赤月さん、練習を決意する。
雷が遠のいていったことを確認してから、大上君は両手をゆっくりと離していきました。
「……赤月さん、大丈夫?」
「……何とか。助けて頂き、ありがとうございました」
本当は心臓が高鳴り過ぎて、色んな意味で大丈夫ではありませんが。
雷は過ぎ去ったはずなのに、それでも大上君は私の隣に座ったまま、動こうとはしません。
「大上君?」
「っ……」
私が声をかけると大上君ははっとしたような表情をしてから、慌てて視線を逸らしました。一体、どうしたのでしょうか。
「……赤月さんの無自覚がこれ程、恐ろしいとは思わなかった」
「え?」
また、変なことを言っていますね。良いところや優しいところがあると思った、次の瞬間には変なことを言うので気が抜けません。
「赤月さん」
「はい、何でしょう」
「可愛い」
「はい?」
何故、今、私はそのような言葉をかけられているのでしょうか。
「本当はっ! 本当は今の赤月さんを写真に収めたいっ! 収めたいけれど! でも、これ以上をやると本当に変態認定されてしまう……!」
「いや、人の身体にぴったりな下着を勝手に用意して、自宅に備え置いている時点で十分すぎる程に変態だと思いますよ」
悶えるように右手で左腕を押さえている大上君に私は白けた顔で告げます。
通常運転の大上君のおかげで、妙に高鳴っていた心臓はいつの間にか落ち着いたようです。むしろ、冷めたように静まりました。
この人と接する際にはある程度の妥協が必要だと、最近分かってきたのですが、あまり妥協し過ぎても好き勝手に流されている気がしてなりません。
私が呆れたように、溜息を吐こうとした時でした。
──ドゴォォンッ! ゴロゴロゴロゴロ……。
地響きのような雷が再び、近くの場所に落ちたことで私は身体を軽く浮かせるように驚いてしまい、つい傍に居た大上君の胸の中へと飛び込んでしまいました。
「ひゃぁっ……!」
耳を両手で防ぎつつ、縮こまっていると大上君が私の背中に手を置いて、軽くぽんぽんっと叩いてきます。
「あっ……。す、すみません、大上君……。今、退きま……」
ですが、大上君は私の背中に手を添えたまま、離そうとはしません。
何故だろうと思いつつ、私がゆっくりと顔を上げると、そこには少しだけ顔を赤らめている大上君がいました。
「大上君?」
「……好きな子に抱き着かれて、平常心なんて保てるわけがないよ」
ぼそりと呟いた言葉は私の耳に届いていましたが、どのように答えればいいのか分からず、私はゆっくりと身体を離そうと試みました。
「──ねえ、赤月さん」
それでも、離さないと言わんばかりに大上君は私の背中に右手を添えたまま動かそうとはしませんでした。
「練習、今から……する?」
「えっ?」
顔一つ分しかない近距離で、大上君はそう告げてきました。
「れ、練習って……。あの、トラウマを克服する練習のことですか?」
「うん。……今なら、二人きりだし」
「……」
そう言って、大上君は薄く笑ってみせますが、その表情がどこか妖艶に見えて、私の心臓は跳ね上がってしまいました。
「今が嫌なら、しないけれど」
大上君はちゃんと選択肢を用意してくれています。選ぶのは私だと、彼はそう言っているのです。
確かに二人きりになれる状況は稀にしかないでしょう。それこそ、密室で他に誰もいないからこそ「あの練習」が出来るのですから。
「……やります」
私が挑むようにそう答えると、大上君は意外だったのか瞳を何度か瞬かせて、そしてふわっと笑い返してきました。
その優しげな表情に緊張しかけていた身体は少しだけほぐれていきます。
「やっぱり、赤月さんは強いね」
「え? ……そんな、私は別に……」
「そういうところも好きだよ。全部好きだけれど」
この人は息をするように口説いてきますね。
挨拶のようなものとして受け取った方がいいのか、返事を返すべきこととして受け取った方がいいのか、どちらで返すが迷ってしまいます。
ですが、大上君は返事をもらうことを前提としていないようで、軽やかに笑っているだけでした。