赤月さん、大上君にご飯を作る。
講義が終わった後、大上君は即行で帰り支度を整えていました。
いつもは私に、途中まで一緒に帰らないかと誘ってくるのですが、今日は先程の言葉通りに真っすぐ家に帰るつもりのようですね。
「大上君、心配なので家まで付き添いますよ。でなければ、家へと帰る途中で倒れてしまうかもしれませんし」
「うーん……。その心遣いは嬉しいんだけれど、赤月さんに風邪が移ってしまうのも嫌だからなぁ」
「これは決定事項ですっ」
私は無い胸を張りながら、言い切ります。少しは強気で出ないと、すぐに大上君に丸め込まれてしまいますからね。
「……それじゃあ、せっかくだし家まで付き添ってもらおうかな」
大上君の顔がふにゃり、と崩れました。風邪によって表情筋が緩くなっているのでしょうか。
「ご自宅には風邪用の薬はありますか?」
大上君の隣を歩きつつ、私は周囲の人に聞こえないように小声で訊ねます。
「うーん、多分あったと思うよ。救急箱の中に入れていた気がする……」
頭がぼぅっとするのか、大上君の視線は少しだけ泳いでいるように見えました。
「……お風呂には入れそうですか?」
「うん、それは大丈夫……。はっ、今ここで、大丈夫ではないと答えていれば、赤月さんが一緒にお風呂に入ってくれたかもしれないのに、惜しい事をした……!」
「……」
大上君、本当は元気なのではないでしょうか。
いや、もしかすると熱が出て、更に頭が上手く機能しなくなっているのかもしれませんね。これは早急に寝てもらうべきでしょう。
そんなことを思いつつ、私は大上君に付き添って、彼の家に向かうことにしました。
大上君は家に到着してから、すぐにお風呂に入り始めたので、私はその間に台所を借りて食事を作ることにしました。
風邪薬を飲むためには何か食べておかないといけませんからね。
私が食事を作りましょうかと訊ねたら、大上君は即行でお風呂に入って来ると言っていましたが、体調は大丈夫ですかね……?
どうか無理をせずにゆっくりとお風呂に入って来て欲しいです。
「うーん……。やっぱり、風邪の時にはお粥ですかね? でも、ご飯は炊いてあるみたいですし、卵や葱を入れた雑炊にしても良いかもしれませんね」
私は冷蔵庫から卵を一つとタッパーに入っている刻み葱、おろし生姜、そして和風だしの素、醤油などを取り出してから、さっそく雑炊を作り始めました。
すると、雑炊を作っている途中でスマートフォンが鳴ったので、誰からのメールだろうと思って画面をのぞき込んでみます。
そこには、ことちゃんから「一緒に夕飯を食べないか」というメールが届いていました。
私は雑炊のお鍋を見張りつつ、ことちゃんに「大上君が風邪気味なので、看病をしてきます。また今度、誘って下さい」と文字を綴ってから返信しました。
ですが、いつまで経っても返事は返ってきません。いつもならば、「了解した!」と一言メールが届くのですが、今日は違うようですね。
メールの返信を済ませてから、私は再び雑炊を作っている鍋へと向きなおります。
調味料で味を整えれば、完成です。味見はしましたが、それなりに美味しく出来ていると思います。
大上君が気に入ってくれるといいなぁと思いつつ、私は鍋とお椀を持って、炬燵の台の上へと運びました。
食事の準備を整え終えて、次はお茶の準備をしていると、お風呂から大上君が上がってきた音が聞こえました。
扉を開けて、部屋へと入ってきた大上君は楽なシャツと短パン姿でした。
「わぁ……。凄く良い匂い……」
大上君は少しだけ、足元をふらつかせながらこちらへ歩いてきます。
髪はしっかりと乾かしているようですね。濡れたままだと風邪が悪化しそうなので、とりあえずは一安心です。
「大上君、体調は大丈夫ですか?」
大上君はいつもよりもゆっくりとした動作で私の斜め前の席へと座ります。
お風呂に入ったことも関係していると思いますが、何だか顔が先程よりも赤くなっているように見えるのは気のせいではありませんよね?
「うん。とりあえず、汗は流せたから、すっきりはしたかも」
「そうですか……。あ、卵と葱で雑炊を作ってみたのですが、食欲はありますか? 風邪薬を飲まなければならないと思うので、出来るならば一口分だけでも食べて欲しいのですが……」
「もちろん、完食するつもりだよ!」
「いえ、無理しなくていいので。……それじゃあ、とりあえず一杯分だけ」
「うん。……ありがとう、赤月さん。実は一人暮らしを始めて、病気にかかるのって初めてだから、少しだけ不安だったんだ。……赤月さんが傍に居てくれるだけで、凄く心強いんだよ」
大上君は無理をしているのか、表情を動かすだけでも、辛そうに見えました。
「やっぱり、赤月さんは優しいなぁ……」
「……私は別に……。ただ、大上君が心配だったので……」
大上君が食べ切れる量を想定して、私はお椀に少しだけ雑炊を盛ってから、渡しました。
雑炊ならばお箸よりもスプーンの方が食べやすいだろうと思って、もちろん準備してあります。
「……ふふっ。謙遜しなくてもいいのに。……俺はどんな赤月さんも大好きだけれど、君のその優しさに救われている部分も多いから、心から感謝しているんだよ」
「感謝、ですか」
「そうだよ。……君が俺を掬い上げてくれたんだから」
熱で少しだけ顔を赤らめた大上君が私を見ていたため、居た堪れなさを感じた私はつい視線を逸らしてしまいました。
「……大上君はたまに、よく分からないことを言いますよね。あ、いつもよく分からない変態的なことは口走っていますけれど、それとは別で」
「うーん……。病人に対しても容赦がないところも、刺激的で好き……」
「はいはい……。戯言は結構なので、ちゃんと食事して下さいね」
「はーい」
大上君は「いただきます」と手を合わせてから、スプーンを握りしめ、さっそく食事を始めます。
「美味しい……。うちにある材料だけでこんなにも美味しい料理が作れるなんて……。赤月さん、本当は三つ星シェフなのでは……。これは王宮レベルの味……。美味しい……。冷凍保存して、毎日スプーンで一口ずつ食べて生きていきたい」
「何を言っているのか分からないので、黙って食べて下さい」
口を閉じさせたいですが、閉じてしまえばご飯が食べられなくなってしまうので、あまり相手にしないようにしましょう。
大上君は誉め言葉が大げさ過ぎるのです。
ですが、私の呆れ顔も想定済みだったようで、彼はにこにこと笑っているだけでした。