さんの料理が凄く好きだな」
「……味を気に入って頂けたようで何よりです」
私は周囲を見渡しつつ、誰も聞き耳を立てていないことを確認してから、講義が行われる教室へと入りました。
今日の講義は梶原教授による「古文書学入門」です。
今はまだ、くずし字を読むことが出来る技術を得ていない学生ばかりなので、実際に江戸時代頃にお触れとして出されていたものを初心者である私達にも分かりやすいようにと活字に直された資料を使って勉強しています。
「そういえば、梶原教授に聞いたんだけれど、今回から班分けされて作業する内容になるって」
「班作業ですか……」
つまり、他の学生と協力して、何か作業をしなければならないということでしょう。
「……ん? どうしたの、赤月さん。何だか落ち込んでいるようだけれど」
さすがは大上君、目ざといですね。私は出来るだけ、気落ちしていることを覚られないように苦笑しながら返事を返すことにしました。
「多分、大上君も知っているとは思いますが、私は人見知りが激しくて……。それに同じ学部内に友達と呼べる人がいないので、こういった班での作業はとても緊張してしまうんです」
「あー……。なるほどね。確かに知らない人と突然、協力しながら作業しなきゃいけなくなったら、色々と戸惑っちゃうよね」
大上君も私の性格を分かっているようで、困ったような表情で頷き返してくれます。
「同じ班だと良いね」
「……それはそれで、大上君が自重しなさそうな気がするのですが」
「そんな、こと、ない、よぉー……?」
大上君は盛大に目を逸らしながら答えましたが、明らかに自重出来ないことを証明する気満々ではありませんか。
素の大上君を見てしまえば、世の女の子達はどう思うのでしょうか。あまり、想像はしたくはありませんが、阿鼻叫喚な気がします。
教室の中はまだ自分達以外には誰も来ていないようで、とても静かでした。
「五月も中旬が過ぎたし、そろそろ暑くなってくる季節だよね」
「そうですね」
大上君はいつものように私の隣へと着席します。
「夏服の赤月さんも楽しみだなぁ……」
大上君から零された一言に私の背筋はぞくり、と冷たいものが流れていった気がしましたが気のせいでしょう。
「……私のことを変な目で見た場合は、ことちゃん直伝、目つぶしを発動させます」
ことちゃんからは、「人間の急所の一つだぞ! 遠慮せずに突け!」と言われましたが、そう簡単に誰に対しても目つぶしなんて行為は出来ないと思います。
ですが、自衛のために覚えておいて損はないでしょう。
「変な気は起こさないよ! こっそりと見るだけだよ、こっそりと! 何もしないよ! 見るだけだから!」
かなり必死に大上君はそう言って、首を横に振りました。
「……ちなみに山峰さんから、どれほどの数の護身術を学んでいるの?」
おずおずと切り出してくる大上君に私は少しだけ思案する素振りを見せつつ、にこりと笑い返しました。
「秘密です」
「えー……」
「手の内を明かすようなことをしてはいけないと忠告されていますので。……まあ、身体が小さい私がまともに護身術を扱うことが出来るかと言われれば、頷けないのですが」
「あ、赤月さんに護身術を使わせる機会がないように、君のことは俺が全力で守るよ!」
輝かんばかりの表情で大上君は胸を張って、そう言い切ります。
偽りがない笑顔を朝から浴びて、私はすでに疲労が溜まってしまいましたが、「守る」という言葉に何故か温かさを感じてしまい、つい目を逸らしてしまいました。