赤月さん、大上君と友達になる。
「では一つ、お互いに約束しませんか」
「約束?」
「大上君からの気持ちは素直に受け取ります。ですが、受け取るだけです。あなたとは恋人にはなりません」
はっきりとそう告げると大上君はあからさまに残念そうな表情をしました。
「でも、それは……私の心が変わらなかったら、です」
「っ! それって、赤月さんが俺のことを好きになったら、恋人になってくれるってことで良いんだよね!?」
まるで、餌を目の前に用意された子犬のような反応です。よほど嬉しいのか、瞳がかなり輝いています。
「……人の心は移ろうものなので、どうなるかは分かりませんけれど」
今のところ、大上君に対してはややマイナスからの好感度ですが、これから上昇するかは分かりません。
こう見えて、私はかなりの人見知りなので、新しい友達が出来にくい性格をしていますし、気の利いたことを言えない口下手な人間なのです。
「だから、今は……ただの友達でいたいのです」
「友達?」
こてん、と大上君は首を傾げます。
「はい。……これからは大上君のことを無視したり、あからさまに避けたりしないように約束します。なので、大上君も今回のように私のことを追いかけ回したり、後を付けたりしないで欲しいのです。無理矢理に手を出そうとするのも禁止です」
正直に言えば、今回の件はアウト一歩手前だと思っています。もう二度と味わいたくはないです。
「これらを約束してくれるならば、これからは友達としてあなたとお話しすると約束します。でも、私の大上君に対する気持ちが友情以上に変わることはないかもしれません」
「うーん、友達かぁ」
大上君は顎に右手を添えつつ、少しだけ思案しているようです。
どうしても自分の身を守るための防衛線が欲しかった私は妥協策として「友達」になることを提案しましたが、果たして受け入れてくれるでしょうか。
「うん、いいよ」
「……いいんですか?」
「赤月さんと友達になれるだけでも大きな一歩だよ。今までは近づくことさえ拒否されていたからね。でも……」
同じように座り込んでいた大上君は立ち上がってから、私へと右手を伸ばしてきます。まるで、この手に掴まって立ち上がるといいと言わんばかりに。
「絶対にいつか君に、俺のことを好きだって意識させてみせるから。……だから、これから覚悟しておいてね?」
「……」
にっこりと笑みを浮かべながら見下ろしてくる大上君の視線はまるで、お腹を空かせた獣のように鋭いものでした。
つまり、私を逃がす気はないと仰っているのでしょう。
「……長期戦になるかもしれませんよ」
私は一つ溜息を吐いてから、大上君が差し出してくれた右手に自分の右手を添えます。
「構わないよ。その分、君に接する機会が増えるだけだから。これからも宜しくね、赤月千穂さん」
「……あまり宜しくはしたくはないのですが、少しだけ宜しくお願いいたします」
大上君は私の手を握ると引き上げるように立たせてくれました。
そして、すぐにぱっと手は離されます。おや、今まで偏執的な言動が目立っていたので、すぐに手を離してくれるとは意外でした。
しかし、そんな感心はすぐに破れることになります。
大上君は私の手に触れた自身の右手を少し掲げながら、恍惚とした表情で呟きました。
「……赤月さんと……手を……。もう、この手……二度と、洗わない……。あっ、匂い……微かに赤月さんの匂いが……残って……」
「……」
大上君は暫くの間、右手を見つめつつ、匂いを嗅いだりしていましたが、私は話しかけることも出来ずに少し引いた表情で眺めていました。
やはり、前言撤回したいです。これはお友達でいられる気がしません。
手を洗わないってどういうことですか。
「……手を洗わない人とはお話しません」
「はっ……。そ、そうだよね! 洗わないとこの次に手を繋ぐ時には、不浄な手で赤月さんを触ることになるもんね! 分かったよ、しっかりと洗うね!」
「……」
自己解釈していらっしゃるようですが、手を洗ってくれるとのことなのでとりあえず、一安心でしょう。
「それでは、明日からは普通に友達としてお話するようにしますので、必要以上に付け回さないで下さいね」
「うん」
「……あの、今から帰るつもりですが、まさか家にまで付いて来るなんてこと、しませんよね?」
恐る恐る聞いてみると、大上君は慌てたように手を横に振っていた。
「しないよ、そんな犯罪みたいなこと!」
……ああ、一応、そういう認識は持っていらっしゃるのですね。
私はつい安堵の溜息を吐きましたが、大上君の口からは次なる爆弾発言が飛び出てきました。
「だって、どこに赤月さんの家があるのか知っているのに、わざわざそんなことをするわけないだろう?」
平然とした表情で大上君はそう言いました。私は一歩どころか、数歩ほど後ろへと下がって、冷めた瞳で大上君を見上げます。
「……家の近くで見かけたら、大上君のことを通報します」
「えっ?」
「偶然を装って、私の家の近くまで来たら、通報します!」
「何で言い直したの!?」
「いえ、一度だけではご理解頂けないかと思いまして」
「だから、家まで付け回したりはしないってば! 安心して! ……でも、赤月さんのことを狙っている危険な輩が君の後を付けるかもしれないし……。やっぱり、護衛として俺を……」
「今、私にとって、一番危険な存在は大上君だけなので、ご安心を」
「辛辣!」
やはり、大上君とは危機感を持って、接した方がいいでしょう。でなければ、気付かないうちに囲い込まれて、本当に食べられてしまいそうです。
どうやら大上君との攻防戦は長く続きそうですね。
私は大上君に気付かれないように深い、深い溜息を吐くしかありませんでした。