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山峰さん、赤月さんに救われる。

 

 本当は大上伊織に千穂を任せるなんてことはしたくはなかった。けれど、今はどうしてか身体が動かないのだ。


「小虎は千穂が居ない時だけ、泣き虫だよなぁ」


 頭上では真白がおどけたような声色で呟く。


「……うるさい」


 はっきりと答えたつもりだったのに、涙声になってしまったが、真白が私を笑うことはなかった。



 私は小さい頃から、「女の子」らしくはなかった。

 実家が武道の道場を開いていることもあり、兄弟たちと共にそこで自分自身を鍛えて来たことも理由の一つとして上げられるだろう。


 着ている服はいつだって、兄弟達のおさがりだ。

 もちろん、七五三や行事の時には女の子らしい格好をさせてもらっていたが、それを見た者は馬子にも衣裳だと言って笑うのだ。


 だからこそ、本当は女の子らしいことをしたかった私は全てを心の奥へと閉ざすことにした。


 「小虎(ことら)」という名前だって、本当は嫌いだった。だって、男っぽいではないか。もっと、女の子らしい名前が良かったのにと何度も思った。


 そんなことを愚痴にこぼした時だった。その場に居た千穂はにこりと笑ってから、こう言ったのだ。



『それじゃあ、今度から「ことちゃん」って呼ぶね!』


 柔らかな笑みを浮かべつつ、千穂は何げなくそう告げた。


『あれ? 気に入らなかった? 可愛い名前だと思うけれどなぁ、「ことちゃん」』


 私は思わず絶句していた。この名前を可愛いと彼女は言ったのだ。

 けれど、それだけではなかった。


『私も女の子らしいって、どういうことなのかあまり分からないけれど……。でも、ことちゃんはとても可愛い女の子だと思うよ? それに、私に持っていないもの、たーくさん持っているし』


『持っていないもの?』


『うん! ことちゃん、お花とか木の実の名前とか色々知っているし』


 それはただ単に食い意地が張って、食べられる花の蜜や木の実を探して回っただけである。


『この前、お祭りで迷子になった子にとっても優しくしていて、お姉さんみたいで凄いなぁって思ったの』


『……』


『ことちゃんはねぇ、たくさん持っているよ。あっ、でも、ことちゃんが私に持っていないものをたくさん持っているから、ことちゃんが大好きって、わけじゃなくてね、えっと……』


 そこで彼女はぱぁっと花が咲いたように笑ったのだ。


『私はことちゃんが、ことちゃんだから、大好きなんだよ。優しくて、強くて、いつも明るいことちゃんが私は好きだよ』


 そう言って、千穂が私を真っすぐに見ながら嬉しそうに笑うから。

 だから、つい泣いてしまったのだ。


 女の子らしい私でも、男の子っぽい私でもなく、私が「山峰小虎(やまみねことら)」だから、好きなのだと。

 その言葉はとても単純そうに見えて、私の中では何よりも重く、そして嬉しい言葉だった。


 突然、泣き始める私を千穂はおろおろとしながら慰めつつ、真白を呼んできた。


 けれど、その日以降、私は千穂の前では泣いてはいない。あの子の前では絶対に泣かないと決めたからだ。


 千穂が私の心を救ってくれた。

 だから、もし千穂に何かあった時には私が彼女の盾となって、その心を守ろう。


 そう、誓っていたのに──。



「……嫌だったのに。大上が、千穂に近づくの、嫌だったのに」


「……うん、そうだねぇ。でも、本音は違うんでしょう、小虎」


 慰めるように真白はそう言うけれど、私は首を縦には振らなかった。


 別に千穂が大上に取られることだけが嫌だったわけではない。大上はいつか、きっと無意識に千穂を傷付ける。

 その時が来るのがどうしても嫌だったのだ。


 千穂が首を触られて、発狂したように気絶するトラウマを植え付けられてからもうすぐ十年が経とうとしている。


 病院には通っていたけれど、そのトラウマが治る見込みはないと言われていた。だから、時間をかけてゆっくりと忘れさせたかったのだ。


 千穂は私達が守る。

 絶対に、誰かの手で傷付けたりなんて、させない。


 それでも、私達は千穂の心を救えずにいた。


「……千穂は、トラウマを忘れたままだったら……これから先、幸せになれたかなぁ」


「……」


 真白は答えない。彼も千穂が再び、何かの拍子でトラウマを呼び起こしてしまうと危惧していたのだろう。

 それが現に、起きた。


 千穂がまた、目の前で傷付けられた。

 もちろん、大上に悪意があったわけではないと分かっている。彼は千穂のトラウマを知らないで触れたのだ。


 大上が千穂にとって害となることはしない人間だとは分かっている。


 だから、無意識に彼が千穂のトラウマを呼び起こしたことについて、沸き上がった怒りをどこにも向けられずにいた。


 本当は、分かっていた。

 人見知りが激しい千穂が大上を隣に置いている時点で、少なからずとも気を許しているのだと。


「ほら、そろそろ泣き止まないと、大上が千穂を連れ帰ってくるかもしれないよ?」


「……あいつに、千穂が救えると思うのか」


「当事者だった僕達以外が関わった方が、先が明るくなる時もあると思うよ。……それに千穂が受け入れるならば、僕達だって、彼のことを受け入れないとね」


 今まで、救うことが出来なかった小さな手。

 大上が千穂に手を伸ばしてくれると言うならば──。


「……でも、私だって本当は千穂のために……」


「……」


 その呟きは真白に強く抱きしめられたことで、消え去っていく。彼も本当は自分の手で千穂を救いたかったのだ。


 私達(・・)が、救いたかったのだ。


「……秘密、ちゃんと千穂に面と向かって話さないとね」


「……うん」


 千穂ならば、とっくに気付いているだろう。それでも責めることなく、知らないふりをしてくれている。


 次に会ったならば、私達は千穂に全てを話そう。

 たとえ、望まれていなかったとしても、自分達は千穂を守りたかったと、告げよう。


 再び浮かんでくる涙を拭うように、私は真白のシャツへと顔を押しつけるのだった。

 

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