大上君、単純さを自覚する。
「あ、そろそろ昼休みが終わってしまいますね」
赤月さんは左腕に着けている腕時計に視線を向けてから立ち上がった。
俺も自分の腕時計で時間を確認してみる。昼休みの残り時間はあと十分程までに迫って来ていた。
「そうだ。あの……良かったら、これもどうぞ」
「え?」
そう言って、赤月さんはコートのポケットに右手を突っ込み、何かを探り取る。
そして、座ったままの俺に右手を向けてきた。彼女の小さな手の中に転がっていたのはレモン味の飴玉だった。
何故、飴玉を自分にくれるのだろうかと首を傾げそうになる前に赤月さんは言葉を続けてくれた。
「緊張している時や集中したい時には甘い物が一番ですよ」
ふふっと、どこか姉のような雰囲気を醸し出しながら赤月さんはそう言った。
「……ありがとう」
俺は差し出された飴玉を手に取る。
小さくて、可愛らしいパッケージに入っている飴玉はどこにでも売っているようなものだ。
それでも、自分にとっては赤月さんから貰った「お守り」のように思えてならなかった。
「保健室には行かなくて、大丈夫ですか?」
「うん、もう平気。このまま、教室に戻るよ」
「でも、無理をしてはいけませんよ」
よほど、俺のことが心配なのか、赤月さんは顔色を窺うような視線を向けて来る。本当に優しい子だ。
その視線が今だけ、自分のものだと思うとどうしても胸の奥が高鳴ってしまう。妙な心地がした俺は、ふいっと視線を逸らしてしまった。
「大丈夫だよ。……えっと、お茶と飴玉、ありがとう」
本当はもっと上手く言葉に出来たらいいのに、情けない姿を見せてしまったことでつい口篭ってしまう。
それでも、赤月さんは特に気にすることなく首を横に振ってから答えてくれた。
「いえ、どうかお身体を大事になさって下さいね。冬は体調を崩しやすいですから。……それでは、お互いに残りの試験も頑張りましょう」
最後まで笑顔のまま、赤月さんは俺に背を向けて静かに去っていった。
その後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、俺はゆっくりと立ち上がる。それまでの気分の悪さも、鉛のように重かった身体もどこにもなかった。
「……俺って、意外と単純だったんだな」
たった今、貰ったばかりのレモン味の飴玉を口へと含めて、転がしていく。
酸っぱいけれど、爽やかな味が口いっぱいに広がっていき、それまで受け付けなかったものを受け入れるための何かが開いた気がした。
もう、自分は大丈夫だ。そう思える程に意識はしっかりとしている。
そして、はっきりとした目標が見えた今の自分は立ち止まっている場合ではないと自覚した。
「……満点、いけるかな」
午後にも数教科、試験が残っている。この試験で良い点数を取れば、午前中の試験の結果を挽回出来るだろう。
諦めるにはまだ、早すぎる。
見知らぬ自分に優しさと温かさ、そして希望を与えてくれた名前も知らない彼女にもう一度出会うためには、この大学に合格するしかない。
きっと、彼女に会うための次の奇跡は起きないだろう。二度目はない。
だから、逃したくはなかった。
次に起こる奇跡は、決して奇跡ではなく、自分で掴み取るための必然とするために。
俺はマフラーを巻き直してから、試験を受ける教室へ向かうべく、歩き始めた。その足取りは今までの中で一番と思える程に力強く感じられた。