赤月さん、大上君の具合に気付く。
ゴールデンウィークが終わり、平常の講義が始まる日常へと戻って一週間程が経ちました。
私は相変わらず、歴史学部の中に友人らしい友人を作れずにいましたが、気付けば傍に大上君がいるので、あまり寂しくはありませんでした。
それにお昼時には白ちゃんとことちゃんも一緒なので、とても楽しいです。
最近、幼馴染二人は大上君と一緒に居ても、注意するようなことを言わなくなったので、私の知らないうちに彼らの間に何かあったのだろうと思います。
男友達が少ない白ちゃんも、大上君とは割と気が合うようで楽しげに話していました。
一方でことちゃんは大上君がたまに作ってくるお菓子によって餌付けされているようです。
大上君は器用だなぁと思いつつ、私もそのお菓子を貰っては、つい美味しく食べてしまいます。
気を付けていないと体重が増えてしまいそうですね。どちらかといえば、身長へと栄養が行って欲しいくらいですが。
そんな日々を過ごしている時でした。
「えっ、大上君……。今日が誕生日なんですか?」
私は目を見開いて、隣の席に座っている大上君へと訊ねます。
講義が始まる前、何気ない雑談をしていた際に、大上君が日付を気にするようなことを呟いたので、何か用事があるのかと訊ねたら、どこか困ったように今日が誕生日だと答えました。
「いやぁ、自分の誕生日なんて、すっかり忘れていたよ。赤月さんの誕生日は覚えているのにね」
「……教えていないのに知られているこの奇妙な感覚を何と言葉にすればいいのか分かりませんが、私のことについてはとりあえず置いておきましょう」
今はそれよりも大上君の誕生日について話さなければなりません。
「教えて下されば、何かご用意しましたのに……」
今日は五月十五日で、大上君の誕生日当日です。
思い返せば、彼の個人情報をあまり知りませんね。情報通の白ちゃんに、事前に聞いておけば良かったかもしれません。
「ふふっ。赤月さんに誕生日を祝ってもらえるのは凄く嬉しいけれど……。でも、あまり大っぴらにすると、情報を聞きつけた人が群がってくるからさ……」
実体験を思い出したのか、大上君はどこか遠い目をしつつ、小さな声で教えてくれました。
確かに大上君はとてもモテるので、プレゼントを持ってくる人で周囲が溢れてしまいそうですね。
「だから、赤月さんも他の人には秘密にしておいてくれるかな」
「……分かりました。ですが、ささやかなお祝いくらいはさせて下さい。……ケーキとかお好きですか?」
「あまり食べる機会はないけれど、好きだよ」
それならば良かったです。私が住んでいる家の近くに小さなケーキ屋さんがあったので、もしお店が開いているならば、そこでケーキを購入して、大上君にお贈りしましょう。
そんなことを思っていると、大上君の様子が何だかいつも違う気がして、私は首を傾げました。
「……大上君、どうかしたのですか?」
「ん?」
「いえ、何だか……。私の見間違いだったら、申し訳ないのですが、いつもよりも……顔が赤いような……」
すると、大上君は目を大きく見開いて、私から視線をゆっくりと逸らしていきました。まるで、顔を見られたくはないと言うような仕草にも見えます。
「……凄いなぁ、赤月さんは。結構、自信があったんだけれどな、隠すことは」
「えっ?」
大上君は右手で口元を覆いつつ、少しだけ目を伏せました。その動きもどこか億劫そうに見えて、私ははっと気付きました。
「……もしかして、熱があるんですか?」
「……」
私の質問に大上君は答えませんが、その視線は明らかに泳いでいました。
「もう、具合が悪いのに無理をしてはいけませんよ? この講義はお休みして、家へと帰られてはいかがでしょうか」
「うーん……。まだ、大丈夫だよ。確かに少し、頭がぼぅっとしているけれど、辛い程までではないし」
「風邪の引き始めを甘く見ると、後が大変ですよ?」
「うん。……でも、今日はこの講義で終わりだし、受け終わったらすぐに帰って寝るよ。だから、今だけは大目に見てくれないかな」
「……」
私はじっと大上君の顔を覗き込むように見つめます。
ちゃんと見ていなければ分からない程ですが、それでも大上君の表情はほんの少しだけ強張っているようにも見えました。恐らく、無理に笑顔を作っているのでしょう。
「本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ」
大上君の表情は揺れ動くことはありません。
本当に、この人は見た目の爽やかな顔に反して想像以上に頑固ですね。
私は諦めたように溜息を吐くしかありません。せめて、ことちゃんのような腕力があれば、大上君を家まで引きずることが出来たのですが、あいにく持ち合わせていませんし……。
「……これ以上、具合が悪くなったら、ちゃんと言って下さいよ? 付き添いますから」
「わぁ、赤月さんに付き添ってもらえるなんて嬉しいよ。……でも、君に迷惑はかけられないからね。無理だけはしないようにするから」
「……分かりました」
とりあえず、この講義の最中は大上君の様子を小まめに確認することにしましょう。
私が考えていることもお見通しなのか、大上君はふふっと小さく笑っているだけでした。
こっちは本気で心配しているのに、と言いたくても大上君が大丈夫だと言ってしまえば、それでおしまいです。
明日は休日なので、大上君もゆっくり休めるでしょうが、寝込むことになれば、動けなくなるでしょう。
独り暮らしで病気になるととても心細いと聞いているので、何か大上君のために私に出来ることを見つけたいと思います。
すると、教室に教授が入って来たので、大上君は「また後でね」と言って、正面を向きました。
私もノートを広げつつ、ちらりと大上君の方へ視線を向けます。
大上君は平静を装っているのか、他の人に覚られない態度で講義を聴き始めました。私はそんな大上君に気付かれないように、もう一度、小さな溜息を吐くしかありませんでした。