赤月さん、大上君を止める。
「それで久藤先輩には変なことは言われなかった?」
探るというよりも、心配でたまらないと言った表情で大上君は首を少しだけ傾げながら訊ねてきます。
「え? うーん……。あ、そう言えば」
「なっ……何か、言われたの? 大丈夫?」
「えっと……。せっかく大学生になったのだから、楽しいことをもっとした方がいいと言われました」
「……」
今度は大上君が押し黙ります。突然、無言になる大上君は珍しいですね。いつも騒がし──いえ、一方的にお喋りなので。
「それと……私の知らないことを優しく教えようかとも言われました。一体、何を教えて下さるつもりだったのでしょう……?」
唸るように私がそう告げると、大上君は急に足を止めてから、背後を睨むような視線を向け始めます。まるで敵を侮蔑するような鋭い視線です。
ですが、その視線の先に人はいません。
「……あのくそ野郎、やっぱり一発くらい殴っておけば良かった」
ぼそりと聞こえたのは地を這うような低い声でした。いつもの明るい調子とは全くの別物です。こんな声も出るのですね。
「俺の赤月さんに手を出そうとするなんて、良い度胸だ。いっそのこと、停学させる程の情報でも掴んで……」
「お、大上君っ……?」
何やら不穏なことを呟いている大上君の服の裾を私が軽く引っ張ると、彼は一瞬にして笑顔へと戻りました。表情筋が随分と柔らかいのですね。
「大丈夫だよ、赤月さん。あの最低くそ野郎は今後、絶対に赤月さんに近づけさせないようにするから。だから、安心して。……でも、やっぱり俺の気が静まらないから、久藤先輩を一発殴って来てもいいかな。出来るだけ、痕が残らないようにするから」
「だ、駄目ですよっ……!」
何を言っているのでしょうか、この人は! 私は焦るように大上君の腕を掴んでから、先へ進もうと引っ張ります。
「そ、そんなことはどうでもいいのです! それよりもお腹が空いたので、ご飯を食べに行きましょう! ねっ?」
私は縋るような瞳で大上君を見上げます。これ以上、問題事は御免です。
すると彼はすぐに硬直し、空いている方の手で額を押えました。
「お、大上君?」
「……赤月さんの上目遣い可愛い。最高。語彙力失う可愛さ……。めっちゃ、貴重。永久保存したい。写真を撮ってから額縁に飾りたい。ポスターにしたい。むしろ、抱き枕を作りたい」
ぶつぶつと呟きつつ、恍惚な表情を手の下に浮かべています。あ、通常通りのようですね。
私はそっと大上君の服の裾から手を離し、一つ息を吐きます。
「それで大上君は何を食べたいんですか」
危機を判断する能力が低いせいで大上君には迷惑をかけてしまったので、出来るだけ美味しいものをご馳走する気ではいますが、二千円以内でお願いしたいところです。
まだ、アルバイト代は貯金に入っては来ないので。
「それなら、ハンバーガーでも食べに行こうか」
「えっ。お手軽なご飯でいいのですか? それだと、予算の半分くらいにしか届きませんよ?」
「ふふっ。だから、あともう一回、どこかへ一緒にご飯を食べに行こうよ」
「……そういう魂胆でしたか」
本当に抜け目ないですね。まあ、二回分くらい、いいでしょう。……身の危険から、助けてもらったことですし。
「では、行きましょうか」
「うん。今日の夜は宜しくね。ああ、楽しみだなぁ、赤月さんと二人っきりで……」
「……語弊ある言い方をしないで下さい」
私は呆れと安堵の溜息を交えるように吐きつつ、大上君と共に再び夜の町を歩き始めました。