赤月さん、誘いに揺れる。
「大上も何か気になる本があるなら、借りて行ってもいいんだぞ?」
梶原先生が本棚を指さしながら促すと、大上君は少しだけ悩む素振りを見せました。
「そうですね……。では、『狼信仰』に関する本などはありますか」
「狼信仰? へえ……珍しいな、狼信仰に興味があるなんて」
「実家が狼信仰に由来する神社なんですよ。それで、出来れば狼信仰をしている他の地域や家について調べることは出来ないかなと思いまして」
「……大上君、ご実家は神社だったのですか?」
意外過ぎて、驚きです。私がぽっかりと口を開けたまま訊ねると大上君は苦笑しながら頷き返してくれました。
「うん。田舎にあるけれど大上神社という由緒ある神社でね。俺の家名の『大上』は獣の『狼』に由縁があるから、それになぞらえて付けられた苗字だって聞いているよ」
「そうだったんですね……」
大上君は都会出身だと思っていました。何と言いますか、ファッションモデルとかに居そうな華やかなお顔をしていらっしゃるので。
あ、別に褒めているわけではなくて、あくまで客観的な意見です。
大上君のお顔は整っているとは思いますが、好みというわけではありません。自分の好みの顔についてもよく分かりませんし。
すると、本棚の中から本を探しながらも梶原教授がこちらに向けて、付け加えるように言いました。
「歴史学部に所属している学生には結構、神社や寺が実家だという家は多いぞ。それにかなり遠い地方から来ている奴も多いから、それぞれの地域の文化や宗教、言葉の違いを大学生になって初めて受けた、なんてこともよくある話だ。……おっ、あった。これだ」
梶原教授はお目当ての本を探し当てたようで、大上君へと渡してきました。
本の題名を覗き見てみると「地方の神々と信仰の分布」と書かれていました。こちらの本も中々興味をそそる内容のようですね。
「情報としては少ないかもしれないが、この本の中に狼信仰に関する記述が記載されていた。著者が自ら現地をフィールドワークしてから、そこに住まう人々に聞き取りを行い、それらをまとめた報告書のような内容になっている。確か、各地方で祀られている神について、詳細に書かれていたから読んでみるといい」
「ありがとうございます、梶原教授」
「いや、構わないよ。むしろ勤勉で意欲的な学生が多くて嬉しい限りだ。……どうだ? 二人とも俺のゼミに入らないか?」
梶原教授の軽やかな誘いに私はこくりと頷き返します。
「元々、梶原教授のゼミに入ることを希望して、こちらの大学には入学したので。もし、ゼミに入った際にはくずし字についてのご指導、どうぞ宜しくお願いします」
「俺も狼信仰を調べるにあたって、くずし字を読む技術は会得しておきたいので、恐らく梶原教授のお世話になると思います」
大上君も自然を装って同じゼミに入ると宣言していますけれど、そこに不純な動機がないことを祈っています。
「ああ、二人がゼミに入ってくれるのを楽しみにしているよ。……そうだ。今度、市中に出て、かつての城跡や城下町を巡るフィールドワークの講義があるだろう。確か、二人もその講義を受講していたよな?」
梶原先生の言葉に私と大上君は同時に首を縦に振り返します。
「そのフィールドワークを行った際に気付いたことや気になったこと、調べたいと思ったことをテーマにして、次のオープンキャンパスの時に、参加した高校生向けに発表をして欲しいと思っていたんだが、もし良かったらやってみないか?」
「えっ!?」
「それって、五月の初旬に土日で二日間の日程が組まれているオープンキャンパスですか?」
「その通り。二年生以上の発表者は決まっているんだが中々、一年生で引き受けてくれる学生が見つからなくてな。もし、二人が発表者としてこの件を受けてくれるなら、助かるんだが」
「うーん……」
「わ、私……。人前に出るのが、凄く苦手で……」
私が口篭もると梶原教授は納得するように頷きました。
「ああ、赤月は確かに人見知りしそうだもんな。……でも、これから先、どんどん人前で発表する機会は増えていくぞ? 何せ、卒業論文の発表は教授だけでなく、歴史学部の学生の前でも行わなければならないからな」
「ひぇ……」
「今のうちから練習しておけば、きっとそのうち胸を張って、堂々と人前に立てるようになるさ。こういうのは習うよりも慣れた方が早いからな。それと──」
そこで梶原教授はにやり、と笑いました。
「オープンキャンパスの発表に参加する者には図書カードが千円分、貰えるんだ」
「っ!」
図書カード、という言葉に私の心は一気に沸き立ちました。
何と魅力的な言葉でしょう、図書カード。
「それだけじゃない。オープンキャンパスに学生スタッフで参加する者には更にお茶とお弁当まで付いてくる。加えて、他の教授たちからの覚えも良くなって、今後の卒業研究の際には色々と資料などを融通してもらいやすくなるというお得特典盛沢山だ」
「うぐぐ……」
梶原教授、何と恐ろしい方でしょう。誘い込もうとする見事な手腕に私の心は揺れまくっております。