大上君、山峰さんに忠告される。
「……赤月さんの恋人候補から辞退する気は更々ないけれど、念のために君達が赤月さんに俺を近づけたくはない理由を聞いてもいいかな?」
俺がそう訊ねると山峰さんは顔を顰めてから、唇を強く噛んだ。
「……お前の存在が千穂にとって、トラウマを呼び起こしかねないからだ」
「トラウマ?」
初めて聞いた言葉のように俺は首を傾げる。
赤月さんにトラウマがあるなんて、そんなこと調べても見つからなかった。……いや、俺が知らないだけで、赤月さんの傍にいる幼馴染の二人ならば、知っている話なのかもしれない。
「あいつは……千穂は元々、対人関係が得意ではない。特に男が相手になると尚更だ」
何かを知っている山峰さんは憎いものを見るような瞳を俺の向こう側に見ているようだった。
「……でも、男が特別苦手というわけではないだろう? ここ最近だけれど、俺とは普通に会話が出来ているよ? 学部の先輩や教授相手にもしっかりと受け答えが出来ているようだったし……」
「少しずつだが、人に慣れたんだろう。……千穂が対人関係に慣れることは良い傾向だと思う。そうやって、少しずつ成長していければいい」
まるで赤月さんの保護者のような物言いだ。
「だが、お前は……千穂に近づき過ぎている」
「……」
それは赤月さんともっと仲良くしたいという下心ゆえなので、否定はしないけれど。
でも、山峰さんはどこか苦しそうに次の言葉を吐いた。
「近づき、慣れて、親しくなれば……人は相手に触れたいと思う生き物だ」
「うん、そうだね」
確かにその言葉の通りだ。赤月さんに近づくたびに、もっと彼女に触れたいと強い欲求が芽生えてしまう。
それでも、彼女との穏やかな距離を保つためには、自制し続けるしかないのだろう。
「私は、お前が千穂に触れる行為を許すことは出来ない。それは直接、身体に触れることだけに限らない。お前が、千穂のトラウマを呼び起こす要因に触れることを……絶対に許さない」
はっきりとそう言い切ってから、山峰さんは俺を睨んでくる。
「触れてはいけない部分に、お前が触れた時……二度と千穂の前に出られないようにしてやるからな」
それは脅しというよりも、赤月さんに対する誓いの言葉のように聞こえた。
山峰さんは赤月さんを守ろうと必死なのだ。だからこそ、俺を近づけさせたくはないのだろう。
それでも、「触れてはいけない部分」を山峰さんは教えてはくれなかった。その部分が一体、何を示すのか分からないままだ。
「……ねえ、山峰さん」
「……」
「俺はね、どんな赤月さんでも、好きなんだよ。君達が守ろうとしている赤月さんももちろん、好きだ。きっと、君達のおかげで今の赤月さんはいるのだろうし」
いつの間にか、自然に笑顔が浮かんでしまっていた。そのことを不気味に思ったのか、山峰さんは表情を再び顰めた。
「でも、俺だって諦めきれないんだ。だって、やっともう一度、会えたのだから。……生まれて初めて、恋焦がれるという意味を知ったんだ。他のことはどうでもいい。けれど、彼女──赤月千穂さんのことだけは、絶対に諦めることはない」
「……」
目の前で歪んで行く山峰さんの表情はどこか怒っているようにも、悲しげにも見えた。
感情がとてもはっきりと出る人だ。それ故に、こうやって俺の前に立って、悪役を引き受けるような態度で接してきてくれたのだろう。
「……忠告は、したからな」
そう告げた時、山峰さんは顔を下に向けていたから、表情までは見えなかった。彼女は壁ドンしていた足を下げてから、俺に背を向ける。
そして、それ以上を言葉にすることなく、静かにその場を去っていった。
「……執着、か」
ぼそりと一人呟いても、その声を拾ってくれる人はいない。
自覚はしている。
それでも、赤月さんを傷付けないように、少しずつ近づきたいと思っている。
赤月さんにとって、触れてはいけないこと。
恐らく、俺でさえ見つけられないように、上手く隠してあるのだろう。
どんな赤月さんでも知りたいと、強く思う。
けれど、彼女を傷付けるならば知らないままの方がいいだろう。
赤月さんを傷付ける奴はどんな人間であれ、絶対に許さない。そう、そこに自分が含まれているのだとしても。
俺は一つ、深い溜息を吐いてから、山峰さんが去っていった方とは別方向へ歩いて行った。