赤月さん、トラウマを思い出す。
がちゃん、という音とともに缶コーヒーが自動販売機から出て来たものを掴み取り、私は立ち上がります。
「さて、戻りましょうか」
「うん」
「……大上君やことちゃん達のおかげで、何とか添削作業は終わりそうです。私の分が終わったら、大上君の発表準備も手伝いますね」
「ありがとう、赤月さん。その後はあの二人の前で実際に発表する練習でもしてみようか」
「そうですね」
ことちゃんと白ちゃんは何かと私に甘いところがあるので、厳しい目で発表を見て欲しいですね。でなければ、手直す意味がなくなってしまいますので。
ジュースを手に持ったまま、再び教室に戻ると、ことちゃん達はじっと大上君を見つめて──いえ、睨んでいました。
いや、この短時間で何をするというのですか。何もありませんよ。
「はい、ことちゃんは林檎ジュースだったよね」
「ありがとう、千穂」
「えっと、缶コーヒーの微糖は大上君の分でしたっけ?」
「そうだよ。……ありがとう、赤月さん。この缶コーヒー、飲み終わった後は綺麗に洗って神棚に上げておくね」
「純粋な瞳でそんな事を言うのは止めて下さい。気持ち悪いですよ。ちゃんと空き缶入れに捨てて下さい」
ほら、大上君が奇怪なことを言うので、白ちゃん達からまた冷風が流れてきているではありませんか。だから、自重して下さいとあれ程、言ったのに。
「千穂、いただくよ」
「どうぞ」
白ちゃんはブラックコーヒーが昔から好きなようです。
最近では自分でコーヒー豆を挽いて、ドリップして飲んでいるようです。たまに飲ませてもらうのですが、お店のコーヒーみたいでとても美味しいです。
私も自分用のジュースを大上君から受け取って、さっそく飲もうとしていた時でした。
「──あれ?」
大上君が私に向けて言葉を発したように思えて、私は何となく彼の方を振り返りました。
「赤月さん、首元に糸くずが……」
そう言って、大上君が私の首へとゆっくりと手を伸ばして来ます。
私は一歩、反応することが遅れてしまい、大上君の手が近づいてくることしか認識出来ませんでした。
大きな手が、微かに私の首に触れた時、「それ」は起きました。
悪意はないと分かっているはずなのに。
大上君は私に「そんなこと」をしないと分かっているはずなのに。
私の身体は一瞬にして汗を吹き出し、そして「思い出した」のです。
──ぱしっ。
乾いた音がその場に響くとともに、私は座っていた椅子ごと倒れていきます。
床上に倒れた痛みよりも、思い出した痛みに縛られていた私は鈍い声しか上げられませんでした。
「千穂っ!?」
近くにいるのに、ことちゃんが叫んだ声が遠くに聞こえます。
返事をしなければ、そう思っているのに、上手く呼吸が出来ないまま、震えるように息を吐き続けます。
気付いた時には私はいつのまにか、大上君の手を叩き落しており、右手は叩いた瞬間の熱が確かに残っていました。
「っぁ……」
床上に倒れた私は、ゆっくりと前髪の隙間から、大上君を見上げます。
彼はただ、驚いているような表情を浮かべ、瞳を丸くしたまま私を見つめていました。
「ぅ、……ぁ……」
零れる嗚咽を抑えようと私は左手を自身の喉元に添えて、机を右手で掴みながら、ふらふらと立ち上がります。
「赤月、さん……?」
呆然としたまま、大上君は私の名前を呼びます。それでも、私の瞳には大上君の姿が別のものに見えていました。
──あの日、私に伸ばされた大きな手。私を中途半端に害そうとした、悪意ある影。
それが鮮明に脳裏に蘇ってきたのです。
過去に抱いた痛みと共に。
「……ゃ」
「え?」
「──いやぁっ……」
全てから逃げるように、私はいつの間にか走り出していました。
名前を呼ぶ声さえも、拒絶して。また、逃げたのです。